『エロスの科学』第2回:エロスと宗教、その奥深き関係

エロの大テーマに挑む

「エロい」ものがとかく規制されがちな今日このごろ。でも、そもそも「エロス」とは何でしょう? 実は私たちは、「エロス」について知っているようで知らないことが多いのでは?……そんな疑問から始まった、「エロス」について学び、紐解いてゆく連載。
講師は漫画評論家にして表現規制問題やいわゆる「エロマンガ」にも造詣が深い永山薫氏。
連載早々の第2回にして、避けては通れない大ネタ「宗教」がテーマとなりました。なぜに「エロス」はタブーとなっていったのか、その経緯を永山先生に解説していただきましょう。

永山 薫(ながやま・かおる)
1954年生まれ。近畿大学卒。ミニコミ誌『マンガ論争』編集長。批評家、編集者、文筆家。主著『増補エロマンガ・スタディーズ』(ちくま文庫)は英語版、中国語(繁体字)版が発行されている。他の著書、共著、未刊の評論等は本名の福本義裕名義を含めて検索を。


「性」のタブーは、「宗教」から生まれた!?

――前回、ちらっと「宗教と性」という話が出てきましたが、そのとき「キリスト教も仏教もエロい表象多過ぎですからねえ」という気になる言葉が…(笑)。というわけで今回は、「キリスト教」と「エロス」についてレクチャーしていただければと思います。

大変なお題がきてしまった(笑)。確かに宗教と性とエロスって洋の東西を問わず相性がいいんですね。古代メソポタミアでは、女神官がセックスのエクスタシーで霊感を得ていたといわれています。まず、これを見てください。バビロンの遺跡で発掘された通称「夜の女王」の浮き彫りです。冥界の女王エレシュキガルか、性愛と豊穣と戦いを司るイシュタルではないかと言われています。製作時期は紀元前1750年頃ですから、キリストが生まれる遙か前ですね。

「夜の女王」
出典:Wikipedia Photo/2007、Hispalois, BritishMuseum public domein

大昔から宗教は「性」と関係が大きいです。日本でも歩き巫女と呼ばれるセックスワーカーがいたり、尼僧姿で客を取った女性もいましたからね。キリスト教も例外ではありません。西欧のエロチックな物語ではスケベな聖職者が必ずのように登場します。宗教画もエロいのが多いですね。

――そんなに多いんでしょうか? キリスト教の宗教画ってキリスト像とかマリア像とかでしょ? 聖母子像のように美しい母性と幼子イエスの無垢を描くとか。

「聖母子」1320年、ジョット作
出典:Wikipedia Photo/National Gallery of Art, Washington, D. C., public domein

これは中世の画家、ジョットが描いた聖母子像です。

――あまりエロくないですね。キリストのヘアスタイルも剃りが入っててヤンキーみたいですよ。

バチが当たりますよ(笑)。生真面目な中世クォリティなんですから。他にもいろんなモチーフがありまして、その中に色々とエロス分子が紛れ込んでいるんですね。中には「ヤバすぎる!?」ってのもありまして、ヌード程度は当たり前。というか、後で触れますけど現代に近づくにつれてエロ、フェチ、誤読成分が増えていきます。19世紀の人気画家ウィリアム・ブグロー「聖母子と洗礼者ヨハネ」と見比べてください。

「聖母子と洗礼者ヨハネ」1875年、ウィリアム・ブクロー作
出典:Wikipedia Photo/2006, Snoutwood、public domein

――可愛いですね。宗教とか関係なしに、ポストカードにして送りたいくらい。

めっちゃカワイイですが、洗礼者ヨハネとイエスのキスシーンに「ロリショタがちゅっちゅっしてるー」「ショタBLだ!」と萌える人もいるわけですね。

――……いるんですか、そんな人?

私です(笑)。ブグローは美少年、美少女を描くのが売りなんですよ。上品なのにちょっとエロチックでギリギリを攻めてくる。この時代、19世紀末のアートはエロチックな作品が多いのでいずれ採り上げたいですね。

――そういえば前回もギリシャ神話とキリスト教の違いという話が出ましたが、キリスト教は性には寛容ではないイメージがあります。

キリスト教と「性」の関係はなかなか複雑怪奇です。これはあらゆる宗教に言えると思うんですが、セックスは大事なんですね。そもそも生殖と出産って、新しい生命が作られるという神秘的な行いでしょう。しかもセックスは気持ちいい。絶頂とかエクスタシーに達すると脳内麻薬がドバドバあふれて、非日常的な瞬間を体験できてしまう。その上、子孫繁栄にもつながる。旧約聖書の「創世記」にも「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」と書いてあります。
ところが人間は気持ちよくて楽な方に流れがちです。放置するとセックスに走って、仕事はおろそかになるし、風紀が乱れて、不倫や子孫繁栄につながらないセックスも増える。セックス至上主義みたいな極端な宗派が登場する。なので、「野放しにしないぞ」と戒律なんですが、「えっ、戒律があるのにヌードとかアリなんですか」と言いたくなるくらいキリスト教アートではエロい場面が出てきますね。例えば新約聖書に登場するセックスワーカーだったマグダラのマリアをルネサンス期の画家・ジャンピエトリーノが描くとこうなります。

「マグダラのマリア」1515年、ジャンピエトリーノ作
出典:Wikipedia Photo/2012, Austriacus public domein

――結構ギリギリの露出ですね! こういうのがアリって、どういう戒律なんですか……。

「戒律」というのは元々、ユダヤ教の経典だった旧約聖書に書いてある掟のことですね。「十戒」という10項目のガイドラインがあって、「殺人はダメですよ」「盗みもダメよ」みたいな当たり前のことが書いてあるんですけど、その中に「汝、姦淫するなかれ」というのがあります。これは「正式な結婚以外のセックスはダメです」という意味。不倫禁止! 十戒以外にも「淫らな目で女性を見るのは姦淫したのと同じです」とか「オナニー禁止ね」とか色々制限がかけられています。あと、子孫繁栄につながらない同性愛、相続がややこしくなる近親相姦、獣姦も禁止です。

――「十戒」ってなんか古い映画で観た記憶があります、海が割れるやつですね(笑)。そうか、なんか神様たちがセックスしまくりだったギリシャ神話とはえらく変わっちゃったような……不思議です。

古代ギリシア・ローマは神様が一杯いて、フリーダムでしたね。大体、一番偉いゼウスにしてからが女性も美少年も大好きなバイセクシュアル、誘拐したり寝取ったりフリーダムすぎるセックスライフ(笑)。

――それじゃ人間の営みに文句言えませんね。

多神教は自由度が高いんですよ。どの神様を拝んでもいいし。八百万の神々がいる日本と似ていますね。しかも地中海地方は温暖だから裸でもヘッチャラ。古代ギリシアの壺絵を見るとオリンピックもすっぽんぽんですよ。おちんちん丸出しです。ただ男性優位主義の時代で女性はすっぽんぽんになれません。女性差別ですね。この男限定とはいえ、ゆるゆるのヌーディストビーチみたいな多神教世界に較べると一神教は厳しいんです。

古代ギリシアのオリンピックランナー
出典:Wikipedia Photo/2011, Marie-Lan Nguyen British Museum CC

――そうか。キリスト教という一神教が広まるには、厳しさが必要だったわけですね……。おかげでエロいことが禁止されちゃって、「タブー」になったと。

キリスト教は当時の新興宗教でしたが、ユダヤ教の経典である旧約聖書を全否定せずに取り込んでいるので基本的な戒律は同じです。一神教は厳しい自然環境の中で、ひとつ間違うと一族が絶滅するような場所で生まれたので厳しいんですね。細々とタブーを設定しておかないと道を踏み外してしまう。象徴的なのがアダムとイヴのお話です。

「アダムとイヴ」1507年、アルブレヒト・デューラー作
出典:Artdtikon Wikia

天地創造を行った神様は、最後に自分の姿に似せたアダムを土から作り、さらにアダムの肋骨からイヴを作り、二人を楽園に住まわせます。二人ともすっぽんぽんです。ところが悪魔にそそのかされて楽園に生えていた知恵の実を食べたところ、それまで単なる裸のおバカさんだった二人が突如利口になって「あっ、オレら裸じゃん。ちんこ丸出しじゃん」「キャー恥ずかしい」と「羞じらい」という感情を獲得し、股間をイチジクの葉で隠します。「無邪気で、純真で、バカなところが可愛かったのに!」と神様激オコで二人を楽園から追放します。図はデューラーの作品でまだ羞じらいを知らなかった頃のお二人です。不自然に木の枝葉で股間を隠していますが、これは画家の自主規制です。

――でも思ったんですけど、神様って自分に似せてアダムとイブを造ったのに「裸がNG」ってちょっとおかしいような……。

「羞じらい」と「エロス」が直結しちゃうからでしょうねえ。単なる裸はナチュラルで健康的だからヨシ! 羞じらいエロスな裸はダメ絶対!

――「羞じらいエロス」パワーワードいただきました……。 こうやって聞くと「羞じらい」ってキリスト教の中でもめちゃくちゃ重要なファクターなんですね……。

裸の人が立っているだけじゃ、お風呂屋さんの脱衣場ですよ。「いやん、恥ずかしい」があるとエロく見える。日本でも江戸時代の中頃までは男女混浴が当たり前でしたからね。裸体が置かれる文脈と裸体そのもののポーズや表情という記号によってエロかどうかが決まります。

――ということは、「エロいことがダメ!」という価値観って、キリスト教が広まっていなければなかったという可能性もあった!?

それは極論かもしれないけど、ローマ帝国がキリスト教を国教化して、大きくパラダイムが変わってしまったのは事実ですね。それまでのゆるゆる多神教マインドが、厳しい管理と統制の一神教マインドに塗り替えられちゃった。それにもかかわらずキリスト教アートでヌードやら官能描写やら残酷エロスがなぜセーフになっているのか? そこには宗教と経済と政治がからんだ謎ルールが存在するからです!

「謎ルール」が生んだ「やりたい放題」のキリスト教芸術

――謎ルールとは!?

聖書の教えに準拠していればOKという基本ルールです。実は十戒に「偶像崇拝禁止条項」ってのがあって、ヴィジュアルアート禁止だったんですよ。旧約聖書を厳密に守るユダヤ教、旧約聖書を取り込んでいるイスラム教、キリスト教の一部の宗派では現在も神様や神聖な概念を可視化してはいけないことになっています。タリバンみたいなイスラム原理主義になるとバーミアン大仏を爆破しますからね。

――絵を描いちゃダメなのにキリスト教はアートOKなんですか?

そのあたりキリスト教はゆるいです。「ただし基本ルールはあるよ」と。具体的にいうと聖書に描かれたエピソード、聖人・聖女の伝記や伝説に基づいていればセーフ。キリスト教アートの枠外だけどギリシア・ローマ神話をモチーフにしてもいいらしい。古い迷信みたいな物語だし、キリスト教道徳を説くための反面教師にもなるからセーフみたいな(笑)。

――え、このルール、謎すぎ……? ギリシア・ローマ神話をモチーフにしてもいいというのはさておき(笑)、こんなゆるふわ謎ルールだと、随分あんな作品やこんな作品ができあがってしまいそう……。

生臭い話ですが「カネと権力」があれば通っちゃう(笑)。たとえばルネサンス運動はギリシア・ローマのアートに戻ろうという考えです。で、そのバックにはメディチ家のような教皇まで作っちゃう大商人一族がいたんですね。王侯貴族や大商人というワガママな連中がスポンサードして、レギュレーションを決めて、大枠で「キリスト教に準拠していればオーライ」と。そうなるとアーティストはそもそも暴走しがちな人種ですから(笑)。

――確かに(笑)。今でも暴走して面白い作品を生み出したり、暴走しすぎて怒られたりしていますものね、アーティスト。

ルネサンス期は、ドナテッロミケランジェロのダビデ像のようにおちんちん丸出しでもセーフ。「ダビデは旧約聖書の英雄だからヨシ!」なんですね。しかし、ドナテッロのダビデはちょっと女子っぽいし、ミケランジェロの方は筋肉マッチョで、ゲイカルチャーも受容されそうなビジュアルで、二人ともゲイだった説があります。

 

「ダビデ」1435-1440年、ドナテッロ作
出典:Wikipedia photo/ Patrick A.Rodgers CC2.0

「ダビデ」1501-1504年、ミケランジェロ作
出典:Wikipedia photo/Livioandronico2013 CC4.0

さらに攻めてるのがジョルジョーネ。西欧美術史上初の「横たわる裸婦」を描いたとされています。「眠れるヴィーナス」というタイトルで一応はギリシア・ローマ神話がモチーフということになっていますが、左手の位置がヤバイですね。隠しているともいえるし、性器を触っているともいえる。
この構図を継承したティツィアーノ「ヴィーナスとオルガン奏者と小犬」はさらに露骨。シチュエーションが謎(笑)。オルガン奏者が裸をガン見しています。いわゆる「視線誘導」で音楽家の視線を追うと否応なしにヌードに目がいく。そこまでしなくても裸の方に目が向くわけですが(笑)。

 

「眠れるヴィーナス」1510年、ジョルジョーネ作
出典:Wikipedia photo/Google Art Project public domein

「ヴィーナスとオルガン奏者と小犬」1550年、ティツィアーノ作
出典:Wikipedia photo/2012 Escarlati public domein

――ここまでくると、なんでもアリですね。

さすがに宗教画そのものじゃありませんが、神話ベースならセーフの典型ですね。しかし、倫理的な教訓は微塵もありません。じゃあ聖書ベースならどうか? 同じくジョルジョーネの「ユディト」を見てみましょう。

「ユディト」1504年、ジョルジョーネ作
出典:Wikipedia photo/2003 Hazan public domein

――うわっ、生首を踏んづけてますよー。エロだけじゃなくてグロも。

ユディトさんは旧約聖書外典に登場するスーパーヒロインです。ユダヤに進軍してきた敵の宴会に潜り込んで、泥酔状態の敵将の首を落としたんですね。女装して宴会に紛れて熊襲を倒した日本武尊と似たようなことをやったわけです。この絵もエロ要素多いでしょ。蔑んだ微笑を浮かべ、太腿まではだけて敵将の生首を踏む。敵将もなんかうっとりしています。ほとんどマゾヒズム絵画ですよ。

――「女王様に踏まれてうれしい」みたいにも見えますね。

バロック期になると大暴走(笑)。みんな大好き、カラバッジョの登場です。同じユディトさんを描いてもこうなっちゃいます。殺人犯として逃げ回っていた人の絵だと思って見ると怖さがつのりますが。

「ホロフェルネスの首を斬るユディト」1598-1599、カラバッジョ作
出典:Wikipedia photo/2009 Acacia217 public domein

――ひー、首斬ってますよ!

それも「やだなー」みたいなリアルな表情で(笑)。残酷エロが好きな人にはたまらない。カラバッジョは何を描いてもエロいので、ぜひ皆さんも調べてみてください。彫刻ではベルニーニという逸材が登場します。エロチックさでも超有名な「聖テレジアの法悦」という作品。

「聖テレジアの法悦(彫像全体)」1647-1652年、ベルニーニ作
出典:Wikipedia photo/2015 Alvesgaspar CC4.0

恍惚の表情を浮かべる聖テレジアに微笑みながら槍を突き立てようとする天使。「法悦」と訳されていますが英語だと「エクスタシー」。聖なるエクスタシー。この情景は聖テレジアの自伝の一節を描いたものです。翻訳書が書庫に埋もれているのでウィキペディアからの引用になります。

私は黄金の槍を手にする天使の姿を見た。穂先が燃えているように見えるその槍は私の胸元を狙っており、次の瞬間槍が私の身体を貫き通したかのようだった。天使が槍を引き抜いた、あるいは引き抜いたかのように感じられたときに、私は神の大いなる愛による激しい炎に包まれた。私の苦痛はこの上もなく、その場にうずくまってうめき声を上げるほどだった。この苦痛は耐えがたかったが、それ以上に甘美感のほうが勝っており、止めて欲しいとは思わなかった。私の魂はまさしく神そのもので満たされていたからである。感じている苦痛は肉体的なものではなく精神的なものだった。愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった。この素晴らしい体験をもたらしてくれた神の恩寵に対して、私はひざまずいて祈りを捧げた。

引用:Wikipedia

心の卑しい異教徒なので、ついつい性的快楽と同一視しちゃいますね。

――バチが当たりますよー(笑)。しかし、そもそも、「キリスト教」芸術って何のためにあって、教会はなんでそんな好き勝手にやらせてたんでしょう?

元々は信仰を高めるためだったはずですね。聖母子や幼子イエスを見える形で示して「あなたたちが信仰するのは、こんなにも気高く美しいんですよ」と。昔の一般人は識字率が低かった。後にルターがドイツ語訳を出すまで聖書はヘブライ語とギリシア語の原典からラテン語に訳したものが公式版でした。自国語の読み書きできない多くの人々に聖書の教えを伝えるための絵解きといった意味が大きかった。ステンドグラスもそうですよね。「この絵はイエス様の誕生を描いています。こちらがマリア様で三人の老人が東方の三博士……」という風に教えていった。教会のための芸術だったんですね。

――紙芝居みたいですね。

ベースにあるのは宗教教育や啓蒙、宣教目的でしたが、「これもアリだよね」と、宗派や時代によってもブレが出てきます。「裸は悪いことだから、悪い人は裸に描いてもいい」なんて謎ルールで裸を描いたり、理屈をこねくり回してエロスを導入していたりする内に、中世からルネサンスにかけてタガが外れて、バロックで暴走。教会と信者のための芸術から、スポンサーのための芸術、さらには自己表現の芸術へと至るわけで、教会の支配力が時代とともに弱くなっていったのも大きいでしょう。「聖テレジア」の祭壇の配置を見てください。左右に天井桟敷みたいな席があって群像が配置されていますよね。

「聖テレジアの法悦(教会内部のセッティング)」
出典:Wikipedia photo/2015 Livioandronico2013 CC4.0

――たしかに、左右に観客席が。

この観客は、ローマカトリック教会の高位聖職者であらせられるフェデリコ・フェルナーレ枢機卿と、その父で第96代ヴェネツィア・ドーチェ(頭領)のジョヴァンニ・コルナーロとその一族。大商人ですね。こうやって富と権力を誇示したわけです。

――官能を見守る権力者たち、なんとも生々しいです。

ローマカトリック教会は中世には絶大な権力をもって精神世界どころかヨーロッパ全体の政治にまで支配力を行使していたのですが、教会内部が腐敗したり、世俗の金権と結びついたり、ローマカトリックに対抗するプロテスタントが登場して覇権を争ったりしている内に支配力が落ちていきます。今はもう政治に口出ししにくくなっているし、教会も寛容になって「同性愛も認めよう」と。最近だと教会内部の児童性虐待が大問題になったりし、難しい立場ですよね。

――なるほどー! 時代の流れとともに「エロい宗教芸術」が生まれる土壌になっていったと。しかし芸術家はやっぱエロい作品って描きたいものなんですね(笑)。なんだかちょっと親近感。

描きたい人がいて、宗教とは別の意味で鑑賞したい人もいて、どんどんエロスがはびこっていくのです(笑)。エロスの神は不滅なのかも。というわけで締めはカラバッジョが描くエロス神で。なんか邪悪な表情ですけど(笑)。

「アモールの勝利」1602年、カラバッジョ作
出典:Wikipedia photo/2010 Lafit86~commonswiki public domein

▶「エロスの科学」いままでの研究一覧

談・永山薫 Twitter:@Kaworu911  HP:manronweb.com 取材:ケムール・エロス取材班

あわせて読みたい

今週のプレゼント