幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。吉田さんのもとには、海や山や森、街中、オフィス、自分の部屋の中など、いわゆる心霊スポットや事故現場だけでなく、いまもどこかで生まれ続けている怪奇な経験談が集まります。それらをつぶさに取材し膨大な実話怪談を語ってきた吉田さんは、昨今の怪談ブームの火付け役とも言える存在なのです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」の時間にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。
今回のアイテムは「煙草」。煙草は古くから人と人とを繋ぎ、あるいは孤独な時間に寄り添ってきた嗜好品です。しかし、かつては儀式の道具として魔除けの力を持つと信じられていた、と吉田さんは語ります。時には、怪奇を呼び寄せてしまうこともあるのかもしれません。
それでは、怪談を一服いかがですか。
にせもの家族
トシキの家は、とある地方都市の、中心部から少し離れた山の方にある。
繁華街までは車ですぐなので、田舎というほどの僻地ではないが、なにしろ自然に囲まれているのは間違いない。すぐ近くの山から色々な野生動物が下りてきて、家の庭先に出没することはたびたびあったという。
あれは、トシキが高校生の時だ。
自分の部屋で宿題をしていると、誰かが入ってくる気配がした。勉強机に目を落としたまま、横目でちらりと確認する。
弟だった。
無言で入るなんて失礼なやつだな。
兄弟で別々の部屋を与えられているため、用事でもない限り、お互いの部屋に立ち入ることはないのだが。
「なんだよ。なんか借りたいのか?」
ノートから目を離さず、トシキが話しかける。しかし弟はなにも答えない。音もたてずにすり足で歩いているのか、すうっと部屋の角に向かっていく空気だけが、背中に感じられた。
そちらには勉強机とは別の、パソコンを置いた小さなデスクがある。振り返ってみれば、弟はいつのまにか、そのデスクの椅子に座っていた。
「だからなに? 調べもの?」
イライラした声をぶつけてしまったが、それでも弟は無視したまま。まっ黒いパソコンモニターに顔を向けて、じいっと座りこんでいる。
めんどうくせえなあ……。そう思いつつ、トシキは立ち上がり、背後から弟の肩をバンバンと叩いた。それでも弟はしゃべるどころか、ぴくりとも反応しない。
なんだこいつ。気持ち悪い。
冗談でやってるにしても、さすがに様子がおかしい。いったんほうっておくことにして、トシキはまた勉強机に戻り、宿題を再開した。
そのまましばらく無視していると、弟はいきなりイスから立ち上がった。そしてまた足音をたてずに移動し、部屋から出ていってしまったのだ。
なにがしたかったんだよ……っていうか、あれ?
そこでようやく思い出した。弟は両親や祖父と一緒に、車で市街地へと出かけているはずだ。二時間ほど前、確かにみんなを見送ったのだから、この家に残っているわけがない。
トシキはあわてて、出ていったばかりの弟を追いかけた。しかし部屋という部屋を確認しても、その姿はどこにもない。
玄関ドアは開くとチャイムが鳴る仕組みになっている。さきほどの「弟」が外に出ていったなら、音がしたことに気づかないはずがない。
訳もわからず途方にくれていると。
――グギャギャギャギャ!
家の外から、ものすごい悲鳴が聞こえてきた。
ビックリして耳をそばだてる。それは悲鳴ではなく、飼い犬のスターのうなり声だった。しかし長年一緒に過ごしている中で、このような荒々しい声をあげるのは初めてだ。
続いて、放し飼いの庭をかけ回っているとおぼしき、四本のせわしない足音が響く。
家の前を通りかかった犬と、ケンカでもしているのか。それにしても、これはただごとではない。
急いで玄関を開け、庭を見渡す。するともう、ひと仕事すんだかのように、スターは庭の隅にへたりこみ、ぜえぜえと息を整えていた。
「……うわっ!」
ふと足元を見たトシキは、思わず後ろに飛びのいてしまった。
一匹の大きなタヌキが、首もとから血を流して死んでいたからだ。
帰ってきた家族に、その話をしたところ、大笑いされてしまった。
「今どき、タヌキに化かされるなんてことあるかよ」
もちろん死骸があるのだから、スターがタヌキを噛み殺したことは明白だ。その点は家族も疑っていない。
しかしニセモノの弟を見たという点については、両親も弟も、まったく信じてくれなかったのである。
ただ、そんな中、祖父だけはショートピースをふかしながら
「いやいや、昔はこのあたりで、よくタヌキに化かされたなんて話を聞いたぞお」
藍色のピース缶をこつこつと叩き、そうフォローしてくれたのだった。
……なんだよ、オレが嘘ついてると思ってるのかよ……。
腹立たしく思ったトシキだったが、その不満はすぐに解消されることとなる。
次の日の夜、庭からまた、けたたましい泣き声が聞こえた。
――キャンキャンキャンキャン!
スターが鳴いているのは同じだが、今度はまったく様子が違う。苦痛からあげている、かん高い悲鳴だとわかった。
家族全員、急いで庭にかけつけたところ……そこで誰もが言葉を失い、立ちつくしてしまった。
スターの鼻っつらに、「弟」がかみついていたのだ。
円をかきながら、逃げようとするスター。動きに合わせて、四つんばいでふんばる弟。その上顎と下顎は、しっかり犬の鼻をくわえたまま離れない。
玄関先で口をあんぐり開けていたのは、トシキだけではない。父も母も、そして当の弟も、呆然とした顔で身動き一つできずにいた。
皆、自分と同じものを見ているのは確かなようだ。
「なに、ぼうっとしてんだ!」
皆の背後で一喝がとどろき、おじいさんが庭に走り出た。口の端にピースをくわえ、右手はゴルフクラブを空中にかざしている。ヘッド部分がぶ厚く大きいドライバーである。
おじいさんはそのまま、頭上まで掲げたドライバーを、スターにかみついている弟の背中へと、思いきり振り下ろした。
「ああっ!」
トシキたちが思わず叫び声をあげる。目の前で、家族と同じ顔のものに暴力がふるわれたのだから当然だ。
もう一発。ヘッドの丸みが、弟の首のすぐ下にめりこむ。
「ちょっと!」
父と母が、一歩二歩、足を前に進めた。おじいさんを止めようとしたのだろう。
――どてり
しかしその直後、地面に転がったのは「弟」ではなかった。
タヌキである。
二日前に死んだものより、ひとまわり小さなタヌキが、地面にのびていた。開けたままの口から、血の混じったあぶくがたれていく。
「この前のやつの家族だな。仕返しにきたんだろ」
すっかりしょげかえったスターは、鼻を地面につけてうずくまってしまった。
「しかしお前ら、なんでスターを助けないで突っ立ってた」
弟の姿に見えていたことを告げると「なるほどなあ」と祖父がつぶやいた。
「俺は最初から、タヌキがスターの鼻にかみついているようにしか見えなかったぞ」
逆に、他の家族がそれを「弟」と勘違いしていたなどは、思いもよらなかったのだという。
「……でもなんで、じいちゃんだけ、ちゃんとこいつの正体が見えていたの?」
そうだなあ、それも昔からよく聞く話だけどな……と前置きしつつ
「俺は、タバコをすってたからな。そうすると、どうしたわけかタヌキには化かされねえのよ」
祖父はそう言うと、三本指でピースをつまんだ。そして、その煙をあたりの空間へ撒き散らすように、ぐるぐると振り回した。
ただ困ったことに、事件はそこで終わらなかった。
しばらくの間、山の方から、怪しげなものたちの訪問が続いたのである。
夜になると、庭の向こうの山に面した草むらで人影が二つ三つ、ぼうっとこちらを見つめてくる。暗がりに立つそれは、背格好からシルエットから、トシキや弟、また父や母にそっくりなのだ。
自分たちそっくりの、にせもの家族である。
しかしそいつらが、本人どころか人間ですらないことはすぐにわかる。闇の中で、らんらんと目だけが光っているからだ。
隙あらば、こちら側に踏み込もうとしている。どうにか仕返しをする機会を、虎視眈々と狙っているのだろう。
もうスターはすっかり怖じ気づいてしまい、軒下で震えるばかりで役に立たない。
だからそんな時は、おじいさんがピースをくわえながら、ドライバーを持って外に出ていく。
するとそのとたん、怪しい影たちは、ささっと消えてしまうのである。
そうした攻防が二週間も続いた頃には、ようやく人影が立つこともなくなっていった。
……などという事件があったのは、もう二十年も前。今では祖父も、とっくに亡くなっている。
ただトシキの家では、家族の安全のため、今でもあるものをそなえておくことになっているそうだ。
山側の壁にたてかけられているのは、古いドライバー。その下には、蓋を開けたピース缶。
山に棲むもうひとつの家族を、この家に近づけないためである。
次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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