吉田悠軌の「怪談一服」〜丁子が燃える〜【ガラム】

幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」

そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。

その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家吉田悠軌さんです。吉田さんのもとには、海や山や森、街中、オフィス、自分の部屋の中など、いわゆる心霊スポットや事故現場だけでなく、いまもどこかで生まれ続けている怪奇な経験談が集まります。それらをつぶさに取材し膨大な実話怪談を語ってきた吉田さんは、昨今の怪談ブームの火付け役とも言える存在なのです。

大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」の時間にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。

今回のアイテムは「煙草」。煙草は古くから人と人とを繋ぎ、あるいは孤独な時間に寄り添ってきた嗜好品です。しかし、かつては儀式の道具として魔除けの力を持つと信じられていた、と吉田さんは語ります。時には、怪奇を呼び寄せてしまうこともあるのかもしれません。

それでは、怪談を一服いかがですか。

丁子が燃える

 2019年2月26日。
翌日は休勤日だったので、DVDを流しながら寝転がっていたら、いつのまにか眠ってしまったようだ。
薄暗い部屋で目が覚める。メニュー画面で停まったテレビの明かりだけが、畳を照らしている。
……何時だろう?
スマホをとろうとしたところで、気がついた。頭のすぐ脇に、人影が立っている。
人影、そう、それは本当にただの「人のかたちの影」だった。ヒトガタをしているだけの、まったく立体感のない、黒いペラペラ。
その平べったい手がのびてきて、こちらの口をこじ開けてきた。声を出す余裕も与えず、そのまま口の中へ、細長いものを突っ込んでくる。
歯ブラシの柄くらいの大きさの、なにか。それで頬の裏から上顎の内側までを、ぞりぞりとなぞられた。
――うぉえっ。
えづく。涙がにじむ。だめだ吐く。喉からかたまりがこみあげてくる。
と、そこでふいに口の中の圧力が消えた。とっさに起きあがれば、すぐそばにいたはずの人影も、きれいさっぱりいなくなっている。
……変な夢を見たなあ……。
よくわからないが、今のは、起き抜けに見た、ただの夢なのだろう。
しかし、なぜか口の中にはまだ違和感が残っている。
蜜のような甘さ、お香のような匂い、濃い煙を吸ったような、いがらっぽさ。
……あれ、夢って、起きた後も、味とか匂いとか残っているものだったっけ?
十回、二十回とうがいをしてみたが、残り香はほとんどとれない。しかたなく、また眠りにつくことにした。
翌朝、目が覚めると、口中の匂いはだいぶ薄くなっていた。
まったく変な夢だったな。ともあれ、せっかくの休みだから部屋の掃除でもするか、と布団から出ていく。
まず押し入れから整理しようとしたところ、奥にしまわれたリュックサックが目についた。三ヵ月前の年末、東京を旅行した時に持っていったものだ。
中身を確認しようと、ひっくり返してみる。ころり、と小さな箱が出てきた。
タバコの箱だ。赤を基調として、両脇に金色の線が入っている。
「ああ、ガラムか」
ガラム・スーリア・マイルド。東京みやげというか、話のタネに歌舞伎町のタバコ専門店で買ったものだった。
ボックスを覆うフィルムは、まだ未開封のまま。そういえば、買ったことをすっかり忘れてリュックの底に入れっぱなしだった。
……吸ってみるか。
ためしにベランダに出て、くわえたガラムに火をつける。
パチ、パチ、パチ……丁子(クローブ)の燃えてはじける音とともに、紫煙がゆっくり、舌の上に広がっていく。
「あっ」
思わず唇を離しそうになった。
あの味、あの匂い、あの煙ではないか。
どうして? 生まれて初めて吸うタバコなのに。
なぜ数時間前に、これとまったく同じ味、匂い、煙を、口の中で感じたのか?
あまりに気味が悪くなったので、三口だけ吸ったところで、タバコを灰皿へと放り投げた。

――そんな体験談を教えてもらった。
私・吉田悠軌は、「実話怪談」を仕事としている人間だ。そのため毎日のように、様々な人から不思議な体験談の聞き取り取材をおこなっている。リモートワークが進む昨今の状況から、ネット通話で地方の人とやりとりすることも、すっかり日常となった。
上記のエピソードの体験者は、仮に竹下さんとしておこう。山形県在住の男性である。
SNSのやり取りを見返してみると、彼への第一の取材は、2020年4月におこなっている。
その時は正直、「小粒な怪談だな」という印象だった。
おかしな人影に細長い物――紙巻タバコだろうか――を口に突っ込まれたところは、本人も言うとおり「夢」の可能性がある。
とはいえ、吸ったことのないガラムの味を、あの特徴的な甘い丁子の味を、事前に知ってしまった――という体験はなかなか面白い。
短い掌編として、自分の著作のどこかに入れられるかもしれない。まあ、そういった程度の手ごたえだったのだが……。
この時は予想だにしていなかったが、後に竹下さんから、思わぬ報告をたびたび受けるようになっていく。
そしてそれらはすべて、「ガラム」にまつわる報告だった。

2020年9月某日。
その日、竹下さんは少し焦っていた。チェックしなければならないネット配信イベントがあったのだ。しかし、今は外出先である。
スマホで見ればいいのだが、当月のデータ通信料はすでに消費してしまっていた。いわゆる「ギガが切れる」というやつだ。
仕方なく、近所のショッピングモールを目指すことにした。そこの喫茶店に入れば、無料のWiFiに接続できるからだ。
そんな算段で車を走らせた竹下さんだったが、大きな交差点にさしかかったところで信号につかまってしまう。
ここの赤信号は長い。配信イベントはそろそろ開始してしまう。
早く変わらないかな……そう焦っていたところで。
甘くけだるい匂いが、鼻をついた。
「なんだこれ」
あわてて車の窓を開ける。いや、違う。この匂いは、車内に広がっているのではない。
そうではなく、自分の口の中に――。
その瞬間、開けはなした窓のすぐそばを、なにかが猛スピードで駆けぬけた。
バイクだ。目の前の信号は、まだ赤なのに。
ちょうど前方からは軽自動車が、右折のため進入してきている。しかしバイクは気づいているのかいないのか、そのまま直進を続ける。
轟音が聞こえて、思わず目を閉じた。いやに甲高い音と、いやに低い音がまじった、耳障りな響きだった。
まぶたを開く。交差点の真ん中に見えたのは、側面がつぶれた軽自動車。そして仰向けに倒れた、ヘルメット姿の男性。
周囲の車から次々に人が降り、現場に駆けよっていく。それに続いて、自分も外に出る。
「危ないぞ!」
誰かが叫んだ。交差点の脇に転がっていた大型のバイクから、炎があがったのだ。いつ爆発するかわからないので、誰も近づけない。
とにかく延焼を避けるため、自分たちの車を動かすのが先決だ。
車に戻ろうとした竹下さんの鼻に、煙が届いた。振り向けば、火だるまになったバイクからあがった黒煙である。
しかしその匂いは――果実のような甘さを含んでいた。
先ほどかいだばかりの、ガラムの味だ。

この悲惨な光景を目撃した後、竹下さんは私に連絡メールを送ってくれた。
同時に添付されていたのが、山形県警の「交通死亡事故発生通報」だった。当該事故を地元民に周知させ、注意を喚起させるための通知だ。
つまり、バイクのドライバーは死亡してしまったのである。出血性ショックにより、事故より二時間後、搬送先の病院で亡くなったようだ。
さすがに私も、なにやら不穏な気配を感じた。当事者である竹下さんは、なおさらだろう。なにしろ人死を目の前にしているのだから。しかも、あのガラムの匂いとともに。
「あまりに気にしないように……」
そんな通り一遍のアドバイスを告げることしか、私にはできなかった。
そして事は、これだけで終わらなかったのだ。

2021年2月中旬。
酒田市から天童市まで、ドライブをしていた時だという。
ドライブインを越えたところで、竹下さんの車はトンネルにさしかかろうとしていた。
雪が降った後の、冬の晴れ間の日である。
除雪されてはいるものの、最上川沿いの道路は、風と水気によってアイスバーンの様相を呈していた。うっすら凍った路面が、涼やかな太陽の光を受け、きらきらと輝いている。
……慎重に走らないと……。
アクセルを踏む力をゆるめ、ハンドルを握る手に力をこめた、まさにその時。
また、あの甘い匂いがした。
「ううっ」
パチ、パチパチッ……
続いて、小さな種がはじけるような音も。
考えるより先に、アクセルから足が離れた。もともとノロノロ運転だったところから、さらにスピードが落ちる。
ブブブーーーーッ
怒声のようなクラクションが、後方から響いた。バックミラーに写るのは、ぴったりはりついた後続車。苛立ちをかくさず、右へ左へ、煽るように車体を揺らしている。
そんなことをされても仕方ない。竹下さんはそのまま、ゆっくりトンネルに入っていった。
すると右側から、エンジンの低いうなり声が聞こえた。怒った後続車が、反対車線から猛スピードで追い抜いていったのだ。
いや、正確には「追い抜こうとした」だけだった。
急なアクセルをかけた相手の車は、氷の上でスリップしたのである。
回転しつつ斜め前へと滑っていく車体。その運動は、鈍い音とともに、壁に激突するかたちで停まった。
……とりあえず、すり抜けよう。
自分でも意外なほど冷静に、その脇を通り過ぎて行った。先日見た火だるまのバイクの記憶が生々しく、トンネル内での火災に巻き込まれたくなかったのだ。
トンネルを出たところで停車し、徒歩で内部へと戻ってみた。とりあえず事故車は燃えておらず、ドライバーも傷ついていないようだ。
とり囲んでいる数人の目撃者が、ケータイで電話をかけている。明らかに救急車を呼んでいる様子だ。
竹下さんは、いそいそと現場から離れ、また自分の車に戻っていった。
事故相手の心配はいらないと判断したから。そしてトンネル内には、またあのガラムの匂いがただよっていたから。

「……それは危なかったですね」
またも連絡を受けた私は、そんな言葉を竹下さんに投げかけた。
半年足らずの間に、すぐ目の前で交通事故に出くわす確率は、いったいどれほどなのだろうか。今回は幸いにも小規模の事故だったとはいえ、あわや竹下さんが巻き込まれかけている。そしてまたも、ガラムの匂いだ。
「ただ、考えようによっては、竹下さん、その匂いのおかげで助かったのかもしれないですよね」
スピードをゆるめたため、スリップ事故に巻き込まれずにすんだ。そう思えば、ガラムの匂いは彼を「守った」とも言えるのだが。
「でも、逆かもしれませんよ」と、竹下さんが返す。
「私がアクセルを離したから、後続車が無理やり追い抜こうとした訳で。あの匂いに、事故を起こすよう、誘導されたかもしれません」
それはさすがに考え過ぎだろう、安全運転をしたこちらに非はないのだから……。
などと慰めてみたものの、どこか本心を見抜かれた気がして、私の声はうわずってしまっていたように思う。

そして2021年6月14日。
こんなメッセージが、私のSNSに届いた。
「とうとう事故を起こしてしまいました。幸い人は轢いてません」
続いて聞かされたのは、これまでの竹下さんの体験談の中でも、最も奇妙なエピソードだった。
この連絡より1ヶ月前の、2021年5月19日、午後19時頃。
この時の竹下さんは、仕事帰りに寄ったコンビニの駐車場から、車を発進させようとしていたところだった。
「うぐっ」
そこで思わず、低い声が漏れた。
突然、喉の奥に、なにか細長いものが突っ込まれた感覚がしたからだ。
二年ほど前の体験と同じ、紙巻タバコのようなものを、見えない何かに無理やり突っ込まれたような――。
――ドン、ドン、ドン
次の瞬間、耳元で鈍く短い音が聞こえた。
――ドン、ドンドンドン
「……したさん……! ちょ……けした…ん……あけて……さい!」
それとともに、なにやら聞き覚えのある声もかぶさってくる。
……なんだよ、うるせえなあ……。
ぼんやりと思いながら、右に顔を向ける。
会社の同僚が、必死の形相で、外から車の窓を叩いていた。
「たけしたさ……! だいじょうぶで……! あけてくだ……!」
……なにをバカみたいに叫んでるんだ、こいつ……?
霧のかかったような頭で、そう考えていると。
「熱っ!」
太ももに、刺すような熱が走った。
「あちち! あっつ! なんだよ、これ!」
思わず手で払ったそれは、白い灰と、赤く燃えた刻み葉。つまりタバコの燃えさしである。
そこでようやく正気をとり戻した竹下さんは、自分がタバコをくわえていることに気がついた。
といっても、唇に残っていたのは、茶色いフィルター部分だけ。
いつも吸っているKoolのフィルターである。そんな覚えはないのだが、いつのまにか口にくわえ、火をつけていたようだ。
そしてどうやら、根もとギリギリまで吸っていた紙巻が、長い灰と火種として、太ももに落ちてきたようである。
「開けてくださいよ! ちょっと!」
気を取り直して窓を見れば、同僚が怒りと心配の混じった表情を向けている。
「なんだよ、いったい」
不審に思いつつ車外に出たところで、竹下さんはわが目を疑った。
コンビニ駐車場を出たところの歩道。その電柱のポールに、自分の車がめりこんでいる。右側のヘッドランプが粉々に割れ、ボンネットの一部が内側にめくれている。同じく右のフロントバンパーも無残にへこんでいた。
「なんだよ……いったい……」
同僚の説明は、以下のとおりだった。
先ほど、たまたま同じコンビニで買い物をしていた同僚は、竹下さんが駐車場に向かうのを見かけていた。そして自分がレジで会計をしていたところで、外からものすごい轟音が響いたのだという。
あわてて飛び出すと、竹下さんの車が、電柱に直撃しているではないか。
もちろんすぐに、運転席の窓を叩いて、何度も大丈夫かと呼びかけた。
ところが竹下さんは呼びかけに反応せず、またあわてる素振りもなく、じっと前を見つめていた。そして、ひたすらタバコを吸っていたのである。
この状況でタバコを吸う余裕があるのか……と、同僚もすっかりあきれてしまったのだという。

「……なんていうことがあったんです。でも私自身は、事故についてもタバコを吸ったことも、なにも覚えていません。Koolの火が太ももにつくまで、意識がブラックアウトしていたとしか思えません」
自損事故直後の車を、写真で見せてもらった。それなりのスピードで突っ込まなければ、ここまで壊れないだろうという損壊ぶりだ。とても落ち着いてタバコを吸える状況ではない。うっかり事故を起こしたことはまだしも、記憶が飛んでいるのはまったく不可解である。
「まあ、体が無事だったのはなによりですが……」
それ以上の言葉を、私は飲み込んだ。
もうここまでくると、ただの偶然とは思えない。ガラムの味と匂いがするたびに、車の事故に出くわしてしまう。
またそれらの事故が続くたび、どんどん竹下さん自身へと、災厄が迫ってきているようでもある。
「あ、でも、そういえば今回はガラムの匂いってしたんですか」
そこなんです、と竹下さんはつぶやいた。
「先ほどから言ってますが、あの時、私が無意識に吸っていたのはKoolでした。知らないうちに口にくわえていたこと自体が不気味だし、太ももに落ちた火種が熱かったし、その時はそちらにばかり気がいってましたが……」
後から、嫌なことを思い出してしまったのだ。
あの時。
運転席で、ぼんやりと前を見つめながら、Koolを吸っていた、あの時。
あの時、Koolを吸っていた口の中には、メンソールの清涼感などいっさいなかった。
その代わり、甘く気だるい、果実が燃えるような味に満ちていた。
そして両耳からは、丁子が弾ける音が聞こえ続けていたのだ。
パチ、パチ、パチ、パチパチパチッ……

「またいつか、あの匂いをかいで、あの音が聞こえてくるんじゃないかと思うと……気が重くなります」
そしてまた竹下さんは、次のような想像もしてしまうのだという。
「初めは、丁子の味や匂いだけがしました。次に、丁子のはじける音が聞こえてきました。今度はそれだけじゃなく、煙までのぼるんじゃないか……と思うんです。次はもう、丁子が燃える煙を見てしまうんじゃないか……? と」

そうなったら、いったい、どんな災厄に出くわしてしまうんでしょうね。

 

 

次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを

 

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)

1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の残滓』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。

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