幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
メビウスの一服
少し昔のこと。
といっても、もうマイルドセブンのことをメビウスと呼ぶようになっていたのは確かだから、十年も昔にさかのぼりはしない。
少しだけ昔の、とある冬の日のことだ。
その日、トオルさんは男友達と京都方面へドライブに出かけていた。
彼らの通う大阪の大学から京都中心部までは、日帰り旅行にちょうどいい距離。あちこちまわれば半日はつぶれる、うってつけのコースを計画したはずだった。
ところがその日に限って、京都市内の道路がどこもかしこもすいている。予定していた幾つかの目的地を、思ったよりずいぶん早く巡り終えてしまったのだ。
「これで帰るのさみしいやろ」
「あといっこ。どっかオモロいとこないか?」
夕飯にはまだ早いし、ちょうどよく時間を潰せる場所はないだろうか。とはいえ、さすがに修学旅行生のような当たり前の京都観光はしたくない。
それぞれ頭を悩ましているうち、ふいに友人が「あっ!」と顔を輝かせた。
「F稲荷! お前、行ったことあるか?」
「いや、めっちゃメジャーやん。さすがにお参りしたことあるわ」
「いやいや、山の頂上まで登ったことある?」
「あ~、確かに、それはないなあ」
「俺もないねんけどな。あっこの頂上から眺める夕焼け、めっちゃ綺麗らしいで」
確かに、いい提案だった。
トオルさんも友人も本殿には参拝していたが、その裏のI山は途中までしか登ったことがない。また、この時間ならちょうど夕陽が落ちるタイミングに間に合うではないか。
二人は意気揚々、F稲荷へと車を走らせたのである。
駐車場に車を停め、本殿を抜けて、I山の参拝道に入っていく。
ずらりと並ぶ朱色の鳥居をどこまでもくぐり、くぐり、くぐりぬけて頂上を目指していった。
最初こそ楽しく談笑しながら登っていた二人だったが、
「……これ、どこまで続くん?」
予想以上の長さに、次第に口数が減っていった。
勾配はどんどん急になり、ひたすら千本鳥居が続く景色もまったく変わり映えしない。夕刻ということもあり、登れば登るほど周りの観光客も減っていく。気づいた時には、トオルさんと友人の二人だけが、山の中にとり残されていた。
「ちょっと……いったん、休まへん?」
やや大きめの社(やしろ)が建つポイントで、友人が立ち止まった。そのまま石段の上に腰かけ、太ももをマッサージしだす。
じゃあ、俺も一服するか。
そう思ったトオルさんだったが、目の前の友人は禁煙を始めたばかりだ。ここでタバコをふかすのも気がひける。 少し離れようと移動していくと、舗装された参拝道からはずれた場所に、古ぼけた石の鳥居があった。なんとなくその白い鳥居の下にて、タバコを取り出し、ライターで火をつける。
大きくひと息吸いこむと、メビウスの白い巻紙がすいすい燃えていく。疲れた体にニコチンがしみる。一本では足りそうにない。二本目もここで喫っておくかと思いつつ顔を上げると、ちょうどそこから山の向こうの景色が望めた。
「あ、やばい」
もう空は暗くなりはじめ、太陽も沈みかけている。焦った彼は、メビウスをフィルターまで一気に喫い終わると、 靴底で火を揉み消し、元の場所へ急いだ。
「急がんと、陽い落ちきるで」
段差に腰かけてケータイをいじっている友人を急かし、ふたたび頂上を目指して歩きはじめたのである。
ただ、その直後だった。
早足で歩を進めるトオルさんの脳裏に、ある光景が浮かび上がってきた。
さきほど石の鳥居の下で、タバコの火を踏み消した自分。その姿が、数メートル手前からカメラで撮った映像のようにして、頭の中に投影されるのだ。
別に自分から考えようとしているのではない。勝手にそんな映像が流れ込み、意思とは無関係にリピート再生されていく。
……まあ、ポイ捨てしたからやろな……
靴底で踏んだタバコの吸い殻は、そのまま地面に放置している。罪悪感によって、こうした意味不明な感覚に襲われているのだろう。とはいえ頂上へ急いでいる今、元の場所に戻って吸い殻を拾う気にはなれなかった。
しばらく石段を登ったところで、Y字の分岐点に差しかかった。
右の道は上り坂、左の道は下り坂になっている。頂上を目指す二人は、もちろん右の道を選んだ。
ゆるくカーブする石段を進んでいくと、すぐに奇妙なものが目に入ってきた。
大きな建物である。
社や祠の類ではなさそうだ。一階建ての和風建築で、壁は白く、むき出しになった柱は真っ黒だ。モダンだか古風だか、よくわからない建築様式である。
しかも、建物の正面には、背の高い絵馬掛けのような器具が、隙間なく数点ほど並んでいる。しかし、そこに掛けられていたのは絵馬ではない。
「なんや、このお面」
狐の面が、びっしりと陳列されていたのだ。
それもよく見るようなデザインではなく、木製でも樹脂製でもない。
紙粘土をぞんざいにこねた、色も塗っていない手作りのもの。目は細いというより丸っこく、穴が開いているため黒々としている。小さくとがった耳と、ぬるりと細長くのびた鼻によって、なんとか狐を模していることだけは伝わる。
やけに不細工な狐の顔が、数えきれないほど並べられている。
沈みかけた夕陽が、それら白い面たちを朱色に染めだした。
……気味悪いなあ……
それらを横目に通り過ぎる。なんだか、見てはいけないものを見ているような気分だ。
友人も嫌悪感を抱いているのか、まるで怒っているように歩くスピードを速め、自分の先をぐんぐん進んでいく。
かと思った矢先、その友人が突然ぴたりと立ち止まり、こちらへ振り返った。
「あかんわ、こっちの道ちゃうかった」
トオルさんが視線を友人の背後へと向けると。
その向こうには、おびただしい数の墓が並んでいた。山の斜面に無理やりつくった墓地なのか、ぎゅうぎゅう詰めの墓石や卒塔婆の中には、斜めに傾いているものまである。
その墓地にぶつかるかたちで、参拝道は行き止まりになっていた。
「よっしゃオッケー、戻ろ」
「もういっこの道やってんな、びびったわぁ」
二人は努めて明るい声を出し、こわばった笑顔を浮かべながら、今来た道を引き返していった。
ふたたびY字路にたどりつくと、今度は左側、下り坂の方へと進んでいく。
石段を踏みゆく足の運びが、明らかに駆け足ほどのペースになっている。二人とも、一刻も早くさきほどの場所から離れたいと焦っていたのだ。
しかし坂をおりきったところで、二人の足は急停止する。
白い壁、黒い柱の大きな建物と、ずらり並んだ狐の面。道の先には、みっしり詰まった墓石群。
数分前と変わらない光景が、目の前に広がっている。他の分かれ道など、いっさい見当たらなかったのに。
「…………」
声を出すことも、視線すらも合わせず、しかし二人はまったく同じタイミングで踵を返し、無言で先ほどのポイントへと引き返した。
心の中では変なことが起こっていると気づいていたが、それを口にするなど、恐ろしくてとてもできない。おそらく友人も、同じ気持ちになっているだろう。
三たび、Y字の分かれ道にたどり着いたところで。
「もう帰ろ」
友人がぼそりと呟いた。トオルさんも頷き、分岐点に背を向け、本殿の方へと歩き出したのである。
ところが、だ。
迷ってしまった。ひたすら道なりに進んできた一本道で、迷うはずのない道で迷ってしまったのである。ぐねぐねと曲がる石段を上ったり下りたり、絶対に通っていない道をあちこち歩かされた、その先でたどり着いたのは。
狐の面が並ぶ、例の建物だった。
いや、正確にはそこまでたどりついてはいない。遠目に白い面が見えた時点で、二人とも先に進むのをあきらめたからだ。
一本道なので、もう後ろに戻ることしかできない。
ただ不思議なことに、いったん引き返してみれば、例のY字路までは短時間でスムーズに戻ってこれるのだった。
……どうしよう、どうしていいかわからん……
トオルさんは、分岐点でだらしなく立ちすくんでしまった。このありえない状況が理解できず、解決方法も見出せず、ただただ呆然とするしかなかったのだ。
「とりあえずタバコちょうだい。もう一服しやんとやってられへんわ」
と、友人がこちらの胸ポケットに手をつっこむと、メビウスの箱をさっと持ち上げた。
そして紙巻一本と、ボックスの中のライターを取り出すと、禁煙中であることなど忘れたかのように、ちまちま小刻みにタバコを喫いはじめた。
――あっ
トオルさんの脳内に、また自分の喫煙している姿がフラッシュバックした。
それと同時に、確信めいた気づきも閃いた。
このおかしな状況は、自分のタバコのせいかもしれない、と。
……あの時、俺がタバコ拾わんかったから、「なにか」が怒ってんねや……
そう思いつきはしたのだが、友人には言い出せない。バカにされるか、怒られるか、怖がらせてしまうか。ともかく、口にすることがはばかられてしまう。
……どうしよう……どうしよう……
逡巡しているうち、タバコを吸い終わった友人は
「もう一回、戻ってみよ」
吸い殻を手に持ったまま、ふたたび下山ルートの道を歩き始めた。
喫煙によって気を取り直したのか、かつかつと勢いよく進む彼を、トオルさんは慌てて追いかけた。
もうすっかり陽が暮れており、黒々とした夜道の石段で転ばないよう、足元を注意深く見つめつつ、友人のすぐ後ろをついていった。
どれだけの間、無言で歩き続けていただろうか。
「うわぁ、よかった」
ふいに目の前の友人が呟いた。その声で足元から視線を上げると、見覚えのある古びた石の鳥居が目に入ってきた。
えっ、と思ってまた目を落とせば、地面には、ほぼフィルターだけの吸い殻がころりと転がっている。
「よくわからんけど、こっちの道で正解やったな」
友人は振り返りざま、そう微笑んだ。
「あ、おお、せやな」
目をそらすトオルさんをいっこう気にせず、友人はまた前へ向きなおり、本殿の方へと歩きはじめた。
その背中を気にしつつ、トオルさんは膝を落とし、しゃがみこんだ。
そして地面に落ちた吸い殻を拾うと、そうっとポケットへねじこんだのである。
次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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