吉田悠軌の「怪談一服」〜隠れ喫煙所〜【マルボロ】

  幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」
  なかでも、フィクションではない誰かの実体験=「実話怪談」に精通する怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんによる「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談連載も、4話目となりました。

▶いままでの「怪談一服」
▶読者投稿怪談「怪談一服の集い」

  怪談のマスターピースのひとつに『トイレの花子さん』という都市伝説があります。「トイレ」という学校の中でも身近で、ひとりの時間を過ごさなくてはならない、独特な空間構造を持つ半密室。その暗がりに何か恐ろしいものが巣くっているというストーリーは、「怪」と  「場所」が分かちがたく結びついていることを示しています。そして、異界との接触はわたしたちのすぐそばで起こっているのだと。(舞台が女子トイレであることから、女子と男子で感じ方が異なるところも一種の魅力ではないでしょうか)

  さて、今回 吉田さんから届いたのは「喫煙所」にまつわる怪談です。

  ケムールの投稿怪談コーナー「怪談一服の集い」にぽつりぽつりと寄せられる怪奇な体験談のなかにも、喫煙所にまつわる怪談は多く含まれています。自宅でもなく、お店のスモーキング・シートでもなく、ただ紫煙をくゆらせるためだけの場所。愛煙家でなければ足を踏み入れることがないその空間は、考えてみれば「トイレ」とも似ています。日常のなかからちょっと切り離された、いささか独特な時間が流れている場所だからこそ、そこには怪異が忍び込むのかもしれません。

  それでは、怪談を一服いかがですか。


 

隠れ喫煙所

 

東京都西部にある、X病院でのこと。
――のっけから余談となってしまうが、このX病院は実に怪談の多いところだ。私はこれまで数多くの人から、同院が現場となった実話怪談をいくつも取材していた。
とはいえ(過去形にしたところからもわかるとおり)いま現在、怪談が多くささやかれていたX病院は無くなっている。正確にいえば、新しい土地に移転・新築したのである。それからというもの、さっぱり不思議な体験談を耳にしなくなったのだ。いったいどの病院のことかとおびえる必要はないので、ご安心いただきたい。
それはともかく。
まだX病院が、移転する前のこと。
21世紀になってからというもの、喫煙者はいよいよ肩身の狭い思いをするようになった。「嫌煙」の代わりに「受動喫煙防止」と言い表され、病院はこぞって禁煙外来を設置し、2006年には禁煙治療に健康保険が適用されていく。
もちろんそうした病院では、敷地内では禁煙がルールであり、「喫煙所」はすべて撤去されていた……はずだった。
それでも、当時はまだほんの少しだけ緩かった時代。病院勤務者にも愛煙家が多く、古い病院であれば必ずスタッフ用の「隠れ喫煙所」が存在していたのだという。
移転前のX病院にもいくつか「隠れ喫煙所」が点々としていた。メインは、当時もう使われていなかった昔の搬入口。地下1階へ下り坂になっている車のための出入口で、傾斜は急だが道幅もそれなりに広かった。医者や看護師はもちろん、事務方、清掃員、業者などなど、病院で働く愛煙家たちが集まる場所となっていた。
「それとは別に……知る人ぞ知る、小さな喫煙場所があったんです」
設備修繕を担当していた、イイノさんが語る。
彼はどうも怖い話が苦手なタイプらしく、これから語る自分の体験も、あまり説明したがらない様子だった。それでもどうか、と無理をいって記憶をひもといてもらう。
当時まだ三十代だった彼は、「隠れ喫煙所」の中でも知る人ぞ知る、「隠れ隠れ喫煙所」とでも呼びたいようなその場所が、お気に入りだったのだという。
病院の敷地の裏側は、職員専用の駐輪場となっていた。ずらり一列に自転車が並んだ向かいには、建物と建物のあいだの細い空間があいている。
いちおう通路なのだが、100kg超の巨漢ならもはや通れないだろう、というほどに狭い。冬でも雑草が生い茂り、夏ならさらに蚊が飛びかって、どの季節だろうと太陽が沈めばすっかり暗くなる……。そんな、見捨てられたような場所だ。
この隙間に、古いスタンド灰皿が、ぽつりと置いてあった。
円錐形の灰皿から、細い脚がのびているタイプ。あちこち鉄が錆びていて、当時ですら見かけないほど、安っぽくてレトロなものだった。
ここを利用するものは、たった一人で隙間に半身だけをもぐりこませて、患者たち――あるいは愛煙家でないスタッフたち――の目から隠れてタバコをふかす。
「隠れ喫煙所」の中でもマイナーな方で、医者の先生たちが来ることは皆無なので、気兼ねする必要がない。というより、たいてい独りぼっちになれるので、のんびりゆっくり喫煙できる。
喫煙所というものはコミュニケーションの場でもあるが、21世紀以降の世相ではむしろ、孤独をかみしめる空間となることも多くなった。イイノさんも、一人静かにタバコをくゆらせたいタイプだったのだろう。
「夏の、夕方あたりの時間だったかな……。休憩時にその隙間にもぐりこんで、一人で一服してたんですが」
イイノさんは、隙間の中に背中側の半身を入れ、駐輪場へと体を向けていた。そして、どこを見るでもなく顔をうつむけて、ぼんやりマルボロの紙巻を口から離した。そのまま、丸い灰皿のふちでトントンとたたき、長くなった灰を落とす。
そこで一拍おいて。
すうっ、とタバコを持った手が視界に入ってきた。
こちらのマルボロと向かいあう位置で、人差し指が紙巻にそってのびている。
――トン
指でノックされたタバコが、灰皿のふちにぶつかる。こぼれた灰が、粉雪のように鉄のくぼみを滑り落ちていく。
あれ。
誰かいた。隙間の奥にもう一人、もぐりこんでいたのか。
「どうも」
と、イイノさんが顔を上げたところ。
そこには、立っているべき人間の姿がなかった。ただ通路のずっと先まで、薄暗い隙間が続いているのみ。
えっ。
――トン、トン
ただの「手」が、つまんだタバコで、銀の灰皿を薄くたたいた。
「……それから、もう二度とあそこは使わなくなりました」

とはいえ、どこかタバコ愛を感じるような目撃談ではないか。その「手」の持ち主はおそらく、「手」だけになっても、タバコを喫いたかったのだろう。
あるいは、灰皿をたたいてタバコの灰を落とす、あのささやかで小気味よい感触だけでも味わいたかったのだろうか。
「いやいや、怖かったですよ、あれは」
怖がりのイイノさんだけでなく、隙間の「隠れ喫煙所」は、それからまもなく誰も使えなくなってしまった。こそこそタバコをふかす様子が患者たちに見つかり、 クレームをつけられ、使用禁止のルールが明文化されたのだ。
「ただ不思議なことに、錆びたスタンド灰皿だけは、ずっと置かれたままでした。スタッフの誰かが、夜中にこっそり喫っていたのか……」
もしくは、あの「手」のためだけに残していたのか。
その後、X病院は移転。新築の現代的な建物は、ひたすら清潔できれいな空間へと様変わりした。
涙ぐましい抵抗としては、地下駐車場の使われていない倉庫が、いったん「隠れ喫煙所」として使われていたとか。
しかしそこも、誰かが東京都に通報したため、すぐに閉鎖されてしまったそうだ。


(記事中の図・イラストは、X病院で働いていた方に描いていただきました)

次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。

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