吉田悠軌の怪談一服~別生活~【マルボロ・メンソール】

幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」

怪談・オカルト研究家吉田悠軌さんによる、「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の連載です。

 

それでは、怪談を一服いかがですか。

 AさんとBさん。
 それぞれまったく面識のない、無関係の二人から取材した話。
 彼らの共通点といえばただひとつ、ともに名古屋市民であるということだけ。

 まずAさんに聞いた話から。
 時期は2000年代初頭。体験者は、Aさんの友人女性「C子」である。
 C子は複雑な家庭環境で育った。父親の莫大な借金によって両親が離婚し、一家はあえなく離散。父母のみならず、子どもであるC子と弟も離ればなれとなり、各自で生計をたてるはめになった。
 なんとか大学を退学せずにすんだC子だったが、学費は自分の奨学金でまかない、一人暮らしで自活せねばならない。
 若い女性ながら、名古屋でいちばん家賃の安いボロアパートを探すべく、知り合いづてに相談を重ねていた。
 どんな物件でもいいから、とにかく安いところはないですか……などと方々に頼み込んでいたところ。
「そういうことなら、格安で貸してもいいところがあるよ」
 とある古本屋の主人から、そう打診された。
 店が倉庫として使っている建物の二階が空いている。
「そこなら、一万五千円の家賃でいいから」
 この申し出に、C子はなにも考えず飛びついた。
 場所は名古屋市港区の一画。名古屋港にほど近いエリアだった。
 しかし建物を一目見た瞬間、C子は思わずたじろいだ。
 あまりにも異様な空気がうずまいている。そう感じとってしまったからだ。
「あ、ここはちょっと良くないよ」
 引っ越しを手伝ってくれた友人も、単刀直入にそう告げてきた。
「住むのはやめたほうがいい。なんかヤバい」
 C子は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。そんなことは言われなくても同感だが、なにより優先すべきは生活のためのお金である。どれだけ不気味な物件だろうと我慢しなくてはならない。
 とはいえやはり、怖いものは怖い。
 入居初日から、C子は玄関に盛り塩をした。正式な作法など知らないが、見よう見まねで、皿に塩を山盛りにしてみたのだった。
 しかしなぜだろう。塩の山が、すぐに崩れていく。
 それもサラサラとこぼれるのではなく、グチャグチャと水気を吸ってつぶれてしまう。
 おかしいな……なんで、こんなにすぐ湿気っちゃうんだろう……。
 そう思いながら、また塩の袋を傾け、皿へと足していく。しかしそれもすぐに濡れて溶けて形をなさない。
 おかしい、おかしいと思いながら塩を足す。またつぶれる。また塩を足す。おかしい、おかしい、おかしい……。
 おかしいなあ……
 と、ここでC子の記憶は途絶えてしまう。

 結論からいうと、次にC子が我に返ったのは、半年も後のことだった。
 だから、そのあいだの事情については、また別の人物へ視点を移さなくてはならない。
 引っ越しを手伝ってくれた友人は、C子がずっと大学を休んでいることを心配していた。
「バイトをいくつも掛け持ちしているから、忙しいんじゃないの?」
 周りの学友はそう言うのだが、さすがに何カ月も顔を見せないのはおかしい。
 携帯電話に連絡すれば本人が出るので、きちんと生きているようではある。
 しかしC子の言動は要領を得ず、「平気平気、大丈夫だから心配しないで」とぼんやりした声で伝えてくるのみだ。
 半年が経っても、あいかわらずC子はキャンパスに顔を出さないままだ。
 さすがに心配になった友人は、学友数名をひきつれてC子の住まいを訪ねてみた。
 古本屋の倉庫の二階にあがると、C子は一人で部屋にいた。にこにこ笑いながら、畳の上にぺたんと座り込んでいる。
 そして朦朧とした目つきで、マルボロ・メンソールを吸っていた。すぐ前の灰皿には、吸い殻がぎっしりと詰まっている。それまで彼女がタバコを吸うところなど見たことがないのに。
 その他の家具は引っ越した当初から変わっておらず、ふだん使われているような形跡は見当たらない。
 部屋を訪れるまで、C子は悪い男にひっかかっているのではないかとも疑っていた。しかし、ここまで生活感の無い部屋を見せつけられると、とても恋人がいるようには見えない。
「ちょっと、いったいどうしたの!」
 最初は曖昧な答えしか返さなかったC子だが、皆で声をかけるうち、だんだん正気を取り戻してきた。
 そのうち、自分の吸っていたタバコに目をやると
「え、なにこれ」
 口内の煙にむせかえり、激しく咳をしはじめた。まるで生まれて初めてのタバコを、誰かに無理やり吸わされたかのように。
 つまりここで、C子は引っ越し初日のブラックアウトから、ようやく記憶が繋がったのである。
 半年間、自分がいったいどうやって暮らしていたのか。
 それについてはまるで思い出せないのだという。
 こうして生きているのだから、なにがしかの生活を送っていたのは確かだ。ただ、後から分かったことだが、複数あったバイトはすべて無断欠勤しており、この半年で一度も顔を出していなかった。
 それでも毎月の家賃を払い、この古本屋の倉庫の二階に住みながら、飲み食いをして、たまには携帯電話で人としゃべり――そしておそらく、マルボロ・メンソールを毎日のように吸っていた。
 いったいどうやって、そんな生活を半年も送っていたのか?
 どこから、そんな金を工面していたというのか?
 これも後から判明したことだが、別居している弟が、一度だけこの部屋を訪れようとしたことがあったという。
「お姉ちゃんに住所を聞いて、そこに行こうとしたんだよ。でも、たどりつけなかったんだ」
 そう、弟は証言した。
「途中から、ケータイでお姉ちゃんに誘導してもらったんだけど……。どうやっても、教えてもらった場所が見つからないんだ。あるはずの区画が、どこにも見当たらないんだ。だから、行くのをあきらめた」
 こうした一件の後、C子はすぐに倉庫二階の部屋を引き払った。
 奇妙な二重生活は、なにが原因で起こったのだろう。C子自身の問題なのか、それともこの部屋になにかがあったのか。
 貸主である古本屋の主人は、なにかを知っていたのだろうか。退去時、彼はC子に向かって、以下のような情報をつぶやいていたそうだが。
「まあ、ここは伊勢湾台風の時、いっぱい遺体が集まったところだから……」
 しかしだからといって、どうして自分が半年間の記憶を失っているのか、そのあいだどうやって暮らしていたのか、なぜ吸えないタバコを吸っていたのか。
 あまりにも多くの疑問が残るのだが、それらについては、誰にもなにも分からないのである。

 

 次に、Bさんから聞いた話を、手短かに紹介しよう。
 これについても体験者は別人で、Bさんの知人「D子」となる。
 D子は十五年前、名古屋で映像関係の仕事をする男と付き合っていた。あまりいい関係ではなかったらしく、さんざん手痛い目にあわされた上、最後はゴミのように捨てられたらしい。
 その直後、BさんのもとにD子から、会ってほしいとの連絡が入った。Bさんとしても、愚痴を聞いてあげれば彼女の傷心をなぐさめられるだろうと、待ち合わせを了承した。
 約束の喫茶店に到着したところ、D子はすでに席についていた。
「ごめんね待たせた?」と対面に座った瞬間、驚いた。
 D子が、タバコをすぱすぱとふかしていたのだ。
 テーブルの灰皿には、すでに吸い殻がぎっしりと詰まっている。その脇には、マルボロ・メンソールの緑色の箱が、ぽつりと置かれていた。
「……なんか変わったね、あんた」
 Bさんが眉をひそめると、D子は満面の笑みを浮かべて
「あ、わかっちゃった? 私よ私。〇田✕江」
 聞き覚えのある名前を名乗った。
「は? なに言ってるの? それって」
 二人の高校時代の同級生の氏名である。
 それはまた、もうこの世にいない少女の名前であった。二人のクラスメイトである〇田✕江は、成人する前に交通事故で亡くなっていたのだ。
「久しぶりだよね」
 D子は、あるいは死んだ少女は、Bさんにむかって問わず語りの説明をはじめた。
「このままだとD子がダメになるから。かわりに、あたしが出てきてあげているのよ」
 そして息つく暇なく、ここ最近に発生した出来事をベラベラとまくしたててきた。
「D子のかわりに、この子の身の回りのことをきちんとしてあげようとしてね。まず、あの男と別れた。あいつはD子を捨てたつもりかもしれないけど、あたしが捨ててやったの。D子のためには良かったんじゃない? それで次に、お腹の子どもを堕ろしてあげた。あの男との赤ん坊ね」
 妊娠していたことすら初耳だった。それが別れの原因なのだろうかとBさんは思ったが、相手のしゃべりはますます勢いづいて、こちらに質問の暇を与えてくれない。
「次に、あたしがD子のかわりになって、彼に嫌がらせの無言電話をかけまくった。何カ月もずっと毎日。そうとうダメージ受けていたと思う。いい気味じゃない? そうこうしているうち、別の男が言い寄ってきたから、D子のかわりに結婚してあげた。今回はその結婚報告。ご祝儀あげてやってちょうだいね」
 いったいなにを言っているのか。目の前の相手の言葉に、Bさんはひたすら呆気にとられるだけだった。とにかく喫茶店の支払いは自分が奢って、早々に立ち去ってしまった。
 それからというもの、こちらからはいっさい連絡をとらなかったし、向こうから接点を求めてくることもなかった。
 しかし二年後、ふいにD子から「相談に乗ってほしい」とのメールが届き、続いてすぐ電話がかかってきた。嫌な予感がしたが、Bさんはその着信に応じた。
 電話口の向こうから、D子のひどく取り乱した声が響いた。
「ねえ、わたし、いつ結婚したの?
 ある日、目が覚めると二年の月日が経っていた。住んでいるところも変わっていて、いつのまにか見知らぬ男と結婚していた。
 そして、二年前から使っているバッグを覗くと、自分が吸っているはずのないマルボロ・メンソールとライターが入っていたのだという。

 二十年前と十五年前、名古屋のどこかで、マルボロ・メンソールを吸いながら別生活を送っていた女性がいたという。
 そんな話を教えてくれたAさんとBさんは、お互い面識のない、まったく無関係の人々だ。
 しかし、C子とD子については、どうだろうか。
 もし二人が同じ女だったとしたら。
 とても怖ろしいことだな、と私は思う。

 

 

次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを

 

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。

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