幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
私、吉田悠軌は実話怪談の取材・調査を生業としている。そのための基礎となるのは、なんといっても体験者の人々からの聞き取りだ。
そしてここ数年、直接対面がはばかられるような時世となってからは、メールやネット通話などで体験談をうかがうことが多い。
今回のエピソードはそのうちの一通。とある女性から送られてきたメールを元にしたものだ。
個人情報など、私の方で再構成や改変を加えた部分はあるが、全体としては体験者の供述に準拠している。
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こんにちは。
アカギと申します。
いつも吉田さんの怪談イベントを観覧させてもらったり、配信番組を楽しませてもらったりしております。
吉田さんが怪談を募集されているとのことなので、僭越ながら私の体験談を送らせてもらおうかと、メールいたしました。
幽霊の類をまったく見たことのない私ですが、一度だけ、変なものを見たことがあります。
さらに付け足すならもう一度だけ、変なものの気配を感じたというか、変なことの起こった場に出くわしたというか、そのような体験もしています。
他の方々よりもインパクトに欠ける話かもしれませんが、私のささやかなふたつの体験談をお伝えしたく存じます。
ではまず、一つ目のお話から。
あれは、三年前の夏。
当時つき合っていた彼氏と同棲していたマンションでのことです。
その元彼は、ガッシリ大柄な体格をしているのに、子どもみたいに怖がりなところがある人でした。「変なものが見えるから」という理由で、暗闇をいつも怖れていたのを覚えています。
就寝時にも、私が同じ部屋にいるというのに、部屋を真っ暗にすることをとにかく嫌がっていました。しかし明るいままでは私が眠れません。妥協案として、リング型の蛍光灯の真ん中についている豆球だけは点灯して寝る、というのがいつもの習慣でした。
その時も彼の隣で眠っていたのですが、真夜中あたり、ふいに目が覚めました。
豆球のオレンジ色の光は、目が慣れていれば室内が見渡せるほど明るいものです。右隣で寝ている彼に目をやると、撃たれたヒグマのような風情で、あおむけに寝ているのが見えました。
そのお腹の向こう、彼の太い右腕が視界に入ったとたん、ぎょっと驚きました。
腕の上に、しわしわの女の手が乗っていたのです。
女の手でした。だらりと垂れた指には、ずいぶん長い爪がはえています。
――魔女の手みたいだ。
そんな言葉が、頭に浮かびました。
「ねえねえ、手が乗ってるよ」
私は彼のお腹をゆすりながら、やや大き目の声をかけました。
すると彼は目を開けようともせずに、こう呟いたのです。
「お盆だからね」
怖がりの彼にしては、意外なほど落ち着いた声でした。
――ああ、お盆だからか。
私は妙に納得してしまいました。
彼があまりにも無関心だったため、しわしわの手をそれ以上気にすることもなく、私はまた眠りにつきました。
「で、昨日のアレ、なんだったの」
翌朝、彼の方が逆にそんな質問をしてきました。
「あんたの右腕に、誰かの手が乗ってたんだよ。女の人の、しわだらけの手」
彼は少しだけ黙った後、ぶっきらぼうに答えます。
「おふくろじゃねえの」
彼のお母さんはその前年に亡くなっていました。
「お母さんじゃないと思う」
生前のお母さんは仕事柄、爪を短くしていたのです。あれだけ長い爪をしているなら、別人だろうと思いました。
私の反論に対し、彼はなにも答えなかったので、話し合いは終わりました。
そしてこれ以上、なにが起きたという訳ではありません。出来事としてはそれだけのことです。
ただ、あの手が誰のものだったのか、今も気になります。
私の印象では彼のお母さんの手には見えませんでした。でも次のようなことも考えられます。
あの爪はもともと長かったのではなく、死後に伸びたものではないか、と。
人は死んでからも、まだこの世のどこかに、ふつうに存在し続けているのではないか、と。
なんなら髪や爪まで、延々と伸ばし続けながら。
とはいえ、この世に居続けられるのはそう長い期間ではないだろう、とも思います。
死んだ人が居られるのは、私たちが彼らを覚えているあいだ。
家族なら一年ほど。他人なら一ヶ月ほど。
それくらいなのではないでしょうか。
次はもう少し最近、ちょうど一年前の出来事です。
私はとある会社の契約社員として働いています。
その日、Aさんという社員が亡くなったことを朝礼の席で知らされました。
Aさんは私の先輩にあたる四十代の女性で、病気療養のため二カ月ほど休職していました。
彼女と私は、たまに昼休みに二人で食事に出たり、始業前に一緒にタバコを吸ったりする仲ではありました。電子タバコばかりとなった今、社内で紙巻きのタバコを吸っているのは、おそらく私と彼女だけでした。
とはいえ業務時間以外での付き合いはいっさいなく、たちいったプライベートの話をした記憶もありません。
どこにでもあるような、それくらいの薄い関係だったということです。
彼女が休職する時も、私に事前に伝えてくれたりはしませんでした。ある日急に上司から「Aさんが休職されることになりました」と、一言説明があったきり。
それから一度も会わないまま、亡くなったと聞かされたのです。
彼女の訃報を知ってから数日後の朝。
私がいつものように出勤すると、上司の女性が慌てた様子で駆け寄ってきました。
「きのう、Aちゃんが来たのよ!」
うわずった声で、そんなことを告げてきたのです。
――Aさんって、亡くなったんじゃなかったっけ。
私は寝ぼけた頭で考えました。
ぼんやりと無反応な私を、上司は眉間にしわを寄せた真剣な顔で、じいっと見つめてきます。
そのまま長い長い沈黙が続いたので、私はなにか言わなければと思いました。
「挨拶にでも来たんですか」
「わからないわよ! 怖くなってすぐに帰ったわよ!」
昨夜の19時頃、上司が一人で事務作業をしているところへ、Aさんがふらっと現れたそうです。
その上司も、元彼のようにとても怖がりな人でした。せっかく再会したAさんに対し、どうすればよいのかわからなかったとのこと。言葉もかけずなにもせず、Aさんを残し、あわてて事務所から逃げ帰ったそうなのです。
――Aさんが職場に来ているのなら、一言くらい声をかけておこう。
そう思った私は、周りの人たちにそれとなく訊ねてみました。が、なにしろ亡くなってまだ数日です。Aさんと仲の良かった人は落ち込んでいるし、Aさんと仲の悪かった人は怖がってしまい、誰もあまり話題にしたがりません。
さらに数日後、夜勤の責任者に会う機会がありました。
私の職場では日勤の遅番が退社する頃に、入れ替わりで夜勤の人間が出社してくるのです。
つまり、その責任者の男性は夜中じゅうずっと、この職場にいるということ。
「あの、Aさんって……」
そう切り出してみると、彼は
「ああ、毎日いるよ」
当たり前のように答えてくれました。
「毎日ですか。なにしてるんですか」
「喫煙所でタバコ吸ってるよ。青白い顔して」
どうやらAさんは、亡くなってからもずっと出社しているようです。
人の多い時には現れず、出てくるとしても夜が多い。だから私は彼女の姿を見かけませんでしたが、ずいぶん多くの社員に目撃されているらしいのです。
ロッカーの中身もそのまま、勤務シフトにも名前が残ったままだったので、本人はまだ在籍しているつもりだったのかもしれません。
ですが結局、私はAさんに一度も会えずじまいでした。
私がひとりで仕事をしている時、ドアをノックされて、開けると誰もいないということが数回ありました。Aさんのものに似た長い髪の毛が、ロッカー室に落ちていたこともありました。
無人の喫煙所に入ると、まるでさっきまで人がいたかのように白煙が舞っていることもよくありました。
事前に誰かが入っていた気配は無いですし、他の人たちはほとんどが電子タバコです。だから、そもそも煙が残っていること自体がおかしいのですが。
その煙はいつも、甘いバニラの匂いがしたのです。
Aさんが吸っていた、ウィンストン・キャスター・ホワイトの煙でした。
その後、Aさんのことは徐々に話題にのぼらなくなりました。
彼女が目撃されることも減っていき、ついにはすっかり姿を消したようです。あれほど皆が気にしていたのに、一ヶ月も経つ頃には、存在自体がすっかり忘れ去られていきました。
それについては、私も同じです。
まさに今日、職場の先輩と話していた時、
「Aさんが亡くなって、もう一年過ぎたね」
と言われて、ようやく彼女のことを思い出したのですから。
私たちは親しい仲ではなかったので、彼女がいつ亡くなったかの正確な日取りは把握していませんでした。
先輩に教わってようやく、ちょうど今日がAさんの命日だと知ったのです。
だからという訳でもないのですが、なんとなくこのタイミングで、吉田さんにメールを送ろうかな、と思いつきました。
タバコを吸い終わった後も煙は残ります。でもその煙も、あっというまに消えてしまう。
人の命ってあっけないものだなあ、とつくづく感じます。
以上です。
季節の変わり目ですので、体調など崩されませんようご自愛くださいませ。
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次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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