幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
――これは私のお店がダーツバーだった頃の話です。
工藤さんは、そう語りだした。
といっても正確なところを記せば、私・吉田と工藤さんがやり取りしたのは口頭ではなく、LINEメッセージによってなのだが。
一期一会といいましょうか。様々なお客様がいらっしゃる中でも、ほんの一回だけしか来店されなかったのに、連絡先も交換できなかったのに、強い印象を残してくれる人が、ごくまれにいらっしゃいます。
その中でも特に。
あの方のことは、いまだに忘れられないのです。
数往復ほどのメッセージのやり取りがあっただろうか。とはいえこちらが根掘り葉掘り質問せずとも、また数年前の出来事であるにもかかわらず、工藤さんは驚くほど細かなディテールをまじえた文面を送ってきてくれた。
これが長年に渡り水商売を営んできたプロの矜持なのだろうか。それとも、件の人物によほど強い印象が残っていたせいなのだろうか。
――あの日は、あらかじめ暇になるとわかっていた夜でした。
週の中日の平日で、朝から小雨も降り続いています。だからスタッフは誰もシフトに入れず、私一人だけでぼんやり営業していました。
カウンターの中でグラスやナプキンを整理していると、足元のさらに下、一階の飲み屋さんから若者たちの笑い声が響いてきました。
こちらはまったく閑古鳥だけどなあ、と時計を見れば深夜一時すぎ。
ふだんなら二次会のお客様、自分の店を切り上げた同業者が多く訪れる時間帯ではあるのですが。
たまには早じまいして、他のお店に挨拶まわりでもしてみるか。
飲み屋の勘として、今日は外れの日だなという予想はたいてい当たるものなのですが。
その勘は浮かんですぐに裏切られました。
突然、ドアが音をたてて開き、一人の男性が、こちらへ顔を覗かせてきたのです。
不意をつかれ、私は挨拶もできず固まってしまいました。
いつもならお客様の来店時、階段をのぼる足音がはっきり聞こえてくるはずなのです。階下の騒ぎに紛れて気づけなかったのでしょうが、それにしてもすっかり油断していたようです。
とっさに言葉の出ない私の代わりに
「あれっ、ここ飲み屋さん? だよね?」
その方は明るい声をたてながら店内へ滑り込んできました。
「いらっしゃいませ。ええ、そうですよ」
私も気を取りなおし、姿勢をのばしつつ頭を軽く下げました。
「なにを飲まれますか?」
男性の歳は五十代ほど、日焼けしたような浅黒い肌。地味なグレーのスーツでノーネクタイでしたが、だらしなく見えない着こなしをされています。
「なんとなく飲み足りない感じだから、ウィスキーをロック」
男性はそれが当然かのように、私の目の前のカウンター席に陣取りました。
「銘柄はどうされますか? お好みは?」
「なんでもいいよ。酒だったら」
やけにせっかちですが、口調や動作が柔らかいので嫌味には感じられません。酔っているせいではなく、ふだんからこのような独特の物ごしなのでしょう。
私は彼の目の前に、コースターとナプキン、ロックグラスにダブルで注いだジャックダニエル、チェイサー、少しばかりのピーナッツを順々に供していきました。
「どちらからですか?」
「東京からなんだけど。勉強会というか学会というかの集まりで。俺、医者だから」
なるほど。この雰囲気と身なりは医者のそれだったのかと納得しました。
その後、秋田の食い物は旨い酒は旨い、連れて行かれたどこそこの店は可愛い子ばかりだ、などとひとしきり地元を褒められ、こちらとしても仕事が捗ると安心したところで。
「マスター、ここってタバコの買い置きある?」
どうやら前の店にタバコを忘れてきてしまったらしいのです。
「ちなみに銘柄はなんでしょうか?」
「吸えりゃなんでもいいよ。いつもはラークだったりキャスターだったりだけど」
「メンソールは大丈夫ですか? クールで良ければ自分の買い置きがあります」
「大丈夫。それ売って」
「いえ、ウチはタバコ屋ではないので代金は結構です。サービスで」
「いやゴメンね!」
といったやりとりの後、男性はタバコに火をつけ、なにやら神妙な顔をこちらに向けてきました。
「マスターって、お化けとか信じる?」
こうして吉田さんに連絡しているとおり、怪談の類は私も大好物です。とはいえ前のめりになるのも失礼なので、「信じるというより、色々な話を聞くので否定はできませんよね」といった程度の答えを返しておきました。
「ちょうど今、タバコをもらってフラッシュバックしたんだけどさ」
私は自分用のドリンクを手早く用意し、常備してあるスタッフチェアを手元に引き寄せました。そして男性の斜め向かいへと座り、静かに聞き耳をたてたのです。
――うーんと、あれは……
車買い換えて……コート羽織ってたからちょうど1年後の、うん、だから18、19……まぁ20年前でいいか……。
俺が当直で、遅い時間に病院出勤してね。仮眠部屋でコンビニ弁当食ってたら、呼び出しの連絡きてさ。
急患といっても子供のちょっとした火傷だったから、薬塗って抗生物質処方する程度で、その処置は終わったんだよね。
戻ろうかなと思ったら、なぜか処置室の中にカーテンの閉まってる区画あるのが目に入って。
看護婦に聞いたら、亡くなった患者さんがいるらしくて。
昼に運ばれてきたんだけど、病院に着いて間もなく息を引き取った。
咳ばかりしてて物凄くタバコ臭かったから呼吸器がダメだったんだろう。
霊安室に空きがなかった上に所持品も一切無く、警察と役所に連絡してはいるけど、なし崩し的にここに置かれたままだ……って。
行旅死亡人ってやつだよね。
俺もちょっとだけカーテンまくって中を覗いてみたんだけど。
加齢臭とタバコの臭いがすごいのよ。
八十歳くらいの白髪が薄くなった頭でさ。服は茶色いズボンと毛玉だらけのエンジ色のセーター。
まぁ病院だし、珍しくはないけどやっぱり気の毒だよね。
で、カーテン閉めて飯食ったあと一服してなかったから、そのまま喫煙所に向かったんだよ。
そこは縦長のL字に折れてる部屋で、これ見よがしに換気扇ゴーゴーうなっててさ。
入ってすぐのベンチに座って、タバコ吸い始めたんだよ。
そしたら入院着の患者さん、若い男の人が「こんばんは〜」って入ってきて。
軽く会釈しつつ座り直して、若者が通るスペースをあけてあげて。
その人、L字に折れてるところの自動販売機で飲み物を買ってから奥に入っていったんだけど。
なんとなく目で追ったら、さらに奥にもう一人座ってるのよ。
あれ、先客いたかな……?
なんて思ってると、向こうでゴニョゴニョ話す声が聞こえる。
別にいいんだけど、なんか気になったんだよね。
少しして、さっきの若者が喫煙所を出ていったんで、自販機に行くふりして奥を覗いてみたんだ。
そしたら驚いたね。
爺さんがタバコ吸ってんだよ。
処置室のカーテンの中で死んでた、あの爺さんだよ。
いやもう俺、完全に自分がおかしくなったかと思ってさ。
慌てて喫煙所を飛び出して、でも5メートルくらいですぐに立ち止まって、ぐるぐる考えたんだ。
処置室に戻って、死体の顔を確認するか。
喫煙所に戻って、あのタバコ吸ってる爺さんの顔を確かめてやるか。
で、迷った末に飛び込んだんだ。
喫煙所にさ。
入り口の引き戸開けて、自販機めがけながら目線はもう奥を見つめながら。
でもいないんだよ、爺さん。
俺は入り口のそばを離れてないんだから、出ていったら確実にわかるはずなのに。
思わず駆け寄ったよ、そのベンチのそばに。
そしたら床になんか白いものがあってさ。
一本、タバコが落ちてんだよ。
ラークだった。
しかもそれ、よく見たらビショビショに濡れてるんだよ。
なんでだよ、おかしいぞ?
だって灰皿に水は入ってるけど、蓋にポツポツ開いてる穴から落とす形状だから、その水だとはちょっと考えにくい。
だいたい灰皿の水に浸したら灰液で茶色くなるはずでしょ?
そのラーク、濡れているけど紙巻きは真っ白いままなんだ。
真水とか、雨で濡れたような感じよ。
拾う気にもならないから、とりあえず喫煙所を出てさ。
返す刀で処置室に行ったら、看護婦から、ついさっき霊安室空いたからご遺体は移動したましたって言われて。
そのまま霊安室に向かったのよ。
この病院には霊安室が二つあって、一つの前には家族連れが泣きながら集まってたから、じゃあもう一方だな、と。
中に入ったら爺さん寝かされてて。
やっぱり喫煙所で見た、あの爺さんなんだよ。
ただ……。
エンジのセーターの胸元、少し濡れてるんだよな。
水滴よりもう一回りくらい大きい濡れ跡が、ぽつりぽつりと何ヵ所か。
もうそれ以上はなにも確かめる気にならなくて、霊安室を出たんだけどさ。
翌朝、当直明けて帰る頃には、爺さんもどこかに連れていかれたって聞かされたなあ……。
「どう? 怖かった?」
男性が感想を求めてきました。
ええ、と頷いた後、私も少しは気の利いた言葉を返さなくては、と頭をひねりました。
「何度か聞いたことありますけど……」
そう前置きしてから
「あの世の人へのお供えものって、この世で存在価値がなくならないと、あちらで役立たないそうです。中国や台湾では、紙のお金をわざわざ火で焼いたりしますよね。だからタバコも死人が吸うには、びしょびしょに濡れてダメになってないといけなかったんじゃないでしょうか」
そんな私の言葉に、男性は
「なるほど、なるほどねえ……」
しきりに頷いたかと思うと、それまでの饒舌をピタリと止めてしまいました。
なんだか居心地の悪い沈黙が、店内を満たしていきます。
「……その後、なにか後日談などありましたか?」
その静けさを破るためだけに私が尋ねたところ。
「ああ、そういえば少ししてから、喫煙所に入ってきた若者と病院で会ったからさ。あの時のことを聞いてみたんだ。タバコ吸っちゃいけないはずの爺さんが吸ってたから調べてて……とかなんとか適当な理由つけて」
若者によれば、奥のベンチに座ったところで
「お兄さん、悪い。タバコ一本分けてもらえないか」
などと爺さんから声をかけられたらしいのです。
そしてタバコを一本差し出したら何度もお辞儀をされて感謝された、と。
ただ、そういえば。
その時は携帯電話をいじっていたので気にしなかったが、自分はタバコに火をつけてあげなかった。とはいえ爺さんが自分でつけていた記憶もない。後から考えれば、そこが少しだけひっかかる……。
そんな風に、若者は説明していたのだそうです。
「もちろん彼のタバコの銘柄は、ラークだったよ」
男性は吸っていたタバコを灰皿に押しつけました。
これでこの話もすっかり終わりだろう、と余韻にひたっていると。
どやどや騒がしい声とともに、階段から足音が響いてきます。その気配だけで誰が来たのか、私にはすぐわかりました。近所のオーナー仲間が、自分のお店の女の子たちを連れて入店してきたのです。
「ダーツしにきました! 両替お願いしまーす!」
さっきまでとは打って変わった賑やかな雰囲気に店が包まれます。
「忙しくなりそうだし、そろそろ俺は引き上げるよ」
頃合いとばかりに、男性が一万円札を渡してきました。
「楽しいお話聞かせてもらったので逆にお金を払いたいくらいですよ。お釣り用意しますので少々お待ち下さい」
そう伝えたのですが、男性はそそくさと財布を鞄にしまって立ち上がります。
「足りるんならお釣いらないよ。あ、じゃあこの吸いかけのタバコ代にしてくれればいいから」
「いえいえ、それはダメです! 今細かいのを……」
はっきり固辞しておいて、すぐにお釣りをトレイに載せて戻ってきましたが。
男性は、もう店の中から跡形もなく消えていたのです。
あわてて階段を駆けおり、深夜の商店街を見渡しました。
しとしとと小雨が降っているものの、まっすぐのびる道路は遠くまではっきり視界に入ります。しかしそこには男性の姿どころか、人影ひとつ見当たりません。
名刺を交換しておけばよかったな……と悔やみつつ、ふたたび騒がしい店内へと戻っていきました。
彼の座っていたカウンターには、灰皿と飲み干されたグラスと手つかずのピーナッツが残されています。
後片付けをしながら、なにげなく灰皿へ目を落とすと。
そこに置かれた三本の吸い殻は、数口吸われただけで、せっかちにもみ消されており、いずれもまだ長いままでした。
そしていずれも、ぐっしょりと濡れていたのです。
グラスの結露が落ちただけでは、ここまで全体がびしょ濡れにならないだろう、と。
まるでタバコを吸う前に、まるごと水の中にひたしたようだな、と。
その時、私は、そう思ったのです。
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次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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・投稿者様の身に起こった、あるいは投稿者様が知っている人が実際に経験した怪奇現象であること
・喫煙、喫茶など「一服するため」のアイテムが関係していること
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