幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
※画像は本文とは関係ないイメージです
1.
リナさんは栃木県で母親と祖母に育てられ、現在は東京の大学に通っているためひとり暮らしだが、指名ホストを推すためにお金が必要で、そのために風俗とパパ活を掛け持ちしていて、だから歌舞伎町のラブホテルはあらかた巡っているのだという。
「歌舞伎町のラブホは、けっこうあちこちヤバいですね」
もちろんここでいう「ヤバい」とは、怪談めいた意味、宿泊客が奇妙な体験をしているという意味だ。
「ホストのあいだでも有名なのが、略してアイエーイオー」
「はい?」
「アイエーイオー」
「アイエ?なんですか、それ?」
私はリナさんに問い返し、彼女は謎の言葉をもっとハッキリ言い直した。それは歌舞伎町の住人たちの隠語で、ヤバいとされる3つのラブホテル店名を繋げたものだった。
歌舞伎町で活動するようになったリナさんは、ここ最近、そうしたホテルに気をつけるよう心がけているらしい。
「栃木に帰った時、お母さんと一緒にパワーストーンを買ったんですよ。こういう仕事してるから魔除けにしようと思って。まあ母にはなにやってるかナイショなんですけど、そこらへんはごまかしながら」
ところが、そのパワーストーンを身につけるようになってから、逆におかしなことが起こるようになった。祖母も母もかなりの霊感持ちだが、自分だけは例外だとずっと思っていたのだが……。
「さっきあげた3つのラブホだけじゃなくて、もうだいたいのホテルで変な目にあってますね」
そんな折、Twitterに無料で見てもらえる占い師がいるのを発見。ものは試しと相談してみたところ。
「左の腕の上の方と、背中と腹のあいだに黒い印が見える。それが霊的なものを吸い寄せてしまう」
それでもなるべく、この世ならざるなものは見ないようにした方がいい。見ることを重ねると、どんどん鮮明に見えるようになってしまうから……。
などとアドバイスされた。
正直、かなり驚いた。
霊感のある母と祖母と、よく似たことを指摘されたからだ。
まず占い師が指摘した体の箇所は、子どもの頃いつも祖母がマッサージしてくれていたところだ。昔、母親が葬儀関係の仕事をしていた時、リナさんの体に不調が起こると、祖母はいつもその箇所を揉んでくれたものだった。まるでなにか悪いものを追い出すかのように。
そして二番目のアドバイスもまた、子どもの頃から母親にさんざん言われていたセリフを思い出させた。
「あの世のあれこれってのは、ラジオの周波数をだんだん合わせていく感じに似てる。見えるところにもっと注目すると、どんどん見えてくるようになる。だからなるべく見ないようにした方がいい」
彼女はそんな母と祖母に育てられた。父親は、リナさんが生まれてすぐに母と離婚している。
さて、彼女から取材した祖母や母親とのエピソード、そして歌舞伎町での数々の体験談もたいへん興味深いのだが、今回はそれら多数を割愛せざるをえない。
ここでは、タバコにまつわるエピソードだけを紹介することにしよう。
2.
“J”というホテルは、リナさんのお気に入りだった。
「嫌な目にあうラブホはフロントに入った瞬間からなんか暗くて、空気も悪いんです。でもJは雰囲気も居心地もいいから、いちばん使うようにしてます。私にとっての救い。歌舞伎町の聖地」
その日のパパ活も、Jを指定して待ち合わせることにした。夕方18時ごろ、501号室に入る。一回目の事が済み、ベッドでうとうとしているうち、ふわりと抱きつかれる感触で目が覚めた。
背中の方からパパがしがみついてきたのか、と思ったのだが。
ぎゅいいっ、とすぐ脇でソファのきしむ音がした。目と鼻の先のそこに、真っ黒い人影が座っている。顔も服装も不鮮明な、ヒトガタとだけしかわからない、ただひたすら黒いシルエットだった。
「え!?なんだあいつ!?って思ったんだけど」
体が動かない。後ろから抱きつかれているからではない。意識はハッキリしているのに、手足の先、指一本すらピクリとも動かせないのだ。
――ヤバい、なんだこれ。
そこで黒い影が、ソファからおもむろに立ち上がった。
こっちに来る……かと緊張したが、影はそのままサイドテーブルの方へと歩いていった。そこでなにかを手にしたようで、またソファへ戻ってきて腰かけなおす。
首をもたげるようにして座った影は、細々とした動作を繰り返しているように見える。
シュボッ……というライターの音がした。
いつのまにか、影の口のあたりにはタバコがくわえられていた。それに火をつけ、吸いはじめたのである。
――え?霊ってこんなに人間ぽいの?
混乱しているうち、ぷうん、と紫煙がこちらへ届いてくる。
――あ、これって。
つい先程まで嗅いでいたばかりだから、確実にわかる。
――セブンスターの匂い。パパの吸ってるタバコじゃん。
そう気づいたところで、これまで真っ黒でしかなかった影の表面が、モザイク除去されるように明らかになっていった。
ソファに座っているのは、一緒にホテルに入ってきたパパだ。くわえタバコで、スマホに目を落とし、パズドラに夢中になっている。
――なんだ、オバケじゃなくてパパじゃん!
しかしそう思った次の瞬間、より強い寒気が頭皮に走った。
――じゃあ、私の後ろで抱き着いているのは、誰?
その思考を気取られたのか、抱きしめる腕の力が強まった。
逃げなくてはと必死になるが、体のどの部位も脳の命令に従ってくれない。
――うわあああ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつなむあみだぶつ……
喉も口も動かないので、ひたすら心の中で念仏をとなえる。
すると背中のものの締め付けが一瞬ゆるんだ。
――やった、効いてる!なむあみだぶつなむあみだぶつなむあみだぶつ……
しかしその手足はこちらを解放することなく、手足を曲げ、体勢を移動させてきた。
ぎいい……ベッドがきしむ。視界の外ではあるが、重みと感触によって、背中のものがなにをしようとしているか察せられる。
それは両肘をついて、上体をこちら側にもってこようとしている。つまり私の顔を覗きこもうとしている。
この体勢で覗かれたら、互いの鼻と鼻が触れ合うほどの近さになってしまうだろう。
――ヤバいヤバい!なむあみだぶつ!なむあみだぶつ!なむあみだぶつ!
もはや瞼も動かせず、目を閉じることすらできない。
ぎぎぎぎい……ベッドが背中側に大きく傾いていく。
すぐ目の前に、男の顔が現れて。
――なむあみだぶつ!なむあみだぶつ!
「……ねえ、大丈夫?」
パパの心配げな表情が、そこにあった。
「うわ!」
やっと声が出て、体の自由も戻った。すぐに振り向いたが、ベッドの後ろには誰もいない。
「……いや、ごめん、いま怖い夢、見ててさあ」
とっさに言い訳をしたのだが、パパはきょとんとした顔で。
「夢?でもリナ、ずっと起きてたじゃん。しっかり目を開けて、ずっと必死に”なむあみだぶつなむあみだぶつ”って唱えてたでしょ」
夢では、なかったのか。私はちゃんと起きていたのか。
「……脂汗かいたから、シャワー浴びるわ」
不審げなパパを無視して、リナさんはベッドから飛び降りた。そしてガウンを脱ぎつつシャワー室に入ったところで。
右の脇腹と左の二の腕が、赤々と鬱血したアザになっているのを見つけた。
「さっき、強く掴まれていたところでした。ちょうど男の手のひらくらいの大きさで……」
後日、リナさんは東京に遊びに来た母親に、上記の体験について相談してみた(もちろんパパ活の部分は伏せて)。これまでさんざん幽霊の類を見てきたという母親は、この手の話題に慣れている。
「それダメだよ。南無阿弥陀仏は私も試したけどダメだった」
母親は事もなげに言い放った。そしてどこから仕入れた知識なのか、次のようなアドバイスを突きつけてきたのである。
「実際にはね、南無妙法蓮華経の方がいいらしいよ」
3.
そんな母のアドバイスはともかくとして。
先ほどの話に出てきた体のアザ、そしてタバコの匂いについて、私はひどく興味をひかれてしまった。彼女自身のまた別のエピソードと、なにかしら関連があるのではないかと感じられたからだ。
リナさんとの取材中、いつしか彼女の上京前の実家生活へと話題が流れていった。東京でひとり暮らしを始めて、ホストクラブやパパ活のために歌舞伎町に入りびたるようになる前のことである。
「私の実家、お母さんの元カレの生き霊がいるんですよ」
リナさんが生まれる前に付き合っていた、古くからの恋人だという。しかし母は別の男性――つまりリナさんの父親――と再婚することになり、当然そのタイミングで関係はいっさい切られたのだが。
「それでも家に、私たち家族の周りに、その人の生き霊がよく現れるんですって」
母親いわく、生き霊には匂いがあるのだという。
その男と別れた後も、前触れもなくクール・マイルドの煙と、バーバリーの香水がふわっと匂う時がある。もちろんそばには誰もいない。しかしそれは元カレがいつも漂わせていた匂いであり、つまり彼の生き霊が出てきた合図なのだ、と母は解釈している。
「その人、めちゃくちゃメンヘラだったのでお母さんと別れた時に自殺未遂したらしいですよ。別れ際は白髪だらけになって顔もガリッガリにやつれてて。でもその後もずっと母に執着してたらしいんですけど」
ただしその男は、母親を恨んでいるのではなく、リナさんの方を強く憎んでいるのだという。
それはなぜかと尋ねてみたところ。
「私さえ生まれなければ、まだ母とやり直せると考えてたみたいなんですよね。私が生まれてすぐに実父と離婚していたこともバレていたみたいですし。こいつさえいなくれば……と思って、生き霊のターゲットが母から私に変わったみたいです」
例えばこんなことがあった。リナさんが三歳の時である。遊びに出かけた公園で、母親がママ友たちと歓談していたところ。
突然、昼間の公園にそぐわない、濃密な夜の匂いが漂ってきた。クールのメンソール臭とバーバリーの香水が混じった匂い、である。
母の体は一気に硬直した。会話を止め、周囲を見渡してみる。
すると、さっきまでそばにいたはずのリナさんが消えている。まだヨチヨチ歩きしかできないはずなのに、見通しのよい公園のどこにも姿がない。
まずい、どこにいった、と頭を振り回して探していると。
ピピピピピピピピピ
アラームのような甲高い音が十メートルほど先から響いてきた。
とっさにそちらを向くと、ものすごい勢いで駆けている娘がいた。
その時のリナさんは、地面に接するたびピコ、ピコと音の鳴る靴をはいていた。それがピピピピピという連続音で聞こえるほど、激しく足を動かし、一目散にダッシュしている。
まっすぐ公園の出口を目指し、まさに交通量の多い車道へ飛び出さんとしていたのだ。
間一髪、車道に出る直前、母は幼い娘の腕をつかむことができた。
それからというもの、母親はリナさんの身の安全について非常に神経質になっていったのだという。
「子どもの頃は過保護でウザいと思ってましたけど、大きくなってから聞かされて、そういう事情があったのか、と」
しかし現在、リナさんは実家を出て東京でひとり暮らしだ。
「実家にいた時は私が守ってあげられたけど、離れた今では、もうなにか憑いちゃってるのかもねえ」
普通の親なら浮かばないような心配ごとを、母は抱えているのだ。
確かに、このところのリナさんの周りでは、奇妙な出来事が起きすぎている。そしてまた、その原因にも思い当たるふしが多すぎる。
おばあちゃんはこれまで、毎朝仏壇にむかってお経をあげていた。しかしちょうどリナさんがパワーストーンを買った頃、奇妙な体験が頻発しはじめたあたりで、祖母はパーキンソン病を発症してしまった。日課だったお経も、今ではまったく唱えられなくなってしまっている。
そしてもう、祖母がリナさんの左の二の腕や右の脇腹をマッサージしてくれることもなくなった。だから占い師は、そこに黒い印を見たのだろうか。だからJホテルのベッドの上で、背中の誰かにそこを強く握られたのだろうか。
でも、それはいったい誰?
母親の監視から離れたリナさんを、誰がつけ狙っているというのか。
あの時、マイルドセブンの煙がただよっていたから気づかなかっただけかもしれない。もしかしたらあの時、クールとバーバリーの匂いもまた、背中の方からただよっていたのかもしれない。
ともかくリナさんは、今日も元気に歌舞伎町へと通っている。
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次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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