幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
宮城県仙台市に住むサンペイさんから聞いた話。
体験者はサンペイさんの友人で、ここでは仮にリョウとしておこう。
2005年の出来事だという。
サンペイさんとリョウは、それまでずっと同じ小中学校に通っていた幼馴染である。高校は別となったが、同じロックバンドを組んでいたので友人関係は続いていた。
ただ、そのあたりから二人の関係に分岐が生じる。
リョウは次第に不良グループへと出入りするようになり、バンドにあまり顔を出さなくなってきた。どうやら、高校も二年で中退してしまったとか。かといって仕事をするでもなく、毎日ぶらぶらと暮らしていたようである。
真面目な高校生活を続けているサンペイさんとは、しばらく音信不通の関係が続いたのだが。
ある日突然、リョウから連絡あった。今すぐサンペイさんに話したいことがあるのだという
「ちょっと聞いてくれよ。この前、変なことがあってさ……」
リョウは暗い顔で、次のような体験を語りだした。
その日、リョウは二人の不良仲間と原付バイクに乗り、仙台駅近くの繁華街へと出かけていたのだという。
真冬のことだったので、すぐに日暮れが訪れた。ひとしきり遊びまわった後、地元に帰るため、また30分ほど走らせる。
「ちょっと休憩すんべ」
途中、広大な団地にさしかかったところで停車。そのまま三人とも原付を手で押しながら、一棟の建物の裏側にまわっていく。
こっそり、タバコをすうためである。
彼らは未成年なので、誰か大人に見とがめられたらまずいことになる。
その点、こういうマンモス団地の物陰なら、人目にもつかず好都合だ。
また、すぐそばの公園にある「ひょうたん沼」では、前に子どもがおぼれ死んでいたり、自殺者も多いため、心霊スポット扱いされてた。
こんなに暗い冬の夜に、このあたりを通る人など、住人ですらほとんどいないのだ。
今でいうメビウス、当時はまだマイルドセブンと呼ばれていた、スーパーライトの水色のソフトパッケージから三本の紙巻を取り出し、それぞれの口元で火をつける。
「これから、どうすっぺかな~」
すっかり暗くなったとはいえ、まだ宵の口で家に帰るには早すぎる。紫煙をくゆらせながら、もう少しどこかで夜遊びするか、誰かの家にしけこもうかと話し合っていた、その時。
「おにいちゃん、おにいちゃん!」
頭上から、かんだかい声が響いた。
なにかと思って視線を上げる。街灯の光に照らされて、小さな女の子の姿が見えた。自分たちが隠れている団地の、三階のベランダから、こちらを見下ろしているのだ。
「おにいちゃん、おにいちゃん!」
まだ小学生にもなっていない、おそらく五歳くらいの幼女だった。
リョウたちはとっさに、タバコを持つ手を背中へと隠して、
「あ~?なに?どうしたの?」
なるべく柔らかい口調で返答した。
部屋の中にいるであろう親に、タバコのことをチクられたら厄介だからである。
ところが女の子の口からは、予想外の言葉が吐きだされた。
「ママにとじこめられてる」
三人は顔を見合わせた。
「え、とじこめられてるって、部屋に入れてもらえないってこと?」
「うん、ママにとじこめられてる」
マジかよ、とリョウはつぶやいた。
「……これ、虐待だべ」
「だから(そうだよな)……冬なのに薄い半袖きてるしな」
「いぎなり(すごく)寒くなるよな、このままだと」
ひそひそと声をひそめて話し合う。しかしこの場には自分たちしかいない。そしてもし、このまま女の子がしめだされ続けたら、仙台の冬の夜を無事にすごせるとは思えない。
「おれら、そっち行っていいのかな」
リョウが声をかけると、女の子はこくりとうなずいた。
「部屋はどこ?何号室か言える?」
「308。308のへや」
よし、いくべ。
三人はぐるりとまわって建物の正面玄関から入ると、階段をあがり、三階の廊下へと出た。
「308……308号室……」
団地の中でも大きめの建物であり、いったん反対側にまわってしまったので、どこが先ほどの部屋だったかの方向感覚がつかめない。右に左に行ったり来たりしているうち。
「308……って、ここ、だよな……?」
三人は、そのドアの前で立ちすくんでしまった。
307と309に挟まれているので、ここが当の部屋だと考えざるをえない。
しかし表札の枠の中はからっぽで、住人の名札どころか部屋番号すら表示されていない。
廊下の照明も、なぜかこの一画だけ蛍光灯がとりはずされており、ぽっかりと薄暗い影の中に沈んでいる。
そしてなによりこの玄関ドアである。
扉の表面には、茶色いガムテープが二本、「バッテン」になるかたちで交差していた。
角から角まで長々と、それでいて慌てて貼ったような、雑にズレた「バッテン」だった。
――入っちゃ、いけない
三人とも声には出さなかった。しかし同じことを考えていたはずだ。
このドアを開けて、部屋の中に入っちゃいけない。とにかく、これはダメだ。そのことは強くハッキリと感じる。
しかし同時にリョウの頭の中では、“ある確信”もまたハッキリと感じられていた。なぜかはわからないが、“ある確信”を実行してみろと、脳内で別の自分がささやいている。
“ほら、確かめたくなってきただろ?さあ、確かめてみろよ”
それがまた、いっそう恐ろしい。
「逃げよう」
三人の中の誰が言ったかは覚えていない。
とにかく後は夢中になって、全員で廊下を走り、階段を駆けおり、建物裏の原付バイクを目指した。
その座席に飛び乗る。キーを回してエンジンをかけようとしたところで。
すうっと目線が上を向いた。
ちょうど先ほどのベランダが目に入ってくる。
誰もいない。女の子の姿などいっさいない。
その代わり、いくつもの段ボール箱と、棚や椅子などの大きな家具が、ベランダいっぱいに、まるで回収日の粗大ゴミ置き場のようにうず高く積まれていた。
さっきまで、絶対に、そんなものは一つも見えていなかった。
おそらく使われなくなった、廃棄されようとしている物品なのだろう。ということはあのベランダの奥の308号室は空き部屋なのだろうか。
いや、そんなことよりも。
こんなにみっちり粗大ゴミが並んだベランダに、人が立てるはずがない。
小さい子だろうと、誰であろうと。
「帰るぞ、帰るぞ」
キーをひねり、ボタンを押してエンジンを動かす。
ドッドドド……。三台のバイクが次々に響かせる低音にまじって。
「おにいちゃあーん、おにいちゃあーん」
頭上から、あの子の声が聞こえた。
必死に前だけを向いて、それを無視した。
しかしその声色だけで、笑っているのがわかった。
団地の敷地内からアクセルをふかし、急いで道路に飛び出す。
後ろから、まだあの声が聞こえてくる気がする。
右側グリップを思いきり回し、三人は夜の闇の向こうへと逃げていった。
……おにいちゃあーん、おにいちゃあーん……
「あの部屋でなにがあったか知らんし、人に聞く気もないけど……」
話の終わりに、リョウが、サンペイさんに言った。
「今思えば、あの時なんでだか、ハッキリわかったんだな」
『このドア、鍵がかかってない。ドアノブを回せば、すうっと入れる』
その確信が、ひたすら脳内でこだましていた。それはまた同時に、ドアノブを回して入ってみたいという誘惑でもあった。
でも、開けなくて正解だった、とリョウはつぶやいた。
「あそこでドア開けて、中に入ってたら、お前にこんな話もできなかったと思うよ」
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次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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