吉田悠軌の怪談一服~かだっぱり~【マルボロ】

怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんによる、「たばこ」の怪談です。
今月も、怪談を一服いかがですか。

 もう二十五年ほど前になる。
 ナベタさんが、まだ小学校低学年だった頃のことだ。 
 その年の夏休みは、朝のラジオ体操から帰ってきた後、祖母と一緒に実家の庭の草むしりをするのが日課となっていた。
 なかなか広い庭である。一度に全ての雑草を取るのは、子どもと老人にとっては重労働だ。だから一日にほんの少しずつ、ほとんど気分転換に過ぎないような作業を、ナベタさんと祖母はちまちまと続けていた。
「今日はタケダ君と遊ぶんだ、最初にあの公園行ってから……」
「昨日のテレビでね、ウッチャンナンチャンがさ……」
 中腰で土をひっくり返しながら、ナベタさんが思いつくままにお喋りをする。
 それに対し、祖母は口も大して開かずに「ん、ん」とだけ、短くうなずく。
 無口だからでも不愛想だからでもない。祖母の唇にはいつも、マルボロのタバコがしっかり咥えられていたからだ。
 祖母はたいへんなヘビースモーカーだった。休憩中のみならず、畑仕事の作業中だろうと、よく咥えタバコをしていた。
 近年とんと見かけなくなったが、当時はまだ、口からタバコを離している方が稀な大人というものが、ちらほら存在したものなのだ。
 彼女の娘――ナベタさんの母親――は、そうしたチェーンスモーキングについてはとっくに諦めていたものの、「せめて孫のそばでは喫わないでよ!」と、よく祖母に怒っていた。
 しかし祖母本人も、当の孫であるナベタさんも、副流煙など全く気にしていなかった。ナベタさんが覚えている祖母の姿は、いつもタバコの煙とともにあったのだ。
「おじいちゃんも、そんなにタバコを喫ってたの?」
 雑草をむしりながら祖母に訊ねたことに、深い意味はなかった。祖父はこの十年前、まだナベタさんが生まれないうちに亡くなっている。面影すら知らない祖父について、ただなんとなく口をついて出ただけの質問だった。
「わたしがタバコを喫いはじめたのは、じいちゃんのせいなんだ」
 祖母は笑って、そう答えた。
「へえ、そうなんだ」
「じいちゃんも、生きてる頃は一日に一箱は喫ってたな」
「ふうん」
 意外と大した喫煙量ではなかったんだな、と子ども心にも感じた。
「ただ、じいちゃんはかだっぱりでなあ」
 かだっぱりとは、頑固者、意地っぱりといった意味の方言だ。
「肺ガンになって、医者にタバコやめろって言われても、なにひとつ聞かねがった」
 祖母と同じマルボロ、赤いパッケージのいわゆる「赤マル」を必ず一日一箱のペースで喫い続けた。自分がこうと決めたことは、なにがあろうと曲げることをしない人間だった。他人がそれを変えようとすると、すぐに癇癪を起こして抵抗するのだという。
「人に手は上げねえけど、舌打ちして、唸るような声だしてから、“バンッ!”てちゃぶ台をゲンコで叩くんだ」
 そうなったら絶対に人の意見に耳を貸すことはない。家族の全員が、彼に禁煙を呼びかけても無駄なことは重々承知していた。
 だから祖父がそのまま六十歳で早逝した時も、これはこれで彼なりの天寿だったのだと、誰もが納得していたようだ。
「そんなに好きなタバコだったら、死ぬまで喫ってりゃいいし、死んだ後でも喫いたいだろうしねえ」
 記憶の扉が開いてしまったのだろう。もはや問わず語りに、祖母から思い出話がとめどなく溢れてきた。

 ――祖父の死後、祖母は毎朝、仏壇へのお参りを欠かさなかったそうだ。
 小さな仏飯と水、そして線香を供えて鈴を鳴らす。そこまでは通常と変わらぬ作法だが、祖母はこの後、マルボロを一本取り出して火をつける。
 煙をたっぷり肺に送り込み、ゆっくり吐き出してから仏壇の上の灰皿に置く。紫煙がたちのぼる中、祖父の遺影へ、最近あったことを語りかける。
 少し間があいたら、また灰皿のタバコを手に取り一口喫って、煙をふうっと遺影に吹きかける。
 フィルターまで燃え尽きる十分ほどの、祖母と祖父の二人きりの時間だった。

 ある日、祖母がコンビニにタバコを買いに行くと、タイミング悪くいつもの「赤マル」が売り切れていた。
 別の店に行くのも億劫だった祖母は、「せっかくだから、前からずっと気になっていた」という緑色のマルボロメンソール、いわゆる「マルメン」を試してみようと購入したらしい。
 翌日の朝である。さっそくお供えしようと、祖母はマルメンを咥えてから、マッチを擦って火をつけた。
 しかし不思議なことに、マッチの火をいくら紙巻きに近づけても、いっこうに点火する気配がない。
 そうこうするうち根本まで燃え尽きたマッチを捨てる。マルメンの先端部をまじまじと確認してみたが、タバコの葉も、それを囲む紙も、ほんの少し焦げているだけ。
 首をかしげつつ、もう一本マッチを擦って試してみたのだが、やはり結果は同じ。パッケージを開けたばかりのタバコが湿気っているはずもない。
「なんだべこら、おがしいなあ」
 三本目のマッチを燃やした祖母は、マルメンを咥えた唇をなるべくすぼめ、思いきり空気を吸い込んでみた。するとようやくチリチリという音とともに、紙巻きへと火が移った。
 しかし、なぜだろうか。それもまた仏壇の灰皿に置いたとたん、すぐに煙が弱くなり消えてしまったのだ。
「いげすがねぇな!」
 意地になった祖母は、何度も何度もマルメンへの点火を繰り返した。そのうちようやく、灰皿の上でもタバコが燃え続けるようになった。ため息をついた祖母が腰を上げかけた、その瞬間。
 ごろり、と仏壇に供えていたグレープフルーツがひとりでに転がり、下段へと落下した。
「あっ」
 グレープフルーツはその先にあった線香立てにぶつかり、金属音とともに盛大に灰が舞い散った。
 ゴホゴホと咳込みながら、空中の灰を手で払う。
 そしてタバコに目をやれば、どっさり被さった灰によって、火はすっかり消えさっていた。
 ふたたび深いため息をつき、祖母は箒と塵取りを持ち出し、畳に散らばった灰をきれいに片づけた。
 もはやタバコに火をつけ供えてやる気は起きなかった。
 仏間を出ていく前に、祖母は仏壇の遺影へ向かって、こう呟いた。
「たまには、違うタバコでも、いいべや」
 すると、まるでそれに答えるかのように

 ぐぐぐぐうぅぅ……

 自分が声を投げかけた先から、野太いうめき声が聞こえてきた。
 なにかと驚いているうち、今度は板を平手で叩くような
 
 バンッ!

 という大きな音が、仏間全体に響きわたった。
 自分の主張を通そうとする時の、絶対に人の言うことを聞かない時の、祖父の癖そっくりそのままだった。
「……わがったわがった、ごめんな」
 こうなったらもう仕方ないのだ。
 祖母はすぐ別のコンビニまで赤マルを買いに行った。
 それ以来、仏壇に別のタバコを供えることは二度となかったのだという。

 ――いつのまにか、ナベタさんも祖母も草むしりの手を止めていた。
 夏の太陽がすっかり上空へと昇っているので、もう真昼近くなっているのだろう。
「気に入らねえと、すぐに癇癪起こすんだもん。困ったじいちゃんだ」
 それでも毎朝お供え用に一本喫っているうち、祖母は徐々にその赤マルを美味しいと感じるようになったのだという。そして気づいた時には、いつもタバコを咥えるようになっていたのだ、と。
 こうして祖母は、自身がなぜチェーンスモーカーになったかの思い出話を終えた。

 それから十年後、祖母もまた肺ガンで命を落とした。
 とはいえ八十歳を超えていたので、老衰による寿命もあったのだろう。
 とにかく祖母は亡くなる直前、病院のベッドの上で点滴をうちながら
「じいちゃんに殺されたようなもんだな!」
 と、けらけら笑っていた。
 そんな祖母の姿を、十五年経った今も、ナベタさんはまだ鮮明に覚えているのだという。

次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを

 

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『新宿怪談』『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。

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