今月も、怪談を一服いかがですか。
先日、私が兵庫にて怪談イベント出演や各地取材を行った折のこと。
二日目の夜に私の体が空いたので、SNSで飲み会参加の募集を行ったところ、姫路駅の有名なおでん屋に数名の有志が集まってくれた。
会が進むうち、自然と怪談を聞き及ぶ流れになっていく。特に当連載のための〝タバコ怪談〟は、慢性的に欠乏ぎみだ。
「タバコにまつわる怪談……ものすごくタバコが前面に出てなくてもいいんですが、なにかしらタバコが関わってくる話はありますか?」
そう言われてみれば、と手を上げた女性が二人いた。
聞いてみると、偶然にも二話ともシチュエーションが似通っており、怪異の背景にもどこかしら共通性を感じる体験談だったから面白い。
では、まず白鳥さんから語ってもらうこととしよう。
体験したのは私でなく、夫から聞いた話です。
夫が大学生の時だから、十五、六年前ですかね。
その夜、友人のアパートで飲み会をしていたそうで、やがて皆で雑魚寝することになったそうです。
真夜中、夫はタバコが欲しくなって目を覚ましました。
友人の部屋で喫うのは悪いので、皆を起こさないようにそっと玄関から外に出ていきます。
二階の廊下にてタバコを喫っているうち、ふと、妙な物音が聞こえてきたのだそうです。
しくしく、しくしく……
という女性の泣き声です。
――上の階で、女の子が泣いてるのかな?
そう思った夫は、天井を見上げました。泣き声は頭上の方から響いてくるからです。
タバコを喫うためその場に立ち止まっているので、嫌でも声を聴き続けることになります。
しくしく、しくしく……
さめざめとした声に混じって、時折「ゔー」という嗚咽も漏れてきました。
――彼氏とケンカでもしているのかなあ。
若い女の子が恋人にふられて悲しんでいるような、恋愛のイザコザで彼氏にあてつけて聞かせているような、そんな泣き声に聞こえました。
夫はタバコを携帯灰皿に押し込むと、廊下を歩き出しました。なんとなく、その声を追いかけてみたくなったからです。
響きからして、三階の廊下に声の主がいるだろうと思ったのですが。
――あれ?
上り階段はあったものの、鉄格子で塞がれて入れないようになっていたのです。
しくしく、しくしく……
でも、あいかわらず泣き声は上方から聞こえてきます。
おかしいなあ、と思いながらも、代わりに階段を下におりてみると。
女が、いました。
二階と一回のあいだの踊り場に、膝を抱えた女の人が座っています。こちらに背を向け、頭を壁につけているので、顔や髪型は見えません。
ただ、折り曲げた脚はスキニーのデニムがぴったり張りついており、上にはカーキ色のチュニックを着ていました。その服装からして「美容師か、ファストファッションの販売員のお姉さんっぽいな」と感じたそうです。
ただ、おかしいのは。
しくしく、しくしく……
泣き声は相変わらず夫の頭の上から聞こえているのです。
その女性からはいっさい物音がしていません。姿勢からして泣いているようでもありますが、こちらに向いた背中は微動だにしていません。
「おい、どうした」
階段の上から声をかけられました。友人の一人が、外に出っぱなしの夫の様子を確かめに追いかけてきたのです。
夫は静かに友人に近づき、「下に女性が座っているけど、泣き声は上からする」旨を友人にささやきました。
「……ほんとうだ」
階段を下りた友人も、同じ現象を確認できたそうです。
二人とも、なんだか女性に声をかけることはできず、逃げるように部屋へと戻りました。
五分後、やはりまた階段へと引き返して、女性に話しかけてみよう。そう意を決した二人のでしたが、踊り場にはもう誰もおらず、泣き声もぴったり止んでいたそうです。
話は以上です。小粒な体験談ですいません。
たまたま酔っ払って座っていた女性と、上で泣いている女性が同時にいたのかもしれませんしね。夫もそんな風に言っています。
ただ後で確認したところ、夫が見た上り階段は屋上へと続くもので、アパートは二階までしかない建物だったそうです。
そうなると上に人がいるはずはないので、変だなあとは思いますよね。
ちなみに現場は、奈良の菖蒲池での思い出らしいです。あのあたりって変な噂とかあるんですかね?
あ、タバコはアーク・ローヤルのスイートだそうです。
はい、ちょっと人とは違うタバコですね。
今でもキセルを吸ってるくらい変なこだわりのある人なんで、変わったタバコが好きらしいです。
銘柄については、他の人と被らなさそうですね。
続けて矢井子さんが、これも大学時代の思い出を語ってくれた。
私が大学時代、劇団の制作を手伝っていた頃の話です。今からもう三十年くらい前ですね。
日本大学芸術学部、いわゆる「日芸」出身の劇団でした。
劇団員の一人の男性、仮にUさんとしておきます。
このUさん、劇団員だからもちろん貧乏でした。それもあって、落合南長崎駅から徒歩十分のところに、すごく家賃の安いアパートを借りて住み始めたんです。
そこが事故物件だったかどうかは不明ですが、とにかく「女の幽霊が出る」という話で借り手がおらず、他の部屋よりだいぶ安く借りられた……とのことでした。
住み始めてしばらくしてから、私が「幽霊出る?」って聞いたら、
「幽霊は見たことないけど、変なことはある」
って言うんです。
勝手にテレビがついたり、電気が消えたり。疲れて家に帰ったらお風呂にお湯がはってあったりもした、と。
ある日、女友だちと家飲みをしてそのまま寝てしまったことがあったそうです。
あ、その女性とは本当に雑魚寝しただけらしいですよ。彼女じゃなくてただの友だちだったので。
Uさんは昭和のアイドルみたいな爽やかイケメンでした。ただ性格は松岡修造みたいな熱血漢で、お酒飲むと演劇論を熱く語りだしてめんどくさい感じではありました。なので、そこそこモテてはいたけど、当時は彼女もいなかったと思います。
そうですね、確かに言われてみれば、そういうところも含めて、日芸の劇団っぽいノリかもしれませんね……。
で、話を戻すと。
夜中、その女友だちがいきなりUさんを起こして「もう帰る」って、えらい剣幕で断言してきたそうです。
「そう言っても終電ないだろ」と指摘しても「タクシーで帰る」と。
女友だちによれば、さきほどトイレに起きたら、流し台の前に女が立っていたというんです。
こちらに背を向けた、若い女の後ろ姿だったそうです。
明らかに生きた人間ではない、この部屋にはもういたくない、とまくしたてて、本当にタクシーで帰ってしまった……。
そんなことがあったので、テレビをつけたり電気を消したり風呂をはっているのも、その女の仕業なんじゃないか。そう、Uさんは思っていたんですね。
「その女幽霊、お前のこと気に入ってるんじゃないか?」
私とUさんの会話に、いつのまにか他の劇団員も混ざってきました。
「だから、部屋に女を連れ込んだのを嫌がってたんじゃないか?」
「それならそれでいいよ。幽霊でも美人が彼女になってくれるんなら」
Uさんは勝手に、綺麗な女幽霊に違いないと思い込んでいました。女友だちも顔は見ていないし、「若い女」としか言ってなかったはずですが……。
「じゃあ、本当にヤキモチ妬いてるのかどうか確かめてみようよ」
で、当時から怪談好きだった私は、そこで一つの提案をしてみたんです。
「女の私を連れて、皆でUさん家で飲み会すれば、その幽霊が出てきてくれるんじゃない?」
確か、総勢6名だったでしょうか。私以外は全員男性でしたが、同じ劇団でずっと仲良くしてる仲間だったのでまったく気にせず、わくわくしながらUさん家での飲み会を行いました。
といっても私はお酒が飲めないしタバコも喫わないので、お菓子をぼりぼり食べ漁ってるだけでしたが。
メンバー中、喫煙者は三人でした。真夏で暑かったこともあり、一階の部屋の掃き出し窓を開け、そこに灰皿を置いて喫煙所としていました。
人数が多いせいか怖いことはなにも起こらず、ひたすらおしゃべりしながら飲んだり食べたりする楽しい時間だけが流れました。
だんだん眠くなってきたので、そのまま皆でそこで雑魚寝することになり、女性の私だけベッドに寝かせてもらって、他の人たちはカーペットの上で適当に寝転がっていました。
ふと、私が夜中に目を覚ましたところ。
窓の外が月明りではっきりと照らされていました。真夏なので、掃き出し窓は全開にして、網戸だけを閉じていたんです。
その窓枠に誰かが腰をかけて、タバコを喫っていました。
やけに明るい月光が黒いシルエットを浮き上がらせています。ただ私はコンタクトを外していたので、
「あぁ、メンバーの誰かがタバコ喫ってるんだなぁ」
とだけ思いつつ、人影が喫煙する仕草をぼんやり眺めていました。
そうこうするうち、またいつしか眠りについてしまったようです。
朝になり、部屋のゴミを片付けたり洗い物をしていた時です。
灰皿も洗おうかと、掃き出し窓に置かれたそれを手に持ってみたところ。
大量の吸い殻の中に一本だけ、口紅がべったりついたタバコがあるのに気づいたのです。
「これ、誰の? 前からあったの?」
私が訊ねたところ、Uさんはひどく驚いた顔をしました。
例の女友だちが来たのはもうだいぶ前で、それから今日までこの部屋に女性は来ていない。また自分自身も喫煙者なので、その灰皿はこれまで何度も中身を掃除して入れ替えている。
といったUさんの説明を受けながら、皆で口紅の吸い殻をじろじろと観察しました。
「……これ、幽霊がタバコ喫ったってこと?」
そこで私は昨夜の光景を思い出し、「誰かタバコ喫ってたよね?」と確認したのですが、全員が首を横に振ります。
一人残らずぐっすり寝込んでおり、途中で起きて喫煙したものはいないそうなのです。
「じゃあ、私が見たあのシルエットが、この部屋にいる女幽霊?」
あんまり怖い感じじゃなかった気がするけど……。などと私が言っていると、メンバーたちからツッコミが入りました。
「矢井子だったらUさんとなんもありそうにないから、幽霊もヤキモチ妬かなかったんだろ」
……と。
ちなみにその吸い殻はセブンスターでした。そこにいた喫煙者たちにセブンスターを喫う人がいなかったのに「どこからこのタバコが出てきたんだろうか?」って話をしたのを覚えています。
結局それ以降、私たちもUさん自身も、女幽霊に出くわすことはありませんでした。
ただ例の女友だちとは、Uさん、幽霊の件ですっかり疎遠にされてしまったようです。Uさんも真面目なタイプですから、彼女でないとはいえ部屋で二人飲みするからには好意を持っていたと思うので、そこは可哀想でしたね。
窓際に私が見た人影は、目が悪いので断言できませんが、男性だと思ったからにはロングヘアじゃなかったように思います。
タバコの煙を気持ち良さげに、ふわあーっと吐いてたのを覚えていますね。掃き出し窓に、外を向いて少し斜めに腰をかけた、横顔のシルエットでした。
Uさんは現在も俳優活動を続けておられて、有名俳優さんが多数所属している事務所で演技指導されたりもしています。私は今はぜんぜん連絡をとっていませんが、時折、昔の仲間からの公演情報で活動を知ったりしています。
そしてまだ、独身のようです。
ああ……そうですね。
今の今まで考えてもみなかったですけど……。
Uさんがまだ独り身なのって、あの女幽霊のせいかもしれない。そう考えたら、ちょっと怖いですね。
ひょっとしたらUさん、まだあのアパートで、あの女性と一緒に暮らしていたりして……。
次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『新宿怪談』『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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