吉田悠軌の怪談一服~煙のかたち~【ショートピース】

怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんによる、「たばこ」の怪談です。
今月も、怪談を一服いかがですか。


吉田悠軌様

 突然のお便り失礼します。パンカスビーフです。
 先日の怪談イベントでは終演後に吉田さんにご挨拶させていただき、ありがとうございました。
 その時にちょっとだけ喋らせてもらった件についてメールいたします。
 吉田さんはタバコにまつわる怪談を集めていらっしゃるとのこと。僕の聞いた怪談が、その助けにでもなればと思いました。
 昨年、会社の飲み会にて、上司の女性から聞いた話です。
 僕と彼女とは二年ほど前から一緒に仕事しておりますが、アルコールが入る場はその時が初めてでした。
 上司はお酒が入ると、意外なほど饒舌になるタイプでした。そのうち仕事や共通の人間関係の話題はどこかに吹き飛び、いつのまにか彼女の幼少期の体験へとシフトしていきました。
 お酒の席でしたので、上司のトークはあちらこちらへ話題が飛んだり、情報の足りない部分も多々あったりしました。それらを聞き足しながら記憶し、後で書き起こしてみたのが、以下の文章です。
 前置きが長くなりました。そろそろ本題に入ります。

 ◎

 良美が小学生の頃のことだ。
 彼女は夏休みになると毎年、実家を一週間ほど離れて過ごすのが恒例行事となっていた。
 地方に住む父方の祖父母の家に預けられ、そこで両親抜きの田舎生活を送るのである。
 あれは小学四年生の年。
 八月のよく晴れた空に入道雲がモクモクとそびえ立っている、そんな日のことだった。
 午後三時過ぎ、市民プールから祖父母の家に帰ってきた彼女はすぐに台所に駆け込んで、
「暑い〜、もう限界〜」
 喉を鳴らしながら麦茶を飲み干した。しかし一杯では失われた水分を補給しきれず、立ったまま二杯、三杯とおかわりを続ける。
 ようやく人心地がついたところで、ダイニングテーブルの椅子にどっかと腰掛けた。
 ふと前を向くと、少し低い位置におじいちゃんの後頭部が見える。
 ダイニングからの続き部屋になっている和室で、おじいちゃんが座椅子に背を預けている。頭の向こう側では、タバコの煙がモクモクとのぼっている。さらにその煙の向こうでは、ブラウン管のテレビが夏の高校野球を放映している。
 おじいちゃんは愛用のショートピースをふかしながら、はるか遠い甲子園で汗を流す球児たちに見入っていた。
 孫の前でタバコを吸うことは祖母にきつく禁止されているはずだが、長年の習慣は辞められないらしい。祖母が買い物に行っている間など、その目を盗んではタバコに火をつけていたものだった。
 しかしおじいちゃん子の良美は、むしろタバコをくわえたその姿が気に入っていた。
 映画の俳優さんみたいでカッコいい。周囲で唯一の喫煙者である祖父を、いつもそんな風に眺めていたそうだ。
 良美はダイニングテーブルの上で、分厚い少女漫画雑誌を広げた。
 紫煙を燻らす祖父、そのすぐ脇で雑誌をめくる良美。二人はひたすら押し黙って、夏の陽が差し込む茶の間に座っていた。
 外では蝉も鳴いていただろうが、その喧噪が聞こえてきた記憶はない。
 二人の沈黙の空間に流れていたのは、落ち着いた実況アナウンス、ブラスバンドの応援歌、金属バットの甲高い響きといった、どこか気怠い夏の音だけだった。

 

 どれほど時間が経っただろうか。
 静かにたゆたう時間が、耳障りの悪い音で破られた。
 まず、あの獣の遠吠えのような試合終了のサイレンの音。
 それに続いて、おじいちゃんが勢いよく咳き込み出した音。
 良美が雑誌から目を離してみると、祖父は座椅子から横向きに顔を突き出していた。 

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ……ああくそ……ゲホゴホゲホッ!」

 口元に手を当て、顔を真っ赤にし、何度も何度も咳を発している。
 最初はタバコでむせたのかと思ったが、そうではなかった。
 祖父の左手はちゃぶ台の上のコップをつかんでいた。咳き込むたびにコップが揺れ、中に入った麦茶が少しずつテーブルにつこぼれる。
 確かに、ヘビースモーカーのおじいちゃんの気管支が、今さらタバコの煙でビックリするはずがない。
 気管支が嫌がっているのは麦茶だ。どうやら盛大に水分が流れ込んでしまったせいで、むせかえっているらしい。
「おじいちゃん大丈夫?」
 そう声をかけると、祖父は咳き込みながら何度も頷き、右手の人差し指と親指でOKサインをつくってみせた。
 しばらく経ってようやく落ち着いた祖父が、ぐるぐると喉を鳴らす。
「あー、苦しかった」
 照れ笑いを浮かべるおじいちゃんに釣られて、良美も笑う。
 祖父はもう一度喉を鳴らしてから、すぐに新しいショートピースをくわえ、火をつけた。
 あんなに苦しい思いをしたばかりなのに、もうタバコを吸おうとしているのか。
 その姿がおかしくて、苦笑いしながら座椅子からはみ出す後頭部を見下ろし続けた。
 最初の一口目の煙を、祖父はわざとらしく長めにふかしていった。
 しかしまだ水気が気管支に残っていたのだろうか。口から漏れる煙がふいに途絶えたかと思うと、先ほどより一段階大きめの咳がひとつ。

 グオホッ!

 同時に、小さな煙のかたまりが吐き出され、祖父の頭上へと昇ってきたのだが。
 良美は思わず目を奪われた。
 その煙はタバコのものとはほど遠い、煤にまみれたような漆黒だったのだ。
 しかも黒い煙のかたまりは中空で停止し、見覚えのある形状をかたちづくった。
 テディベア。
 握りこぶし大の、テディベア人形のかたちだった。
「テディベアに見えなくもない、子熊に近いようなイメージ」といった曖昧なものでは断じてない。
 丸っこい耳、つぶらな瞳、アンバランスなまでに長い前脚、こちらにチョコンと投げ出された後脚、それどころか毛足の長い質感とその毛の流れまで。
 ひたすら明確に「煙でできたテディベア」だった。
 そのかたちは少しも崩れず3秒ほど空中を漂った後、ひゅっと音を立てるように下の方へと引っ込んだ。
 こちらからは見えずとも、おおよその察しがついた
 あちら側を向いた祖父の口に戻っていったのだ、と。
 祖父は口をすぼめてテディベアの煙を勢いよく吸い込み、そのまま呑み込んだのだろう、と。
 その証拠に、祖父の喉がごくりと上下に蠕動するのが後ろからでも確認できた。
 ぐるるるる……と猫のように喉を鳴らした後。
 祖父は前を向いたまま、後頭部ごしに、こう訊ねてきた。
「見たか?」
 良美はなにも答えなかった。
 なにも見ていなかった気づかなかったフリをしようと沈黙を貫いた。
 しかし大人になった今から考えれば、その沈黙こそが紛れもない「イエス」の回答だったのだ。
 五秒、十秒ほど待ってから、祖父はゆっくり、こちらを振り向いた。
 目元にも口元にも、いつもの優しい笑みが浮かんでいた。ただその瞳孔が、異様なほどに黒く大きく見開かれているのがわかる。
 良美はなんのことか見当もつかないといったように首をかしげ、なんとかその場をしのいだ。
 いや、しのいだつもりだった。

 

 その日以来、祖父は自分と距離を置くようになってしまった。
 険悪な態度をとってくる訳ではない。おざなりな会話ならいつもどおり交わしたりもする。
 しかしこれまでの溺愛っぷりが嘘のように、祖父は良美に近寄ろうとしなくなった。夏休みはいつも祖母と三人で夕飯を食べていたのに、その日課も拒否。ついには自分の食事だけを寝室に運ばせ、そこで一人きりで夕飯をとるようになった。
 それは良美も同じことだった。祖父が気味の悪い生き物のように見えてしまい、いつものように接するなんてとても不可能になったのだ。
「ねえ、あんたたち、なんかあったの……?」
 祖母は二人の関係の変化に戸惑い、そう質問してきた。
 しかしまさか祖父の口からテディベアの煙が飛び出した……などと言う訳にいかないことは、十歳の彼女でも判断できた。
「……ちょっと喧嘩しちゃったのかも」
 曖昧な答えに祖母は不満ぎみだったが、それ以上どう追及すべきかも思いつかなったようだ。またどうやら祖父の方でも、この件については無言を貫いているらしい。
 祖父母の家での夏休みは、紙やすりのようにざらついた空気のまま終わってしまった。

 

 最終日、良美は迎えにきた両親の車に乗って、祖父母の家を去ろうとしていた。
 別れの挨拶については祖父も自然に対応し、良美たち三人が車に乗り込むのを、祖母と並んで見送ってくれていた。
 両親が道路地図を広げて帰路を確認している最中、良美は後部座席からおずおずと後ろを振り返ってみた。
 寂しそうな笑顔で手を振る祖母。だがその隣に立つ祖父は退屈そうな顔でショートピースをくわえ、こちらを一瞥もせず火をつけるところだった。
 そして車の発進すら待たず、祖父はタバコを喫いながら玄関の方へと背を向けた。
 そこで良美は、確かに見たのだという。
 祖父が持つタバコからたちのぼる煙と、祖父が中空に向かって「ふうっ」と大きく吐き出した煙。
 それらは両方とも、あのテディベアのような漆黒に染まっていた。
 二つの黒煙はすぐに一つのかたまりへと集合し、サッカーボール大の球体となる。
 そうしてできた球体の表面は、不穏な微動を開始した。
 おそらく、これからなにかのかたちへと変形していくのだろう。
 そう思わせるように、煙のあちこちが幾つもの方向へ動き出したところで。
 良美はとっさに目をそらし、運転席・助手席の両親へと体を向けた。
「ほら、おじいちゃんおばあちゃんに手を振って」
 母親にそう言われたが、聞こえないふりをした。祖父母の家を遠く離れて高速道路に入るまで、けっしてフロントガラスの風景以外は見ないようにした。
 翌年の夏休み、友人と遊ぶからと理由をつけ、良美は祖父母宅への旅行を拒否した。
 もちろん真っ赤な嘘なのだが、思春期に入りかけた娘に気を使ったのだろうか、両親も彼女の要求をすぐ認めてくれた。
 その夏が終わってすぐに祖母が急逝し、祖父も後を追うように相次いで亡くなった。
 二人の法事を済ませてからというもの、良美はその家どころか地域自体にすら近づいていない。
 現在でもたまに両親が墓参りに出向いているようだが、彼女は仕事を理由に同行を断っている。祖父母の家は既に跡形も無くなっていることもあり、両親も無理には誘ってこない。

 

 その家は、祖父が亡くなったすぐ後に、不審火で全焼したのだ。
 火元の原因は、全く不明なのだという。

 以上です。
 上司の良美さん(もちろん仮名です)からは、他人に話していいとの許可もとっていますし、どこかで発表してもいいそうです。
 何度も言いますがお酒の席での話ですし、上司の記憶もかなり昔のものです。また「実話怪談」というジャンルを一ミリも知らない彼女ですから、無意識に話を盛った部分があってもおかしくはない。
 さらに言うなら、僕だってアルコールの入った状態で聞いていますし、録音もせずに頭で覚えただけです。さらに後日になって文章化した時、ついつい筆がすべってしまった部分があるかもしれません。
 もちろん彼女から聞いた情報に、僕からの勝手な付け足しなどしていませんよ。
 ただ良美さんも僕も「本当に正確な情報をそのまま提出しています!」……とは、とても断言できないのです。
 だから吉田さんの方でも、お好きなように話を組み立て直してもらって結構です。
 ひどく昔の出来事を、お酒の入った良美さんが話して、お酒の入った僕がそれを聞いて、さらに後日、それを吉田さんにメールしている。しかも吉田さんがまたそれをタバコ怪談にしてインターネットで発表する。
 こう考えてみると、良美さんのお話というのは、まさしくタバコの煙と同じようにモクモクと流れて変わっていくものなのかもしれません。
 最後に言い訳じみたことを言ってしまいましたが、長文乱文お許しくださいませ。
 では、また機会あれば、怪談イベントへお邪魔させていただきます。

パンカスビーフ

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『新宿怪談』『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。

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