ファンダメンタルジャーニーvol.3〜確定申告経験ゼロのラッパーへ融資した話〜

地方銀行に8年勤務し、住宅ローン・カードローン・フリーローンなど個人ローンの他、事業性融資・創業融資など幅広い業務を行い、現在は、飲食店のオーナーを務める傍ら、金融ライターとして大手メディアでの寄稿や監修を数多く担当。プロフィールはこちらページ内リンク

「銀行融資」というものについて
多くの人は「硬い職業の人、ある程度社会的な信用のある人だけのもの」という先入観をお持ちなのではないでしょうか?。本日は私が銀行員だったときに、「確定申告」という言葉すら知らない「ラッパー」に対し、音楽スタジオを作るための資金を融資したお話をしていきたいと思います。

この話を読んでもらえれば、しっかりと仕事をしている人であればどんな人でも事業資金融資を受けられる可能性があるとお分かりいただけるでしょう。。
また、事業資金融資を受けるための重要ポイントについても詳しく紹介していますので、ぜひ参考にしてください。

銀行に不似合いな人が突然窓口に


ある日、銀行の融資窓口に座っていると、銀行の窓口では滅多に目にする機会がない男性が現れました。ダボダボのジーパンにタンクトップ。丸坊主に髭面。私は「カードローンを借りにきた人かな?」と一瞬思いました。

しかし、驚くほど丁寧な口調で「すみません。スタジオを作るお金を借りたいんですけど」と坊主頭の男性は切り出したのです。

音楽スタジオ設置費用を貸してほしいラッパー

窓口に来た男性は「ミュージシャンをやっているんですが、地元で活動するためのスタジオを作りたいんです」と話し始めました。

聞けば、東京でヒップホップミュージシャンとして活動してきた人で、これまでは東京のスタジオで収録していたようです。「地元で音楽活動をしたい」という気持ちが強いものの、地元にはスタジオがない。そのため自分だけのスタジオを作ってしまおう、という意図で借入の相談にきたのです。希望金額は300万円程度で、自己資金はない状態でした。

この段階で私は、融資は難しいのではないかと思いました。ラッパーという今までに前例のない職業+自己資金がないという2点でどう断ろうか考えていました。

特集された雑誌やCDなどを大量に持参

男性は、自分が特集されたページに付箋を貼った雑誌を10冊程度と、CDを大量に持参し「自分は間違いなく名前が通ったミュージシャンだ」ということをアピールしていました。雑誌を見ると本当に多くの紙面に男性が取り上げられており、「確かに著名なミュージシャン」「一部ではカリスマ的に取り扱われていること」がよく伝わってきました。

私はミュージシャンといえば、テレビで取り上げられるような一部の人しか食べていけないイメージだったので、目の前の男性がミュージシャンとして食べていけている事実に驚きを覚えました。収入状況を聞くと、不安定ではあるものの多い月は50万円程度の所得を得ており、事業者としてある程度しっかりとした規模の稼ぎがあることも判明しました。一見、怪しく見えるミュージシャンの男性は「東京である程度の実績を上げ、地元に戻って独立したい」という、極めてまともな方であることがわかったのです。

融資案件の問題点


男性は実績のしっかりした人で、融資金の使い道もいたってまともです。最初とは打って変わり、私の気持ちは融資したい方向に傾きはじめていましたが、この融資案件には銀行にとって次のような問題点がありました。

  • ラッパーに融資をした経験がない
  • 雰囲気だけで判断すると返済できるかわからない
  • 確定申告をしていない
  • 納税状況も怪しい

これらの理由によって、話がきた当初は上司などと相談して「断った方がいいのでは」という流れになったことは事実です。この融資案件が抱える4つの問題点を詳しく見ていきましょう。

ラッパーに融資をした経験がない

私が銀行員だった時代、少なくとも私の属していた銀行ではラッパーに融資した経験がありませんでした。銀行は審査の際に次の観点で融資の可否を判断します。

  • 返済していくことができるか
  • 今の収入を継続できるか
  • 事業が成長するか

これが例えば製造業であれば「業界全体が成長しているから、ここ数年は会社が成長するだろう」などと判断することができます。しかし、音楽業界やヒップホップ業界の状況に対して何も判断する材料を持っていないので、「今後どうなるのか」判断ができません。さらに、ミュージシャンという職業に「浮き沈みの激しい業界」という先入観があるので「長期的に返済していくことが難しいのでは」というネガティブなイメージが先行してしまいます。「ラッパー」という職業が、金融機関的に「まともな職業ではない」=「融資を出すべき対象ではない」と判断されがちなのも事実です。

本当に融資をして大丈夫?

人は見た目ではありませんが、タンクトップに丸坊主で髭面の男性に対して、やはり銀行は「怪しい」という目線で見てしまいます。銀行へ相談に来る人は、スーツ姿か工場の作業着が一般的な中で、どうしてもラッパーのファッションに怪しさを感じざるを得ませんし、もしかしたら「東京で成功した」という話そのものが嘘かもしれません。
実際に銀行に対して嘘の話を持ちかけ、融資金を受け取ったら逃げてしまう反社会的勢力は多数います。男性の外見から感じる非日常的な雰囲気は、どうしても怪しさを感じてしまうのも事実です。

確定申告をしていない

この案件で最も大きな障害は、ラッパーの男性が「確定申告をしていない」ことです。
私「審査を受けるためには確定申告書が必要です」
ラッパー「。。。確定申告書って何?」
私「毎年、税務署に収入を申告する書類です」
ラッパー「確定申告なんてしたことないよ」

ラッパーの男性は、これまで一度も確定申告をした経験がないことが分かりました。さらには、所得を得たら税務申告をしなければならないという手続きすら知りませんでした。最初は驚きましたが、考えてみれば、東京のライブハウスで自分で手売りしたチケットの売上にかかる税金の申告をわざわざするはずもありませんし、確定申告の必要性を誰かが教えてくれるはずもありません。男性は今までのラッパーとしての収入を何も申告していませんでした。

銀行は事業者の収支状況を確認して審査を行います。収支状況は個人事業主であれば確定申告書、法人であれば決算書から確認するため、確定申告書がないと審査ができません。また、「事業を営んでいる」と証明する書類がないため、この時点で融資をすることは非常に厳しくなってしまいます。

ミュージシャンであれ、建設業を請け負っている一人親方であれ、個人で独立して働いている人がお金を借りる場合には確定申告書が必要になりますが、ラッパーの男性には確定申告書がありませんでした。

「残念だけど、融資はほぼ難しい」と、私は判断しました。

納税状況も怪しい

また、事業資金融資を受けるには納税証明書も必要です。当然と言えば当然ですが、納税証明書はしっかりと税金を支払っている人しか発行されません。男性に「住民税や自動車税などの税金は遅れなく払っていますか?」と聞くと、「いやぁ」と微妙なリアクションが。このリアクションをする人は、たいてい後ろめたいことがあるので、おそらく税金は支払っていません。納税証明書を提出できない人は、税金を原資とする信用保証協会の保証を受けることができません。また、日本政策金融公庫の融資も不可能です。

残された方法は銀行のプロパー融資(保証を付けずに銀行が全ての責任を負う融資)しかありませんが、これまでの実績が何もなく、確定申告すらした経験のないラッパーに対して、最も審査難易度の高いプロパー融資は不可能だと考えた方がよいでしょう。

なぜ融資をする方向性になったのか


本来であれば、今回の融資案件はその場でお断りするか、後日もっともらしい理由をつけて断る案件です。
しかし、私は次の3つの理由から「とりあえず案件を進めてみよう」という気持ちになりました。

  • 銀行員は新規融資先のノルマを抱えている
  • ネットで調べたところ本当に有名なラッパー
  • 本人が銀行に協力的ないい人

極めて銀行都合な理由と、本人の人間性やラッパーとしての実績には問題がないことが主な理由です。「自分はどうせ借りられない」と諦めている人でも、条件さえ揃えば融資を受けられる可能性があります。私が融資案件を進めてみる気持ちになった3つの理由をご紹介します。

銀行員は新規融資先のノルマを抱えている

銀行員は毎期「新規融資先」のノルマを抱えています。新規融資先とは、新規で事業資金を貸し付ける取引先数のことで、銀行の営業基盤拡大のため既存の取引先に加えて新規で取引する事業者を探さなければなりません。

当時私はその期の新規取引先のノルマを達成していませんでした。ラッパーの融資を実行すれば、晴れて新規取引先1件です。極めて自分都合な話ではあるものの、融資の相談があったときに「やった!これで新規取引先1件になるかも」と思ったのは事実です。「今まで取引がない金融機関から融資を受けるのは厳しい」と一般的には言われています。確かに初回の融資で1,000万円を超えるような金額を借りることは難しいかもしれません。しかし、数百万程度の融資であればむしろ金融機関は「新規取引先としてぜひ取り扱いたい」と考えることもあります。

今回のケースは担当者の私がノルマをクリアすべく「ぜひ取り扱いたい」と考えたため、他に融資ができる方法がないかと検討することになりました。

ネットで調べたところ本当に有名ラッパー

まずは、本当に音楽業界で有名な人なのか、しっかりと調べる必要があります。
すると、私でも知っているような超有名なミュージシャンとコラボしていた記事もあり、業界では有名なラッパーであると分かりました。本人が持参した雑誌に書いてある内容も嘘ではなく、ヒップホップ界隈では十分な実績と、集客力があると確認できたのです。

私の中で「本当に融資を進めていいのか」と悩んでいた気持ちが、相手のことを調べれば調べるほど「融資を進めても大丈夫な人だ」という確信に変わっていきました。

本人が銀行に協力的でいい人

私が「融資を進めてみよう」という気持ちになったのは、本人が銀行に協力的でいい人だったということも理由の1つです。見た目とは裏腹に、対応や口調はとても丁寧で、私が要求する書類も快く用意してくれます。また、東京から地元での活動へ移る理由も、「だんだん元気のなくなる地元を音楽で盛り上げたい」という極めて公共性・社会性が高い動機でした。海のものとも山のものとも分からない、新規の取引先に融資する際には、数字よりも相手から得られる印象が非常に大切です。

  • 信頼できる人か
  • 応援したいと思えるか
  • 本当に必要な資金か

このように、顧客との会話の中からしか気付けない観点で「融資をしよう」と決めることもあります。初めて銀行から融資を受ける際には、銀行員が好印象を受けるように接することが非常に重要です。いずれにせよ、私はこのラッパーの男性に対して「なんとか融資を出して応援したい」と思うようになりました。

融資をするために行ったこと


一般的な事業者と異なり、確定申告すらないラッパーに対して融資をするにはいくつかのプロセスを経なければなりません。
私が融資をするために行ったことは以下の6つ。

  1. 税務署へ開業届を提出
  2. 確定申告を遡っておこなう
  3. 税金の滞納を解消
  4. 信用保証協会へ打診
  5. ラッパーと役所へ
  6. 制度融資で融資実行

税務署へ開業届を提出

開業届とは、地域の税務署に対して「ここで事業を営んでいます」と提出する書類で、届出を行うと、税務署の受領印が押印されたコピーを受け取ります。

この税務署の受領印が押印された開業届が、客観的に事業を営んでいる公的な証明書類です。事業資金融資には、新規で金融機関から融資を受ける際に必ず必要になる書類だと理解しておきましょう。ちなみに開業届は税務署へ行けば簡単に届け出ることができます。

ラッパーの男性も開業届を税務署へ提出することによって、事業者としての公的な証明書類を手にすることができました。

確定申告を過去に遡っておこなう

創業資金以外の事業資金融資においては、確定申告書が審査で必要になります。ラッパーの男性は確定申告を行なっていなかったため、過去の収入や支出を聞き取り、一緒に確定申告書を作成しました。確定申告は5年以内であれば「更正の請求」を行い、過去の申告ができます。私は過去3年分の確定申告書をラッパーの男性と作成し、税務署へ確定申告を行いました。できる限り正確な確定申告書を作成するため、過去のライブのチケットやCDの販売実績が分かる書類やデータを出してもらい、まとめる作業に延べ1ヶ月程度かかったと記憶しています。

確定申告書には、「これまでスタジオを借りるために使っていた経費を返済に回すことができるので、借入金を返済していくことが可能」と記載し、何とか融資を出せるのではないかと判断できる程度の決算になりました。

税金の滞納を解消

次は税金の滞納の解消です。ラッパーの男性に話を聞いたところ、それほど多くの税金を滞納しているわけではなく、実際は自動車税だけでした。とにかく、最優先で税金を支払ってくれと頼み、手元にはあまりお金がない様子でしたが、滞納していた自動車税を支払ってもらいました。

その後、無事納税証明書が発行されました。
正直他の融資案件の10倍くらい大変でしたが、事業資金融資に必要な書類が全て揃いました。

信用保証協会へ打診

やっと審査をするための土壌が整ったところで、信用保証協会へ保証依頼の打診を行います。「東京で有名なラッパーが地元に戻って活動する際に必要な音楽スタジオを作るための資金を融資したい。」と、信用保証協会へ打診しました。

もちろん信用保証協会の担当者もラッパーへの融資案件など、取り扱ったことはありません。打診した際には「。。。え?」というリアクションでしたが、予想通りだったので冷静に「信用できる人だ」という説明を行いました。ここでも役に立ったのが、本人が持参した雑誌やCDです。

持参した雑誌やCDが役に立つ

信用保証協会の担当者は「本当にこの人に融資して大丈夫なんですか?」というスタンスでした。私はネットで彼が特集されている記事のスクショや、本人が持参した雑誌の写しやCDを信用保証協会へ送り、「本当に著名なミュージシャンだ」ということを伝えました。信用保証協会の担当者は上司に対して融資の妥当性を説明できればよいので、信用できるだけの材料を与えることができれば問題はありません。

さらに返済計画も資金使途の妥当性があるので、「信用できる人かどうか」さえ判断できれば問題なく融資を進められるはずです。ラッパーの男性の実績を示す書類を見た信用保証協会の担当者から「分かりました。融資をする方向で話を進めます」と前向きな回答を得ることができました。銀行は信用保証協会の保証さえ得られればリスクがないので、融資を実行します。

ここでようやく私は「なんとか融資ができそう」という見通しが立ち、少し安心しました。
あとは事務手続だけです。

ラッパーと一緒に役所へ

今回の融資は地方自治体の制度融資を使用しました。制度融資は条件に合致すれば低金利で借りることができるので、新規で融資を受ける人には最適です。制度融資を受けるためには市役所の担当者と一度面談を行う必要があります。

私は市役所と連絡を取り、アポを取った日にラッパーと2人で市役所を訪問しました。堅い雰囲気の市役所の中でラッパーと2人で歩くのは目を引き、恥ずかしかったですが、市役所の担当者からの質問に丁寧にハキハキと答える様子を見て安心しました。市役所の方からも「手続きを進める」という前向きな回答を得ることができました。

制度融資で無事融資実行

ほどなくして信用保証協会、市役所から審査に通過した旨の連絡があり、 無事に銀行の審査にも通過しました。最初の申し込みから2ヶ月程度の時間がかかりましたが、無事スタジオを作る資金を借りることができました。数年後、地元のレコードショップの店頭に彼のCDが平積みで並んでいたのを見たときは「融資をしてよかった」と心から思いました。

事業資金は諦めずにまず相談することが重要


事業資金は個人信用情報を確認するわけではなく、事業の実績と計画に対して審査を行うものです。しっかりとした事業計画があり、担当者からの信頼を獲得できれば、反社会的な仕事でない限りは誰にでも融資のチャンスがあります。大切なのは、自分の仕事や人間性を理解してくれる担当者との出会いです。

事業資金の審査は最終的なリスクを背負う信用保証協会が行っており、銀行は信用保証協会の保証さえつけば融資を行います。銀行に大きな決定権がないのは事実です。しかし、窓口である銀行の担当者がどれだけ「融資をする」という熱意を持って真剣に取り組むかによって融資の可否は大きく変わります。事業資金融資を受ける際には1つの金融機関に断られたからといって諦めるのではなく、自分を理解してくれる相性のよい担当者と出会うまで、複数の金融機関を回ってみましょう。

 

元銀行マンの赤裸々白書〜確定申告経験ゼロのラッパー編〜手塚大輔(てづかだいすけ)
ファイナンシャルプランナー。簿記2級。証券外務員資格。
地方銀行に8年勤務し、住宅ローン・カードローン・フリーローンなど個人ローンの他、事業性融資・創業融資など幅広い業務を担当。ファイナンシャルプランナーの資格を有する。100件あまりのフリーローン、住宅ローン数十件、その他に投資信託・個人年金・国債販売も取り扱う。現在は、飲食店のオーナーを務める傍ら、金融ライターとして大手メディアでの寄稿や監修を数多く担当。

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