幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
「お盆の三日間は、海で泳いではいけない」
子どもの頃、そのように注意された人は少なからずいるのではないか。
日本全国に似たような言い伝えが広まっているので、一度くらいは耳にしたこともあるだろう。
お盆の海に入ると、幽霊に連れていかれてしまうから……というのが、その理由である。
ここで少し注意してほしいのだが、「お盆の時期を過ぎるとクラゲが大量発生して危険だから」といった説をこれと混同してはならない。クラゲが海水浴場で目立つようになるのは、ある程度まで海水温が上昇してからであり、それがかつてはお盆過ぎの8月下旬から9月にかけてだった(もちろん地域にもよるし、近年は温暖化によって8月上旬にズレこむケースも多いようだ)。
筆者である私自身も、両親や祖母からはこの「クラゲ説」をもって、お盆から後の海に入らないよう言いつけられていた。まあ私については小学生低学年の時に一度、クラゲに刺されて大騒ぎした経験があるからかもしれないが。
これが最近では、「お盆の海に入ってはいけない」理由として挙げられる場合が多い。しかし両者はまったく別ものだ。クラゲに注意すべきはむしろお盆の三日間ではなくその後だし、現在の新暦とかつての旧暦とでは盆自体の時期も異なる。
ここでまた厄介なのが「旧盆」「新盆」という言葉の使い分けである。明治の太陰暦から太陽暦への改暦、東京など一部地域での新暦7月を盆とする慣習、それに対して日本の多くの地域では新暦8月に盆を催し、さらに故人の四十九日後に初めて訪れる盆=「新盆(にいぼん)」とも混同されてしまい……などなど、少し複雑な説明を要するので、ここではいったん全てを脇に置こう。
とにかく明治より前の日本では太陰暦7月13~15日に盆を行っていたので、この旧暦盆を「旧盆」と称させてもらう。旧暦なので、年によっては現在の新暦8月13~15日より前に来ることもあるし、9月までズレこむ年もある。
と、ここでようやく本題に入ることができるのだが。
現在でもまだ、この太陰暦による「旧盆」を行っている地域がある。
沖縄県の島々のことだ。
そこでは「旧盆」が、一年間の伝統行事の中で最も大切な日として考えられている。
そんな沖縄のとある島で生まれ育ったアキラさんの体験談を、今回は紹介していこう。
アキラさんは18歳で東京に上京するまで、ずっとその島にて暮らしていた。
そして、これは彼に限らず島民全員が、いや沖縄全土の人々が、子どもの頃からかたく注意されていることなのだが。
「お盆の三日間は、海で泳いではいけない」
両親や家族から、ずっと厳しく言いつけられていた。旧盆の時に、ご先祖様が海の向こうからこちらへ帰ってくる。しかしそれとともに、よくわからないものたちもまた、海を渡ってやってきてしまう。
旧盆の海は、いつもの海と違って、あの世とこの世とが入り混ざる危険な場所なのだ。
しかし当時、生意気盛りのアキラさんは、親の言いつけなど守る気がなかった。
その年の旧盆は、まだ八月の早い時期にあたっていただろうか。
観光客もめったに来ないような地元の海岸に繰り出すと、無人の砂浜が強烈な太陽に照らされ、白々と光っていた。誰もいない旧盆の海を独り占めしたアキラさんは、さんざん素潜りをして遊んだ。海の中はいつもと変わらず、魚たちが悠々と泳ぐ光景が広がっているのみ。
――いつもうるさく言われてるけど、お盆の海なんてなにも怖くないじゃないか。
どれだけ時間が経っただろうか。それでもまだ陽の高いうちに海を出た。
海岸を歩きながら、肌についた海水をなにげなく払っていたところで。
――あれ?
胸から腹から、赤黒いまだら模様がついていることに気がついた。よく見れば脇腹も、両足も、同じようなまだら模様がぐるりと取り囲んでいる。おそらく背中も同様だろう。
ハブクラゲに刺されたのではないはずだ。そういった腫れ方ではないし、痛みも痒みも感じない。
――まあ、日焼けだろうな。
なぜこのように点々と焼けてしまったかの理由はわからない。そういうこともあるのだろうと、この時は気軽に捉えて、そのまま帰宅した。
しかし庭先で出くわした母親は、上半身裸の息子を見るなり、いきなり大きな悲鳴をあげてきた。
なにごとかと驚いてると、
「お前!海に入っただろう!」
そう怒鳴りつけてきたのである。
体はすっかり乾いているはずだが、なぜ母がそのことに気づいたのか。
「そのアザ!それを見ればわかる!」
「いや、これは日焼け……」
「鏡でよく見てみろ!」
言われるがままに、家に上がって大きな姿見の鏡に自分の身体を映してみると。
「あっ」
その赤黒いアザは、ただのまだら模様ではなかった。よく見れば全て、同じかたちが連続しているのだ。
中心だけへこんだ楕円から、五つの細長い突起が飛び出しているような模様。
人の手、だ。
それも大きさからして、まだ幼い子どもの手である。そのあまりに小さなサイズ感によって、すぐには人の手形だと思い至らなかった。
しかし今は、ハッキリわかる。
無数の小さな手の跡が、全体としてまだら模様となるように、びっしり体中につけられている。
「今すぐ、ユタのおばさん呼ぶから!」
ユタとは、沖縄各地にて活動する民間の霊能者だ。沖縄では現在でも、不思議なトラブルに出くわしたり、不幸が続いてしまう場合など、ユタを頼って相談する習慣がいたって普通に継続している。
近所に住む叔父さんが、そのユタのおばさんを家まで連れてきてくれた。彼女はアキラさんを見るなり眉をしかめて「まあた、この子は面倒なことに」と呟いた。
というのもアキラさんがもう少し幼かった頃、彼女に「マブイを戻してもらった」ことがあったからだ。
マブイとは魂のことである。沖縄の人々はひどく驚いた時や、精神が不安定になった時、よく「マブイを落としてしまう」と考えている。マブイを落としたものは、死ぬわけではないものの、ぼうっとした状態で言葉がうまくしゃべれなくなったり、あるいは別人格となって暴れまわったりもする。
その際には、ユタに頼んでその人のマブイを戻してもらう儀式「マブイグミ」を行うのだ。方法としては、マブイを落とした場所に出向いて即物的に拾うこともあれば、呪文を唱えて遠くに落ちたマブイに戻ってきてもらうこともある。
幼いアキラさんの場合は、車にはねられた事故が原因で「マブイを落として」しまった。大した怪我ではなかったのだが、うつろな放心状態が続いたので、母親が例のユタのおばさんに依頼したのだ。
おばさんは彼と二人でトイレに入ると、室内の左右に酒と米を置いた。続いて、便器に座ったアキラさんの背中をトントンと軽く叩いた後、「古い沖縄の言葉」で神様に向かってなにごとかをしゃべり、最後にまた彼の背中をさすったそうだ。
まだ幼かったため、アキラさんはその「古い沖縄の言葉」を覚えていないが、おそらく「マブヤー、マブヤー、ウーテクーヨー(魂よ、魂よ、戻ってきておくれ)」と唱えたかと思われる。ユタがマブイグミをする際によく唱える呪文だ。
その直後、アキラさんは高熱が出て体調を崩したのだが、それが回復するとともに元の状態へと戻ったそうだ。
さて、ユタのおばさんは苦虫を嚙み潰したような顔でこちらを睨みつけてきた。その手形だらけの身体を一目見るなり、彼がタブーを破ったことを察したようだった。
「お前はまた、なんてことを!」
旧盆の海に入ったことを、壮絶な言葉の数々で詰りだした。あまりに怒られすぎたため、いったいおばさんが何を言っていたか何一つ覚えてないほどだという。
ようやく怒鳴り声も枯れたおばさんが、ぜいぜいと息を切らしてトーンダウンしたかと思うと、その場にいた叔父に向かって、
「……あんた、タバコに火をつけなさい」
奇妙な注文をつけてきた。
「タバコ?」
「あんた吸ってるでしょう。なんでもいいからタバコ出して」
叔父は訳もわからず、胸ポケットから「うるま」を取り出した。県内でのみ販売されている、いわゆる沖縄タバコの一商品であり、かつては中高年層がよく吸っているイメージだったという。
叔父はライターで「うるま」の先に火をつけて一吸いすると、次はどうすればいいのか、といった視線をおばさんに投げかけた。
「煙、その子に吹きかけなさい」
「……はあ」
ふたたび「うるま」を口に当てた叔父は、アキラさんにぴったり顔を近づけ、ふううっと煙を吹きかけた。
すると思いもよらぬ現象が起こった
その煙が当たった部分だけ、小さな手形が溶けるように消えていったのである。
アキラさんも叔父も母も、ユタのおばさん以外の全員が、その光景を驚きの顔で見つめた。
「ほら、煙、もっと」
急かされたおじさんの口から、ふう、ふう、ふう、と「うるま」の煙が吹きかけられていく。
それを三、四回も繰り返していくうち、アキラさんの全身についた小さな手のアザは、すっかり消え去ってしまったのだという。
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次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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