石山蓮華の”電線目線”~第二回 電線目線でアートを見る

今回のテーマは”美術”

超ニッチ&ディープな趣味の世界『電線』を通して、古今東西の作品の魅力を探究する本連載。
第2回目は対談企画です。
電線愛好家・俳優の石山蓮華さんが向かったのは、練馬区立美術館。
『電線絵画展─小林清親から山口晃まで─』(以下、『電線絵画展』)という前代未聞の企画展で2021年のアートファンに話題を呼んだ、同館学芸員の加藤陽介さんに会うためです。
作品鑑賞のプロ中のプロvs電線愛好家の対話は、好きなものをひたすらつきつめる苦労と醍醐味を語り合う異様な熱気に包まれました。

■石山 蓮華 (いしやま・れんげ)
電線愛好家としてメディアに出演するほか、日本電線工業会コンテンツ監修、オリジナルDVD『電線礼讃』プロデュース・出演を務める。
俳優として映画『思い出のマーニー』、短編映画『私たちの過ごした8年間は何だったんだろうね』(主演)、NTV「ZIP!」、旭化成「サランラップ」C Mなどに出演。文筆家として「RollingStoneJapan」「月刊電設資材」「電気新聞」「ウェブ平凡」などに連載・寄稿。読書とジェンダーと犬をテーマにした初の書評エッセイ集『犬もどき読書日記』(晶文社)を刊行。
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■ゲスト 加藤 陽介氏 (練馬区立美術館 学芸員)

 

電線絵画展─小林清親から山口晃まで─
2021年2月28日~4月18日 練馬区立美術館


アート界隈の話題をさらった「電線」

―― 日本美術の名品から電線が描かれた作品を中心に集めた『電線絵画展』は、決して大規模な展示とは言えないながら、SNSでも2021年ベスト展覧会に挙げる方が続出するほどの反響がありました。

石山 私ももちろん見ています。三回行って、その度に発見がありました。
いままで聞いたことのないアプローチの展覧会でしたし、何より私のための展示という感じで!
加藤 ありがとうございます。たまにそういう方がいらっしゃるんだよね(笑)。「なぜ自分の求めているものがわかったんだ」と。

出品作品より上から:
小林清親《従箱根山中冨嶽眺望》1880年 千葉市美術館
佐伯祐三《下落合風景》1926年 東京国立近代美術館寄託
岡鹿之助《灯台》1967年 ポーラ美術館

電線memo:一般的には無機質・無表情の極みとされる電線だが、作品を並べるとさまざまなシーンが描かれ、多彩な表情が見えてくる。石山氏のような電線ファンだけでなく、練馬区美の企画力を評価する声も多かった。

石山 私は特撮映画やアニメなど、いわゆるサブカルチャーの電線にばかり触れていたので、絵画のなかにも電線があるのだとはじめて知りました。
加藤 私もこの企画をやるまで知りませんでしたよ(笑)。
石山 そもそも、なぜ「電線」で展覧会をつくろうと考えたんですか?
加藤 直接的なきっかけになったのは朝井 閑右衛門(あさい かんえもん/1901-1983)の作品なんです。

朝井 閑右衛門《電線風景》1950年 横須賀美術館

石山 展示の中で「ミスター電線風景」と紹介されている画家…迫りくる感じがしますね。
加藤 すごいですよね。まずは朝井に興味を持って、この作家にとって「電線」って何なんだ? と思ったわけ。しかも画業を経るたびにだんだん煮詰まって、濃密な表現になってくる。朝井が長らく住んでいた横須賀市田浦を訪れたりして調べていると、ほかにも電線を描いている作品や作家に気づくようになってきたんですよ。
石山 好きになると感度が上がってくるんですよね。
加藤 そのうち、だんだんストーリーが見えてきた。日本絵画は西洋絵画を取り入れて発展していくのですが、電線や電柱はヨーロッパでは基本的に地中に埋設されていますから、洋画には電線はほぼ描かれません。つまり「絵画の中の電線」というのは、洋画を下敷きにしつつも「日本固有種」と言える表現らしい。これは展示のテーマとして”いける”と。


10年間の孤独な戦い

―― 開催の準備には約10年かかったとか。

加藤 通常、一つの展示には3年~5年の準備期間を設けます。だから『電線絵画展』は時間がかかったほうですね。なにしろ、電線を集めた画集なんか存在しないわけですよ(笑)。ひたすら作品を見て、過去の記事を漁って、という繰り返し。手探りで調べて、並べて流れができるのを待っているという感じでした。
石山 どんなふうに流れをつないでいくんですか。
加藤 ひとことで言うのは…難しいね。電線は誰でも知っていますでしょう。けれど、点として知っているだけです。でも時代や作家を追ってはめこむことで、点が線になる。それを見つけていくのが学芸員の仕事なんですよ。
石山 世界に新しい線を引く、意味を編んでいくようなお仕事なんですね。まわりの学芸員の方の反応はどうでしたか? 電線愛を語り合う仲間ができたりとか。
加藤 いませんよ、そんなの(笑)! 孤独な戦いですよ。美術館関係者に『電線絵画展』のために絵を借りに行くでしょ? まず笑われます。「なんで電線なんかに注目するんだ」ってね。でも展示のテーマを理由に出品を断られることはありませんでした。言われればなるほど、という感じだったんじゃないかな。
石山 10年間を戦い抜くためには何が必要だったのでしょうか。
加藤 うん、やっぱり自分が面白いと思うことを信じたんですね。もちろんすごく迷いますよ。このテーマに興味を持ってくれる人がいるのか…でも、きっと通じるはずだと自分に暗示をかけながらやる、それしかない。学芸員にとって大事なのは「見えないものを見せたい」と思えるかどうかです。


画家の目線になってみる

―― 10年で膨大な情報が集まったと思いますが、あえて2021年に開催した理由は何だったのでしょうか。

加藤 オリンピックと、それに絡んだ無電柱化の盛り上がりですね。やっぱりタイミングは大事です。
実は明治時代に日本の電化がはじまってから、ずっと電線は風景の邪魔だと言われてきました。でも現代になって地中化が進んできてはいても、都心部でも路地に入ればすぐに電線がある。無電柱化推進派という人はいるけれど、電柱推進派という人はいない。これってなんなんだろうと。それに…電柱や電線のない道って、なんとなく不安になりませんか。
石山 その感覚、すごくわかります。私も電線のない風景が嫌いというわけじゃないけれど、赤羽のような電線だらけの場所によく行っていたせいか、自分を囲んでいるという安心感があるんです。
加藤 内陸の地域に生まれた人は、風景を見渡して「山」がどこにもない土地は、どこか落ち着かないらしいですね。同じように、都市生活者にとって電線は原風景というか、一種のよりどころになっているんじゃないか。
もちろん作家にとっても例外ではなくて、日本人は非常に多くの電線を様々な意味合いで描いてきました。明治・大正では文明のシンボルとして電線が誇らしく、かっこよく見えた時代があったと思うんだよね。これが東京なんだ!という感じ。

笠井鳳斎《本郷三丁目及同四丁目の図》1907年 個人蔵

石山 東京の作家といえば、私がはっとしたのはこれです。岸田劉生。

岸田劉生《晩夏午后》1923年 ポーラ美術館

―― どこにも電線が描かれていませんが。

加藤 これは岸田が暮らしていた神奈川県の鵠沼海岸にある住まい兼アトリエからの景色で、同じ風景を繰り返し描いています。実は本来ここには電柱が立っていて、《晩夏午后》以外の作品にはちゃんと電柱が描いてあるんですよ。

岸田劉生《窓外夏景》1921年 茨城県近代美術館

電線memo:岸田劉生は東京都銀座生まれ、電線に囲まれた都心部で育った。本作は《晩夏午后》の2年前に描かれた、ほぼ同じアングルの別作品。確かに画面の中心に電柱が描かれている。

加藤 じゃあなぜ《晩夏午后》だけ電柱がないのかというと、描いている途中で関東大震災が起こり、この家が潰れちゃったからなんです。おそらく、中断されるようなかたちでサインを入れたんじゃないか。
そして、両作品を比較して想像できるのは、岸田は電柱を絵の最後に描いていたということです。そう考えると、スッと伸びる電柱を描き入れることで、絵の構図が決まる気がしてきませんか?
石山 たしかに電柱のシルエットって、風景の中に急に縦線が入りますよね。ビルのなかった頃は特に目立っていたのだろうと思いますし、画家にとって気になるのかもしれません。
加藤 うん、新鮮だったのだと思いますよ。まるでメインディッシュのようにラストに描いているくらいですから。
石山 ショートケーキの上の苺みたいですね。
加藤 すごいこと言うね(笑)。
石山 私は電線が好きですが、電柱も面白いなぁ。
加藤 そうなんですよ。1930年代には、こういう写真が出てきます。「ピクトリアリズム」と呼ばれる芸術写真。

高山正隆 《風景》1930年 東京都写真美術館

石山 あっ、これは『電線絵画展』には出品されていなかった作品ですね。
加藤 この時期のピクトリアリズムには、なぜか電柱が撮影された写真がたくさん残っています。やはり作る側も電柱を画面の構成要素として面白がっていたのではないか。
このほかにも、電柱は描くけれど電線は描かないという作家は、実はかなりいるんです。絵の中での効果が違うんでしょう。
石山 ということは、電線だけを使う作家もいるのでしょうか。
加藤 先ほどの朝井もそうですが、この桑原甲子雄の写真は意識的でしょうね。

桑原甲子雄 《夕ぐれ(桜田門付近)》 1936年

石山 この写真も出品されていなかった作品ですね。
加藤 現代作家では、阪本トクロウさんもそう。最近開かれた個展でも半数ほどは電線が描かれた作品でしたよ。
石山 なぜなんでしょう。ご本人にお聞きしてみたいですね。

阪本トクロウ《呼吸(電線)》2012年 作家蔵


出品できなかった「幻の作品」

―― ほかにも、『電線絵画展』に出品されていない電線絵画はありますか。

加藤 もちろん、色々と(笑)。これなんか面白くない?

小茂田青樹 《月島》 1915年 青梅市立美術館

石山 月島なんですか。引き込み線まで細かく描いてありますね。
加藤 この執拗さはすごいよね。
あとは、小澤秋成という画家もすごい。台湾の風景を非常に多く描いていて、ほとんどの作品に電柱が登場するとか。「電信柱の研究においては右に出るものはない」と書かれているほどです。

1932年7月19日・台湾日日新報記事より

石山 そんな人がいたんだ。
加藤 相当に惚れ込んでいたと思いますよ。
これは山崎覚太郎の漆絵。戦前の作品ですが、夏の日の何気ない空を屏風絵にしている。私たちが感じる電線の風景ってこれに近いでしょう。

山崎覚太郎《空》1950年 『日展100年』より

石山 最近の絵と言われてもまったく違和感がないですね。
加藤 出品作家の中にも、展示がかなわなかった作品があるんですよ。玉村方久斗。

玉村方久斗《碍子と驟雨》1943年 京都国立近代美術館

石山 これ覚えてます! 「碍子」ですよね。

―― これは、かなりインパクトがある掛け軸ですね。

加藤 見てほしいのは玉村のこの屏風絵で…。
石山 うわっ、これはすごい!!

玉村方久斗《風神雷神》 1940年頃 雑誌『美之國』より

(同作品・部分)

石山 これも碍子の描写が緻密ですね。かなりよく見ないと描けなそう。すごく興味があったんですね。
加藤 かっこいいでしょう。屏風のワイドな画面に思い切り描いている。
石山 スケール感がありますね。音が聞こえてくるようです。小澤秋成のように、電線や電柱を好んで描いた画家なんですか?
加藤 いえ、作品数としては決して多くありません。玉村は京都生まれ、東京で活動した日本画家で、当時はかなり売れっ子だった描き手。弟子もいます。
石山 ということは、誰かに依頼されて描いた? 当時も電線ファンがいたのかも…
加藤 その可能性はある。しかし、私は売り物として描いた絵ではないと考えています。というのも、この絵は作家がずっと持っていた作品らしいんだよね。電線や碍子は流行りのモチーフではないし、こうした画題は弟子にも継承されていないんです。つまり玉村がただ描きたかったのではないか。
石山 なぜ《風神雷神》は出品できなかったのですか。
加藤 見つかってないんですよ、この絵。この戦前の美術雑誌の画像が残っているだけです。おそらく、戦災などで焼失したんじゃないか。
石山 幻の電線絵画なんですね。
加藤 そういうことです。
最後に、これはどうでしょうか。動物画で有名な長沢芦雪。スズメが電線にとまっているように見えるけど…。

長沢芦雪《群雀図》 1786年 成就寺蔵(重要文化財)

石山、えっ、これ電線じゃないんですか?
加藤 だって江戸時代の絵ですから(笑)。竹の枝か何かじゃないかと思う。でも私たちには電線にしか見えませんよね。その「目線」って何なんだろうと考えるのが面白い。この絵はちょっと展示してみたかったかな(笑)。


電線目線で「エヴァ」を語ってみる

―― 展示されなかった電線絵画というところで話を広げますが、コミック・アニメ・映画などサブカルチャーのなかの電線を展示に含めることは考えなかったのでしょうか?


加藤 たしかに「サブカル」って言葉じたいもうほとんど死語で、アートの文脈にも居場所がある。実際、美術展に入れ込む例もたくさんありますね。でも私は『電線絵画展』はあえて王道の美術作品だけでいこうと決めていました。サブカルを混ぜるとどうしても引っ張られてしまうんですよ。それは私がやりたい世界とは違うものなんです。
SNSでは「エヴァ」入れたらいいのに…って結構言われたけどね(笑)。
石山 そうなんですね。私は『ヱヴァンゲリヲン』シリーズも大好きだし、特撮の中に登場する電線も好きなんですが、加藤さんはあまりアニメは見ませんか?
加藤 もちろん見ますよ。特撮にも電線は欠かせない要素でしょう。『ゴジラ』は電線をバチバチと踏みちぎっていきますね。
せっかくだからその話しましょうか(笑)。

監督:庵野秀明『シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版』シリーズより  ©カラー

加藤 やっぱりアニメで電柱や電線を使う作家といえば、庵野秀明さんだよね。でも私から見ると、庵野さんは「代表」じゃなくて「特殊」なんですよ。その特殊性ってなんなんだ、ってことが本来は大事なはずだと考えています。
石山 特殊というのは?
加藤 『エヴァ』の電線の扱いっていうのは、一周回った面白さなんですよ。私は松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』や富野由悠季の『ガンダム』シリーズの世代。そこに描かれていた未来って、宇宙が舞台で、つまり重力がなくて、何より「電源」を考えていない世界なんです。
石山 たしかに。
加藤 電源の問題は原子力が出てきたときにいったんクリアされました。原子力潜水艦は、一度動き出せばずっと止まらない。その性質は『鉄腕アトム』以降の内燃機関搭載型のロボットに反映されていきます。

©手塚プロダクション

電線memo:「鉄腕アトム」内部。原子力エンジンが動力源となっているのがわかる。ちなみに「ドラえもん」も連載当初は原子炉を内蔵しているという設定だった(現在は削除)。

加藤 でも『ヱヴァンゲリヲン』はどうでしょう? 背中に巨大なコンセントのようなケーブルを差して、電力で動かしますよね。『ガンダム』世代の私からすると、わざわざ有線で電源をとってストリートファイトするロボットは、古いからこそ、新しく見えます。風景の中に頻出する電線・電柱も、クリアされたはずの電源のシンボルだと言える。
石山 そういえば「ヤシマ作戦」なんてまるっきり電源の話ですよね。SF的な視点から見ると、一周回っている面白さ…確かに特殊かも。
加藤 実をいうと、私はそういうところがキライなんだけどね。これ見よがしでさ(笑)。
石山 私は、あの重たいケーブルが街をバウンドしていくのがたまらないです(笑)。自分のいる世界の重力と、ケーブルやロボットの機体にかかっている作品世界の重力が、地続きなのだと感じて興奮するじゃないですか。

―― 例えば、松本零士などの漫画家は電線を描いていたんでしょうか。

加藤 それは面白い視点だと思います。松本零士の世界には2パターンあるんですよ。ひとつは『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』の宇宙。それと『男おいどん』や『大四畳半大物語』の、すごく地に足がついている世界。その間で独特のバランスをとっている感じがある。『男おいどん』では電線はあってしかるべきだし、『ヤマト』にはなくてしかるべきですね。実際はどうなんだろう。
石山 描き分けてるのかも。
加藤 松本作品の中で電線が出てくる地点があれば、そこが重力と無重力の境目だと思う。今後の連載の企画にどうですか(笑)。
石山さんの連載の第一回目は松本大洋がテーマだったけど、大友克洋や宮崎駿はどうかなども気になりますね。彼らはみなフランスのメビウスというアーティストに強い影響を受けたことを公言していますが、欧米には電線はほとんどないから、きっとメビウスも電線は描いていないでしょう。電線という日本固有の風景は、SFの未来観にもつながるモチーフです。
石山 読み込むのが大変そうです…。でも、掘ってみたらとても面白そうですね。

メビウス『アンカル』より 出典:amazon

 


美しさは普遍的なものではない

―― 映画のなかの電線表現はどうですか。

加藤 これなんか美しいと思わない?
石山 すごい…。これ、何ですか?

監督・脚本:テオ・アンゲロプロス 『こうのとり、たちずさんで』 1991年

加藤 『こうのとり、たちずさんで』。ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督です。このシーン、ストーリー的にはほとんど関係ないんだよね。
石山 何のシーンなんですか?
加藤 電線の敷設の研修だと思う。日本の電力会社にも同じ目的の施設がありますよ。それにしても、こんなシーンがいきなり出てくる。ギリシャって電柱あるのかな。ギリシャの人にとって電柱はどう見えていたのか。
石山 アメリカ映画の劇中には木柱などをたまに見かけますね。ヨーロッパ映画にはあまり見ない気がします。
加藤 でもドイツ映画の『バグダッド・カフェ』には、なんとなく電線も映ってそうじゃない? あの有名な給水塔を見る視点は、電線に向ける眼差しとも近い気がするんだよね。
石山 『給水塔絵画展』ができるんじゃないですか(笑)。

監督:パーシー・アドロン 『バグダッド・カフェ』 1987年 西ドイツ

加藤 ほかには『ブレードランナー』なんかどう? 香港のような猥雑な都市を近未来のモデルにしているから、電線を扱っていてもおかしくはない…。監督のリドリー・スコットは『ブラック・レイン』で大阪ロケをしていたはずだし、電線を撮っているかもしれない。
石山 気になります。『ブレードランナー』と新作『ブレードランナー2049』を比べたら電線があるのかとか。新作は、フラットでつるりとした無菌室のような空間が印象的で、旧作はごちゃっとしたサイバーパンクっぽさというか、繁華街のような猥雑さが素敵でした。

監督:リドリー・スコット『ブレードランナー』1982年 アメリカ・香港

加藤 新作のほうは、なんとなく無線化されているイメージがありますね。
石山 それはちょっと寂しいかも。私は押井守の『攻殻機動隊』に憧れて、体にケーブルを繋いだ写真を撮ったことがあるくらい、有線が好きなので(笑)。

監督:押井守 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 1995年 日本

加藤 その感覚って、どこから来たんだろうね。
石山 子供のころ、街の中や電車の窓から見える電線のリズムが生き生きと動いているようで、きれいだと思ったんです。それに、電線はその先にある人々の生活を想像させるから。
加藤 それはいいですね。先ほどの無電柱化の話にも繋がりますが、現実世界でもwi-fiなど無線技術が普及してくるにつれて、フィクションのなかでもどんどんケーブルがなくなっていく。それは仕方のないことではあるかもしれないけれど、邪魔だと切り捨てるのではなく、その意味や美しさを考えたい。この展示でも伝えたかったことですが、美は普遍的なものではないですから。
石山 ちなみに『電線絵画展』パート2は?
加藤 考えてません(笑)。やっぱり初発性ですよ。
石山 では、よろしければまた連載に協力してください(笑)。

 

取材・文:ケムール編集部

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