石山蓮華の”電線目線”~第三回 電線目線で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見る

© Universal Pictures

今回のテーマは”映画”

超ニッチな趣味の世界「電線」を探究する電線愛好家・俳優の石山蓮華さんが古今東西の作品から電線を発見していく本連載も第3回。1回目は「マンガ」、2回目は「美術」と、およそ電線とは関わりなさそうな作品を独自のマニアックな視点=「電線目線」で解読してきました。今回は誰でも一度は観たことがあるはずの「あの」ハリウッド大作が「電線目線」のターゲットに――。


■石山 蓮華 (いしやま・れんげ)

電線愛好家としてメディアに出演するほか、日本電線工業会コンテンツ監修、オリジナルDVD『電線礼讃』プロデュース・出演を務める。
俳優として映画『思い出のマーニー』、短編映画『私たちの過ごした8年間は何だったんだろうね』(主演)、NTV「ZIP!」、旭化成「サランラップ」C Mなどに出演。文筆家として「RollingStoneJapan」「月刊電設資材」「電気新聞」「ウェブ平凡」などに連載・寄稿。読書とジェンダーと犬をテーマにした初の書評エッセイ集『犬もどき読書日記』(晶文社)を刊行。
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美容室にて

昨年末、役作りのために初めて髪を染めた。
ヘアカラーは、薬剤の割合や反応させる時間を計算して行う化学実験のようなものだ。
美容師さんがいくつかの薬剤を混ぜ合わせ、私の髪にペトペトと塗り、色が変わるのを待つ。
ヨーグルトのような質感の薬剤を流すと、髪の根元は計算通りに色が抜けた。けれど、以前パーマをかけていた毛先のほうはなぜか黒いままだった。
最終的にかかった時間は、なんと5時間半。ブリーチなしのヘアカラーは通常2、3時間くらいで完了するはずだけれど、計算外のことが起こり、ああでもない、こうでもないとやり直す間に時間が経ってしまったのだ。


『Navy Pier 埠頭にて』2021/12/18〜12/26  会場横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール(画像:Twitterより)

美容師さんとの世間話がひと回りした頃、鏡の横に備え付けられたモニターでは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がかかっていた。
私には時間がたっぷりあったし、チャンネルの選択権もなかったので(言えば変えてくれたのだろうけれど)最初から最後まで2回続けて観た。
それで確信した。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は電線映画である。

 

監督:ロバート・ゼメキス 1985年・116分(アメリカ)

私の頭の上で人生初の化学反応(それも時間がカギ)が起こっている最中、モニターの中では高校生のマーティと発明家のドクが”時間と化学”を巡り大冒険している。
クライマックスでは真っ黒な電線に電流が走り、ビカビカと光って燃えた。今まさに、私の黒い髪も電流が流れたように明るく脱色されている。子どもの頃もなんとなく観たことのあった映画だけれど、その時の自分とは妙にリンクしているような気がした。
それにしても、二回続けて観てもこんなに楽しめる映画があったとは。
もしかしたら、美容室で観るのにこんなにぴったりの作品はないのかもしれない。
今回は、電線目線で『バック・トゥ・ザフューチャー(以下BTTF)を観てみよう。

【あらすじ】
主人公マーティ・マクフライは、スケボー・ペプシ・ロックの好きな17歳の高校生。
キッチンドリンカーの母と、飲酒運転をして自分の車を壊した上司・ビフ(に文句ひとつ言えない気弱な父、パッとしない兄弟たちと一緒にカリフォルニアの小さな住宅街・ヒルヴァレーで暮らしている。
ある日、マーティは親友である科学者のエメット・ブラウン博士=通称ドクが発明したタイムマシン「デロリアン」の実験に立ち会うが、その際にタイムマシンの燃料となるプルトニウムを取引した相手から襲われ、ドクは銃殺されてしまう。マーティはその場から逃げようとデロリアンに乗り込み、1985年から30年前の過去へタイムスリップする。
たどり着いた1955年で、マーティは若かりし頃の両親と出会う。
若い二人は、マーティと同じ高校生だった。しかしマーティは、両親が交際するきっかけになった出来事を変え、母親から好意を寄せられてしまう。このままでは、両親が結婚することもなく、自分も未来で生まれることができない。
両親の恋愛に巻き込まれて存在の危機に瀕したマーティは、30年前のドクと協力しながら、あの手この手で二人が元どおり結ばれるよう、そして未来へ戻れるように奮闘する。

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『B T T F』シリーズは物語のテーマとなる時間軸の線をはじめ、電線、スポーツカー、タイヤ跡、蒸気機関車の線路など、さまざまな線で編まれた物語だ。
その中でも、電線にスポットライトが当たるのはシリーズ一作目である。
マーティは紆余曲折ののち、両親の仲を結んで存在の危機を脱する。
でも問題は、どうやって30年後の未来に帰るかだ。1955年へやってくる時には、デロリアンに載せた小型の原子炉とドクが入手したプルトニウムを使ってタイムスリップしている。しかし、1955年当時の世界で(今でもそうだけれど)プルトニウムを手に入れるのはまず不可能だ。
そこで、マーティとドクはタイムマシンに必要な電力を街の時計台に落ちる「雷」でまかなおうとする。
作中でタイムスリップに必要とされる電力は1.21ジゴワットとされている。(ちなみに「ジゴ」は脚本家(ボブ・ゲイル)が単位を表す「ギガ」をタイプミスしたものだとか)
1.21ジゴワット(ギガワット)は、121万キロワット。
落雷で起きる瞬間的なエネルギーは、「落雷の際の電圧を約1 億ボルト、電流を20万アンペアとして計算すると、雷のエネルギーは、200億キロワット」(日本科学未来館H Pより)。時計台に落ちた雷をデロリアンの次元移転装置に給電してタイムスリップするのは不可能ではないはずだ。

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そして、この巨大な電力を配電するものこそ、我らが電線だ。
後半のクライマックスとなる時計台のシーンでは、二人を取り囲むように電線が張られ、電線がつながるかどうかに未来が懸けられるのだ。

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1985年から来たマーティは未来でドクが銃殺されることを知っている。その悲劇を避けようと、未来について書いた手紙をドクの上着のポケットにそっと入れていた。ドクはそれに気付く。

ドク(手紙を手に持って)「これは?」
マーティ「30年後に分かる」
ドク(頭を抱えて)「未来のことだな。未来の出来事がここに?言っただろ?未来を知ることは危険だ」
マーティ「でも、あんたの生死にかかわることだ」
ドク「断る!こういう責任は負いたくない(手紙をビリビリに破る)」
マーティ「なら、口で言うよ!」ドク、両耳をふさぐ。

そのとき、落雷で木が折れ、セッティングしていた電線が外れてしまう。時計台に登って、デロリアンに給電するための電線をかけ直そうとするドク。嵐の中、足元は不安定でいつ落ちてもおかしくない。

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ちなみにドクが持っている電線は、送電線に使用するアルミ線などの被覆のない裸線に見える。この後ドクが感電するカットがあるが、どういう訳か彼は生き延び、30年後に無事タイムマシンを完成させる。

このシーンは、元どおりの未来へ帰るために電線を繋ぎ直すやり取りと、未来を変え、別の時間軸が生まれてしまう危険をはらんだ対照的なやり取りが同時に起こり、緊張感を増している。
全116分の作中で、時計台から電線を繋ぐ一連の場面におよそ10分が費やされている。映画の中でフォーカスされる電線といえば、時限爆弾を解除するために配線された電線のどちらを切るか…という映画的クリシェがあるが、この作品では途中で切れてしまった電線をつなぎ直すことができるかどうかで人をハラハラさせる。それはこの映画における「電線」が、元の生活へ戻るための「生命線」となり、元の「時間軸」に繋がる線になり、ひいては「家系図」としての線を意味しているからではないか。

「線」を辿り/繋ぎ直す物語

 

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』
監督:ロバート・ゼメキス 1989年・108分(アメリカ)
30年後=2015年の未来にタイムスリップする第2作。

これだけ電線にフューチャーされていた『B T T F』だが、続く『P a r t2』ではバナナの皮、ビール、アルミ缶などの家庭ごみを燃料にした発電装置が開発される。燃料問題から自由になったデロリアンは宙を飛び、電線でこんなに引っ張られることはない。
電線愛好家としてはちょっと残念だけど、スポーツカーであるデロリアンのボンネットの中にはケーブルを束ねたハーネスが血管や神経のように張り巡らされているはずなので、自動車の登場する映画はおしなべて電線映画と言ってしまっていいのかもしれない。
マーティは直線状につながった時間をスポーツカーやスケボーで行き来しながら、ドクの繋いだ電線でデロリアンを走らせ、アスファルトに燃えるタイヤ跡の真っ直ぐな線を引く。
BTTFで物語を動かすのはスポーツカーやスケートボードのタイヤで描かれた軌跡、あるいは機関車のために引かれた線路だ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』
監督:ロバート・ゼメキス 1990年・118分(アメリカ)

二人が1885年の西部開拓時代にタイムスリップした『Part3』では、鉄道の「線路」にスポットライトが当てられ、線路から加速して未来へ戻る。その戻る場所もまっすぐな橋の上に引かれたレールだ。

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マーティが辿るのは家系図の中に組み込まれた時間の線(タイムライン)であり、アメリカ史の一部である。
一作目で、両親となる人物の交際がそのままマーティの「発生源」になる。開拓時代に戻れば先祖は自分と同じ顔をしていて、その妻が母親と同じ顔をしている。その「血縁」はとにかく分かりやすく、観客にとって親切な作りだ。
この分かりやすさは、マーティが行ったり来たりする時間の外で起こること(たとえば両親となるカップルの心変わりや環境の変化)は特に想定されないことと、二人が交際を始めれば自動的に結婚し、マーティも自動的に生まれるというシンプルな考え方に依っている。

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この家系図は、スイッチがオンになると回路が繋がり、電球に灯りのつく回路図のようにある種メカニカルで、そのシンプルさは「電線が繋がれば未来に戻れる」という一作目で提示された巨大な化学実験の電気回路を思い出させる。

 

「BTTF」マクフライ一族の家系図(出典:Wikipedia)

「線」の上から降りる勇気

三部作通して、マーティが命がけで辿る線は地元に根ざした家系図だ。
一作目の冒頭で、マーティと校長のストリックランドの間にこんなやりとりがある。

ストリックランド「あのおやじの息子が(高校のダンスパーティのバンドのオーディションに)選ばれるはずがない。マクフライ家の人間は代々落ちこぼれだ」
マーティ「僕が変えてみせます」

映画の中で起こる事件は、ほとんどがマクフライ家とライバル関係にあるタネン家との確執を再生産したものだ。『B T T F』は間違いなく映画史に残り続ける名作に違いない。ただ、女性と男性が結婚し、子供をもうけて次の世代へ家をつないでいく……という感覚は、今観ると古さを感じた。この映画で提示される線は、明らかに家父長的な家系図だからだ。
女性キャラクターはあくまでも、男性キャラクターが主導して引いていく線の結節点として登場し、運転席には乗れず、ハンドルを握ることもない。

Part3の後半、様々な冒険を経たマーティは、悪友たちから自動車チキンレースへ参加しろと挑発され、あえてコースを逆走し、「男らしさ」の競争に乗らない選択をする。


引かれたレールを辿るだけでなく、人生を自分の手で描き、未来を作るというメッセージは現在でも感動的だ。だからこそ、『BTTF』ではハンドルを握ることなく、自分で線を引けないヒロインたちの存在が小骨のように刺さっている。
B T T F3のラストシーン。まさに本作が「線」の映画だと、台詞によって提示される。マーティとジェニファーの前に、機関車型のタイムマシンに乗って現れるドクと家族たち。

ジェニファー、未来のマーティの解雇通知を手にしている。
ジェニファー「ブラウン博士。未来から持って帰ったら、文字が消えたわ」
ドク「もちろんだとも!」
ジェニファー「なぜなの?」
ドク「人間の未来はすべて白紙だっていうことさ!未来は自分で作るのだ。君らもいい未
来を作りたまえ。」

B T T Fは、ひたすら自分の手で線をつなぐ映画なのだ。

先日、デロリアンが今年中に電気自動車として復活する可能性があると発表された。
いつかタイムスリップが発明された時には、ヘアカラーも一瞬で終わるかもしれない。

 

文:石山蓮華

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