古舘伊知郎“タバコVS人間「名勝負数え唄」” 名実況・報道のウラに愛煙家の苦悩と感動が! 直撃取材「#たばこのことば」

愛煙家の方々がけむりを通して見えたもの・考えたことを語る直撃取材です。今回の愛煙家は、フリーアナウンサー・古舘伊知郎氏です。

さあ、いよいよこの時がやって参りました。
たばこメディア「ケムール」のリングに、あの超大物アナウンサーが参戦するわけであります。
果たして、いったい我々に何を語ってくれるのか。そして、なにをもたらしてくれるのか…。
いやおうなく緊張感が高まる中、いよいよゲストが入場して参りました!
そう!! 今回のゲストは、古舘伊知郎さん!

自身のLIVE「トーキングブルース」より
9/1.2.3開催!チケットはこちら▶https://talkingblues.jp/

テレビ朝日で今も放送されている新日本プロレス『ワールドプロレスリング』の実況アナウンサーとして、ファンの脳裏に焼きつく言葉で昭和のプロレスブームを盛り上げた。
アントニオ猪木、藤波辰爾、長州力といったスターレスラーが繰り広げた死闘を、『古舘節』と共に思い出す人も少なくないだろう。
さらにはNHKの『NHK紅白歌合戦』の司会、2004年~2016年にはテレ朝の看板番組『報道ステーション』のメインキャスター(アンカーマン)。
自民党から民主党への政権交代、東日本大震災、自民党の政権奪還といった歴史的な出来事をお茶の間に伝えた。

その活躍はテレビにとどまることなく、現在は自身のYouTubeチャンネルを開設。ロシア・ウクライナ戦争について語ったかと思いきや、レジェンドレスラー前田日明をゲストに招いてプロレストークを繰り広げたりと、その活動は多彩そのものだ。

これだけ幅広い分野に精通したアナウンサーは、日本広しといえども古舘さん以外にない。
そしてーー…非常にタバコに縁が深いという。
そ、そうなのか!?
喫ってる銘柄は? 印象に残る愛煙家は? 日本最強の言葉のプロフェッショナルが語るタバコエピソードをぜひ聞きたい!
ケムールのような超ニッチメディアにとってはスタン・ハンセンに出演オファーをかけるくらいビビる。でもここは行くしかない!

しかし、ここで読者にお伝えしておかなければならないことがある。

ーー古舘さん、今はたばこをほとんど喫っていないのだという。

……え? どうなる??

”口元の七夕”

ーー 古舘さん、いまは禁煙されているとか。

古舘伊知郎 ええ、日常的にはぜんぜん喫ってないですね。頻度としては、年に8回ぐらいかな。たばこをいちばんよく喫っていた時期は、1日に2箱は喫っていました。40本ぐらいですね。そんな喫い方がずいぶんと変わりました。
でもね。じつは、ケムールの取材があるということで久しぶりに喫ってきたんですよ。

ーー そうなんですか!それは本当に光栄です。

古舘 行きつけのお店でね、久しぶりにセブンスターを堪能してきました。
一本だけなので、自分で買ったんじゃなくてもらいタバコです。顔馴染みのマスターに「一本ちょうだい」と。
いやあ、久しぶりに喫うたばこはやっぱり美味しいですね。僕はたばこという女性と40年間いっしょに暮らしてきたようなものですからね。しかも、嫌いで別れたわけじゃない。

ーー むかし好きだった女性と久しぶりに会ってきた感じ…ということは完全に卒煙したわけではない?

古舘 たばこは、今の僕にとって「口元の七夕」なんですよ。
織姫と彦星みたいに、いつもは別々に暮らしているけど、本当に限られた時にだけ会えるというね。
ちょっと珍しいスタイルかも知れないですけど、こういうのも良いなって思っています。

ーー (さすが『古舘節』…こんなふうにタバコを表現するなんて…!!)たしかに珍しいです。「口元の七夕」に行き着くまでのお話をぜひ聞かせてください。

たばことの最初の出会いは祖父のキセル

古舘さんは東京都北区で育った。

ーー 古舘さんの「たばこ初体験」から伺ってもいいですか。

古舘 幼稚園に通ってた頃ですね。

ーー え!?

古舘 もちろん、その頃からたばこを喫ってたわけじゃありませんよ(笑)。でも、禁煙とか分煙とは無縁の時代ですからたばこは今よりもずっと身近でした。

幼少期の古舘さん。周りの大人はみんなタバコを喫っていた。

 古舘 僕の祖父母が自営業をやっていたんですよ。事務所と自宅がいっしょになっているような小さな会社です。僕は祖父母のところでよく遊んでいて、そこで祖父の持っていたキセルを見つけたんですよ。

ーー 煙管(キセル)ですか。

古舘 そう、時代が時代ですから、パイプじゃなくて、キセルです。好奇心旺盛な子どもだったので、そのタバコの入っていないキセルをちゅーちゅー吸ってみたりするわけです。すると、口いっぱいにたばこのいい香りが広がる。
それが出会いでした。いくらあの時代だからって、祖父母に見つかったら「子どもがそんなものを」って怒られたと思いますけどね(笑)。
両親もたばこは喫っていました。まだフィルターつきのたばこが主流になる前で「しんせい」「いこい」を喫っていた記憶がありますね。

 

出典:まんだらけ通信販売

古舘 あの頃はまだ「女がたばこを喫うなんて」みたいに言う人もいましたけど、母親としては「私はお父さんと違ってお酒は飲めないし、せめてたばこぐらい喫ってもいいじゃない」みたいに思っていたかもしれません。でも、やっぱり妊娠中は我慢しないとと思ったんでしょうね。僕がお腹にいるときはたばこ屋さんの前を目を閉じて通っていたらしいです。あの時代、たばこは本当に身近な存在でした。

高価なアイテムに凝りまくった青春時代

ーー たしかに、どこでも喫えた時代がありましたね…。今思えば喫煙者に優しすぎると思えるほどです。

古舘 そう。今とはぜんぜん違いますよね。だって、高校2年とか3年になったらたばこ喫い始めるんですよ(笑)。
当時も高校によっては厳しかったのかもしれませんけど、僕の通ってた高校はそうじゃなかった。学ラン着たままたばこ喫ってたやつがいましたから(笑)。
それを先生に見られても、先生も特に怒ったりしない。今なら絶対に停学とかになってるでしょうね。良くいえばおおらか、悪くいえばいい加減な時代でした。

でも時代も少しずつ変わってきた。高校生か大学生の頃になると、映画館にも「禁煙」という看板が掲げられるようになったんですよね。
でも、みんな禁煙のルールを守らないんです。映画を観ながらプカプカたばこを喫っているんです。すぐ近くに「禁煙」って書いてあるのに、そのすぐ横で平気で喫っている。
もくもくとした紫煙の中に「禁煙」という文字が浮かび上がっているというのは、なんとも皮肉な光景ですよね。

ーー 当時、タバコにはどんな魅力を感じていましたか。

古舘 やっぱり、カッコよかった。これはモテる! と思ったんですね。いかした車に乗ってたばこを喫っていればモテると勝手に思い込んでいました。
でもたばこなら何でもいいわけじゃなくて、ちゃんとこだわりがあったんです。「男は重めのたばこじゃなきゃ」。そう決め込んで、ハイライトショートホープを喫って…。

 

出典:https://used.heapidle.za.com/index.php?main_page=product_info&products_id=31300

ーー ライターにもこだわりはありましたか?

古舘 もちろん。大学生のときにカルティエデュポンのライターを使っていましたからね。今はもう使い切りのライター全盛の時代になっていますけど、当時はぜんぜん違いました。
金属のライターってね、火を点けると”カチン”と良い音がするんです。その音を聞いた女の子は僕に惚れちゃうんじゃないか?って。結果的にはぜんぜんモテなかったわけですが(笑)。

アナウンサー業界の喫煙事情

プロレス実況中の古舘さん。たばこを喫うその口から数々の名実況が生まれた。

ーー 1977年にテレビ朝日に入社。アナウンサー時代も喫っていましたか?

古舘 ええ。当時のアナウンサーは喫煙派と禁煙派で完全に二極化していたんですよ。男女問わず、喫う人と喫わない人にはっきり分かれるんです。たばこをバンバン喫いまくる先輩もいれば、逆に全く喫わない人もいました。僕は喫煙派。

ーー 二極化ですか。

古舘 そこにもアナウンサーとしての矜持のようなものがあったんですよ。禁煙派のアナウンサーは「たばこなんて喉に悪いものをやるなんてプロ失格だ」という感じ。逆に喫煙派は「喉に悪いからってたばこを辞めるようなら、実況をやめちまえ」って言ってましたね。ヘビースモーカーの先輩は競馬・野球実況もやる人で、すごく喉を酷使するわけです。でも、たばこが大好き。
これに関しては、どちらが正しいというものではないと思いますよ。

ーーたばこを喫う・喫わないに正解はないと。

古舘 そう。個人の問題ですからね。ただ単に「あなたはどっちを取るの?」という話であって、正解があるようなものじゃないです。

アントニオ猪木さんの愛した葉巻

1985年ごろ、フリーアナウンサーに転身したばかりの古舘さん。テーブルに置かれているのは灰皿いっぱいの吸い殻。

ーー 古舘さんといえば、やはりプロレス実況です。ロレスラーにも愛煙家はいた?

古舘 プロレス実況を通じて、素晴らしい出会いがいっぱいありましたね。プロレスラーはね、 葉巻が好きな方が多いんですよ。全日本プロレスのジャイアント馬場さんも葉巻が大好きでした。

ーー たしかに、葉巻といえば馬場さんというイメージです。

古舘 アントニオ猪木さんも、引退してから葉巻を喫っていましたね。格好良かったなあ。あの立派な顎で太い葉巻を喫う姿が本当にサマになっているんです。

引用:我が道_アントニオ猪木(スポニチアネックス)

 古舘 猪木さんが喫っていた葉巻はモノが違いますよ。本物のキューバ葉巻ですからね。猪木さんはキューバのカストロ議長と仲が良かったから、本当に当時貴重だったキューバ葉巻を手に入れることができたんです。

ーー それはすごい!

古舘 猪木さんって人並外れてアドレナリンが出まくっているような人なんですよ。だからこそあんなに闘えたわけです。葉巻を喫って落ち着いて、ちょうどバランスがとれていたんじゃないですかね。
私も一緒に喫わせてもらったことがありますよ。私は葉巻と煙草を交互に喫って「やめなよ」って言われたなあ。ゆっくり燃える葉巻は鎮静効果がある。一方で紙巻はさっと覚醒させる効果。私は両方喫ってバランスを取りたかったんですが(笑)。

『禁煙』という時間無制限一本勝負

ーー お話を聞いていると、まったく禁煙の気配がありませんが……。

古舘 たばこをやめたのは、もう10年ぐらい前ですかね。でも「たばこ、やめなきゃいけないかな」というのはもっと以前から考えてはいたんです。はじめは40過ぎぐらいのとき。きっかけは、ハイトーンの声が出しにくくなったことです。僕は声を使って商売をしている人間ですから、どうしてもそういうところには敏感になってしまう。それで、いよいよ禁煙かな…と考え始めました。
それから、亡くなった姉の存在も大きかった。私の姉はまだ若いのに癌になってしまって、可愛い子供を残して亡くなってしまったんですよ。子どものことが心配で仕方なかったと思います。自分も健康を意識するようになりました。

ーー 禁煙にはどんな方法を試したんですか。

古舘 かなり色々と……。今でいうニコチンパッチも日本で一般的に流通する前から試してました。欧米人基準で作られているから、ニコチンの含有量が半端ないんですよ。たばこを喫い慣れている僕でも貼ると気持ち悪くなっちゃうぐらいのニコチンが入っている。さすがにある程度の効果があったみたいで1週間ぐらいはたばこを喫わずに済みました。でも、タバコ好きな仲のいい構成作家に勧められちゃって…….ダメですね。流されて喫ってしまいました。

ーー わかります。飲みの席で喫っている人がいたりすると我慢できなかったり…すぐには成功しなかったんですね。

古舘 ええ。その時に思ったのは、人はニコチンが欲しくてたばこを喫うんじゃないんだなと。だって、気持ち悪くなるぐらいのニコチンパッチを使っていても喫ってしまうんだから。これってどういうことかといえば、やっぱり「煙」を出したいわけですよ。たばこを唇で挟んだときの少し冷たい感覚、カチンというライターの心地良い音、そして何よりもたばこの煙をゆっくりと喫いこんで吐き出すときの感覚。これですよね。

ーー 魅力がわかっているだけに、離れがたいですね。

古舘 だからなかなか禁煙チャレンジはうまくいきませんでした。試していくなかで、たどりついたのはファイザーの「チャンピックス」という薬です。

ーー 禁煙薬の王道ともいえる薬ですね。効きましたか?

古舘 僕には効果的でしたね。チャンピックスの力を借りて、どうにか禁煙することができたんです。

東日本震災と”もらいタバコ”

「報道ステーション」アンカーマン時代。12年間にわたりメインキャスターとしての大役を果たした。

ーー それは良かったですね。それから「口元の七夕」になっていくわけですか。

古舘 いえ…ところが、ある時期を機にタバコが復活してしまうんです。

ーー ある時期とは?

古舘 2010年まではしっかり禁煙できていました。自分でももう大丈夫だろうと思っていた。そんなときに東日本大震災が起きたんです。

ーー あ…2011年3月11日。

古舘 地震の瞬間、僕は用事があって原宿にいました。
「これは絶対に『報道ステーション』で特番があるからスタジオに行かなきゃ」って本能的に六本木にあるテレビ朝日へ向かっていました。局に到着しても、当然エレベーターは止まっている。非常階段を使ってスタジオ入りしたことはよく覚えています。
それからは、本当に大変な日々が始まりました。連日ずっとスタジオで悲惨な災害の状況を伝え続けるわけです。真っ黒な津波が押し寄せる映像を何度も見ました。被害にあった市町村名の読み方が分からないなんてこともありました。まさか自分が「被害にあったこの町は、何々町とお呼びするんでしょうか?」なんて口にする日が来るなんて想像もしていませんでしたよ。

ーー 日本人であれば誰でも、忘れたくても忘れられない数週間です。

古舘 肉体的にも精神的にも追い詰められました。
僕はね、昔は「緊張する本番前にはタバコ、緊張から解放された本番終わりにはタバコ」という習慣を続けていたんです。東日本大震災によって、今までにないような緊張を味わい続けた僕は、そんな昔の感覚を思い出してしまったのかもしれない。
…番組が終わってやっと帰れるというある日、隣にいたマネージャーに「一本ちょうだい」と言ってしまったんですよね。マイルドセブンでした。

マイルドセブンがメビウスにブランドを買えるのは2013年。

古舘 そこからはまた日常的にたばこを喫うようになって、僕の禁煙は途切れてしまったんです。

”自分にはたばこを喫う資格がない”

ーー (禁煙エピソードが濃すぎる…)それからはタバコ再開ですか。

古舘 大震災のときから再開したたばこなんですが、ついに人間ドックに引っかかってしまいました。軽い肺気腫になっていたんですよ。そのときのお医者さんが面白い人でね。「肺気腫が進んでもいい、ゼエゼエ、ハアハアいうようになってもいいっていうなら、どうぞこのままガンガン喫ってください。肺気腫を止めたい、もっと健康的で長く生きたいっていうなら、たばこをやめてください。ふたつにひとつ!」僕を無理に説得しようとしないで、こんな言い方をするんですよ。

ーー いいお医者さんですね。

古舘 そうなったときに、たばこを喫いたい欲望より「もうちょっと健康で長生きしたいな」という欲が自分の中で勝っていることに気が付きました。『報道ステーション』で重責を担わせていただいていますし、大切な家族だっている。肺気腫が進行してもたばこを喫い続けるのも、ひとつの選択肢だと思います。間違いだなんて言うつもりはありません。でも、自分はそういう生き方をしたいとは思わなかったんです。

ーー 今度はどんな方法で禁煙を。

古舘 僕はずっと言葉を使って商売をしてきた人間ですからね。最後は言葉で自分に言い聞かせたんです。たばこを喫いたい・喫ってはいけないの狭間で右往左往するんじゃなくて「自分にはたばこを喫う資格がないんだ」と。
その日以来、毎日喫っていたたばこをやめることができたんです。たばこを喫うっていうのは、僕が始めた物語ですからね。その物語を自分の言葉でしっかりと終わらせることができて良かったですよ。

コロナ渦の喫煙所で目にした「解放」

ーー かつてのヘビースモーカーが禁煙してみたら、なにか新しい発見があったりするものでしょうか。

古舘 実はすごく印象に残っている出来事があるんですよ。あれはコロナ渦の真っ只中のことでしたね。車で表参道を通っていたら、喫煙所が視界に入ってきたんです。完全に屋外型の喫煙所で、そこに何人ものスモーカーが集結しているわけですよ。みんなしっかりマスクして、それでもたばこを喫うときだけはマスクを外して顔が露わになっている。そのなかで喫煙所にいたひとりの男性の顔が強烈に脳裏に焼きついています。なんというか、失礼な言い方になってしまうんですが、その男性がびっくりするような「アホ面」をしていたんです。

ーーびっくりするような「アホ面」(笑)。

古舘 そうなんです!その男性はマスクだけじゃなくて、眼鏡まで外していました。つまり、顔面を完全開放していたわけです。それを見たときに「たばこって、人間を解放するんだなあ」というのをつくづく感じましたね。
ただ単にリラックスするだけじゃない。常にマスクで顔面を覆われ、緊張を強いられている45歳くらいの、社会に揉まれた中年男性を「完全に解放」してしまうんです。こんな風に人間を解放してしまう合法的な存在って、他にないんじゃないですか。たばこをやめたからこそ、たばこの持つ可能性というを少し離れたところから冷静に見られるようになりましたね。

「移動祝祭日」と愛煙家の通り道

ーー これからはタバコとどのように風に付き合っていきますか。

古舘 普段は喫わないけど、年に数回ほどの限られた機会に一服する。そんな付き合い方が続いていくんじゃないですかね。別にたばこのことが嫌いになってお別れしたわけではないですから、今の関係はすごく心地良いですね。
仮に僕が完全に禁煙したとしましょう。完全禁煙ですよ。それでも、僕の人生にはずっとたばこという存在がついてくると思うんです。たばこにまつわる思い出は、それだけ強烈ですからね。

ーー 禁煙しても、愛煙家というわけですか。

古舘 ヘミングウェイの小説に『移動祝祭日』という作品があるんです。その小説のなかに

もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。

という一説があるんですよ。たばこは、僕にとってまさしく移動祝祭日なんです。
僕の唇はずっと煙草をくわえるあの感覚を覚えていますし、ライターのカチンという音は耳にしっかりと残る。たばこはずっと僕の人生についてきてくれるんです。そんな存在に出会えたことは、本当に幸せだと思っています。

ーー「たばこを喫う人生」と「たばこを喫わない人生」のどちらも知っている。

古舘 たばこを喫うか喫わないかは、要するに「どの道を通って生きていくか」ということだと思うんですよね。やっぱり、王道なのはたばこを喫わずに健康的で長生きをする人生ですよ。
でも、その道しかないのは面白くないでしょう。大きな国道もあっていいけど、脇道や横道だってあっていいと思うんです。「健康的に長生きをしたい」と思う人は堂々と国道を進んでいけばいいし「多少健康を害したとしてもたばこを喫っていたい」という人は個性的な横道を選べばいいわけです。別に正解なんてないんですよ。どの道が正しいとか、この道は間違っているなんていうのはナンセンスですよ。

今はむかしに比べて「多様性」というものが尊重される時代になりました。たばことの向き合い方についても、もっと多様性を尊重しても良いんじゃないかって僕は思いますね。

古舘さんのYouTubeチャンネル。ロシア・ウクライナ戦争についても大いに語っている。 

ーー 古舘さんの活動も、特に『報道ステーション』勇退以降、ますます多様になっています。

古舘 健康で長生きするためにたばこをやめたんですから、色々なことにチャレンジしないと(笑)。Youtubeでの活動もそう。また報道に関わりたいとも強く思います。
僕はずっと言葉で勝負してきた人間ですからね。テレビの中でも、他の舞台でも、その生き方に変わりはありません。ずっと続けてきたライブ「トーキングブルース」の今回のテーマは「現代の信仰」。このご時世に不謹慎なお題じゃないか?と思うでしょ。今の時代だからこそ、こういうテーマでやってみたいんですよ。

 

ステージに立つのは古舘伊知郎ただひとり。マイク1本で観客に勝負を挑む。
伝説のトークライブ「トーキングブルース」
今年のテーマは「現代の信仰」
人は信仰無くして生きることはできない。
不確かなこの世界で、人々は何を信じ、何を拠り所にするのか?
マイク1本で古舘伊知郎が“今”に立ち向かう!
日程:9月1日(金)〜9月3日(日)
会場:紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
▼チケット詳細はこちらから
https://talkingblues.jp/


古舘 
僕は自分の意思で「たばこを喫わずに健康に少しでも長く生きる」という生き方を選びました。だからこそ、後悔なく戦いたい。たばこという女性とは年に数回だけ会う関係になりましたが、僕のことを優しく見守っていて欲しいですね。


古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)

立教大学を卒業後、1977(昭和52)年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。一方、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。
その後、テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。

Twitter:@furutachi_live
Youtube:古舘伊知郎チャンネル
HP:古舘プロジェクト

たばこは僕にとって「口元の七夕」なんですよ。織姫と彦星みたいに別々に暮らしているけど、本当に限られた時にだけ会えるというね。--古舘伊知郎

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