たばこと塩の博物館#2 戦前~昭和の「たばこ屋」をギャラリー内に再現! 謎に包まれた「たばこ販売」の歴史が明らかに

タバコを愛する方々がけむりを通して見えたもの・考えたことを語る最強愛煙家連載です。今回は特別編です!

今回の「たばこのことば」は、いつもの著名人インタビューではない。すべての愛煙家と歴史好きに贈る、知識と教養を存分に刺激するスペシャル編だ。

そう…… 「たば塩」回です。


国内でのたばこの歴史研究の最高峰にして、唯一のたばこと塩の専門博物館「たばこと塩の博物館」通称「たば塩」。

たばこと人の関わりが描かれた現存最古の遺跡復元模型を展示し、いままでのたばこパッケージなども所蔵。

お笑い芸人「金属バット」の特別ロケでは5657点(史上最高得点)を叩きだした喫煙所があることでも有名な「愛煙家のワンダーランド」である。

その最新の特別展を取材してきた。
それが、「たばこ屋大百科 あの店頭とその向こう側」
(2024年4月7日まで開催中だ!)

かつて全国の至るところで見られた、「たばこ屋」のショーウィンドウを再現展示している……というが。
たばこでもなく、ライターでもなく「たばこ屋」をメインテーマに持ってくるところにたば塩のクレイジーさを感じる。

展示キャプションより抜粋:
本展では、膨大な館蔵品から、店頭の写真、看板やノベルティなどの販売用具、さらには帳簿などの経営書類も展示し、幕末・明治初期から昭和期にかけてのたばこの販売と流通の変遷を紹介します。会場には大正〜昭和の懐かしいたばこ屋の店頭も再現、当時のようすを紹介します。合わせて約140点の資料を展示し、“売る側の視点”でたばこ屋さんの歴史を見つめ直します。

(……なんで大昔のたばこ屋の帳簿が残ってるの?)

会場に足を踏み入れると…

思った通り激シブだった。昭和の空気、当時のかわいらしいデザインのたばこ看板の数々。そして博物館の中に本物の「たばこ屋」のショーケースがある!!! なんか背徳感! 
なぜ企画したの? 見どころは? このたばこ屋、どこから持ってきたの?
担当学芸員の青木然(あおき ぜん)さんにお話を伺っていくと、「たばこ」という文化の背景に深くかかわる、日本の近代史が見えてきた。

たば塩・初の「たばこ屋」テーマの展示

ーー 「たばこ屋」という展示のテーマはこれまでにもありましたか?

意外とありませんでした。たばこ屋さんを再現する展示は、昭和30年代をテーマとした展示で行ったことはありましたが、メインのテーマで取り組んだのは今回が初めてです。

たばこと塩の博物館 学芸員:青木 然さん

ーー そもそもどうしてこの企画を?

最初は「明治時代の商売」といった広いテーマで展示をしようと考えていたんです。そのなかで「たばこ屋の店頭も再現してみたら?」という話があって。
元から博物館で保管している資料の中に、たばこ屋さんの看板とかポスターとか引札の資料がたくさんあったんですね。そのなかで徐々にお店全体が展示の中心になっていきました。全体の骨子が固まったのが大体2023年の4月頃。今回に関して言えば多くの情報や資料が、館内に多くあったので行えた部分があります。

ーー それで「たばこ屋」がテーマに。

「たばこ屋」を扱うということは、「たばこ販売」の歴史に触れることになります。実はそのテーマはきちんと研究していないよねという気づきもありまして。

たばこと塩の博物館ができたのは、昭和53(1978)年です。まだ日本専売公社(現在のJTの前身)の時代でした。
今回の展示は専売制が終わる昭和60(1985)年頃までを対象としています。たばこと塩の博物館ができた当時はまだ「歴史」ではなく、現在進行形の話でした。今はそれから40年近く経過したため、歴史と振り返るにはちょうどよい時期になってきたという背景もあります。

全国から集まるたばこ所蔵品

ーー 昭和のたばこ屋店頭のディスプレイは特に見どころです。年季がすごい。

昭和前期の再現で展示しているカウンターは思い入れがあります。実は千葉県鴨川市で最近まで使われていたものなんです。本屋さんと兼業でやっていたお店でした。

ーー 古めかしいたばこ屋の店頭はたまに見かけますが…それがどうして、たば塩に所蔵されているんでしょうか。

そのお店がたばこの営業をやめられて、本屋だけにする判断をされたタイミングで、JTの営業担当に「この建物はもったいないんだけど……」とお話をされたらしいんですね。営業担当からまわりまわって私どものところに話がきて、引き取ることになりました。

「大蔵省専売局」と「専売公社」

ーー まわりまわって……さすが、たば塩ですね。今回対象としている時代については?

今回は日本におけるたばこが「JT(日本たばこ産業)」の前身となる「大蔵省専売局」その後の「専売公社」時代のものを扱っているのも見どころです。

明治中期の煙草商の引札

ーー 「専売局」とは?

「大蔵省専売局」は1898年(明治31年)に発足した組織で、当初は、後でお話しする葉たばこ専売制の運用を担っていました。その後、たばこの製造・流通も含め、専売制に関わるさまざまな業務を行っていくことになります。日本ではたばこ以外に専売されていたものとして、塩と樟脳(セルロイドなどの原料)たばこがありました。

ーー なぜ「たばこ」が専売に……?

たばこは「脱税」を取り締まるのが非常に難しいんです。製品としてどの段階で完成なのか判断が難しく、税をかけにくいという。

ーー たしかに。たばこを栽培する時と、収穫して干してたばこの材料を作る時、それをたばこの形に加工するときなど、たしかにお金が生まれるポイントが分かれますね。

そうです。しかも自分で刻んで作れますし。特にキセルで吸っていた時代はどこがゴールなのか曖昧になります。国で作ってしまった方がよいのではないかという考えがありました。
まずは葉煙草専売法という、専売制になる前のもう一段階前の制度ができて、収穫された葉たばこは大蔵省が全て買い取り、税を付加してメーカーに卸しました。その後、たばこの製造も含めて専売局が行うようになります。専売制が始まった当初は、専売局は卸業者に売り渡すところまでを行っていました。卸業者(「元売捌人」(もとうりさばきにん))も専売の許可がないと営業できませんでした。

ーー 古くは大正時代のたばこ卸売店の展示もありますね。

専売局発足当時の「元売捌所」の再現。
このモデルになったお店は現在も同じ建物で古美術商を営まれているとのこと。当時の建物を今に至るまでそのまま使用している例は希少だ。

そうですね。たばこ製品の製造や卸まで国が行うという仕組みは、外国の大きなメーカーから日本のマーケットを守るという意味合いもありました。

ーー たばこの市場は、海外から守らなくてはいけない大切なマーケットだったのでしょうか?

うーん……。大切なマーケットであり、市場競争がとても激しくなりやすいものが、たばこという存在でした。

ーー ということは、たばこ屋は儲かっていたと。

特に高度経済成長期までは本当にそうですね。作れば作った分だけ売れる、どちらかというと供給が追いつかないほどの状況であったといえます。
ただし、いくら「売れる」といってもお店が増えすぎてしまえば専売制が成り立たなくなるため、お店の数をある程度絞り込むために規制をかけている側面もあると思います。逆に言えば、許可を受けたお店は売り上げを保証されていたようなものだといえるかもしれません。特に卸の場合、地域内のすべての販売を任されているので、着実な利益が入る仕組みとなります。卸はいわゆる豪商であり、その地域の有力者が卸をしている場合が多く、たばこ以外のものも多く取り扱っていました。たばこの卸は1931(昭和6)年まで続いており、その後は専売局が直接小売店に製品を卸すようになります。
とはいえ、全国に20万人弱いた小売人のケアを専売局だけで行うのは大変です。そこで各地域の「組合」が仲介的な役割を担うようになりました。

たばこの「転換期」に起きたこととは?

ーー 今回は時代が異なる3種のたばこ店を展示していますね。それぞれの特徴は?

店頭の売り場は一度しっかり作れば、そこそこ長持ちするものです。そのため、歳月の経過とともに積み重なっている部分がすごくあります。古いものをずっと大切に使われているお店もあれば、新しいものに作り変えているお店などさまざまで、そうした違いが魅力です。
昭和初期の大都市で標準とされていたタイプのたばこ屋さんは、今の感覚からすればずいぶんと立派だなという感じがすると思います。

右側に高さのあるショーウィンドウがあって、ばっちり飾り付けをして、その中に商品が陳列されています。これが現在のたばこ屋さんの原型にはなってはいますが、今新しくたばこ屋さんを開くとなったら、このスケールにはしないかもしれません。
こうした小売店のプロトタイプが出てきた時期の最初のものであり、しかも大都市で結構売れるお店だと初めは立派な店構えにしていた特徴があります。

ーー 「標準型ショーウィンドウ」と書いてありますが、標準型ということはいくつかの規格・タイプがあったということですか?

先ほど少しお話ししたとおり、この時期地域ごとに、小売人組合といういわゆる同業者組合が整備されました。商売を円滑に行えるようにするための互助的な組織ですね。
小売人組合を通じてショーウィンドウを共同購入しているため、同じ地域のお店だと同じ業者が作ったものを使うことになり、自ずと似てくる傾向が見られます。

ーー 1935(昭和10)年と書いていますから、戦前ですよね?

戦前ですね。卸を介さないで、大蔵省専売局から直接小売店に卸せるようになったタイミングで、こうしたモデルが出てくるようになりました。

ーー たばこ屋の看板などはさまざまなものがありますが、よく見るとフォントやデザインが全部少しずつ違っていますね。

戦前は特にデザインがまちまちで、漢字で書いてみたりカタカナで書いてみたり、ひらがなで書いてみたりと表記さえ揃っておらず、フォントも違っています。表記の基準みたいなものは専売局からきちんと示されますが、その範囲内で各地域の看板屋さんが作って共同購入されていたようです。

ーー 各店舗がデザインを外注しているというより、地域ごとに大体まとまっていたと。A町の看板の文字は丸っぽいけど、隣のB町はカタカナだよね、という地域色が出るのは面白いです。たばこの商売に「組合」は不可欠なんですか?

特に卸がなくなったタイミングでは不可欠ですね。看板の話でいうと、「商業デザイン」という考え方自体がまだないに等しい。昭和前期になると専売局で「図案家」を雇って、たばこのパッケージのデザインを考えるようになりますが、それより前は看板職人さんが作る世界なので、手書きでベースを作ってそれを量産する感じです。そのため、味のある雰囲気のものが多かったようにも思います。

ーー 地域色があるのは職人さんの方も一緒で、地域の工場に頼んでいるから、当然ばらつきというかバリエーション出ると?

そうですね。あえて郷土色を出そうとしているわけではなく、結果としてそうなったというのが近いように感じます。

ーー 店頭陳列のための広告があったり、専売公社自体がディスプレイを提供したりするものも出ていますね。その変化はどう捉えればいいでしょうか?

戦前は専売制の販売ルールをいかに守らせるかということに力点があったのですが、専売公社になってからはビジネスとしてのたばこ販売を考えるというスタンスに変わりました。
専売公社としても、売るためにどのような工夫をすべきか考えるようになり、小売店に対しても販売をサポートするスタンスに変わっていきます。そこに、戦前と戦後の変わり目があるといえます。

ーー ビジネス支援をするようになったと。1975(昭和50)年の店頭再現では、上部に赤地で「たばこ」と白抜きされた塗装のガラスがついています。こうした店頭のモデルも専売公社が定めたデザインでしょうか?

ルールではありませんが、これも地域ごとに専売公社の支社のようななものがあって、支社で考えたのか、組合で考えたのかのどちらかだと思います。どんなものを使って、どんな設備でどうやって売るかは、チームの支社に委ねられていた部分が大きいんです。それは、実際に設備も含め、さまざまな販売用具を作って提供する必要があったからでしょう。

本社で全部作って、全国で使うようにするのはとても大変なことです。しかし、地域ごとの販売什器メーカーなどと協力しながら進めれば、比較的やりやすかったのだと思います。例えば、カウンターを作る業者さんやPOPを作る業者さんに依頼して作ってもらい、それらを専売公社の支社から組合を通じて小売店に配布するといった仕組みです。
その意味では、地域にある程度、裁量があったといえます。お店側からよく伺うのは、「ショーウィンドウは専売公社からもらった」という言葉です。今もJTから提供されたショーウィンドウを使っている、という話を聞きます。

ルール化から多様化へ

ーー 大蔵省専売局はルールを決めて守らせる、専売公社になったら一緒に頑張ろうというスタンスに変わっていった。ルールの話でいうと、専売局の時代は、「闇たばこ」の問題もあったそうですね?

仰る通りです。大正期にも専売局が店頭の棚を用意していましたが、これも販売のルールを守らせるため、という意味合いが強かったと思います。たばこを魅力的に販売することよりも、たばこの売り場を明確にし、よく分からないところでたばこが売られないようにするという方に力点がありました。

ーー 取り締まりの機能強化が重要だった時代があったということですね。

専売ではない頃に税として、たばこ税を取っていたときは、脱税をいかに取り締まるかというところに注力していました。戦争の影響で戦中の末期や終戦直後は、本当にたばこが足りない時期があって、配給された刻みたばこを自分で手巻きして吸っていました。
その時代は闇たばこがとても問題になっており、捨てられたシケモクや非正規のルートで輸入された海外たばこ、吸いさし(吸いかけのたばこ)をまとめ直したものが闇市に出回っていたり、外国のたばこを売ったりしていたそうです。

ーー 当時の時代のたばこは、日用品や嗜好品など、どのような位置付けだったのでしょうか?

たばこの銘柄によってグラデーションがあり、日常的に使うものもあれば、グレードの高い贅沢品も両方あります。専売制ではそのどちらも売って、階層を問わずたばこを楽しめるようにしていました。さらにお金持ちとか文化人になると、あえて外国のたばこを購入する人もいました。

ーー 当時も外国のたばこは買えたのですか?

一般の方でも外国のたばこを買えないことはなかったんです。ただし、買える場所がとても限られていて、大都市で売れ行きが大きいお店やホテルなど、外国人のいる場所では外国のたばこを置いていました。
輸入の管理も専売局が行っていて、どの銘柄をどれだけ輸入するかという部分もすべてコントロールされていました。

ーー じゃあ、かなり高そうだな……

高いですよ(笑)。専売局としては、海外のたばこをあまり売りたくないわけです。多く売れてしまえば専売制の意味が薄れてしまうので。そのため、関税をかけて高い値段で売るという方法をずっと行ってきました。

日本が高度経済成長を遂げると、海外から日本に市場開放を求める圧力がかかり、たばこの輸入も状況が変化していきます。専売制の終わり頃になる時期には少しずつ輸入の制限が緩和して、1985年に専売制が終わったことによって、外国のメーカーも日本で自由にたばこを売れるようになりました。

昭和のお店が出ている時期が、刻みたばこから紙巻きたばこにシフトしていく時期でもあるんです。大正期までは消費量として、実はキセルで吸う刻みたばこの方が多いんです。それが関東大震災の後に生活の洋風化が進んでいくなかで、キセルでの喫煙が廃れていき、紙巻きたばこにシフトする流れとなります。

ーー それで多様化していき、現在に至ると。会場内の展示品のバリエーションには驚きました。

そうなんです。硬めの企画だと受け止められがちな部分があると思いますが、会場に足を向けると結構ワクワク感もあると思います。時代を映した展示品の雰囲気を体感していただき、じっくり見ていただければと。

ーー 展示されているたばこのデザインの多様で、喫煙者でなかったとしても発見があります。会場には若い来館者も見かけました。

ええ、若い世代の来館者様は最近多いんです。まさに副題の「あの店頭とその向こう側」の通りで、「懐かしい」という感覚を楽しんでもらいたいという部分と、その当たり前の風景には多くの理由があって成り立っていたことを知ってもらいたいという、両方の思いがこの企画にはありましたね。


加熱式タバコが増え、路上禁煙も当たり前になりつつある現在。「たばこ」は日常的な一服の道具から、周りの人への配慮というオトナの美徳を備えて、さらに文化的な嗜好品となるだろう。
喫う人も、喫い方も、買い方も。タバコの風景が変わるなかで「たばこ屋」のウィンドウはいま新しく映る。
展示の帰りには、ぜひ「たば塩」の喫煙ルームに立ち寄ってみて。

たばこ屋大百科 あの店頭とその向こう側


会期:2024年2月17日(土)~2024年4月7日(日)
会場:たばこと塩の博物館 2階特別展示室
▶くわしくは【たば塩】サイトへ
住所:東京都墨田区横川1-16-3
時間:10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日:月曜日
観覧料:大人・大学生 100円/小・中・高校生 50円/満65歳以上の方 50円
※障がい者の方は障がい者手帳(ミライロID可)などの提示で付き添いの方1名まで無料
TEL:03-3622-8801(代表)
URL:https://www.tabashio.jp

 

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