タバコを愛する方々がけむりを通して見えたもの・考えたことを語る最強愛煙家連載です。今回の愛煙家は、音楽家/文筆家の菊地 成孔さんです。
マイルス・デイヴィスの喫い方
ーー 愛喫されているのは、IQOS ILUMAですね。銘柄は「テリア」のメンソールですか。
菊地 そうです。加熱式タバコに変えて4.5年になるかなあ。紙巻きタバコのようにもっと銘柄が増えるといいですよね。
ーー IQOSが日本で発売されたのが2014年です。当時は愛煙家のあいだでも賛否両論でしたが(いまでも議論はありますが)、加熱式の人は本当に増えましたね。
菊地 うん。もう20年ほどさまざまな学校で教えてきたからよくわかるんですが、若い子のタバコの喫い方は本当に変わって、いまは加熱式のほうが多いですね。実はIQOSも喫煙所で話していた学生に教えてもらって喫いはじめたんですよ(笑)。
ーー 今日は「タバコ」オンリーのインタビューです。好きな銘柄、印象に残っている愛煙家、禁煙エピソードなど何でも。
菊地 印象に残っている愛煙家は数えきれませんよ。特に音楽とタバコは関係が深い。エリック・クラプトンがギターヘッドにタバコを挟んでいたりね。スタイルをつくる道具でした。
僕のおすすめは、マイルス・デイヴィス。1959年の『So What』のLIVE動画がYoutubeにあります。自分のソロが終わり、ジョン・コルトレーンにパスしたあとにステージの袖のほうに移って一服している。何気ないシーンなんだけどまるで俳優のようにスタイリッシュで、見ていると思わず自分も喫いたくなる。
ーー ものすごくキマっていますね。
菊地 ほかにも『刑事コロンボ』の「葉巻」なんかはどうですか。グリーンラッパーという緑色の安い葉巻を愛用していて、このチープな葉巻がコロンボのとぼけたキャラクターに欠かせない。
© Universal City Studios LLLP. All Rights Reserved.
菊地 高級な葉巻をすすめられて「いやあ、あたしはコレでいい」と断ったり「近くで喫わないで!」って怒られて弱った顔をしてみたりね。1968年に初回が放送されてから2003年に終了するまで、コロンボからアメリカ社会のタバコの変化が見えるのも面白い(笑)。
歓楽街の愛煙家たち
ーー タバコとのファーストコンタクトは。
菊地 えーと……僕の場合すごく特殊です。
生まれは千葉県の銚子市・観音町という港町の歓楽街。映画館やキャバレー、ストリップ劇場が並んでいて、毎晩喧嘩が起きるような街で、両親が食堂を経営していたんですよ。父親が天ぷら職人で、母親の実家が寿司屋。その後継ぎとして、4歳、5歳の時からホールや出前の手伝いを夜遅くまでやっていたんです。
初めてタバコを見たのは、そこに来るお客さんが喫っている姿だった。僕が1963年生まれだから、67年とか68年のこと。
ーー じゃあ当然、店内で喫えますね。
菊地 ええ。男性も女性もマジで全員喫ってました。お店に来るお客さんは漁師さんや夜のお仕事のお姉さんなんかが多かったなあ。箱からトントンと一本出して喫いつけるのをカッコいいなと思って見ていた。一服してから食事にとりかかる人、食べながら喫う人、食べ終わるとタバコに火を点ける人……。
ーー 喫煙者に囲まれていた時代ですね。しかし、鮮明に覚えているものですね。
菊地 実はタバコがお小遣い稼ぎになっていたんですよ(笑)。お客さんが「タバコ買ってきてくれ」って5歳の僕にお使いを頼むんです。店の向かいに戦争未亡人のおばあさんが経営しているタバコ屋があって、お金をもらって買ってくると頭を撫でて、お駄賃をくれるわけ。だから銘柄も覚えました。「お客さんは、ハイライトですよね?」なんて……(笑)。峰、しんせい、いこい、ゴールデンバット。セブンスターはまだなかったと思います。僕が小学生にあがってから出てきた覚えがある。
ーー 当たりです。セブンスターは1969年(昭和44年)発売で、菊地さんが6歳~7歳のころ。
画像出典:https://muuseo.com/shirotanino/items/147
菊地 でしょ(笑)。でもお店の中とは真逆で、菊地家は「完全禁煙」なんです。板前の家だから。タバコくさい手では食材を触れないし、舌も鈍る。だから僕は絶対にタバコを喫えない運命だったんですよね。でも……禁止されるほど、やりたくなる。それで、隠れてタバコを喫ったのが小学六年生の時でした。映画館の中でね。暗いからバレないだろうと。
ーー 映画館で……。
菊地 実家の食堂の両隣が、東宝と松竹の映画館に挟まれていたんです。赤ん坊のころの僕は母親が映画館に連れていくと泣き止んだらしい。そういうわけで、僕は顔パスで入れるわけ。映写室にも入れてくれる、『ニュー・シネマパラダイス』みたいな遊び場でした。
菊地 銘柄は「チェリー」。今思えばメチャクチャな話だけど、映画館の売店で買ったと思う。もちろん悪いのは僕なんだけど、よく売ってくれたなと。マッチも一緒にもらったかな。
画像出典:https://muuseo.com/shirotanino/items/95
菊地 当時の映画館って、客席でお客さんがタバコ喫ってるのが普通なんです。映画の中の登場人物も喫っている。そこにまぎれて僕も、チェリーに火をつけました。思いっきり吸い込んで……凄いヤニクラで立ち上がれなかったのを覚えてます。
それから中学生までは、親にも友達にも隠れてチェリーだけ喫っていました。高校生になったら同級生も喫いはじめる奴が出てきて……味比べもして。そのころ親にタバコが見つかって半殺しになりました、板前の修行がはじまった時期で。思えば、あの時が一番反抗的だった。
ピアニッシモを喫った理由
ーー それからのタバコの変遷は。
菊地 高校を卒業して、実家の食堂を継がずに上京したことが大きかったですね。80年代の中ごろから終りごろかな。東京で暮らし始めて生活が大きく変わったけれど、タバコも変わりました。
まず、一気にタバコの銘柄が増えたんです。銚子にいたころは見たことないようなタバコが。
ーー 87年にタバコ関税が撤廃されて輸入が自由化されます。その時期でしょうか?
菊地 たぶんその時代だ。そのときにはじめてメンソールのタバコを喫うようになるんですよ。そう……よく喫っていたのは「ピアニッシモ」です。
ーー 細巻きですね。男性が喫うのは少し珍しい。
菊地 最初の奥さんになる女性が喫っていたタバコだからです。赤坂でホステスをしている人で、一緒に住ませてもらっていた。それをもらって喫うようになったのがきっかけ。
夜のお店で働くお姉さんは、当時ほとんどメンソールを喫っていました。ピアニッシモ、マルボロメンソール、セーラム。あと、細くて茶色いタバコがあったなあ。一時期、筒井康隆先生が喫ってたタバコです。
ーー では、「More」かもしれませんね。というか……日本を代表する愛煙家である筒井康隆先生と交流が。
©R. J. Reynolds Tobacco Company
菊地 ええ、21世紀に入って何度か。実際にお会いした印象的な愛煙家といえば筒井先生ですね。『最後の喫煙者』。大変おしゃれな方で、懐中からノーモーションでシガレットケースが出てくる。名刺代わりに「一本どうかね?」。断ると機嫌が悪くなるんですって(笑)。でも茶目っ気を込めて、試してたところがあるんじゃないかな。TBSラジオにゲストで来ていただいた時も、1時間するとキョロキョロして「喫煙所はどこ?」って。
『最後の喫煙者』筒井康隆 (新潮文庫)
「禁止」と「好奇心」
ーー 禁煙時代も長いとか。
菊地 2004年に歌舞伎町に引っ越して、それから震災くらいまでかな。きっかけは奥さんと別れてお付き合いした女性が完全な禁煙主義者から。家の中はもちろん、ベランダでもダメという人で、合わせて禁煙しました。僕の健康を気遣ってくれてのことですけど。
ーー 喫えないのはつらくなかったですか。
菊地 それがぜんぜん。禁煙した瞬間から、かわりにお酒を探求するようになったからです。料理とワインで十分楽しめましたね。まったく喫いたいと思わなかったなあ。でも、喫うのをやめたからといってタバコが嫌いになるわけでもない。たまに写真の撮影なんかで僕が禁煙しているのを知らないカメラマンさんが「喫ってる姿を撮りたい」って言うこともありました。そのときだけ素直に喫う。仕事だから(笑)。
で、その女性と別れたらまた喫うことになる。
ーー 著書を読ませていただくといろいろな物事にこだわりと持論がありますが、あんがい柔軟に始めたりやめたりするんですね。
菊地 それが僕のポリシーみたいなところがあります。生きているといろんな禁止がありますよね。社会情勢とか、法律とか、交際している女性とか。それに抗わないで、好奇心でやり方を探して乗り切る(笑)。禁煙したのもそう。ピアニッシモを喫ったのも「もらいタバコ」でしたし。
ーー 最近のタバコに対する興味は。
菊地 この加熱式タバコをはじめとした、VAPEも含めたデバイス式のタバコかな。僕たちが喫ってきた紙巻きタバコとは、ニコチンやケムリ・蒸気を摂取する点では同じですが、明らかに性格が違う道具です。
ーー たしかに「喫える時間」が決まっているタバコは今までありませんでした。
菊地 「タイムスパン」ですよね。紙巻きはいつ消すこともできますが、デバイス式は残り時間が出る。また「もらいタバコ」もできない。つまり分け合えない。これはタバコがつくってきたコミュニケーションの要素が変わるということです。
ただ、若者が各々のデバイスを握ってタバコを喫っている風景は悪くはないという気がするんですよ。
僕は周りの大人がみんな紙巻きたばこを喫っていて、映画や音楽にタバコの煙があり、強烈にあこがれた世代です。じゃあ今の若者にとって、喫煙者はかっこいいのか。
ーー タバコの扱いは社会とともにすごく変わりました。
菊地 90年代くらいから、教えている学校の喫煙所がどんどんガラガラになっていくのを見てきました。このまま喫煙者は絶滅するんじゃないかと思った時期もあったけれど、パンデミック以降、タバコを喫っている人がますます敬遠されるようになって「副流煙」という言葉も一般的になったのに、都会では喫煙可の喫茶店は行列ができるくらい人気のところがある。僕の周りでも若者の喫煙者が増えている。彼らのほとんどは加熱式タバコを喫っていて、紙巻き派はなぜか「アメリカンスピリット」が多い。アメスピはオーガニックでリベラルな存在として受け入れられているように見えます。
ーー 音楽の世界ではどうですか。
菊地 面白いですよ。エレクトリックミュージックの若者は加熱式やVAPEが主流。でもヒップホップの人は圧倒的に紙巻き派。つまりスタイルを表現する道具としては残っています。
これからの音楽家がタバコをどうカルチャーに取り込んでいくのか。ただわかっているのは、おそらく「20世紀」的なかっこよさでは計れないということです。
「CHILL」という価値観は近いかもしれないですね。サウナでよく使われる「整う」とか。女性もよく楽しんでいるシーシャも「CHILL」なタバコの一種です。若い生徒がIQOSを僕に教えてくれたように、ユースカルチャーのなかで「タバコ」がどう位置づけられていくのか、模索しているのが楽しみなんですよ。
菊地成孔(きくち・なるよし)
1963年生まれの音楽家/文筆家。
音楽家としてはソングライティング/アレンジ/バンドリーダー/プロデュースをこなすサキソフォン奏者/シンガー/キーボーディスト/ラッパーであり、文筆家としてはエッセイスト&批評家であり、映画やテレビの劇伴も多い。「菊地成孔とペペトルメントアスカラール」「ラディカルな意志のスタイルズ」「菊地成孔クインテット」リーダー。2021年、自らの生徒と共に、ギルド「新音楽制作工房」を立ち上げ、2023年には映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の劇伴を担当。
2024年は結成20周年にあたるペペ・トルメント・アスカラールのニュー・アルバムをリリース予定。
Web:https://www.kikuchinaruyoshi.net/
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ユースカルチャーのなかで「タバコ」がどう位置づけられていくのか、模索しているのが楽しみなんですよ。 ーー 菊地成孔