パイプメーカー日本代表登場!【#たばこのことば】柘製作所社長・三井弘司

各界を代表する著名人の方々が「けむり」を通して見えたもの・感じたことを語る連載です。今回の愛煙家は柘製作所・三井弘司社長です。

落合陽一さん・ひろゆきさん・鳥居みゆきさん・古舘伊知郎さん……「たばこのことば」ではさまざまな人物の一流の愛煙道を記事にしてきた。好きな銘柄・ライター・憧れの喫煙者・そして禁煙。たばことともにある時間にはその人それぞれの趣味・仕事観・恋愛観……つまりは生き様の香りが漂う。

では……「たばこを作っている人」の愛煙道はどうだろう? 今回は日本最大の喫煙具の見本市「スモコレ2023」開催に合わせて「たばこ業界人のことば」をお届けする。

ケムール編集部が向かったのは……日本を代表する「パイプメーカー」である「柘製作所(つげせいさくしょ)」。その応接室で社長の三井弘司さんが取材を受けていただけるという。
昔ながらの工場と雑居ビルが立ち並ぶ浅草の一角に、その本社がある。えーと…どこだ? ビルの名前をスマホのマップで追いながら大通りを一本内側に入ったとき、確信した。

あ……ここに間違いない。


いざ喫煙具の深みへ

パイプ。

きっと愛煙家のケムール読者でも喫い方も持ち方もわからない人がいるだろう。それでも必ずある種の憧れとともに知っているはずだ。名探偵ホームズがくわえていたアレ。ゆっくりと時間をかけ、けむりを愉しむ。優美で落ち着いた雰囲気は「葉巻」とも似ているが、パイプはさらに知的だ。

その起源を「筒状の喫煙具」にもとめるなら「たばこと塩の博物館」にあるマヤの遺跡の復元模型で神々がすでにパイプのような器具をくわえている。

西暦600~900年ごろに栄えたマヤ文明「パレンケ遺跡」の復元模型。現存するもっとも古い「たばこ」が表現された人工物。
所蔵:たばこと塩の博物館

そうなるとパイプは人類最古のたばこ道具ということになるが、現在のパイプの様式は19世紀イギリスの「ブライヤーパイプ」が源流といえる。

カジュアル・パイプ イースター・クレイン

 

樹木の根をくりぬいたボウル(火皿)にタバコ葉を詰め、着火してくゆらせ喫うというスタイル。ひとつとして同じもののない美しい木目や使い込むごとに艶を増すエイジングの移ろいが喫煙の時間を深く豊かにする。
ほかにもマッカーサーが愛用したことでおなじみのトウモロコシの芯を素材に使ったコーンパイプ、粘土製のクレーパイプ、金属製パイプなどさまざまだが、その多くを世界から選りすぐって輸入し、自社でも作り続けているのが柘製作所だ。

IKEBANA 銘「夏の里山」

 

特に専門の職人が手仕事で作り出すTSUGEオリジナルパイプは最高のクオリティと驚くべきデザインの多様さで世界的に評価が高く、多くのコレクターが新作を待ち望んでいる。

1936年創業。80年を超える歴史を継ぐまさに一流の職人企業。そのボスが応接室で待っていた。

柘製作所社長・三井弘司氏

「今日はよろしくお願いします。一昨日までビジネスで中国に行っていたんですよ。あっちにはパイプ職人さんが500人もいるって。さすが14億人の国!! 驚いたよね」

……どう育ったらこんな色気のあるイケオジができあがるの? というダンディな男だった。
TSUGEの社長はさぞパイプが似合う人だろうと思っていたが、さすがに似合いすぎである。

いったいどんな愛煙道を歩んできたのか。その経歴からは、日本のカルチャーとタバコの歴史がそのまま浮かび上がる。

ハイライトの青と壊れたロンソン

※パイプは、左右どちらかに寄せてくわえた時の口のフィットとバランスの美しさで選ぶと良い。

三井氏は1964年、東京武蔵野市に生まれた。学生時代はヤンキー文化・ディスコ文化が上陸してくる日本史上最高にイケイケの成長期。先輩世代はパンチパーマで短ラン、網サンダルのツッパリ美学に染まったが、三井氏はブレザーと蝶ネクタイを着こなし海外の流行に夢中になった。

「超・軟派だった。高校の授業が終わった金曜の夜に原宿に集合して、ディスコで出会った女の子と一緒に横浜まで首都高を走る。いまじゃ考えられないくらい自由だった」

映画と音楽とファッションと恋。何よりアメリカ。そう、三井社長はこれでもおとなしくなっているのだ。そんな狂熱の時代に「タバコ」とも出会っていく。

TM & © Warner Bros. Entertainment Inc

「最初のタバコのスターはジェームス・ディーンでした。『理由なき反抗』でディーンが着ていたMcGREGORの赤いドリズラージャケットが欲しくて古着屋を探し回ったことを覚えています。はじめて喫ったのは『ハイライト』一択。なんでかって? 和田誠さんがデザインしたパッケージですよ。あのブルーがたまらなくカッコよかった」

三井社長はいまでは珍しいほどの「美意識先行型」のスモーカーだ。鏡を見てイカした喫い方を研究した。服・髪型・クルマ・仕草。全身くまなくカッコよくありたい当時の若者にとってタバコは最高のアクセサリー。享楽的な夜のそばにはタバコの灯があった。最近シェアを伸ばしている電子タバコの流れも、もちろん喫煙業界のためには歓迎すべき部分が多くあるが、個人的にはノれない。タバコならではの「スタイル」を愛してやまないからだ。

浅草柘 電気ギセル(Ploom TECH プルームテック用アクセサリー)
柘製作所が製作した数少ない加熱式タバコ関連商品はプルームテックを精巧な煙管や葉巻のように装飾する超かっこいいアクセサリーだった。ちなみに即完売。

 

三井氏のこだわりはもちろん「ハイライト」だけではなくライターにも及んだ。

「最初ハマったライターは……ロンソン。あの美しさ。でもどこにも売ってなかった! 探しまくって、やっと貴金属店で見つけたときは嬉しかったよね」

所蔵:たばこと塩の博物館

しかし学生時代はお金がない。諦められずに店の片隅にあった故障品のロンソンを安く譲ってもらい分解。独学で修理しはじめた。

この方式で何十個も集め、さらに軍モノ払い下げのZippoも買うようになり、ちょっとしたライター・コレクターになってしまった。

ちなみに三井氏の父親はパイプ・スモーカーだったという。しかし当時の三井氏はその父の姿を眺めながら、ぜんぜん興味を持たなかったという。パイプはあくまで落ち着いた大人の趣味の世界で、自分には似合わない。何よりハイライトのほうが断然カッコいい。

 

DCブランドからパイプ職人へ

学生時代が終わる。就職先として選んだ業界は「もちろん」流行の最先端・アパレル業界だ。高校卒業後は服飾専門学校に通い、テキスタイル企業に入り、憧れのDCブランドのために生地を作った。当然、遊びまくりながらだ。
転機が訪れたのは、25歳。

「東京コレクションがはじまって、三宅一生さんがパリコレに渡って。その生地に携わることもできた。でも、どこかで思っていたんですよね。この世界は感性が売り物。僕はせいぜい30歳までだって」

激動するトレンドのなかにいたからこそ、思い知ることがあった。そこで手に職を付けようと考えた。

「趣味でカスタムナイフを作っていたから、ナイフ職人なんか良いなと思った。それでお取引があったデザイナーさんに相談したら、紹介されたのが柘恭三郎さんだったんです」

画像出典:LEON

柘恭三郎(つげ・きょうざぶろう)氏。卓越した日本の職人技術を「パイプ」として世界に広めた柘製作所の創業者・恭一郎氏の三男、現在同社の会長であり、当時は貿易部長だった。
このとき、ハイライトが好きな青年が、父親が喫っていたあのはるか遠い大人の世界にあるはずのパイプに再会した。

「最初は『うちはナイフは作ってないけど、職人やりたいなら2.3ヶ月遊んでいったら?』っていう軽い感じで入社させてもらったんですよ。でもあとで聞きましたが、当時は会社の業績が落ちてきていたらしいんです。だからけっこうムリしていたと思う」

それでも縁があるなら受け入れるという心意気をもつ企業との出会いで、三井氏はいきなりパイプ職人の世界に入る。しかし、さすがに異業種すぎないか?

「それが、入った日から面白かった。面白すぎたね。それまでパイプを喫ったこともないのに。もちろん最初は雑用で、だんだん触らせてもらえるようになっていく……。もともとモノをつくるのが好きだから深みにハマっちゃって。2.3ヶ月という話だったのにね」

それから10年が経った。パイプ職人として修行しながら、熱狂の80年代が終わる。

 

インターネット前夜、海外へ出る

90年代に入り、パイプのデザインを考案する企画職として働いていた三井氏は面白い喫煙具のトレンドを発見する。

「ベトナム・ジッポーが日本で流行り始めたんです。それでアンティークライターが面白いんじゃないかと思った。恭三郎さんに相談したら、買い付けに行ってこい、ってことになってね」

ベトナム・ジッポー…ベトナム戦争当時、アメリカ軍が兵士に支給したジッポーをそれぞれがカスタムしたもの。熱帯の森林を兵士が進行していく兵士たちの心境が刻まれている。
所蔵:たばこと塩の博物館

柘製作所は喫煙具の貿易に関しては目利きである。恭三郎氏の慧眼が助けになり、三井氏は職人でありながら、単身イギリスのライターフェアへ買い付けに行くことになった。職人から、バイヤーへ。浅草の工場から、憧れの海外へ! しかしひとつだけ問題が……英語がまったく話せない。

「会社もよく行かせたなあ、と思いますよ。現地のホテルにどうやってたどり着けばいいのかもわからないんだから……命の危険を感じたよ(笑)。それから受験生みたいに自前の単語帳をつくって勉強しました」

がむしゃらに海外を回った。そして、買いまくった。イギリスだけでなくアメリカ、世界中の展示会や古道具屋で宝探しの日々が始まる。価値があると思ったらたとえ壊れたライターでも迷わず買う。学生時代にライター修理は慣れたものだ。

「インターネットもカーナビもない。空港に降りたらレンタカーに乗り、一番近いガソリンスタンドでマップを買って迷いながらひたすら走る。アメリカではほとんどの州に行ったんじゃないかな」

まだ情報の乏しかったアンティークライターは日本のコレクターを魅了した。気付けば、未経験の三井氏が立ち上げた新規事業は大きく成長していた。いつしか貿易事業に欠かせない人材になり、海外を回るように。
そこで目にしたのは各国のパイプ愛好者の尊敬を集める「世界のTSUGE」のブランドの偉大さだった。

IKEBANA 銘「海の幸」

 

「パイプの本場は欧米。向こうにはすでに完成されたスタイルがあるんです。そのなかで自分の会社は本当に世界から愛されているんだと。模倣するのではなく、なんとかTSUGEにしか作れないパイプを届けるにはどうしたらいいのかと考えるようになりました。……あとは、夜遊びが過ぎて会社に恥をかかせないように気を付けるようになったかな(笑)」

柘製作所謹製「蒔絵四季花木紋様組」
蒔絵・妻恋草紅葉(つまこいぐさもみじ)

 

本場の技術に敬意を払いつつ、金属を使ったり蒔絵を施したり、機能と美しさを高める独自の工夫を凝らした。

 

社長就任と「スモコレ」の復活

そして日本の喫煙業界人としても大いに交流した。

「日本のタバコ業界は商売敵というより商売仲間。みんな仲がいいですよ。世界的に見ればタバコのマーケットは広がっている。海外の展示会やバイイングに行くときは現地で日本のたばこ業界の仲間で遊んだりもします。ケムールさんも一緒にどう? 案内するよ(笑)」

国民の喫煙率は下がり、マーケットが変化して加熱式や電子タバコなどの新しいタバコカルチャーが生まれるなかで、競合他社であってもジャマをしあうのではなく団結していこうという気風が生まれていた。

そして2019年、三井氏は柘製作所の3代目社長に就任する。
ーー 直後、新型コロナウイルスが大流行した。

「社長に就任させていただいたあとに、コロナが来ました。それまでも海外を飛び回っていたからリモートでコミュニケーションは充分とれると見積もったけど、やっぱりそうじゃないと思ったね。国内でも地方出張できないことがこんなに寂しいとは思わなかった」

スモコレ2019 会場より

人に会えなくなった。喫煙所は閉鎖され、禁煙エリアは無尽蔵に広がった。

さまざまな喫煙具をその場でタバコに火をつけて試せる見本市「スモコレ」は、30年を超える歴史のなかではじめて休会せざるをえなくなった。愛煙家にとってはある意味地獄のような時期だったが、タバコ業界はどう変わったのか。

スモコレ2019で講演する三井社長

「実はコロナの最中、タバコの小売店さんの売上はほとんど落ちなかったんです。オフィス街のタバコ屋さんではお客さんが減ったところがあったけれど、逆に住宅街のタバコ屋さんでは儲かっている場合もあった。つまりテレワークでタバコを買う場所が移っていて、全体で見るとマーケットサイズは意外なほど変わっていない。だから『スモコレ』も近く開催できるようになると思っていました。だけど……問題は『場所』だったんだよね」

スモコレ2019 会場より

コロナ禍の期間に、いままで開催していた会場が「禁煙」になっていた。備え付けの喫煙所は数人しか入れず、1000人を超える「スモコレ」来場者を迎える余裕はなかった。
喫煙具の展示会で、商品を試せない。やっと対面が許される時代になったのに、やはり愛煙家たちは出会えないのか。全面禁煙で開催するか? 私有地で年齢制限をかければどうか? 東京でなく地方開催なら良いのか? どれも現実的ではなかった。
しかし……タバコの神はいた。

「そのとき恭三郎会長が、柘製作所の近くにある浅草ビューホテルを思い出したんです。もちろん室内は禁煙。でも宴会場のすぐそばに広いテラスがある。そこで煙草が喫えたはずだ! ってね」

スモコレ2019 会場より

そう、愛煙家は喫煙所の場所を覚えているものだ。三井社長は浅草ビューホテルのテラスを「スモコレ特設喫煙所」としてレンタルする異例の交渉を行った。その結果、浅草駅前の一等地に愛煙家を受け入れる珍しい会場がセッティングされた。
10 月17 日(火)と18 日(水)。「スモコレ2023」には、JT、フィリップモリス、ブリティッシュ・アメリカン・タバコなどの大手のほか、愛煙の愉しみを深める喫煙具メーカー28社がコロナ前とほぼ変わらない規模で集まる。

「いったいどのくらいのご来場をいただけるのか、結果は蓋を開けてみないとわかりません。今年はまだ様子見という気持ちもあります。それでもやっと復活できることが嬉しいね。スモコレは日本で唯一の、喫煙具業界のお祭りだから」

スモコレ2019 会場より

スモコレで展示された商品は、やがて全国のタバコ小売店の店頭に並ぶ。ケムール読者の皆さまが魅力的なライターや灰皿やタバコを見つけたら、それは復活したスモコレでお披露目されたものかもしれない。

最後に三井社長はこう言って笑った。

「僕はタバコが好きでしょうがないんだ。スタイルも味も大好き。禁煙を考えたこともない。タバコを喫い続けるために、健康に気をつかってきました。『今日も元気だ タバコがうまい』。そんな生き方もいいんじゃないかと思う」

取材協力

三井弘司(みつい・ひろし)

柘製作所 代表取締役社長
https://tsugepipe.co.jp/

スモコレ2023
http://smocolle.com/index2.html

※入場は関係者のみです

タバコを喫い続けるために、健康に気をつかってきました。『今日も元気だ タバコがうまい』。そんな生き方もいいんじゃないかと思う。
ーー 三井弘司(柘製作所・社長)

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