幽霊・妖怪・呪い・祟り……いつの時代にも絶えることがない「怪談」。
そのなかでも、フィクションではない誰かの実体験=「本当にあった怖い話」を「実話怪談」と呼びます。
その実話怪談に日本でもっとも精通しているひとりが、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんです。
大人のホッとする時間をテーマにするメディア「ケムール」では、吉田さんに、あえて「一服」と「煙草」にまつわる実話怪談の提供を依頼しました。今回は、どんな怪奇を呼び寄せてしまうのでしょうか。
それでは、怪談を一服いかがですか。
「ミスタースリム」というタバコを知っているだろうか。もしくは、まだ覚えているだろうか。
金色の地に細長い4本のストライプが入った、渋いデザインのソフトパッケージ。さらに特徴的なのは、その包装がやけに縦長になっていること。
ミスタースリムとはその名の通り、100’sスリムサイズ(いわゆる“ロング”)を前面に押し出したタバコである。1971年に販売開始された商品として、そのスタイルは非常に画期的だったという。
当時、スリムサイズたばこは、海外を見渡しても23ミリに巻いたものが主流で、それよりもさらに0.5ミリ細く巻いた、極めて個性的でファッショナブルな銘柄であった。
画像・文章ともに出典: shirotanino Museum by MUUSEO
いや、過去だけではなく今現在から見ても、かなり斬新な印象を受ける。
100ミリロングのタバコで、ボックスではなくソフトパックのものなど、他に見当がつくだろうか?
あるいはテレビドラマ『探偵物語』の松田優作が吸っている、あのタバコを思い出してほしい。背丈も手足も五本の指もやけにひょろ長い工藤探偵が口に運ぶのは、まるで線香のようなミスタースリムこそがふさわしかったのだ。
さて、怪談へと話を移そう。
二十年前、マサオミさんは土木関係の仕事についていた。とある山奥の現場で、作業車の前に座り、タバコを一服しようとしていた時である。
現場監督のウエダさんが、タバコを指にはさみつつ、こちらに近寄ってきた。
嫌なやつと鉢合わせしてしまったな……と、マサオミさんは眉をしかめた。
二十二歳のマサオミさんは、この五十二歳の男のことが苦手だった。やけに断定的でぞんざいな調子で、上からばかり物を言う。なんだか刑事のような喋り方が、自分とはソリが合わない。そう感じていたのだ。
とはいえ、今腰かけたところなのにいきなり立ち去ってしまっては、さすがに感じが悪い。あきらめてタバコを取り出そうと胸ポケットをまさぐったのだが。
「あー! タバコ、現場の車に置き忘れてるわ!」
思わず大声が漏れた。
するとウエダさんは、黙って作業車のドアを開けたかと思うと。
「アニもハッカだったよな」
にいちゃんもメンソールを吸ってたよな、という意味のことを口にしつつ、助手席からマルボロ・メンソールのカートンを取り出した。
「銘柄、気にしねえなら、俺もハッカだから好きなだけ吸え」
そしてカートンの中の一箱を、ぽいとこちらに放り投げてきたのだ。
「あ、すんません……」
嫌っていた現場監督の意外な一面に驚きつつ、もらいタバコに火をつける。もっともKOOLを吸っていたマサオミさんにとって、マルメンはややきつく感じられたのだが。
二人で煙をくゆらしていると、ウエダさんはさらに意外な言葉を重ねてきた。
「おめえ、オバケっつーかそういうの信じてっか?」
「はい? オバケ?」
「いや、オバケっつーか、まあ、そんな感じのよ」
こちらの返答も待たず、ウエダさんは次のような体験談を語りだした。
そして結論から言えば、その話を聞いたマサオミさんは、ウエダさんのことが好きになってしまったのだという。
当時よりさらに二十年前なので、1980年代前半のことになる。
その頃、ウエダさんの叔父が亡くなった。親族の誰も予測できないほど急な病死だったため、葬儀から火葬まで、ひたすら慌ただしく動かねばならなかった。
家族持ちばかりの親族の中で、ウエダさんだけが子供もおらず、独身の身。またちょうど現場工事がひと段落し、スケジュールにも余裕があるタイミングだった。
「だもんで俺ばっかり重宝された……というより、ていよくこき使われたんだな」
ようやく火葬場にまでこぎつけた時には、ウエダさんはへとへとに疲れきっていた。遠方から駆けつけた親戚の手も増えていたので、これでようやくひと息つけるな、と胸をなでおろす。
さてと一服すっか……
タバコに手をのばしかけたのだが、人数が増えた控え室はぎゅうぎゅうのすし詰め状態。
喫煙マナーなどあってないような時代だったとはいえ、法事の席ではさすがのウエダさんも気がひける。
……そういや、外にベンチと灰皿スタンドがあったよな。
むしろその方がゆっくり休憩できるとも思い、会場をこっそり抜け出すことにした。
屋外の渡り廊下を過ぎて、中庭の隅にあるベンチに腰を下ろす。
喪服の内ポケットから取り出したのは、ミスタースリムである。細長いソフトパックの上部をひとさし指でとんとんと叩き、これまた細長い紙巻きを取り出す。
ライター、ライターはっと……
そちらは上着の腰ポケットに入っていた。くわえタバコのまま、前かがみになって手をまさぐらせた時である。
うつむけた視線の先、秋の午後の太陽によって、自分の影が地面に伸びている。そこにまた別の人影が、ふうっと被さってきた。
つられて、ゆっくり顔を上げる。
すると下から順に、地下足袋の足元、作業ズボン、腹巻、紺色の法被といった服装が目に入ってくる。
そんな職人風の恰好の上には、六十代ほどの爺さんの笑顔が乗っかっていた。うららかな陽射しを浴びながら、ひたすら静かで安穏とした微笑みを、こちらに向けている。
なんだろう……と思っていると、老人はひと差し指を一本のばした手を、こちらに突き出してきた。
……ああ、タバコを分けてくれってことか……
合点がいったウエダさんは、ふたたびミスタースリムのパックを叩いた。紙巻一本ぶんのフィルターが飛び出したので、そのまま何も言わず、パックごと老人に差し出す。
相手も無言でフィルターをつまみ、するする自分の口に運んでいく。そして何度も頭を下げつつ、ゆっくりベンチの隣に腰を下ろしてきた。
そこで老人の動きが止まった。相変わらず一言も発さず、タバコをくわえたまま、にこにこと目を細めながらこちらを見つめてくる。
……あ、そうか、火……
まだライターすら取り出してもいなかった。ウエダさんは自分のくわえタバコに火をつけ、続けざまに老人の方にも火を分ける。
どこまでも静かな中庭で、白い煙だけが青空にのぼっていく。
爽やかな秋晴れではあるが、雲がないため張り詰めたような冷気が身に染みる。
しかし横目に老人を見れば、法被の下はランニングシャツと首に掛けた豆絞り、それに腹巻きのみ。
……植裁の職人なんだろうけど、よく寒くないなあ……
話しかけるでもなく、話しかけられるでもなく、それでいて間が悪いとも感じられないような沈黙が、ひたすら流れていった。
「こおら! 待ちなさい! タケ! シンジ! 建物の中は走るな!」
そんな静寂を破るように、幾つもの声が響いた。
五歳ほどの子どもたち三人が、歓声をあげながら渡り廊下を駆け抜けていく。彼らが中庭に出きったところで、大人たちも安心したのだろう。二人の父親が、ベンチの灰皿に足を止め、おもむろにタバコを吸い始めた。
ふと目を戻してみると、いつのまにか老人はどこかへ去っていた。
それなら自分も退散しようかとウエダさんは腰を上げかけたのだが。
「いえいえ、お構いなく! 騒がしくてすみません」
男性たちに引き留められた。
……それならもう一本吸っておくか……
そう思ってパッケージをつかんだところで。
「あれ?」
ミスタースリムの金色の包装が、くしゃりと潰れてしまった。
一本残らず、タバコが消えているのだ。
先ほどまで確かに、半数ほどの紙巻が入っていたはずなのに。
「え、なんで、いつのまに」
パックをさかさまに振っても、落ちてくるのはわずかな葉クズのみ。
「あ、よかったらどうぞ。銘柄気にしなければ」
その様子を見ていた男性が、ソフトパッケージを下から指でトントン叩きながら一本手向けてくる。
まだタバコが安価で当たり前のように普及していた時代。見知らぬ他人同士でも、タバコをやりくりするのは自然な行為だったのだ。
「いや申し訳ない、お言葉に甘えて」
混乱しつつ、ウエダさんも相伴に預かる。
……おかしいよな、さっき俺が爺さんにあげた時も、パッケージを指で叩いて取り出したんだから、中身はまだ詰まっていたはずで……
そう考えているうち、男性二人の会話が耳に入ってくる。
「いや~、しかし元気だったよなあ。九十……七だっけ? 八だっけ?」
「九十七。医者の言うことも聞かないで、酒もタバコも達者だったもんな」
「棺桶には、カートンで入れてやりゃよかったな! 煙になるしちょうど良かったろ」
「そうだよ。二箱じゃ足りないよなあ。足袋はちゃんと入れておいたけどな」
ウエダさんのタバコを持つ手が、ぴたりと止まった。
「これから庭の木、誰が面倒見るんだ?」
「婆さん、木は残しておくって騒いでたからな。職人にでも頼むんだろ」
まるで脳みそに氷水をぶちまけられたように。
ここ数日の手続きで疲れきっていた頭が、ものすごい勢いでクリアになっていく。
そんな感覚を、この時のウエダさんは味わったのだという。
「タバコ、ありがとうございます」
ベンチから立ち上がり、いそいそと火葬場に戻っていく。
いくつか仕切られた区画の一つを通り過ぎようとした時、思わず足が止まった。
駆け足をゆるめたのではなく、完全に歩みが停止し、そこに立ちつくした。
火葬している間、炉の前には故人の氏名を記した立札の他、簡素な祭壇に花や供物などが並べられている。
その遺影に写っている、老人男性の顔。
目を細めた笑い方、左目の下にあったシミ、大きめの鼻。その顔の下に着こんだ法被まで。
つい先ほどまで、すぐ横目に見ていた、あの爺さんそのものではないか。
……ああ、へえ、そっか……なるほどなぁ!
怖いというより、強く強く、納得してしまった。なにをどう納得したのか正確には言えない。消えたタバコの行方なのか、少し違和感のあった老人の様子なのか。それらのなにがどうということではなく、とにかく色々と、腑に落ちたのだ。
そして。
叔父の火葬が滞りなく済んだ後、ウエダさんはもう一度、中庭のベンチへと足を運んだ。
なにげなく腰をかがめてベンチの下を覗いてみると、白い物体がぽつぽつと落ちているのを見つけた。
フィルターまで吸いきったタバコが八本。
まるで線香のような、やけに細長い吸い殻だった。
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次回もお楽しみに。また一服の時間にお会いできますことを。
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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