アニメのお値段事情 〜モーションロゴ編【3】〜

第3話:アニメーターの巣へ

JR中央線快速・高尾行きの車内は満員というほどでもないが、やはり混んでいる。
シートから足を投げ出して目を閉じているスーツ姿もあれば、膝を寄せた上にノートPCを広げている若い女性もいる。あとの乗客は性別・年齢層にかかわらず、左手につり革を握り、スマホの画面を右手の親指でこすっていた。隣の人と同じ姿勢で、同じ細かい動きで。いつ見ても、この電車の中のスマホの光景は一種の集団労働に見える。昔テレビで見た、封筒を折ったりボールペンの先をつけたりする内職のような単純労働。もちろん自分も例外ではない。スマホに目を落とし、LINEの赤い通知に指を滑らせる。

「そろそろ荻窪に着きますが状況どうですか?」
「いまスタジオから家に戻ったところなのでいつ来てもらってもOKです」

感染防止の換気のためにすき間を開けられたガラス窓から時折猛烈に冷たい風が吹き込み、徐々に通勤者たちの体温に混じっていく。すっかり暗くなった車窓の外をうかがう人はいない。
中央線荻窪駅のホームは、すでに息が凍りつきそうなほど寒かった。12月の初旬、それもとっくに20時をまわっているのだから当然だ。横からの木枯らしをまともに感じて思わず震えたとき、この駅にホームドアがないことに気づいた。中央線には様々な種類の車両が停車するためドアの位置がまちまちだから、ホームドアが設置できないと誰かが言っていたのを思い出した。確か、線路への飛び込み自殺が多いとか、そんな話題のなかで聞いた気がする。
鞄を抱えた人々が、反対側ホームに止まった新宿方面の車両に吸いこまれていくのが見える。感染者数が落ち着いてはきたものの、呑みに寄るのはまだおあずけというように、足早に帰路を急ぐ寒さで丸くなった背中と階段ですれ違う、いくつも、いくつも。こちらはこれから仕事だというのに。
片手でSUICAが入った財布を出し、ショルダーバッグの中の一眼レフカメラが狭い改札機にぶつからないようもう片方の手で押さえた。駅の外に近づくにつれ、ますます冷え込む。ルミネ荻窪の巨大なクリスマスツリーがキラキラと点滅しているが、足を止めて見上げる人はいない。荻窪に来たのははじめてだったが、こちらも足を止めている時間はない。とはいえ…ちらりとツリーに目をやった。
――前回、ケムール編集部でAさんのVコン(ビデオコンテ)にリテイクを出し、いまAさんは別案を作成している。リテイクにあたって納期の延長を申し入れてきた、その新しい期日は12月24日だ。
今日はその制作現場を取材しに行く。といっても、もちろんスタジオではない。場所はAさんの自宅だ。

 

駅徒歩20分のマンション

神田にあるケムール編集部から30分ほどで荻窪にたどり着いたが、目的地はまだ先。地図アプリが示すところによれば、はじめての土地で迷わなければ20分くらいで到着するだろうか。
西口のマクドナルド脇を回り込むと、周囲が暗い住宅街に変わった。一気に人通りがなくなった道を、Aさんから送られてきた自宅住所を示す地図アプリの赤いピンをたよりに、たびたびスマホを見返しながら進む。路地は細く入り組んでいて、すこし気を抜くと迷いそうだ。路線バスに後ろから追い抜かれるたび「乗っておけばよかった」と舌打ちするが、バス停に並んでいたら体が冷え切ってしまいそうだから、いっそ歩いたほうがマシだと思い直し、スマホのバッテリーを気にしながら、画面をスワイプすると新しいLINEが入っている。

「いまコインランドリーで乾燥機回したので、1階につくころ自分も下ります」

荻窪駅徒歩20分のマンション、部屋は8階とある。ワンルームなら7~8万円くらいが家賃の相場だろうか? アニメーターは帰宅する時間が不規則だから、乾燥機で服を乾かすのだろうか。乾燥機は買わないのか? 野次馬な編集者マインドでAさんの生活レベルを想像していく。気になっているのは、前回の打ち合わせでAさんが言っていた「年収」だ。
「アニメーター 平均年収」で検索すると、一番上に日本アニメーター・演出協会『アニメーション制作者実態調査報告書2019』の記事が出てくる。それによればアニメーターの平均年収はおよそ440万円で、日本人全体の平均年収467万円より低い。しかし、Aさんの年収はもっと高かった。アニメーターはフリーランスが大半を占めるなかで、その収入を決める要素は何だろう。ひょっとすると8階のマンションというのはかなりいい部屋なのかもしれない――などと考えているうちに、夜道にひときわ明るいガラス張りのコインランドリーが見えた。

1階に現れたAさんが、乾燥機から下着やジーンズをトートバッグに放り込むのを見届けてからエレベーターで隣接するマンションの8階に向かう。エントランスはインターホン式で、最近設置されたらしい宅配ボックスがある。真新しいわけではないが、もっと手ごろな物件はこの地域にいくらでもありそうに思えた。
なぜ荻窪に住んでいるのか聞いてみると、複数のアニメスタジオにアクセスがいいからだと答えてくれた。でもこんなに駅からのアクセスが悪ければ、結局は通勤に苦労するのではないだろうか? それとも車かバイクで移動するのだろうか――想像をめぐらせているとAさんが8階のドアを開けた。その瞬間、だいたいの疑問が氷解した。

 

動画屋マンション

まず、物件はワンルームではなく3LDKだった。玄関から延びる廊下の両脇に、バスルーム・洗面所・個室がひとつ並び、廊下は8畳ほどのリビングダイニングに繋がる、その左右にさらに2つの個室があった。
次に、そこは正確には「Aさんの家」ではなかった。現在3人が共同生活をしており、全員がアニメーターなのだ。起床時間が不規則なため、みな思い思いに自室で寝起きしているという。取材時もどこかの部屋にAさん以外の同居人がいるとのことだったが、就寝中らしく、顔を合わせることはなかった――まったく人の気配を感じないほど静かだった。

クリエイターの共同生活の話は聞いたことがあるが、実際には見たのは初めてだった。
非常に奇妙な部屋だ。乾燥機はおろか洗濯機がなかった。物件の広さの割に冷蔵庫が小さい。共用部であるLDKは特に変で、中心に食卓ではなくでかい本棚がある。そこには画集やケースに入っていない裸のDVDが積まれている。蔵書の中にはAさんが敬愛する今敏の絵コンテ集が見えた。

食卓はないが、テーブルがやたら多い。ローテーブル、事務机、こたつなどが置かれ、あるいは壁にたてかけられている。かなり違和感があったが、彼らの仕事に机は欠かせない。いや、さすがに多すぎると思う。
Aさんの部屋は物件の一番奥で窓に面した4畳半だ。学習机に似た照明と衝立つきのデスクと、ソファとプラスチックの箱に板を置いたローテーブル。またテーブルかよ! 壁には別のテーブルがたてかけてあるのに、なぜ簡素な机を作ったのだろう。

「高さがちょうどいいんですよね」

Aさんはそう言ったが、私には何にこだわっているのか全くわからなかった。ベッドはなく、ソファで寝ている。絶対にテーブルを捨ててベッドを置いた方がいいと思った。
作業机と床に書籍やプリントが散乱しているが、汚く散らかっているというよりは、単に手をかけていないという感じだ。マンガやアニメの書籍は山積みで、フィギュアもあったが、全体的に殺風景な気がするのはそれが趣味で買い揃えたものではなく「資料」だからだ。すべてのものが仮置きされているという感じの場所だった。

▲取材が入るため、部屋を片づけてくれたという

アニメーターはどう稼ぐか?

ICレコーダーを回し、Aさんの話を聞きはじめる。時間がないということで作業を進めながらのインタビューになった。やっとお金の話を聞けるぞ。
まず作業の進捗。モーションロゴのリテイク後、絵コンテは描き上げていて、いまはVコンの素材になる原画を描いているところ、半分ほどまで進んだという。当然だがひたすら手で描いていく。作業机の天板にライトが仕込んであり、下から紙を透かすのに便利だ。

首にヘッドフォンをかけ、漏れてくる音を聞きながら作業を進めていくAさん。

前回にも確認したが、アニメーターは個人事業主=フリーランスが多く、放送枠の1クール(3か月)ごとに現場が招集・解散する形式がメジャーである。報酬は「出来高」で決まり、基本給はない。原画マンや、Aさんのような演出ではこなしたカット数で報酬が決まるという具合だ。
Aさんから聞いて驚かされたのが、報酬の相場。原画マンなら1カット3000円ほどだという。仮に月給で30万円稼ごうと思えば100カット。アニメ1話のカット数を400とすると、アニメ1タイトルは原画マン4人を食わせる現場ということになる。作画枚数はカットによって変わるが、多くて20枚。平均して10枚とすると月産1000枚となる。一枚300円か。用紙に鉛筆を走らせるAさんの手元を見ながら、平均年収には届かないが食えないことはない仕事だ、と思った。
きつい点は、フリーならではだが年功による昇給はほとんどありえない。業界歴に関わらずいつまでたっても1枚300円であり、アニメ市場は成長傾向にあるがベースアップもないという。理由はアニメ制作まで予算増が回っていないからだ。裏を返すと企画や代理店などの上流工程が潤っている。

Aさんは作画中はタブレットでアニメの映像を流しておくそうだ。いい作画を見ると自分も乗って描けるらしい。
お気に入りのアニメを聞いてみると『攻殻機動隊 S.A.O』だと教えてくれた。ジブリのような劇場版アニメは作画のクオリティが高すぎて逆にテンションが落ちるとか。なにごともほどほどがいい。
さて、問題はそのAさんの年収だ。さすがに詳しい金額までは超密着主義のケムールといえども伏せておくが、平均年収よりは上だと聞いた、そのあたりを突っ込んでいきたい。先ほどの話からすれば、原画・演出のカット単価ではその水準に達するのはかなり難しいはず。どうやって年収を上げるのか。
まず、当然と言えば当然なのだが、アニメーターの年収は年により大きく変動する。Aさんの前年の年収は、平均年収を大きく下回っており、アニメーターの普通の給料だ。しかし今年は倍近くに増え、平均年収を超えそうだという状況らしかった。

では年功給がないアニメーターはどのようにレベルアップするのか、その要素は3つある。

①作業スピードを上げ、数を稼ぐ
②単価を上げる
③固定給を得る

まず①スピード。これはマシーンのようにひたすら手を動かすという方法になる。作画は他の絵と違い、他のスタッフとの分業・協働の中で生まれた形式だ。作画監督の意図を反映し、動画や仕上げのクオリティを引き上げる「指示書」としての役割を持つ作業にはコツも存在するので、うまく掴めば効率は上がる。個人のセンスと努力がモノを言うが、どうしても上限があるだろう。数を増やすだけで業界平均の2倍・3倍と稼ぐのは無理がありそうに感じた。
次に②単価アップ。これは①よりはレバレッジがききやすい要素だ。案件ごとに上流に自分を売り込むことは可能だし、自分の能力と案件のニーズが合致すれば、他のアニメーターより高単価で業務委託を受けられる場合はある。だからこそアニメーターは上流を意識して仕事をしなくてはならない、とAさんは言う。
一方で②の難しい点は「天才」が勝つ分野だということだ。大ヒットアニメを支えたアニメーターがそのまま制作プロダクションに入社して大作家のように扱われていたり、原画の段階で背景とキャラを一緒に動かすような超絶技巧のアクションシーンを描けるアニメーターがひと握りながら存在する。Aさんが言うには、ある有名アニメーターは、ある年はたった3カットだけ描いてギャラが700万円だったらしい。ただしそのシーンは切り抜かれて拡散し、アニメタイトル自体を一躍有名にした。いわゆる「神作画」というものだ。ちなみにそのアニメーターは、2021年は2カット描いたらしい…。
そして③だが、意外なことにフリーのアニメーターでも固定給を得る方法がある。それがまさにAさんの年収を上げた要素である「拘束契約」というアニメ業界に特有の制度だ。要は複数の現場を同時に担当しがちなアニメーターに対して、特定の現場を優先して対応してもらうための契約で、多くは「月間〇〇時間は~~の仕事を受ける」というように決められ、応じて月額が支払われる。「拘束」というワードを聞いてテンションが上がるのはアニメーターだけだろう。
「拘束契約」には「完全拘束」「半拘束」の2種類があり、もちろん拘束の度合が違う。「完全拘束」には作業費が含まれる場合も多く、それは要するに「専属」なのではないかと思ったがすこし違うらしい。他の現場の仕事を受けることもできるようだ。「完全拘束」の報酬は平均で25万円くらいだといい、これはかなり大きい。そこまで出すならスタジオで正規雇用できるのではないか?
「半拘束」は5万円~10万円くらい、報酬と同様縛りも緩めだ。しかし、もちろん作画費用は別で請求できる。固定で仕事も入り、固定給も出る。もっともアニメーターにとって旨味があるのがこの「半拘束」+「単価仕事」で稼ぐパターンなのだ。Aさんは2021年、アニメシリーズの演出の半拘束を受け、他のタイトルもこなして平均年収を超えた。

紙のリアリティ

③パターンを実現しているアニメーターはそれほど珍しくなく、収入アップの王道と言えるかもしれない。Aさんに「拘束」をゲットする勘所を聞いてみたところ、「上流工程を考えながら、チャンスがあったら交渉して飛び込む」ことだと答えた。演出で参加したあるタイトルで原画マンが降りてしまい、そこでいち早く交渉して売り込んだらしい。作画や演出のクオリティを保つのはもちろんのことだが、他から抜きんでるには発注側のニーズに気づかなくてはならない。そのために、現場の状況を知り、予測できる能力は必須だ。Aさんは演出という立場で原画チェックをしていたからこそ、現場の異変に気づくことができたのだ。しかし…来年も同じチャンスに恵まれるとは限らない。
といった話をしているうちに、徐々にモーションロゴは紙の上で動き出そうとしていた。ただ前回リテイクが出たライターの炎のゆらぎは予測できない。まだAさんの頭の中にあるからだ。スマホの上を指でそっとなぞるだけで、たいていの娯楽が手に入ってしまいそうな時代なのに、鉛筆を握ってこすりつけた紙をひと月1000枚売って暮らすというアニメーターの仕事姿には、どこか異様なリアリティがあった。

ともあれ――12月24日までにモーションロゴは納品されるのだろうか。作業机に重ねられた用紙を目で数えているとき、ふと、いままで気づかなかった別の空間が目に入る。
LDKの一角、本棚の裏に乱雑に置かれた段ボール箱や紙ゴミが積まれた場所。

「あれっ、あそこに作業机ありませんか?」
「ああ、昔ここに住んでたやつの机っすね……もう来ませんけど」

Aさんの作業机と、なんとなく形が似ているデスクだ。部屋の中にこんな廃墟のような場所があっちゃダメだろうというくらい、モノが捨てられている。
ここに座っていたアニメーターはどこに行って、いま何をしているのだろうか? 案外ある日ひょっこり戻ってきて、作画を始めるつもりなのだろうか。この部屋の不自然に多すぎるテーブルは、そのときを待っているようにも思えた。

 

次回はリテイク後にAさんが描きなおしたVコンを再検討し、動画や仕上げといった後続作業のお金事情に迫る。2022年もお楽しみに。

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