登録者130万人のYoutuber登場
今回の『たばこのことば』は、ケムール編集部がいつか絶対に会いたかった人。もちろん、ケムール読者の方々もきっとご存じであろう。
Youtubeチャンネル登録者数132万人。2020年3月開始。たったひとり、カメラ1台で新宿の路上に繰り出し、有名無名を問わず、あらゆる人生模様を「街頭インタビュー」で聞いて聞いて聞きまくったその数900本以上!!
『街録ch(がいろくチャンネル)』。
そのディレクター・三谷三四郎さん、登場です。
芸能人、経営者、夜の世界の住人、前科者、あらゆる表現者。自身の過去を語り、トラウマを吐き出し、怒りをぶちまけ、笑う。三谷さんのカメラの前では、初対面の人が壮絶な実体験をさらけ出してしまう。
なぜだろう? どのように接触し…会い…すべてを聞き出しているのか?
その異様な取材術を、ケムール編集部が選んだ「愛煙家」のインタビュー動画とともに紹介する!!
取材場所は「やはり」新宿ストリート
取材場所に指定されたのは新宿駅新南口、新宿ミライナタワー1階のあたり。キャンプ用品のL-Breathとヴィクトリアゴルフが並ぶ通りを人々が行き交う。東京近郊に住んでいれば一度は通ったことがある場所だ。
特に愛煙家はきっと甲州街道の高架下のデカい喫煙所に寄ったことがあるだろう。だって他に喫える場所がマジで無いのだ。(ちょっと前までNEWOMANの4Fに喫煙ルームがあったのにコロナで閉鎖…!)
いや、そんなことはいい。ここは『街録ch』で何度も見た場所だ。
三谷さんは自然体で現れた。
カメラ・マイク・一脚のみ。この装備900本の動画を制作した。
本記事では、現在のような著名人が登場する前の、「ぜんぜん波に乗っていないチャンネル立ち上げの頃の話」を聞こうと決めていた。そこがもっとも「自力」が問われる時期だからだ。
『街録ch』の開始は2020年3月。フリーのテレビディレクターだった三谷さんは新宿で第一歩を踏み出す。初日は雨だったという。なぜ「新宿」の「路上」だったのか。
「誰に話を聞くかもアタリをつけていない、街録取材。ただ新宿にはいままでの街録取材の経験で面白い人がいる率が高いとは思っていたんです。昼13時から21時くらいまで7人。正直、撮れすぎたんですよね(笑)」
最初にアップされた動画は「まさやん」さん。バツイチ・子持ち・32歳。仕事を辞めて配信アプリ「ふわっち」でギフトを稼ぐ配信者だった。
【新宿歌舞伎町】ライブ配信アプリ”ふわっち”だけで生計を立てるまさやん32歳
初日で7本も撮影できたのは、三谷さんがもともと「街録」のテクニックを持っていたからだ。
「もともと街録は声をかけて、すぐに話を聞きはじめる形式。テレビ時代から得意のジャンルだったんです。テレビでは1~2分くらい放映されるインタビューですが、Youtubeでは20分くらい話を聞いて、7~8分の動画にしていけば見やすい尺になると思いました」
ただ「楽勝」ではなかった。結果としてじゅうぶん撮れ高はあったものの、気持ちとしてはむしろ不安だったという。
「いままではテレビ番組の取材で行っているわけです。日本人なら誰でも知っているテレビ局の名前を名乗って聞いていたのに、なにも後ろ盾がない状態で足をとめてくれるのか、話してくれるのか。慣れている街録取材のはずなのに、そのときはドキドキしました」
すみません、新宿にいる人を取材していて……と話しかけるしかない。ただ、意外なほどすんなり受けてくれる人がいた。そこまで局の名前は関係ないのかも、と思えた。
収録初日に出会った「恩人」
Kemur PickUp:「街録ch」に登場した愛煙家①
坂口杏里の今/芸能界引退後ホストに狂い一晩で2000万使い…
Youtubeは過酷なビジネスだ。自由なテーマとペースで投稿できるプラットフォームだが「収益をあげる」ことを目的にした瞬間、世界が変わる。
毎日投稿、コメント返しは当たり前。視聴者の反応と再生回数を見ながら内容を調整し、また反応を見る。登録者数が増えるまではコストだけが積まれていく。自由とは程遠い動画制作が絶え間なく続くのだ。
街録では話を聞かせてくれる相手がいないと始まらない。手当たり次第に声をかけた。
「毎日投稿するための構成も考えていました。ひとりずつ取材していくのでは足りないから、シリーズ化もしないといけないなと。最初にシリーズ動画を出したのは、ホームレスのゲゲさんです」
20回を超えるロングシリーズになった「ゲゲさん」。じつは撮影初日に新宿駅東口で出会っていた人だった。
収入源は盗み/新宿ガード下のホームレスが飲み食いできる理由…
「ゲゲさんと出会ったときは……正直怖かったですね。テレビって基本的にホームレスの人には声をかけないんです。だからどんな対応をされるか経験がなくて、とりあえず行くしかないという感じでした。でも当たり前のことですけど、無視する人もいれば優しい人もいるんですよね」
取材に応じなくて当然、無理でもともという街頭インタビューの経験が生きて、Nさんの人生を聞き出すことができた。しかし、その時点では長い付き合いになるつもりはなかった。そこからYoutubeならではの展開が起きる。
「ゲゲさんの動画は初日に作ったなかで一番反響がありました。シリーズにしたきっかけは動画を見てくれた人の反応で、『ホームレスで金稼ぎすんな』という意見があったからです。ゲゲさんも『夢は社会復帰』と言っていて、だったら本当に社会復帰まで追いかけてみようって」
三谷さんのすごいところは、視聴者を巻き込む力だ。クレームを逆にNさんの応援企画に変え、ヒットシリーズにしてしまう。
「登録者5000人まではゲゲさんのおかげです」
ゲゲさんの後、仕事で知り合っていた美容師『ミサトさん』の人生を追ったシリーズは39回にもなった。
3時間のガールズトーク
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いまでも変わらない「街録ch」の魅力はこのときにすでに現れている。ホームレスを扱った企画や活動は珍しくないが、街録chには「社会貢献のために」というような大義名分がなく「たったひとりのその人と」何かをしようとするスタンスが伝わる。もちろんそれが一概に良いとは言えない。見方によってはえこひいきだし、野次馬根性ととられることもあるだろう。
ただ…そのように関わらなくては通じ合えない場合があるのではないか。「助けてあげよう」という姿勢では助けられない人がいる。なぜ三谷さんは異様なほど「誰にでもフラット」に撮れるのか。
「うーん…自分ではわからないですけど、昔から人の話を聞くのは苦にならないんですよね。表に出ない話というか、ゲスい話を聞くのが好きというか。高校生のとき、クラスの女子がサイゼリヤに集まってふだん仲良くしている女子の悪口をしゃべっているのを3時間くらい聞いているような奴でした(笑)」
もともとの「ゲスい」素質が街録取材で開花したというわけだ。毎日の投稿が続くなかで「街録ch」は伸び続けた。その過程で変化もある。
「だんだん尺が長くなっていきました。テレビだと1.2分に収めていたインタビューを街録chでは7.8分で配信し始めて、それが、20分、30分と長尺にしていったんですよね。きっかけは、動画の反響を研究していると、意外と僕が本筋だと思っていなかった部分にコメントがついていたんです。なんだ…カットしなくてよかったんだと。Youtubeでコメントがダイレクトに届くから気づくことができました」
テレビ出身の三谷さんの動画は、しだいに「テレビ」から離れてオリジナルの「街録ch」の形式に変化していく。
取材術で見る「街録ch」
しかしなぜ、トラウマを含むようなディープな個人史を、取材者は「カメラの前で」話してくれるのか。心を開かせる方法は、と問いかけてみた。
「出会う瞬間が重要なんです。待ち合わせ場所で出会う前からカメラを回しておいて、初めて顔を合わせた時の様子も映像にする。決めているのは。あえて下調べなしで取材すること。そのほうが自分のリアクションも新鮮になりますから。『何をやっている人なのか』から聞き始めて、いきなりディープなところは聞かない」
聞き始めたらフリースタイルに近い。テレビマン時代に身につけたテクニックだ。
「街頭インタビューって、気になった人に声をかけていい仕事ですよね。だからこそ、面白そうに話を聞くこと、ちゃんと相槌を打つことは気を付けています。新人のとき、僕が反応が薄くインタビューしていたせいで先輩のディレクターに『お前のせいでつまらないVTRになったんだ、撮り直せ!』と怒られたことがあって、今でもそのときのことを覚えています。確かにそうですよ。時間をもらっているんだから、礼儀というか」
それと…と付け足した。
「話を聞いてもらいたい、という需要があるんじゃないかという気はします」
シリーズ動画も出しながら、Twitterで気になった人にDMを送りまくり、来る日も来る日も路上に通い、撮りまくった。収益が月に数万円あがるようになってきたが、働き過ぎて体調を崩し、編集のアルバイトスタッフも雇うことにした。せっかく稼げるようになってきたのに、これでは赤字運営になる。
もっともきつい時期。
そんななか、チャンネル登録者1万人が見えてきたころに巨大な転換点となる動画が出る。「東野幸治」さんの登場だ。
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2020年9月。登録者1万人を前に、三谷さんは東野幸治さんにコンタクトをとり、出演いただくことになった。東野さんは番組を一緒に制作し、三谷さんの街頭インタビューを評価してくれたテレビ時代の恩人だった。
「出演をオファーするつもりはぜんぜんなかったんです。ただ、なんとかやっています、って報告したかった。僕が話を聞いてもらいたかったんでしょうね」
テレビ時代のコネクションが生きた瞬間。その席で東野さんの異例の「ノーギャラ出演」が決まる。当時すでに芸能界では「街録ch」が話題になっていたが、東野さんをきっかけに徐々に芸能人が「出演者」に変わっていった。街録スタイルで撮られた著名人の長尺インタビュー動画は例がなく、話題沸騰となった。
もちろんいままでのような一般人の方のインタビューも出し続けながら、「街録ch」はきらびやかなライトを浴びている著名人も、社会の陰に生きている市井の人もカメラ一台で平等に取材する唯一無二のバラエティチャンネルになっていく。
ちなみに…いままでのテレビのツテや出演者のコネクションでも届かない著名人にはどのように接触し、取材までこぎつけたのか。
「コネがなくてゼロからのアプローチになったのは、チャンネル登録者数100万人のタイミングで出ていただいた、オリエンタルラジオの中田敦彦さんですね」
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「もともと中田さんの大ファンで、ずっと見ていたんです。生配信のコメントにスーパーチャットを送ったり、中田さんのオンラインサロンに入会して発言したりもしました。そうしたら偶然、住んでいるシンガポールから日本にいらっしゃったタイミングで取材を受けていただけることになったんです。すごく嬉しかったし、緊張しました(笑)」
中田さんの取材が「街録ch」のなかで例外的だった点は取材依頼だけではない。三谷さんは取材時、自分が持っている中田さんの活動の知識や思いを全てぶつけていった。「前情報なし」のスタイルもケースバイケースで変わっていく。
…最後に、これから取材したい人は?
「実は…タモリさん。テレビ時代に『笑っていいとも!』にADで参加していたときがあったんです。もし僕のチャンネルにタモリさんが出ていただけたら、すごい夢ですよね。あと『いいとも!』では…ある企画で渡しそびれてしまった景品の指輪が手元にまだあるんですよ。それを当時の出演者の方に渡していくみたいな企画をやってみたいですね」
だれもが「街頭」で生きている
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三谷さんに独自の取材術を聞くつもりでインタビューしたが、テクニックよりも熱意が先に立っている印象を受けた。本人はいたって自然体だが、常に話を聞きたい人のことを考えているように見える。だからこそ低姿勢で、ゲスい好奇心を失わず、驚くほど柔軟だ。
数百人にインタビューするなかで、後に動画を削除した人もいる。そこからファンを得て発信者になった人もいる。いまでは出演者を集めてイベントを打つまでになった。
最新イベントは『地獄歌謡祭』。出演者がそれぞれの人生を歌うという『街録ch』ならではのFESだ。もちろん三谷さんも登場する。
でも変わらないモノもある。これからどんなにチャンネルが成長しても、拠点は「街頭」なのだろうか? 新宿駅前で三谷さんはこう言った。
「なんだろう…出演していただいた人が色々と話してくれるのも、街の適当な場所で収録しているからでもあると思うんですよね。喋ることが普通になるというか、スタジオで照明を焚いていてはこうはいかないんじゃないかって。東野さんの収録のときも、芸能人だからスタジオを借りないと失礼かなと思いましたが、街録ch だから路上で収録しました」
「もちろん、お金がかからないし、収録数もとれるからという理由で『街録』にしているんですよ。周囲に音があって、景色は流れてるし、陽が落ちてきたりすると絵に変化がつくのも良いですね。でも…何よりも『取材』じたいが非日常じゃないですか。だからこそゆるい、雑な感じでやりたい。僕たちはふだん、こういう場所で大事なことを話していると思うから」
取材協力
三谷三四郎
X:https://twitter.com/3tani34ro
■街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜
https://www.youtube.com/@gairokuch
■地獄歌謡祭【11/4開催 残席わずか!】
https://jigoku2023.peatix.com/?lang=ja