二台の映写機を交互に使って映画を上映していた時代。切り替えのタイミングの合図は、フィルムの端に出る黒丸印。
この印のことをアメリカ映画業界では“シガレット・バーン/煙草の焼け焦げ”と呼んでいました。
そう、昔から煙草と映画は切っても切れない関係にあったのです。
どこもやらない・追いつけない「最強のスモーキング・ムービー・ガイド」。今回のテーマは「映画バカの帝王」クエンティン・タランティーノです。
次回作『The Movie Critic』(原題)で監督を引退すると発表し映画界を騒然とさせている巨匠。魅力的なディテールとキャスティングの妙、そして膨大な映画知識を駆使して作り上げたシーンはまさに「そうそう、これが映画だよ!」という醍醐味にあふれています。
みなさん、もちろん大好きですよね?
でも…たまにはあえて「アイツの嫌いなところ」も思い出してみませんか?
レンタルビデオ業界を退いた後、『キネマ旬報』等雑誌、WEBでの執筆やTwitter (@eigaoh2)で自分の好きな映画を広めるべく日夜活動している70年代型映画少年。Twitterスペースで映画討論「#コダマ会」を月1開催。第2代WOWOW映画王・フジTV「映画の達人」優勝・映画検定1級・著書『刑事映画クロニクル』(発行:マクラウド Macleod)
70年代型映画少年の「帝王」
==ケムール編集部にて==
担当「小玉さん…ついにこの時が来ました」
私「?」
担当「最近『パルプ・フィクション』(’94)見返したんですよ、U-NEXTで…。かっこいいですよね。それで思い出しました。監督のクエンティン・タランティーノは1963年生まれ。小玉さんとは同世代じゃないですか」
私「ええまぁ、親近感はありますわな。お気に入りの映画や敬愛する監督が似てるし」
担当「というわけで、今回のシガバンのテーマは70年代映画少年のスター”タランティーノ監督作品縛り”でお願いします」
私「ええッ!」
担当「タランティーノはいま旬の中の旬なんです!
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の小説版『その昔、ハリウッドで』が出版され、今年から監督引退作品『The Movie Critic』制作もスタートします。
そして、8月には本人のドキュメンタリー『映画に愛された男』が国内公開!!」
担当「いままでケムール編集部は小玉さんの企画に振り回され…いや、二人三脚で一緒にやってきました。たまにはこちらのオーダーを聞いてくださいよ。何より『最強のスモーキング・ムービー・ガイド』である本連載、タランティーノは避けて通れないはずです」
私「なんでぇ~?」
担当「とぼけないでくださいよ。タランティーノといえばアゴかタバコかというほどの、喫煙シーンの名手でしょう?この紫煙の輝くポスターを忘れたとは言わせません」
私「ぐぬぬ…けど、読者の人を置き去りにするマニアックなことしか書けまへんで!」
担当「ふ、何を今さら。ーー置き去りは毎度のことじゃないですか!!」
タランティーノ・ユニバース
“ユニバース” - それは同じ世界観で描かれる様々な物語
それぞれ別の作品に共通する人物が登場し、各作品が複雑に絡み合うクロスオーバー作品と言えば、マーベル、DCといったアメコミが有名です。
実は今回、お話しするクエンティン・タランティーノも監督や脚本で関わった作品の中で、“ユニバース”を構築しているのです。
例えば、監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(’92)でマイケル・マドセンが演じたMr.ブロンドと『パルプ・フィクション』(’94)でジョン・トラボルタが演じたヴィンセント・ベガが兄弟であるとか、『キル・ビル Vol.2』(’04)には『ジャンゴ 繋がれざる者』(’12)でクリストフ・ヴァルツが演じたシュルツの妻と思われる女性の墓が登場するなどです。他にも色々ありますが、その関連性は映画を見ているだけではまず分からず、マニア向けの研究書を読まない限り気づきません。
一方で分かりやすいのは”商品”です。登場人物が持つアイテムの商標を注意して見ると、「これ、他の映画にも出てきたな」と気づきます。例えば『レザボア・ドッグス』でMr.ブロンドが飲んでいたソフト・ドリンクのカップには「ビッグ・カフナ・バーガー」のロゴが見えます。この「ビッグ・カフナ・バーガー」は『パルプ・フィクション』の他、タランティーノが脚本を執筆し出演もした『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(’96)にもさらりと登場する架空のハンバーガー・チェーンなのです。
謎のタバコ「レッド・アップル」を追え!
「タランティーノ映画とは?」と尋ねられたら「凝った物語構成」とか「不意に爆発するバイオレンス」とか「粋な音楽」とかと答える人は多いとは思います。しかしやっぱり「タバコ!」でしょ!
実はそのタバコにもタランティーノのオリジナル・レーベルがあるのです。それが「レッド・アップル・シガレット」。
大きな赤いリンゴから這い出てくる男の顔をした緑色の芋虫。
このイラストがパッケージに描かれたタバコの初登場は『パルプ・フィクション』でした。ユマ・サーマン演じるミア・ウォレスはショーパブ・レストランでカメラに向けて芋虫パッケージを向けます。
以後、「レッド・アップル・シガレット」はタランティーノ映画だけでなく、当時の恋人だったミラ・ソルヴィノ主演作『ロミーとミッシェルの場合』(’97)、盟友ロバート・ロドリゲス監督作『プラネット・テラー in グラインドハウス』(’07)にも登場。中でも印象的なのは、空港の通路に大きな日本語看板が飾られている『キル・ビル Vol.1』(’03)。
さらにレオナルド・ディカプリオ演じる主人公が「レッド・アップル・シガレット」のテレビCMに出演している『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(’19)。
しかも画面の外から聞こえるCM監督の声はタランティーノ本人!です。
引用元:daniel simone
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面白いのは「レッド・アップル・シガレット」が『ヘイトフル・エイト』(’15)にも登場していること。この映画、1887年のワイオミングを舞台にした西部劇なのですが、「そんな大昔からあったのか?」と疑問に思われる方もいるでしょう。実は発売が始まったのは1862年という設定まであるんです。
スモーキング・ジェネレーション ”タバコは最強の小道具”
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で流れる「レッド・アップル・シガレット」のCMは“タランティーノ・ユニバース”というだけでなく、歴史的、そして “タランティーノ映画=タバコ”というイメージに繋がる重要な意味を秘めています。
アメリカでは50年代からテレビでタバコCMが放送されていましたが、1971年1月2日午前0時をもって全面禁止になりました。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の物語は1969年の出来事。
つまりあの「レッド・アップル・シガレット」はタバコがコマーシャルの花形だった時代の終焉を象徴するものでもあったのです。
テレビで宣伝が出来なくなったタバコ業界は新聞、雑誌、屋外広告への出稿を増やす一方、1930年代より行っていた映画業界へのプロダクト・プレイスメント(=企業が商品やブランドをテレビ番組や映画の中に登場させる宣伝手法)を強めます。俳優や製作プロダクションに金銭などを与え、その見返りに映画の中にタバコを登場させました。
カッコ良くタバコを喫う大スターは、コマーシャルや雑誌広告に出てくる無名のモデルよりも宣伝効果が格段に高かったのは言うまでもないでしょう。実際、2010年のアメリカの調査によると喫煙者の44%は映画がきっかけで喫煙を始めたといいます。
タランティーノもそんな喫煙者のひとりだったに違いありません。
そして仲間たちとファミリー・レストラン等でバカ話に興じたのでしょう。そのダベリを基に『レザボア・ドッグス』の冒頭シーンを書いたのです。
正直言って、あのマドンナの楽曲「ライク・ア・ヴァージン」の自説開陳がなければ、タランティーノは注目を集めなかったかもしれません。こうしてタランティーノ映画に“タバコを喫いながらの無駄話”はなくてはならないものになったのです(もっとも同作ではタランティーノ自身は喫煙しませんが)。
映画からタバコが消えるーー大禁煙時代にタランティーノが発明した“奥の手”
しかし、『パルプ・フィクション』が公開された1994年。ロサンゼルスでは、公共スペースで喫煙が厳しく制限される法令が施行されます。
これはタランティーノ映画にとっては大問題です。レストランではヤニを喫いながらの無駄話が出来なくなり、路上ではタバコを咥えて歩けなくなるのですから。
この苦境を脱するため、『ジャッキー・ブラウン』(’97)では物語の舞台をロサンゼルスから一時間の距離のトーランスに移します。ここは2019年まで屋内施設で喫煙ができたのです。そしてこの街の飲み屋やショッピング・モールでパム・グリア演じるジャッキー・ブラウンに日本のタバコ「マイルド・セブン」をクールに喫わせました。
続く『キル・ビル Vol.1&2』で登場人物がタバコを喫うのはテキサスか日本だけ。
『デス・プルーフ in グラインドハウス』(’07)では舞台を南部テネシーの酒場にします。しかしそこでも分煙が行われていました。登場人物はタバコを喫いたければ屋外に出なくてはなりません。これでは売り物の無駄話も盛り上がりません。
とは言えそこはタランティーノ。ただでは終わらせません。劇中でタバコを吹かさないガールズ・トークを約8分間、1カットで行います。どこまでが脚本で、どこからが俳優のアドリブか分からない、この会話シーン。タランティーノの技量に感心させられるのですが、これはあくまで一度限りの禁断の技。二度、三度と通じる訳ではありません。
禁煙、分煙の法令がアメリカ全土に広がり、喫煙者に冷たくなった21世紀初頭のアメリカ。自らの十八番の芸、紫煙に包まれた言葉のやり取りが禁じ手になりかけた時、タランティーノは天啓を得たのです。
それは、
「タバコを自由に喫えた時代に戻ればいいじゃねえか!」
そこで『イングロリアス・バスターズ』(’09)は1944年のフランス、『ジャンゴ 繋がれざる者』は1858年のアメリカ南部、『ヘイトフル・エイト』は1887年のアメリカ北部、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は1969年のロサンゼルスを舞台にしました。そして誰憚ることなくタバコの煙をスクリーンに漂わせたのです。
そして2023年秋より撮影開始の監督引退作『The Movie Critic』(原題)の舞台は1970年代のロサンザルス。きっとタランティーノはこれまでと変わらず、ヤニ臭い無駄話を繰り広げてくれることでしょう。
==ケムール編集部にて==
担当「な、なるほど…小玉さんの読みが当たりだとしたらマジでタバコありきで映画を企画していることになりますね。すごいタバコ愛だ」
私「アメリカでは自分のタバコを「レッド・アップル・シガレット」に変えるレプリカ包装紙とかロゴ入りTシャツとかも売られてるみたいですわ。ケムールさんで扱ってみたらどないです?案外、売れると思いまっせ」
担当「でも…この原稿、ボクは不満です!」
私「なんで!?」
担当「たしかに超面白いトリビアですよ。でも小玉さんの意見が書いてないじゃないですか。同時代に映画にハマった映画少年として、小玉さんはタランティーノをどう考えてるんですか」
私「告白しますけどなぁ、担当はん、私はタランティーノについて考えると我を忘れてしまいますねん」
担当「えっ? 我を忘れる?」
私「普通の人には…分からん話になりまっせ」
担当「な、なんですか、成田三樹夫みたいな目つきになっちゃって…」
私「どないなっても知りまへんで」
「ゴダール」ゆずりの超絶引用テクニックを見よ!
クエンティン・タランティーノは子どもの頃から映画に溺れ、レンタルビデオショップで働きながら脚本を書いて、映画作家になったことで知られています。
彼と同じように映画オタクから映画監督になったのがヌーヴェルヴァーグの旗手ジャン=リュック・ゴダールです。
二十歳で映画批評家となり、映画専門誌『カイエ・デュ・シネマ』で攻撃的な評論を書き、三十歳の時に監督した初の長編映画『勝手にしやがれ』(’60)で映画作りの概念を根底から覆した、映画史にその名を残す巨人です。定石や手法に囚われない作劇術、自らが好きだったり、影響を受けたりした映画、小説、絵画を自分流に解釈して自由奔放に作品中に引用する監督術は以後の映画青年たちに多大な影響を与えました。
タランティーノもその内のひとり。時間が交差する『レザボア・ドッグス』『ジャッキー・ブラウン』、ディティールのみの挿話集『パルプ・フィクション』、西部劇や戦争映画などオーソドックスなジャンル映画を変化球でまとめる『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』などはゴダールの作劇のスタンスに通ずるものを感じます。
また、好きな映画を自己流解釈で引用するスタイルも同様です。『キル・ビル』二部作のようにブルース・リーの衣装などストレートで分かりやすい引用と、『パルプ・フィクション』での『三つ数えろ』(’46)、『イングロリアス・バスターズ』での『ワイルドバンチ』(’69)や『スカーフェイス』(’83)のように、キャラクター、シチュエーション、1カットをアレンジする“細かすぎて伝わらない” 引用もゴダール譲りです。
“細かすぎて伝わらない” 引用と言えば『パルプ・フィクション』のユマ・サーマン。よく言われている通り、彼女とジョン・トラボルタのダンスはフェリーニの『8 1/2』(’63)とゴダールの『はなればなれに』(’64)の分かりやすい引用です。
一方、ユマ・サーマンのメイクやヘアスタイル、そして「何をするのも私の責任」と言わんばかりの堂々とした煙草の喫い方は“細かすぎて伝わらない”引用。これはゴダールの『女と男のいる舗道』 (’62) のヒロイン、アンナ・カリーナからの引用なのです。その証拠にカリーナの漂うような一人踊りをサーマンにさせています。
引用元:p.c.x. [pedro coelho xavier] © 1994 Miramax, LLC. All Rights Reserved.
思うにタランティーノは若干左右に広がった大きな瞳が特徴のサーマンにカリーナの姿を見つけたのでしょう。そしてゴダールにとってカリーナがそうであったように、サーマンを自らの“創造の女神/ミューズ”に見立て、『キル・ビル』二部作を作り出したのかもしれません。
”分かった上でやってんだよ”ーーゴダールから継承した「秘技・批評封じ」
自らの映画製作プロダクション「A Band Apart」をゴダール監督作『はなればなれに』のフランス題“Bande à part”から取る程、ゴダールに傾倒しているタランティーノ。映画監督としての処世術もゴダールを模倣している節があります。
批評家時代のゴダールは現役の映画監督の多くを激しく批判する、フランス屈指の“攻撃型シネフィル”と恐れられたそうです。そんな男が監督業に進出し、その長編デビュー作が『勝手にしやがれ』です。
ゴダールの背景を知らずにこの映画を観たら唖然とする方がいるかもしれません。あるような無いような物語、無駄に繰り返される会話、動きや時間の繋がりを無視した編集に「なんだ、この下手くそな素人映画は!」と思ってしまうかも。
ところがゴダールの批評を読んで、彼の映画的教養を知っている人は違います。「一見、素人に見える手法はゴダールが熟慮を重ねた末、生み出したものに違いない。」と。
こうしてゴダール映画は“通常の評価基準では測れない作品”として、批評家や映画マニアに認識されました。ゴダールは自らの映画的教養の底を隠すことで批判を封じることに成功したのです。
これぞゴダールが生み出した「秘技・批評封じ」!
これをタランティーノが受け継ぎました。
レンタルビデオショップで働いてきたことや、映画の好きさ加減を積極的にアピール。フェリーニやゴダールなどのアート系映画と、イタリアン・ホラーや千葉真一映画を同列に並べることで、批評家や映画マニアに自らの映画的教養を誇示し、自作を過去の映画と関連付けて語ります。
こうなるとタランティーノの“底なしの映画馬鹿”に対して世間のイメージは一人歩きを始め、どんなものを作っても「分かった上でやっているのだ」と思わせることが出来ます。映画通やマニアの多くはタランティーノ映画を「なんだ、これ?」とか「長ぇよ」と思っても、おいそれとは言えません。そんなことを言おうものならタランティーノ本人や、彼を支持する人たちから「えっ、君は分からなかったんだ?」と言われてしまうかもしれないのです。
“映画馬鹿” 二代の禁断の秘術。恐るべしです。
映画馬鹿の私がタランティーノを許さない理由
リヒャルト・ストラウスの交響曲『ツァラトゥストラはかく語りき』、サイモン&ガーファンクルの楽曲「サウンド・オブ・サイレンス」、ドアーズの「ジ・エンド」を聞いた映画ファンは、『2001年宇宙の旅』(’68)、『卒業』(’68)、『地獄の黙示録』(’79)を連想します。これらに共通するのは、いずれも映画のために作られた楽曲ではないということ。しかし映画で効果的に使われたことによって、まるでその映画のテーマ曲のようになっています。
映画音楽の一手法として定着した既成曲の使用。これをタランティーノも積極的に行い、特に一般的に知られていない曲を自らの映画の代名詞にまで昇華させてきました。
例えば、ザ・ジョージ・ベイカー・セレクションが演奏する「リトル・グリーン・バッグ」を聞けば『レザボア・ドッグス』を思い浮かべ、フランス映画『TAXi』(’98)でディック・デイル&ザ・デルトーンズが演奏する「Misirlou (ミザルー)」が流れれば「『パルプ・フィクション』の曲!」とツッコミを入れる映画ファンは多いでしょう。
これだけならタランティーノが先人に倣った偉業として賞賛出来るのです。
これだけなら。
しかし、残念ながらタランティーノは“映画馬鹿”。やりすぎるのです。
それが別の映画のために作られた劇音楽の自作への流用です。
これはあまりにも…「仁義なき流用」を告発す
アマチュアが自主映画で好きな映画の音楽を劇中に流すのは許されますが、プロはそうはいきません。同じ映画人への仁義があります。楽屋落ちのパロディ目的ならともかく、すでにある映画の曲を、さも自分の映画のために作られたかのように流すなんて許されることじゃありません。
使うにしてもこれまでは、『ゴースト/ニューヨークの幻』(’90)でのライチャス・ブラザースが歌う「アンチェインド・メロディ」や、『モナリザ』(’86)でのナット・キング・コールが歌う「モナ・リサ」のように、元の映画から離れてポピュラーソングとして広く認識されている歌曲に限っていました。
ところが深作欣二の映画が大好きなタランティーノは仁義なんて歯牙にもかけません。『ジャッキー・ブラウン』の冒頭に『110番街交差点』(’72)の主題歌を、中盤に『シャーキーズ・マシーン』(’81)のオープニングを飾ったランディ・クロフォードが歌う「ストリート・ライフ」をドヤ顔で流したのです。
結果、何が起きたかというと、この2曲は元の映画を知らない世代に「『ジャッキー・ブラウン』で使われた曲」と認識されるようになったのです。ハッキリ言って、『110番街交差点』『シャーキーズ・マシーン』が好きな私のような人間にとって、これほどの屈辱はありません。腹が立つやらなんやらです。
これをきっかけにタランティーノは既成曲の仁義なき使用を盛大に行うようになります。『キル・ビル』二部作では梶芽衣子が歌う『女囚さそり』シリーズ(’72~’73)、『修羅雪姫』シリーズ(’73)の主題歌を、『デス・プルーフ in グラインドハウス』では『クルージング』(’80)のエンディング・ソングを、『イングロリアス・バスターズ』ではデヴィッド・ボウイが歌う『キャット・ピープル』(’82)のテーマ曲を、『ジャンゴ 繋がれざる者』では『ラスト・アメリカン・ヒーロー』(’73)の主題歌を流します。
これらの歌曲もオリジナルの映画ではなく、タランティーノ映画の音楽と思われるかも、いや、すでに思われているかもしれません。もしそうなら、まるで初恋の人を奪われたかのように切なく、悔しい気分になってしまいます。
余罪はまだある!終わらないタランティーノ裁判
タランティーノのえじきになったのは歌曲だけではありません。エンニオ・モリコーネを初めとする名映画音楽家が他の映画のために作曲した劇伴音楽の数々を、まるで自らのライブラリーのように好き放題に利用しました。
『ジャンゴ 繋がれざる者』では映画音楽愛好家にファンの多いジェリー・ゴールドスミスが『アンダーファイア』 (’83) で作った傑作スコアを、自分の作品に合う長さに編集して使い…
▲「このシーンが許せない!」
『ヘイトフル・エイト』では念願叶ってモリコーネにオリジナル・スコアを担当してもらいながら、様々な事情があるにしろ、『エクソシスト2』 (’77) 『遊星からの物体X』 (’82) のために作曲したモリコーネ音楽を再利用!
それなのに、この『ヘイトフル・エイト』でモリコーネは初のアカデミー賞作曲賞を受賞しました。
タランティーノにしてみれば“リスペクト”でしょうし、アカデミー賞作曲賞も獲れたんだからいいじゃないの?と、原曲を知らない方は思うでしょうが、曲を聞いたら元の映画を思い出す私のような者にはこの所業の数々は許し難いことなのです。
私はタランティーノに言いたい。
「そのメロディは “お前だけのものやない” ぞぉぉぉぉ!
もとの映画が大好きな“みんなのもん”なんやぁぁぁぁ!
ええかげんにせぇぇぇぇよ!」
==ケムール編集部にて==
担当「まままま! 落ち着いてください」
私「すんません。せやから言うたでしょう」
担当「しかし…すごい怒りですね、同じ時代の映画にハマっているだけに…」
私「近親憎悪みたいなものかもしれまへんな…」
担当「映画馬鹿ってめんどくさい(汗)。そう言えば小玉さんのツイッターの固定ツイートにある『昔、昔、太秦で』って何ですか?」
連ツイ映画読み物
「昔、昔、太秦で」全63ツイートhttps://t.co/NuN5d1Q3Ky「仁義なき戦い 松竹×東映死闘篇」全19ツイートhttps://t.co/8MjoEe1sIz
「贋作:キネマの神様」全23ツイートhttps://t.co/B3FgQBkbPh
【カタルシネマ】「70年代アメリカ映画の魅力」全5回https://t.co/4wjKxW4zRe pic.twitter.com/t5ZP2ajFDa
— 小玉大輔 (@eigaoh2) August 15, 2021
私「何って言われても…昔の東映太秦撮影所を舞台にした架空のお話ですわ」
担当「“昔、昔”って“ワンス・アポン・ア・タイム”でしょ? なんだかんだ言って、実はタランティーノ、大好きじゃないですか~~?」
私「ぐぬぬ」