愛煙家ならもちろん、煙草を吸わない映画ファンにも、心に火を点けた魅力的な煙草の名場面があるはず。銀幕を彩った紫煙の名シーン・名優・名監督を紹介する「最強のスモーキング・ムービー・ガイド」です。
『麦秋』©1951 松竹株式会社
レンタルビデオ業界を退いた後、『キネマ旬報』等雑誌、WEBでの執筆やTwitter (@eigaoh2)で自分の好きな映画を広めるべく日夜活動している70年代型映画少年。Twitterスペースで映画討論「#コダマ会」を月1開催。第2代WOWOW映画王・フジTV「映画の達人」優勝・映画検定1級・著書『刑事映画クロニクル』(発行:マクラウド Macleod)
ケムール編集部にて
東京が暮色に包まれたころ
私「最近、学生時代の友人に孫ができてね」
担「そうなんですか。おいくつで?」
私「彼は僕と同い年だから今年で還暦だね」
担「六十ですか」
私「そうなんだよ。それでね、ちょいと小津安二郎の映画を観てみたんだ」
担「どうしてです」
私「どうしてって、そりゃ、若い頃は六十歳のイメージといえば小津映画の登場人物だからね。今の自分たちと比べようと思ってね」
担「なるほど。で、どうだったんです?」
私「年上だと思っていた登場人物のほとんどが年下になってたんだよ。しかもだよ、小津って六十歳で亡くなっているんだ」
担「早いですね」
私「つまりさ、娘の結婚を心配する男親の映画を作っていた小津は僕よりも年下だったんだよ。なんだか、自分が情けなくなっちゃってね。見てごらんよ、この写真」
私「まだ僕にはこんな落ち着きも貫禄もないよ」
担「比較するのが間違ってますよ…」
私「そうかね?」
担「そうですよ」
私「そうか…せっかくだから、今回の『シガレット・バーン』は小津映画について書かせてもらうよ」
担「どうしてですか?」
私「まぁ…読めば分かるよ」
小津安二郎とは何者か?
無声映画時代から35年のキャリアの中で作った映画は54本。溝口健二、黒澤明と並んで20世紀日本映画を代表する名匠。
『パリ、テキサス』(84)のヴィム・ヴェンダース、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)のジム・ジャームッシュ、『枯れ葉』(23)のアキ・カウリスマキ。海外の映画監督にも敬愛される世界的巨匠。
ローポジションの撮影、T字の構図、独特なリズムの会話。映像を観ただけで小津映画だと分かる、唯一無二の様式を持つ映画作家。
小津安二郎は、古今東西の映画に目覚めた若き映画ファンなら、その作品を観なくてはならない監督の筆頭です。
しかし20代で小津映画を観てもピンと来ないのが正直なところ。だって小津映画で描かれる娘の嫁入りなんて話は若者には実感が湧きませんもの。おまけに会話シーンでは、登場人物が変な方向を向いて会話しているように見えて、違和感を覚えてしまうんです。
まぁ、「そんなことはなかった。私は最初から理解出来た」と仰る方もいるでしょうが、少なくとも私が20代の頃は“教養”として小津映画を観ておりました。
それが不思議なものです。年齢を重ねた今、小津映画を観ると様々なことが身近に感じられて、「分かる、分かる」になっていたのです。
「映画は変わらないが、人は変わる」のです。
そして小津劇団とも呼ぶべき常連俳優たちのアンサンブルや、数作に一回ある笠智衆の歌のコーナーを心待ちにし始めたのです。
やがて必要最小限の人物描写に隠された登場人物たちの関係や、小津の願望・妄想を読み解く“考察映画”として楽しめるようになり、遂にはカメラ目線の俳優たちに代弁させる生き方、結婚に関する小津のお説教をありがたく聴き入るに至りました。
気がつくと私の中で小津映画は“教養”から“娯楽”に変わっていたのです。こうなると映画の細部に目を向ける余裕が生まれてきます。例えて言えばアクション映画でどんな銃を使っているか、なんてことを気にするのと同じ。
何に目が向くかというと…。
もうお分かりですね。タバコでございます。
私「小津安二郎は「酒とタバコ、どちらかをよせといわれたら、酒をよす」って言うぐらいの愛煙家でね」
担「そうなんですか?」
私「そうなんだよ。今、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(23)で注目されているピースを好んでいたそうなんだよ」
担「へぇ~…」
私「だからだと思うのだけど、小津映画の登場人物はよくタバコを喫うんだ」
担「日本人男性の80%がタバコを喫っていた時代というのもあるでしょうね」
私「だからね、小津映画のタバコ仕草を観ると、戦前・戦中・戦後の日本人とタバコの関係が見えてくる気がするんだよ」
戦前・戦中篇
無声映画時代から活動していた小津安二郎。全作をネタにすると恐ろしく敷居が高くなるので、今回は初の発声/トーキー映画『一人息子』(36)から遺作『秋刀魚の味』(62)までの19作に限らせてもらいます。
まずは『一人息子』。小津映画の顔とも言うべき常連俳優・笠智衆が32歳にして初めて老け役に挑戦した映画として知られています。
笠翁が演じたのは長野県飯田の小学校教師。優秀な教え子の進学に否定的な母親を説得するため家庭訪問に来るなり、いきなり一服します。今、先生がこんなことをしたら、即日、学校にクレームが入ること確実ですが、1936年/昭和11年の日本では学校の先生には絶対的な権威がありました。家庭訪問でタバコの一本や二本喫っても誰も文句は言えません。それどころか当然のことだったのです。
まさに“権力タバコ”!
この先生、家庭訪問の後すぐ、星雲の志を胸に東京へ行くのですが、数十年後、教え子とその母親に再会すると、場末のトンカツ屋を営み家族を養う身に零落しています。二人に自分の身の上を自嘲気味に語る元教師の口にあるのは勿論、タバコ。
この時、彼が喫っていたタバコの銘柄はわかりませんが、当時、低所得者向けのタバコと言われた「ゴールデンバット」はひと箱8銭。元教師が売っているトンカツは1枚5銭。この生活での喫煙の是非は兎も角、少なくとも元教師の彼にとって、タバコは夢破れた日々の憂いを癒す道具になっていたことは確かなようです。
『淑女は何を忘れたか』(37/昭12)は山の手の高級住宅に暮らす夫婦の物語。
医学部教授の夫はくわえタバコで顕微鏡を覗き、書斎やスナックではパイプの煙を味わいます。この階級の男性にとってタバコは贅沢品ではなく、日用品です。
それは女性も同じこと。妻とその友達連中は煙管やタバコを喫いながら井戸端会議をし、観劇に行った歌舞伎座で一服。
遊びに来ている姪っ子は「嫁入りの娘が喫っちゃダメ!」と禁じられても隠れて一服を楽しみます。彼女たちの自然なタバコ仕草は本作の大きな魅力と言っても間違いではないでしょう。
とりわけ魅力的なのが姪っ子、桑野通子。随所に堂に入った喫いっぷりを見せるのですが、中でもおじさんが喫っているタバコをひょいと取って、口にするところや芸者の踊りを見ながら一服する姿に、この時代の“新しい女性像”を実感させます。
とは言え、彼女たちは信じがたい行為をするのです。それはタバコの灰の処理。彼女たちは灰皿を使わず、なんと自宅、喫茶店、そして歌舞伎座でも床に直接、タバコの吸い殻を落とすのです。当時はそれが当たり前だったのかもしれませんが、現在では理解不能なタバコ仕草です。
『戸田家の兄妹』(41/昭16)で、「これは分かるぅ」となるタバコ仕草を見せるのは佐分利信。彼は実の母と妹を厄介者扱いした不人情な兄や姉に、法事の席で雷を落とす前に黙々とタバコを燻らせます。やがて怒りが頂点に達したのでしょう。
静かにタバコを灰皿に投げ捨てると、やにわに痛烈な説教を始めます。そして兄たちを完全論破し、反省を促し、中座させます。そのありさまにシンデレラか、リア王状態だった母と妹は感涙。すると佐分利信は高ぶった気持ちを鎮めるためか、再びタバコに火をつけます。一口喫っただけで灰皿にポイ。そしてそれまでとは、まるで違う優しい表情で彼女たちに語りかけます。
う~、カッコいい。さすがは未来の“日本の首領”。
思えばかつて喫煙者は説教や乾坤一擲の意見を始める前、佐分利信のようにタバコでメンタルをコントロールしたものです。そういう場での喫煙が難しくなった現代、ここ一番の発言をしなければならない時、どうすればいいのでしょうね?
太平洋戦争中に小津が撮った唯一の作品が『父ありき』(42/昭17)です。再び老け役を演じた笠智衆が本作で見せるタバコ仕草は絶品です。彼が愛飲しているのは片側に「口紙」と言われる厚い円筒形の喫い口がついた、“口付タバコ”と呼ばれる両切りタバコの一種。笠翁は吸い口を平たくして口にするという作法通りの喫い方を披露します。
笠翁は、男手一つで育てた息子(演じるのは笠翁とたった七歳差の佐野周二)が教師になった時、二人で旅行に出かけます。親子でビールを酌み交わした時、笠翁は「タバコを喫うのか?」と問います。息子が恥ずかしそうに「少し喫います」と答えると、笠翁は自らのタバコを与え、火をつけてやります。
これぞ、親子タバコ!
この親子を見て感じるのは、ある時代の男性にとって、酒とタバコは“大人になった証”だということです。その証拠に酒とタバコを分かち合った笠翁はとても満足気な表情を浮かべます。可笑しいのはその後です。笠翁は思いのほか、タバコ慣れしていた息子にしっかり注意するのです。
「少しはいいが、あまりやらん方がいいぞ。こいつは頭を悪くする」と。
◇
担「“親子タバコ”、いいですね」
私「君の夫婦はどちらが強いんだい?君かね、奥さんかね」
担「そりゃ、妻ですよ」
私「だったら、いつか笠智衆と同じことが出来るよ」
担「どうして分かるんです?」
私「うん、いいんだ、いいんだ。ところで『淑女は何を忘れたか』で僕は戦前に対するイメージが変わったよ」
担「というと?」
私「いやね、戦後生まれの僕たちは戦前を暗い時代だと思いがちだけど、あの映画の明るさを観ると、そういうのは一面的なモノの見方だなってね」
担「映画と現実は違うんじゃないですか?」
私「そう言うが、小津映画はホームドラマだよ。現実とあまりに違いすぎたら観客に違和感を持たれて、成立しないんじゃないかな」
担「そんなもんですか?」
私「そんなもんだよ」
担「じゃあ、戦後の小津映画はタバコ仕草だけでなく、時代の変化も絡めて語ってください」
私「そりゃ、大変だな。やらなきゃダメかね」
担「そういうことをするのがシガバンじゃないですか」
私「ああ、そうか」
戦後・復興期の男タバコ
終戦直後、金銭的余裕のある人は進駐軍から横流しされる外国タバコや1946年1月に発売された「ピース」を味わうことが出来ました。しかし多くの国民は1949年(昭24)から始まった1日3本と定められた配給タバコが精いっぱい。配給とは言ってもタダではありませんから、焼け跡で暮らし、明日の食べ物にも苦労する身には気軽に手が出せません。結果、1947年(昭22)まで15歳(!)以上の日本人の年間消費量は360本以下。つまり当時の一般的スモーカーはニコチンを1日1回も摂取することが出来なかったのです。
『長屋紳士録』(47/昭22)と『風の中の牝雞』(48/昭23)には、その頃のタバコ事情が描かれています。
まずは『長屋紳士録』。明治生まれと思われる年長者たちはタバコの葉の消費量が少ない煙管を愛用しています。
日々の暮らしの苦労をニコチンで忘れたい失業者は吸い殻の余った葉を巻き直して一服すべく、街中でシケモクを拾います。これは両切りタバコしかない時代だからこそ出来たこと。
そして最もこの時代の実情が分かるのがラストです。記録映画調に撮影された上野公園にたむろする戦災孤児たちの中に一本のタバコを分け合う二人の少年がいます。お菓子ではなくタバコを口にする、年の頃12、3歳の彼らに胸が痛みます。なぜなら喫煙は大人の証。親の無い彼らは大人にならなければ、この時代に生き残ることが出来なかったのです。
『風の中の牝雞』では敗戦後、3年に及ぶ抑留生活から復員した夫が、再会した妻に最初に頼むのが、タバコです。この時、彼は「煙のたくさん出るやつ」と注文を加えます。ひと言で彼が戦地でどんな思いで生きてきたかが分かる見事な台詞です。
1949年(昭24)、日本専売公社が発足し、翌1950年(昭25)に配給制度が廃止され、タバコは完全自由販売になりました。途端に日本人1人あたりの消費本数は増大。その年の内にそれまでの最大消費本数、1942年(昭17年)の1,160本を超える1,220本を記録。以後、1977年まで右肩上がりに増えていきました。この世相に小津映画は反応します。
日本専売公社設立と同じ年に公開された『晩春』(1949/昭24)で小津の分身とも言うべき笠智衆が上等そうな木製シガレットホルダーを使います。艶を出すために鼻の油でホルダーの表面を磨く姿に戦後復興が進んでいく中、日本人に余裕が出てきたことが実感できます。
タバコの完全販売が開始された1950年(昭和25)、公開の『宗方姉妹』では上原謙が外出している時はタバコ、自宅で寛いでいる時はパイプと、『淑女は何を忘れたか』の斎藤達雄のようにTPOに合わせた喫煙スタイルを見せました。
そして1951年(昭26)から1953年(昭和28)の三年間に作られた『麦秋』『お茶漬の味』『東京物語』の三作品では登場人物たちはスナック、酒場だけではなく、あらゆる時、あらゆる場所でタバコを吹かします。
喫茶店やパチンコ店は当然、後楽園球場、競輪場、歌舞伎座でも平気のへいざです。
不思議なことに昭和の非喫煙者は、スモーカーのところ構わぬ喫煙に文句を言わないどころか、嫌な顔ひとつしません。喫煙が当たり前だったのです。
とは言え、時には喫煙者が批判されることがあります。『お茶漬の味』(52/昭27)で木暮実千代演じる妻(彼女も喫煙者)は夫、佐分利信に文句を言います。理由は夫が当時、人気最下位の庶民向けタバコ「朝日」を好むから。ステータスを気にする彼女にはどうにも我慢できないのです。
担「ひどい話ですよね、これ。」
私「うん。まぁ、そうだな」
担「ところでこの時代、喫煙所なんかあったんでしょうか?」
私「あるわけないじゃないか」
担「それで誰からも注意されないなんて、令和の非喫煙者がこの時代にタイムスリップしたら、地獄でしょうね」
戦後・高度経済成長期前夜の男タバコ
1956年(昭31年)7月に発表された経済白書の序文にこんな一節がありました。
「もはや戦後ではない」
これは日本が戦後復興を終え、高度経済成長に向かう時代を象徴する言葉として流行したのです。これをきっかけに日本人の戦争の記憶が薄れていったようです。
それは小津映画も同様です。『長屋紳士録』から『東京物語』(53/昭28)まで戦争は忘れたくても忘れられない記憶として登場人物たちを覆っていました。ところが徐々に戦争に対する登場人物の想いは変わってきます。
その端緒は『お茶漬の味』(52/昭27)にもありましたが、1956年の『早春』で決定的になります。
『早春』の主人公、池部良は復員兵。今は丸ビルにある会社に通うサラリーマンです。表面上は、結婚して通勤仲間の男女とピクニックに行ったりする爽やか野郎。しかし戦争体験のため心に虚無を抱えているようにも見えます。そんな男がある日、戦友会に出席し、かつての仲間と戦地での出来事を懐かし気に語り合います。その姿を見ていると、この男にとって戦場こそが、唯一、生きる実感を持てた場所だったのではないかと思えてきます。
同じような心境が描かれるのが、遺作『秋刀魚の味』(62/昭37)です。本作では「軍艦マーチ」がかつての日本を思い出させるスイッチとして何度も流れます。しかし、その調べに戦争体験者である登場人物はノスタルジーを感じているのです。とりわけ曲を聞きながら酔客が冗談めかして、真珠湾攻撃の臨時ニュースを再現するシーンは、戦争を克服した当時の人たちの態度を表していると言えるのかもしれません。
戦争が遠くなった小津映画の人々は豊かになっていきます。子どもはテレビを、お母さんは洗濯機を、新婚の旦那さんはゴルフのクラブを、新妻は冷蔵庫を手に入れます。お父さんたちは仕事帰りにスナックや小料理屋に立ち寄ります。それまで煙が出ればいいって感じだったタバコも銘柄を気にするようになります。
『彼岸花』(58/昭33)では東京駅の駅員が労働者のタバコ「いこい」をホームで喫いながら、新婚さんを品定め。
『お早よう』(59/昭34)の食卓には「ピース缶」が置かれ、『秋刀魚の味』では「箱ピース」や「ハイライト」がタイアップ商品のように写されます。
この頃のタバコ事情が分かる小津映画といえば、何といっても『小早川家の秋』(61/昭36)です。
京都の造り酒屋のご隠居、中村鴈治郎からタバコを求められた奉公人、藤木悠が差し出すのは「ピース」。価格は10本40円。労働者のタバコ「いこい」は20本40円、『お茶漬の味』で佐分利信が喫っていた「朝日」は20本30円ですから、価格差歴然の高級タバコです。ということで鴈治郎翁のひと言は、
「ピースか。えらいええ煙草喫うてンのやな」
藤木悠の返す言葉は
「すんまへん」
同じく『小早川家の秋』でこんなシーンがあります。加東大介演じる男は取引先の社長、森繫久彌の後妻候補として義理の弟の未亡人、原節子を紹介します。彼女が来るのを待つ間、加東は森繁に自分のタバコを勧めます。その銘柄は前年に発売された「ハイライト」。20本70円という高価格にも関わらず、発売後20日で4億本売り上げ、製造が世界第一位になったタバコです。
ところが森繁はそんな人気タバコを断り、反対に原節子が気に入ると、ご褒美とばかりに自分のタバコを加東に喫わせます。銘柄は洋モクの「マールボロ」。
当時、喫うタバコの銘柄はその人の社会的階級を表していたようです。時にはそれでマウントを取っていたのです。
担「“タバコでマウント”なんて成人男性の8割が喫煙していた時代ならではですね」
私「そうだろうね」
担「ところで小津映画の喫煙女性はどんな感じだったんです?」
私「ああ、女性かい」
オズの国のスモーキング・レディ
日本の女性喫煙率はここ十年程は一桁代後半で推移し、令和元年には7.6%になりますが、小津が映画を作っていた昭和30年代は10%後半でした。但し、パーセンテージを引き上げているのは50歳以上のご婦人方で、女性の五人に一人が喫煙者だったのです。
そうした喫煙女性の代表格が『長屋紳士録』の飯田蝶子でしょう。戦前の『淑女は何を忘れたか』でクールにくわえタバコを決めた彼女は、ここでは見事な煙管さばきを披露。火鉢の縁で煙管を叩いて喫い滓を捨てる姿は様になっていました。
小津映画で興味深いのは30代~40代の既婚女性の喫煙です。子育て真っ最中の主婦にはタバコを持たせません。但し、子どもがいなかったり、共働きだと当たり前のようにタバコを喫わせます。『お茶漬の味』の木暮実千代が前者で、淡島千景が後者です。興味深いのは木暮実千代がタバコを味わうのは、自分の部屋だけ。夫である佐分利信の前では決して口にしないのです。この辺りに小津の女性感が見えてくるのではないでしょうか。
では独身女性はどうなのか?
『宗方姉妹』(50/昭25)では戦前の『淑女は何を忘れたか』と変わらず、嫁入り前の高峰秀子は隠れてタバコを喫い、そのことを周囲から驚かれます。どうやらまだ若い娘の喫煙はタブーだったようです。そのため小津映画における若い女性の喫煙は、大人への反抗、抵抗の意味で描かれます。
1957年(昭32)、日本専売公社は「たばこは動くアクセサリー」というキャッチコピーを掲げて、若手女優を使った若い女性へのタバコ拡販キャンペーンを開始しました。結果、女性の喫煙者が急増するのです。
同じ年に作られた小津映画『東京暮色』のヒロイン、有馬稲子は当然、喫煙者です。彼女は素行よろしからぬ学生の子どもを身ごもってしまい、思い悩みます。彼女にとってタバコはアクセサリーではなく、不安を抑えるための精神安定剤です。結局、彼女には堕胎の道しか残されていません。向かった産婦人科の待合室には灰皿がありました。タバコは彼女の哀れな人生の象徴だったのです。
『東京暮色』の有馬稲子の喫煙には『淑女は何を忘れたか』や『宗方姉妹』にあったユーモアが感じられません。そればかりか有馬稲子の救いのない運命には、小津の当時の若者への反感や悪意さえ感じてしまいます。小津は観客が不快になろうと構わなかったようです。これらのことから思い出されるのが、小津のこの言葉です。
「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」
◇
私「原節子は小津映画では一本もタバコを喫わないけど、実生活では日に40本のヘビースモーカーだったんだってね」
担「まさに動くアクセサリーだったんですね」
私「それとあれだ。小津映画って見合いの話が多いだろう。でちょいと気になって調べてみたんだけど、昭和30年代、男は28歳前後、女は23歳前後で結婚して、その半分は見合い結婚だったんだよ」
担「今で言う、出会い系アプリや相談所ですかね」
私「ちがう、ちがう。杉村春子がいないじゃないか。小津映画みたいな個人的結婚紹介ネットワークみたいなのを復活したら、日本の少子化問題も解決するんじゃないかぁ」
担「そうですか?」
私「そうだよ」
担「正直言って、圧迫見合いですよ、あれらは・・・それはそうと、小津のベスト・スモーキング映画は何でしょうか」
私「ああ、それか」
♪ 水にただよう 浮き草に ♪
小津安二郎が松竹以外で撮った映画が三本あります。新東宝で『宗方姉妹』、大映で『浮草』、東宝で『小早川家の秋』です。
その中の『浮草』(59/昭34)が小津のベスト・スモーキング映画でしょう。
旅役者の一座の物語なので、登場人物の大半は浮草暮らしのやくざな連中。当然、誰もかれもタバコを喫います。そこは今では見ることが出来ないタバコ仕草の宝庫です。
印象的なのは一座の脇役、三井弘次。登場早々、ビラ巻きの途中で立ち寄った居酒屋の軒先を借りて一服。この時のマッチの擦り方は手慣れたものです。その後は舞台袖で出番を待ちながらの一服。今度は輪っか煙を口からポワン。昭和のスモーカー、ここにありです。
女性では一座の花形、京マチ子。タバコを指に挟んでいる姿だけでもハッとしてグッと来るんですが、最高なのは“たそがれタバコ”です。一座の座長で内縁の夫の中村鴈治郎と決定的な喧嘩をした後、居酒屋のカウンターに一人座って、一服。この時、火をつけたマッチを肩越しにポイっと投げます。その姿は涙こそ見せませんが、♪終わりかなぁと思ったら 泣けてきた♪です。
そして小津映画最高のタバコ・シーンは本作のラストです。セリフではなく、タバコに火をつける行為だけで心の変化を表現するのです。
これぞ、無声映画時代から映画監督としてキャリアを積んできた小津安二郎にしか生み出せない、映画史に残る名シーン!
『浮草』© KADOKAWA1959
私「小津が亡くなった年齢になろうとしている時に小津映画を見直して分かったよ。僕は小津が松竹以外で撮った『浮草』と『小早川家の秋』が一番好きなんだ」
担「どうしてです?」
私「どちらの作品にも小津の“こうありたい自分”が見えるんだ。『浮草』からは一座の座長に映画人/活動屋というやくざな稼業で生きた小津の理想の生き方が、『小早川家の秋』からは日本人男性の平均寿命が59.57年の時代に生きた小津の理想の死に様が伺えるんだな」
担「なんだか難しいこと、仰ってますけど……」
私「何だよ、言いなよ」
担「好きなのはどっちも『関西の話だから』でしょ?」
私「・・・・・・・おう、そうや。それになんぞ、悪いことでもあるのんか?」