本屋の本音のあのねのね 第十三冊 ~自由を追求した新たな三国志『蒼天航路』~

ぼくには<三国志>を語る資格がない。なにせ、吉川英治の三国志はおろか、横山光輝の三国志すら、まともに読んだことがないのだ。そんなぼくが、まがりなりにも最後まで読んだのは、高校生の時に買った陳舜臣の「秘本三国志」のみ。

しかもおとなになってから知ったのだが、この小説は、それまでの偏った三国志観をくつがえす、いわば“異端”の三国志、その嚆矢ともいえる作品なんだとか。つまり、ぼくの三国志観は、ことのはじめからオーソドックスではなかった、らしい。

そうそう、三国志といえば、ゲームは無視できない。コーエーの「三國志」シリーズはもはやオタクの基礎教養だ。ぼくがやってたのは3、4、5あたり(最新は14)。

でも、ぼくは中華統一より世界征服に興味があったビッグな男だったので「蒼き狼と白き牝鹿」のほうが好きだった。オルド最高ー(スケールちっちゃーい)。

ことほどかように、あらゆる点で<三国志>を語るに値しないぼくだが、今回ご紹介するマンガは、「蒼天航路」(原作・原案:李學仁、作画:王欣太 講談社。以下「蒼天」)。

ずばり<三国志>マンガである。おいおい、やめとけって、と心の声が言っているが、大丈夫、問題ない。

なぜなら、薄々おわかりかもしれないが、ぼくは「蒼天」を<三国志>マンガとしてストレートにご紹介するつもりは、あんまりないからだ。

“正統”な「蒼天」ファンには、ケシカラン、といわれるかもだが、このマンガの力は、そんな枠組みにはおさまらない、とぼくは思う。

たとえば横山三国志と「蒼天」は、どちらも<三国志>マンガだ。しかし、このふたつは題材こそ同じだが、マンガとしてはちがった“競技”で戦っている、と思う。

かつて、手塚治虫文化賞で「ドラえもん」「蒼天航路」が同じラインナップにあがったとき、「このふたつを、同じ土俵で評価できるのか」と指摘なさった審査員がおられた(小説家・鈴木光司氏)が、まさに慧眼だ。

ぼくにとっては、横山三国志と「蒼天」だって同じ土俵には思えない。

では、さっそく、「蒼天航路」という<三国志>マンガを、<三国志>成分うすめでご紹介しよう。

今も揺るぎない「ネオ三国志」

表紙2

「蒼天航路」は、1994~2005年に「モーニング」誌で連載。<三国志>の英雄のひとりである「曹操孟徳(そうそうもうとく)」を主人公とした、全38巻の長編マンガである。関連書として画集も出ている。

作者は、李學仁(イ・ハギン。原作・原案)、王欣太(キング・ゴンタ。作画)。ただ、原作の李學仁氏は連載開始から四年後の1998年に亡くなられている。

じつはこのことを、ぼくは今回はじめて知った。最初は「原作」だったのが、その死去のあとは「原案」に変わっているそうだ。

そんなレベルで「蒼天」を語るな、といわれてしまいそうだが、ぼくはマンガを読むのに、そのマンガ以外はいっさい必要でないと強く信じる(ぼくはロラン・バルト信者です)。そばをすするのに、薬味はなくてもいい。

とはいっても、原作者の死は、さすがにちょっと無視できない大きな事件ではある。マンガになんの影響もない、ということはありえない。

亡くなった時期が、ちょうど「官渡の戦い」(三国志の前半のハイライトである)あたりだったらしく、ファンのあいだでは、「官渡前後」みたいな言い方をするらしい。巻数でいうと、14巻と15巻のあたり。

全体の約四割にさしかかったところだ。ここから王欣太先生(とご担当の編集)とアシスタントさんたちは、苦難を乗り越えて「蒼天」を描きつづけ、完結まで走り切ったわけだ。尊敬に値する。

実際、官渡前後でほんとうに作風が変わったのか、といわれると、正直、ぼくには感じられなかった(じっさい、死去自体気がつかなかったわけだし)。

李學仁氏が亡くなられたからといって、<三国志>全体のストーリーは、ある程度決まっているわけだから、たとえば創作メモみたいなものがあるていど残っていれば、変化を最小限にとどめて、書き継ぐことは不可能ではないだろう。

もちろん、それは容易なことではない。蒼天執筆チームの、努力と根性がそれを可能にしたのだろうから、すなおに称賛すべきと思う。

さて、さっそくマンガの内容についてご紹介しようと思うが、いくらなんでも全38巻は長すぎる。それにストーリーは<三国志>どおりなので、あらすじを書いてもあまり意味がない気がする。

そこで、このコラムでは、「蒼天」のなかでぼくの琴線に触れたところを、とりとめなく、ランダムにつまみ食いしていこうと思う。

最初のキーワードは「蒼天」のキャッチフレーズとなっている、あるコトバだ。

マンガには“帯”というのがついていて、そこにはその巻の内容紹介や、権威あるだれかの推薦文や、アニメ化決定!みたいな宣伝文句が踊っていたりする。

そして「蒼天」の帯には、しつこいくらい“ネオ三国志”と書かれている。

ネオネオ

めちゃくちゃネオネオとアピールが強い。

どのへんが“ネオ”なんだろう?

そもそも<三国志>という場合、ベースとなるのは、いわゆる陳寿の歴史書「三国志」(西暦280年ごろ成立)だ。

その後、通俗娯楽小説としての「三国志演義」があり、日本ではそれこそ吉川三国志、そして横山三国志などがある。

他にも膨大な<三国志>あるいはその類書があり(日本の場合はここにゲームも加えていいだろう)、こうしたものの総体として、ぼくらは一般的な<三国志>のイメージを持っているわけだ。

“ネオ”は、こうした既存のイメージに対抗する、新しい切り口での<三国志>だぞ、ちょいとこれまでのやつとはちがうんだぞ、と強調しているのだといえる。

ところでそもそも、<三国志>って何?というひとのために(まあ、あんまりはいないだろうけど)いちおう常識的な範囲でご説明しておく。ネオじゃない<三国志>とはどういうものか、ひとつ確認しておこう、ということだ。

戦乱の「三国時代」をどう描いたか?

地図

©講談社

中国の時代区分でいうと、「三国時代」といわれる時代を舞台にした、魏・蜀・呉の三国による騒乱の時代を描いた物語や歴史のことを総じて<三国志>と呼ぶ。

歴史書「三国志」だと、西暦184年~280年の約100年間を描いていて、まあだいたいこのあたりの時代がどの<三国志>でも該当する。

上の地図は、典型的な三国時代の勢力図だ。建安十四年は西暦209~210年で、赤壁の戦い(後述)の翌年にあたる。

魏には曹操、蜀には劉備、呉には孫権というそれぞれに英傑があらわれ、またそれにつき従う無数の武人・軍師・文官たちや他の勢力の親玉が、一巻の主役足り得る個性派ぞろいだったため、かれらの中華統一への理想や野心がぶつかり、絢爛たる戦国絵巻をなしている。

すくなくとも<三国志>では、そういう描き方をする。

ただし、現代の歴史学の方法論からすれば、著名人にフォーカスしたり、歴史上の事件にのみ着目する事件史などの方法は、もはやナイーブにすぎるといわざるをえない(ぼくは大学で史学科だったのです!)。

この点では、陳寿の「三国志」であれ、「三国志演義」であれ、どちらにしても史料としての意味はあるとしても、現代的な歴史学の観点からすれば、せいぜいが素朴な“権力史”でしかない、とはいえる。

そして、通俗的な<三国志>のもっとも顕著な特徴は、蜀の劉備を“善”、魏の曹操を“悪”とみなす、単純な善悪の戦いとしていることだ。これは大ヒット小説「三国志演義」がそう描いたから、というのが大きい。

また、正史とされている「三国志」や他の史書では、三国時代以降の歴史において、結局、魏や呉でなく、蜀の王族の流れが、次の時代の担い手につながっており、ゆえに“正統”な中華史の継承者であるとされていることも、理由のひとつだといわれている。

その是非はここでは問わないが、よく聞くのは、「蒼天」はこうしたイメージへのアンチテーゼであり、ゆえに“ネオ”と称している、という見解だ。

「蒼天航路」の主人公は、曹操孟徳である。つまり、これまでのかたよった悪役像ではなく、曹操の側から<三国志>を描きなおす、という点で、新しいものであるというのだ。

一面的には、そのとおりだといえる。それくらい、劉備推しの<三国志>観は根深いものがあるわけだ。

ただ、すでに述べたが、ぼくの<三国志>初体験は、陳舜臣の「秘本三国志」。

この小説は、基本的には曹操の側から描かれた<三国志>なので、ぼくにとって「蒼天」は、この点で特に“ネオ”ではなかった。と、いうより、むしろぼく的にはフツーというか、曹操視点のほうがしっくりくるくらいだ。

それに、「秘本三国志」も「蒼天」も、<三国志>のヴァリエーションのひとつにすぎないのはあきらかだから、曹操推しだからというだけで“ネオ”とは、そんなに感じなかった。

ただとにかく「蒼天」が、曹操という人物の“描き方”に、なんらかの意図をはらんだマンガであることはまちがいない。

そして、ぼくがみるかぎり、ひとりの人間としての曹操を、どんな外圧・風評をも無視して断固として描き切ることで、なんというか……結論めいたことを書いちゃうと、「ひとがどこまで「自由」になれるか」という、なんかもう、<三国志>的にどうこう、みたいなことを気にしてる場合じゃない、みたいな、そんなテーマに挑んでいるように思える。

大衆的な水準では“ネオ三国志”というキャッチフレーズは有効だろうが、そんなのはただのプロモーションの一手段にすぎない、そうぼくは思う。

”人間の傑作”としての「曹操」

「蒼天」のなかで、かの諸葛亮孔明が、曹操を評して次のようにいうシーンがある。

人間の傑作

©講談社

これは23巻、<三国志>最大のハイライトともいえる「赤壁の戦い」のさなかのことだ。

「赤壁の戦い」は、ひとことでいえば曹操が大敗し、その結果、劉備がみずからの地盤を獲得し、また同時に呉の孫権が曹操に叛旗をしめしたことで、三国鼎立の時代のはじまりを告げた点で、戦国の時代の分水嶺となった大戦だ。

このいくさで、曹操はいっとき、生死の際をさまようのだが、その昏睡下の無意識の世界で、孔明が曹操にかたりかけるのが、くだんのシーンだ。

このシーンは、「蒼天」のなかでも、かなり異質なところだ。まがりなりにも“歴史もの”マンガとしてのリアリティを、このシーンは完全に捨ててしまっている。思いきった演出だといえる。

一般に、諸葛亮孔明は、劉備に三顧の礼でむかえられた天才軍師という、まあいわば「ヒーロー」のひとりとして描かれてきたといっていいだろう(いちおう補足しておくと、諸葛亮と書かないとまちがい、みたいな話は、ぼくにはどうでもいいので無視)。

だが「蒼天」は、孔明の描き方に、ちょっとした皮肉を込めたアレンジをした。それは、「蒼天」の物語を“現実”としたときの世界線と、いわば平行にながれる“虚構”の<三国志>世界の存在として孔明を描く、という画期的な手法である。

虚構

©講談社

もちろん「蒼天」世界にちゃんと孔明は実在するのだが、しかし孔明について語られてきたさまざまな逸話などはすべて、「蒼天」世界の地に足のついたリアリティのなかには属さない、いわば外部のものとして扱われているのだ。

ゆえに、孔明の行動は、幻想と現実のどちらに属しているのか、よくわからないようになっている。そして、これまで語られてきたような、神がかったスーパー軍師としての孔明像を徹底的にぶちこわし、その「リアリティのなさ」を、否定している。

これに対して、曹操は、あらゆる意味で「実」の存在として強調される。曹操は、「蒼天」のなかで、孔明のことを最終的に認識すらできない。

幕僚たちが孔明のことを話していても、その話が終わると「何の話だったっけ」と、孔明のことを忘れてしまう(!)くらいなのだ。曹操が、孔明へアクティブな反応をしめしたのは一度だけ。そのときのセリフがこれだ。

くどい

©講談社

ひでえ(笑)。見開きページでこれだけ、ってのは、笑わせにきているとしか思えない。

ちなみに、左のコマで、聖闘士星矢並みに吹き飛んでいるのが、孔明サマである。

冗談はさておき、このシーンは、赤壁の戦いで曹操が大敗し、かれが決死の敗走をしているときのものだ。

かつて、昏睡下の曹操に、超常的な力で感応し、その無意識にかたりかけた孔明は、結局、曹操からガン無視され、そのことで「穢された」と感じる。

その報復として、赤壁の戦いにおいて、曹操の敗北につながるような超常の力をふるい、曹操に対して「永遠に消えぬ穢れとともに この孔明の名を刻めい!」とドヤ顔をしてみせるのだが、それに対する返事が、これだ。

さらに続けて曹操は、孔明にとどめのひとことを放つ。

人に塗れて

©講談社

「人に塗れて 出直して来い」。これはじっさいにそういう発語があった、わけではなく、曹操の無意識が、孔明の本質を察知し、自動的に反射したものなのだと思う。

この、痛烈きわまるひとことは、孔明批判というよりは、曹操の生き方をしめすものだ。曹操は、どこか高みにいるのでなく、地に足をつけて、人にまみれて生きている。そのたしかな力を、ごく当然のようにしめしただけのことなのだ。

ちなみに、曹操が孔明を認識できない、という演出は、いちおう史書「武帝紀(曹操伝)」に孔明の名前が一文字も載っていない、という事実をふまえている、らしい(24巻)。

人材に異常な執着をしめす曹操が、孔明ほどの人材に触れていないということは、史実の孔明は、「演義」やさまざまな<三国志>ものが描いてきたような天才軍師でなかった、それどころか実在すら疑われる……とまあ、そういう解釈を、思い切ったアレンジでとりいれてみたわけだ。

異色の「孔明」像

「蒼天」における孔明の描かれ方は、ネットのレビューを軽く調べただけで、出るわ出るわ、もう非難轟々、といった感じである。

たしかに「蒼天」孔明はキャラ濃いし(マッチョ孔明にはおどろきました)……でも、あんまり公平な非難はみかけなかったかなー。既存のイメージとちがいすぎて、感情的に拒否ってたようなのばっかり。それこそ「蒼天」の狙いだというのに……

それより、孔明をここまで滑稽な、“虚構”の存在として描いたのは、人間・曹操孟徳の生々しさ・激しさを強調して描くための「反語」とみるほうが、適切に思える。

曹操の“実”と、孔明の“虚構”は、いわば対になっているのだ。その仕掛けを無視して、マッチョ孔明はイメージに合わないとかなんとか文句いっちゃアカンと思う。

曹操という人物が、どんなに圧倒的な才を示したり、破天荒な逸話で語られたとしても、それらは虚構ではなく、リアリティを持つ、どこまでも実の世界に根差した、「人間の尺度」という水準で測られるべきものだ、と、「蒼天」というマンガはいっているわけだ。孔明はそのためのダシに使われたのだといっていい。

そんな孔明が、曹操を「人間の傑作」というのである。

曹操は、孔明に称賛されても、そのコトバすら認識できないわけだが、しかし、これは曹操をあらわすものとして、じつに的を得た表現だと思う。

COMICZINが選ぶ「蒼天」ベストシーン

曹操は、さまざまなシーンで、みずからを、人間以外の何者でもない、「俺は俺でしかない」と高らかに規定する。

人間の主席
死ぬまで

©講談社

あるときはみずからを「人間の主席」という。またあるときは、たぶん数少ない友(のちに曹操はかれのことを“心腹の友”という)といえる軍師・荀彧に、こんなふうに心情をさらしてみせる。「俺は死ぬまで詩を謳い 戦場を駆け回るのだ」。ああ、なんという! ぼくも「死ぬまでマンガを読み、書店を駆け回るのだ」とかいってみたい!

まわりがかれを、どんなに恐れ、まるで魔王のようにみたとしても、ひとりの生きる人間としての曹操は、どこまでも楽しさや好奇心、欲望を追い求める、どこか子供のように遥かなるものに思いを馳せる、純粋な人間そのものとして描かれている。「蒼天」が描く曹操像とは、まさにこういったものだ。

ぼくがとても好きな、曹操らしいエピソードだなあと思うもののひとつに、かれが「酒」を作るシーンがある(28巻)。

なんとじっさいに、かれが当時の皇帝に上奏した、現代の酵母深層培養の雛形「九ウン春酒法」というのが現存しているそうだ。興味があれば、食も、戦や政や詩や薬などと分け隔てなく追求する。その化け物じみた好奇心と行動力。

これって、すごいと思いませんか? 世界史上のさまざまな著名人で、千年後の今、マイレシピが残っているひとって、そうはいないでしょう?

どんな武力より、どんな知力より、ぼくは曹操という人物がすごいなあ、と思うのはこういうところであり、「蒼天」がここをしっかり描いていることを称賛する。

曹操は文学者としても、大きな足跡を残している。もちろん、このことも「蒼天」ではしっかり描かれている。

曹操が庇護した俗に「建安七子」といわれる文学者たちによって、当時「建安文学」といわれる、新しい文学の世界が生まれた、とされる(18巻)。

そして曹操自身、さらには彼の息子である曹丕・曹植も詩の才にめぐまれ、「蒼天」中ではかれらがさまざまな詩を吟じるシーンがある。

曹操は、感情が高まったり爆発したときに、抑えきれないように、詩が口からとめどなく流れ、朗々とそれを謳い上げるのだ。

ぼくは、漢詩を読めないので、その良さを味わうことができないのが残念でならない。

とにかく曹操は、コトバを思うがままに表現することの尊さを知り、そして、それを阻む慣習や、権威や、自分らしさを損ねてしまうようなものすべてと、戦うのだ。

自由と血の詩人

「蒼天」では、その“敵”として「儒教」をあてている。この切り口は、とてもめずらしいといっていい。<三国志>マンガで、人間的営為のことごとくが儒に隷属していることを問題にし、それと断固戦おうとする曹操を描いたのは、「蒼天」だけだ。

この点で、ぼくが特に戦慄したというか「蒼天」の底知れなさを感じたのは、18巻で建安文学のまさに誕生した場面を描いたシーンだ。

官渡大戦後、曹操は当然、旧袁紹領のあらゆる才を集めはじめたのだが、かれらが一同に会したその宮中で事件はおきる。

天子に披露された旧態依然とした詩に我慢ならなくなった曹操の三子・曹植が、その若い情熱を一気呵成に即興詩で吟じる。

それを聞いたふたりの才人……かつて曹操をその文才でうならせた陳琳と、孔子の末裔つまり儒教の大元締め的な才人・孔融が、曹植の詩について、激論を戦わせる。孔融はいう。

「道化の詩う恋歌が 天下の思潮とは笑止千万!」。しかし陳琳は叫ぶ。「認めてしまえ 孔融!先駆の想像が 世に現れたのだ!」と。

衷心の叫び

©講談社

ぼくが凍りついたのは「新しき才に対する妬みでも敗北感でもよい!君ほどの文人であれば 衷心の叫びはそのまま詩歌になる!」というコトバだ。

これは陳琳のコトバだが、もちろんこれは、曹操の、「蒼天」のコトバでもあるのだ。

勝ちとか負けとか、上とか下とか、正しさと過ちとか、そんな切り口では、ろくなものは生まれはしないのだ。ただ、ひとの、むきだしの感情や思いを、それが妬みや敗北感でも、思うがままに吐き出すこと。

このときから1800年以上経った現代に聞いても、これはそのまま通用してしまう思想ではないか。ぼくたちは、たぶん、まだ、孔融のような考え方にしばられているのだ。

中国から渡来した儒教は、今なお、日本人の心性の深部に巣食い、うごめいている。まるで笑えない。

このシーンから少しのち、赤壁の戦いの数ヶ月後のエピソードも印象的だ。

曹操が故郷にたちよるのだが、同行していた曹操の身内ともいえる夏侯惇(かこうとん)が、のんびり馬上でねそべって、ふとこんなことを言い出す。

「こういう日にゃ 詩才のないのが 腹立たしくなる」。そして柄でもないといいながら、「嗤う郷里の鹿でも追い 一杯ひっかけ野に寝そべってるのが似つかわしい」とつぶやく。

これを聞いた曹操は、「そのまま」「ことばを続けてみたらどうだ」とうながす。「あと もう少しで 詩になる」。

そこで夏侯惇は、しばし沈思黙考したあとで、いう。「たてがみを背に 日輪の影を追う」。

これを聞いた曹操の表情が、もう爆笑ものである。

げえ
素直に

©講談社

「蒼天」屈指のお笑いシーンである。この曹操の「げえ」という表情。横山三国志の「げぇ!関羽!」に匹敵するといえよう。

それはまあ冗談として、そのあと曹操は「素直に並べられた言葉のあとに なぜ気宇壮大な自分をつなぐのか?」と嘆いてみせる。

夏侯惇というキャラは、「蒼天」のなかでちょっと特殊な立ち位置をしめる、もっとも重要な人物のひとりだ。

その理由は、最初期から曹操と共にいた最古参であることもそうだが、作中でほぼ唯一、曹操に対してへんに引け目を感じたりしないで、自分らしさを自然に保ちながら曹操と接することのできる人間だからだ。

そんな夏侯惇だからこそ、詩を吟じようと、気取ってしまったことに、曹操は「げえ」としめしたわけだ。

逆にいえば、こういう気取りは、曹操の、あるいは「蒼天」のしめす、権威や因習にしばられることなく、みずからを表現する、「ひとの自由さ」を阻害するものでしかない。

ちょっと脱線するが、夏侯惇はぼくが「蒼天」で好きなキャラベスト3に入る(曹操以外で)。ちなみに他のふたりは、荀彧と賈ク。

三人に共通するのは、曹操に対するツッコミができる、という点。あとお笑い担当という点。下にその例をご紹介しておく。あと夏侯惇は、ただの部下でなく曹操の家族的なポジションで、じっさい曹操の従兄弟にあたる。

そして(まあギリネタバレじゃないでしょ)曹操が死ぬとき、そのかたわらにいて、ふたりきりで馬鹿話をするのだ。「おまえの娘美人だな、嫁にくれ」みたいな。

曹操の死に、夏侯惇を配したのは、唯一にして完璧な一手であったと、ぼくは思っている。

よく言うぜ
うきうき

©講談社

さて、ここまでいくつかのエピソードをつうじて、「蒼天」が描く曹操像について、ご紹介してみた。

人間の傑作。

このマンガは、曹操孟徳という題材に焦点を当てて、まさにこのコトバどおり、傑作としかいいようのないくらいの、多彩で情熱にみちたその生涯を、最後まで描き切った。

<三国志>マンガとしてどうこう、って、あまり意識しないで読めちゃうと思うのだ。

大陸の風

そして、最後にひとつだけ、触れておきたいことがある。それは、「蒼天航路」というマンガの、いわば特殊性についての話だ。

最終巻

日本のマンガには、おそらく、手塚治虫という巨人を源流にもつ、いわば日本的な「マンガの文法」がある。それは、コマの使い方だったり、コマの大小のリズムだったり、セリフ運びだったり、そういったものだ。

そして手塚治虫以降も、たとえば戦後の劇画マンガだったり、貸本文化だったり、ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンを頂点とした週刊マンガ誌だったり、あるいはこれらの裏でひそかに育まれた、少女マンガの多様性を生んだ24年組だったり、アニメとのメディアミックスを前提とした角川系マンガだったり、こういったものの担い手たちがたゆまぬ努力と研鑽の末に確立した、日本独自のマンガ文化の方法がある。

しかもおそらく、この日本のマンガ文化は、日本の長い長い創作の歴史をも、背景としているとみるべきだ。

日本人によるマンガは、読むにせよ、描くにせよ、日本人によるものであることから、基本的には逃れられない。

これに対して、「蒼天」の文法、たとえば具体的には“見栄の切り方”なんかは、もう、決定的にちがう。

それは日本的なマンガの文法とはまるでことなる、ぼくたちとちがう文化的背景をもった人間によるものだとしか思えない、そんな表現だ。

どういう見栄に“けれん味”を感じ、どういう結論の出し方にカタルシスを感じるか、というロジックが、まるでちがいすぎる。

たとえば、こんなシーン……

佞言1
佞言2

©講談社

「蒼天」のかなり前半のほうだが、劉備玄徳の義兄弟としてしられる「関羽雲長」が、超常の力をもつ、黄巾党の首領・張角と面会したシーンだ(4巻)。

このシーンでは、さりげなく、関羽が死後、中国各地で「関帝」として祀られる、つまり神になることが示唆されていて、張角のコトバは予言としてまちがってない、というのが読者にはわかるのが、ニクイ演出だ。

でも、関羽にしてみたら「なにバカいってんの、こいつ」なわけだ。ただ、そこで、「きさま、おれをたぶらかそうとは、ゆるせん!」とか、そんなよけいなことはいわないのだ。

「佞言断つべし!」って、ええー? 一気に、そこー?みたいな。

この、どこか居心地の悪さというか、脱日本人的な「飛躍」の感じのことを、ぼくはとりあえず、《大陸の風》と呼ぶことにした。

中国4000年の歴史、とか冗談でいったりするが、実際、中国大陸の歴史の長さと広がりは、ぼくたち島国日本の感性では、ちょっと測りきれないような気がする。

逆にあまりに長すぎて、もはや連続性のある一本の流れとはいえないのが、きっと中国の、いや「大陸」の文化なんじゃないか。

そういう文化的背景は、「蒼天」のいたるところにみられる。と、いうか、そもそも「蒼天」はそうした脱日本的マンガとして、注目を集めたように思う。

日本的とは(つまり国民性や民族性といわれるものは)、こういう場合はこういうふうに感じる、という、いわば“自動化”されたものの感じ方全般のことだと、ここでは仮にいっておこう。

ぼくたちは、自分自身はたかが数十年程度しか生きていないが、実際には、所属する共同体の、千年におよぶ過去の歴史の蓄積を背に受けて、今を生きている。意識しようとしまいと、その蓄積から影響をうけている。

たとえば、日本の歴史のことなんかほぼ考えることなく生活している10代のギャルだってそうだ。日本語で考え、話している時点で、日本人としての歴史と無縁ではいられない。

たとえば一人称を、わたし・あたし、ではなく、ギャル的に「あーし」などと使い分けている時点で、彼女は日本的な女性像にたいして、因習から開放された軽快さや、無根拠な自由さの是認、といった、既存の日本的価値観・女性観への否定と、自己表現をしていることになる。

つまり、そうした自動的な感じ方=文法と、まるで異なるロジック――《大陸の風》が、「蒼天」全体に通底しているように思うわけだ。

いうまでもなくこれは、原作・原案の李學仁氏によるテキストの影響であろう。李學仁氏は韓国慶尚南道出身、つまり「大陸」生まれだ。その後、日本で活躍されたわけだが、おそらく、その根っこには《大陸の風》があるとぼくは確信する。ちょっとあこがれてしまう。

たとえば5巻、強大な董卓軍にたいして、無謀ともいえる斬り込みを敢行する曹操がさけぶこんなセリフに、日本の戦国ものにはない、《大陸の風》を感じる。

己の前方に

©講談社

つまりどんなアクションの中にも、いちいち“真理”に基づく根拠がある、といえばいいのか。あるいは、大げさに思えるセリフにも、すべからくそこに“歴史の裏付け”があるといえば近いか。うーん、うまく言語化できない。とにかく、日本的なマンガの文法とはちがう。でも、それがいい。

また当然ながら、李學仁氏死去後の王欣太氏も、ただ惰性で作画だけしていたわけでなく、《大陸の風》に吹かれながら描きつづけていたように、ぼくは思う。

最後に

王欣太氏は、自立した一マンガ家として「蒼天」を描ききった。原作者が死んでも、オレは描ける、描いてやる、と意地になったのかもしれない。まあ、そのへんはわからない。だが、どこかで李學仁氏の遺志を継ごうとしたのではないか。

でなければ、李學仁氏死去のあとの「蒼天」が、あのようなラストまで走りきれたわけがない。なにしろ曹操は最後に、中華という枠組みすら、超えてしまったのだから。なんという「自由」!

ぼくは勝手に、そこに熱さを感じてしまう。きっと、日本って狭いよな、とか、世界って広いよな、とか、そんなことを感じながら王欣太氏は「蒼天」を描いていたんじゃないだろうか。だとしたら、うらやましい。

せめて読むほうでも、同じように《大陸の風》を感じながら読みたいと思う。

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