古き良き傑作
ケニー・ロギンスの「Danger Zone」(1986)は、同年に公開された映画「トップガン」の主題歌として大ヒットしたが、今でもイントロを聞くだけで“たぎる”アラフォー世代はおおいだろう。
この映画の“入り”は、まさにカンペキだ。
空母の甲板でタキシングするF-14、整備士たちの緊迫した動き、発進直前ギリギリの引き絞られた空気、まさにその瞬間――鼓動のようなシンセベースが一気に跳ねる! デ・デ・デ・デーデ! ロッキーのテーマ、イノキボンバイエと並んで、八〇年代のオトコノコの魂に刻み込まれたリズムアンドビートだといえる。
ちなみに、このイントロ「だけ」を、延々と4時間ループし続ける、という意味不明な動画がYouTubeにある。いつまでたってもF-14が発進しない(笑)。トム・クルーズがドヤ顔でサムズアップし続けているのを、黙って見ているしかできない。じわじわくる。
笑いすぎて腹痛い。ただし、このイントロ4時間にはナンセンスな笑い以外の意味もちゃんとあるとぼくは思う。つまり、それだけを「くくり出せる」くらいこの数小節には中毒性があるってこと。名画には名曲がつきものだというがまさにしかりだ。
とにかく、このイントロが初めて劇場で流れてから4時間どころか36年も経ったわけだが、さいきんなぜかまたこの曲を耳にすることが増えた。
もちろんそれは、「トップガン」の続編映画「トップガン マーヴェリック」が公開されたからだ。5月末の公開開始からもう四ヶ月以上たっているが、いまだに劇場のメインを張っているところを見るとどうやらヒットしたようだ。
映画史に残る傑作の続編ともなるといやがおうにも期待値は高いわけだが、結論としては続編としての使命を立派に果たした良作といっていいと思う。あるネット評の表現を借りれば、「そうそう、こういうのでいいんだよ」。ですよねー。変に「前作を超える!」とかやっちゃダメなやつなんだ。
いたるところに見られる一作目へのリスペクトも適度な分量で快適だった(やりすぎだとウザい)。トム・クルーズの駆るNinjaのkawasakiロゴが映った瞬間、ぼくが見ていた劇場では小さな歓声があがったのだが、そうそうこれですよ。
あと、一作目がエンタメ原体験のひとつであるアラフォー中年として、ひとこと言わせていただければ……トム・クルーズ、キサマは年を取らないのか!脱いでもスゴイとかバケモンか!撮影時56歳!?
まじめな話このトム・クルーズ(56)の、もうカンペキといっていい男ぶりに、この映画を見た中年男性たちがへんに勇気づけられてしまうというか、カンチガイしてしまうことを危惧する記事がネットにあって苦笑。
まあたしかに若造パイロットたちを円熟の技でキリキリ舞いさせるトム・クルーズ(56)の勇姿は中年男性に夢を見させるだろう。オレもあんなふうにまだイケるぜ、みたいな。でも、別にトム・クルーズ(56)は、そんなことを言っているわけではない。わかってるって、オレたちはトム・クルーズにはなれねえんだってことさ。しょぼん。
いや、ちがう、そんなカナシイことがいいたいんじゃない。そんなことより――
ぼくはこの映画を見ながら、じつは、ずっとあるマンガのことを考えていたのだ。
それが今回ご紹介する「エリア88」(新谷かおる 小学館)である。
「エリア88」というマンガはたぶん、もう“古典”だから紹介するかちょっと迷った。このコラムはここまでの18回中完結作が11作品で連載中が7作。徐々に古いマンガ比率が増しつつある。
新しいマンガより古い傑作マンガのほうが“堅い”のはあたりまえなので、どうしてもこうなっちゃうきらいがある。なのでバランスを考え、ここは意識的にフレッシュな連載中マンガにしよう!とか、これでも一応考えている。
だが「トップガン マーヴェリック」を見て「エリア88」のことが頭から離れなくなってしまった(その理由は後述)ので、バランスなんかクソ喰らえで、ご紹介する。
耽美にして男のものにあらず
「エリア88」は“エリパチ”と略して呼ばれ、小学館の雑誌「ビックコミック」に1979~1986年にかけて連載された。さまざまな形態で発表されていて、コミックスだけでなくまだ電子書籍が普及していない時代にCD-ROMで出たこともある。今回底本にしたのは、メディアファクトリー刊行の「完全版」。最終話が雑誌掲載時のカラーで収録されているのがすばらしい。
上の写真は、今回エリパチやるぜ、って言ったら、同僚が秘蔵のコレクションの中から珍品を掘り出してきてくれたものだ。
雑誌のほうは、貴重な巻頭カラーページで掲載されたビックコミックの昭和57年10月22日号。味わい深い色合いである。もちろん看板マンガだったわけだ。
箱のほうはプラモデル「ミッキー専用F-100Dスーパーセイバー」。あまりにマニアックすぎて、どこが驚きのツボなのかおわかりいただけないかもしれないが、まあ珍しいものなんです、ハイ。
で、ご覧のとおり「戦闘機」とそのパイロットたちをあつかったマンガである。「トップガン マーヴェリック」が否応なく思い出させるくらいに、その内容には似た部分がおおい。しかも似ているどころではない部分もあるのだが、そのへんはあとでご紹介したい。
作者・新谷かおる先生は、もはや巨匠、といってもいいであろう、わが国のマンガ世界の礎を築いてくださった、偉大なマンガ家のおひとりだ。「エリア88」以外にも、「ファントム無頼」(史村翔原作)という戦闘機マンガの傑作を発表している。また、「クレオパトラD.C.」「砂の薔薇」「クリスティ・ハイテンション」といった海外を舞台とした活劇ものもおおい。
他にも多数の長編・短編があり、その45年ものマンガ家人生を経て2022年9月現在は休筆中である。奥さんも著名なマンガ家である佐伯かよの先生(故人)で、お二人は合作したり、おたがいの仕事を手伝いあったりしておられた。
新谷先生の作風・演出に、どこか少女マンガの描き方や、耽美な風合いがあるといわれるのは、佐伯先生の影響もあるといわれるそうだ。その真偽はさておき、たしかに新谷先生の作品には、題材がどんなに“硬派”なものでも、どこか男臭いところがない、とぼくは感じる。
このように紹介すると、意外に思われるかもしれない。なぜなら、今回ご紹介する「エリア88」は、「男の生きざま」をみごとに描ききった傑作だ、みたいな持ち上げられかたをする作品だからだ。
ここはポイントだと思うが、たしかに「エリア88」は、「男の生きざま」を描いている。ただ、その描き方は短絡的なマッチョイズムではないということだ。そしてまさにここがこのマンガをただのミリタリーマンガ、ただのマチズモ(男性至上主義)マンガにとどめておかない理由がある。
おそらく、「エリア88」を「男の生きざま」という切り口で読むのは、間違いとまでは言わないが、ぼくはちょっともったいない、と思う。なんというか、もっと……“応用”のきく切り口があるような気がする。それを探るために、まずはあらすじからご紹介していこう。
壮大なプロジェクト
主人公・風間真(かざま・しん)は、大和航空のパイロット候補生で、社長令嬢・津雲涼子(つぐも・りょうこ)と結婚も決まり、将来を期待されていた。
だが、子供のころからの親友であった同期の候補生神崎悟(かんざき・さとる)に陥れられ、なんと内戦に荒れる中東・アスラン王国の外人部隊の契約にサインさせられてしまう。
契約期間は三年。そのあいだ生き残るか、契約を解約する150万ドル(3億円)を払わないかぎり、除隊はできないのだ。
そして、真が傭兵として送り込まれてしまったのは、最前線中の最前線。
そこは地獄の一丁目……作戦地区名、<エリア88>。
おれたちゃ、神さまと手をきって、地獄の悪魔の手をとった…
命知らずの外人部隊(エトランジェ)!!
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
エリア88は、外人部隊のみで構成される航空基地で司令官・サキ・ヴァシュタールのもと、一騎当千の傭兵たちが契約満了まで、死ととなり合わせの激戦をつづけていた。そして生き残るため必死に戦いつづけた真は、その中でもNo.1の腕をもつまでになった。
そんな戦いの中で、真にはおおくの戦友ができる。彼らは皆、それぞれ心に傷を負い、平和な世界を捨てて、戦場に堕ちてしまった者たちであった。
88で真に次ぐ腕前をほこる元米海軍ベトナム帰還兵のミッキー・サイモン。元デンマーク空軍で対地攻撃のスペシャリストであるグレッグ・ゲイツ、アダ名はヒゲダルマ。他にも数多くの個性的な男たちが、真とともに死線をくぐり抜けていく。
物語は当初、アスラン王国の砂漠の内戦を舞台に繰り広げられる。特に司令官のサキは、実はアスラン国王ザクの甥であった。つまり、ザク国王の実兄・反政府軍の首領アブダエルとソリア妃の長男ということでもあり、この戦いはアスラン内戦を引き起こしている父との決着をつける、という意味をもつ。アブダエルが狙っているのは王政を廃し、国を開くことだが、石油利権にむらがる諸外国に国を売るような輩が出るだけだ、とサキは見抜いていた。
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
だが、サキの懸念もむなしくアスラン内戦はこの戦争を利用して儲けようとする金の亡者をひきつけた。シシリアンマフィアの首領・ジュゼッペ・ファリーナは、この内戦を新兵器開発の実験場として利用していた。
ついには、砂漠を航行する“地上空母”を投入し、エリア88はこれと死闘を繰り広げる。かろうじてこれを撃退する88だったが、原子力推進の空母の爆発のため、88基地は放射能汚染で使用不能となってしまう。
そこでギリシアで傭兵部隊を再編することになった88のメンバー。外人部隊は正規軍にくみこまれ、かつて88配属前に真もしごかれた鬼教官・ラウンデル(以後、サキの副官となる)のもと、真やミッキー、グレッグたちは中隊長として訓練生の中から部下をえらぶことになった。
真がえらんだメンバーには、まだ16歳のキム・アバがいた。真は、周囲がやりすぎだというくらいキムにきびしくあたる。だがそれは、まだ少年のキムに死んでほしくないがゆえの真なりの思いからであった。「死んだほうがマシだとも思える状態でさえも、生きて明日をみるんだというその気持ちが…生き残らせるんだ」。
そしてついに、新88基地が完成(といっても施工途中)した。旧88メンバーは新兵を加え、神々の国ギリシアをはなれ新基地へ、新たな地獄へと乗り込む。
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
いっぽう、真を裏切り野心に燃える神崎は、大和航空の一パイロットの立場でありながら、裏工作で会社の株をひそかに買い集め、大和航空乗っ取りをはかり、ついに社長の座につく。だがこの陰謀は、優秀な社長秘書であり、涼子の付き人である安田妙子(やすだ・たえこ)の活躍でついえた。
一時は失墜した神崎であったが、ジュゼッペ・ファリーナに取り入り、さらには地上空母の事件の中ファリーナをその愛人ジュリオラに暗殺させ、彼女をおのれの情婦とし、ファリーナの養子サトル・ファリーナと名を変えて、その財産と権力を一手にする。
そしてファリーナの残した幻の計画「プロジェクト4」、すなわち、地球上のあらゆる場所・人種を戦争に巻き込み、戦争をコントロールして、地球上の人間の生死を一手ににぎるという恐るべき計画を、実行に移す。
ここから、プロジェクト4をあやつる神崎は、アスランの反政府軍を掌握し、傀儡政権をたてて、おのれはアスランをまるまる手に入れようと画策するのだった……
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
とりあえず、ここまででだいたい物語は半分となる。ここからは、プロジェクト4をすすめる神崎と、エリア88メンバーたちの戦いがしばらく続く。
「エリア88」は、おおきく見れば、中東の小国における、政権を争う内戦の物語である。すでに触れたように、それはサキと父アブダエルの戦い、あるいは国を守ろうとする人々と、国を私欲のために手に入れよう・利用しようとする人々との戦いだ。
だが、この大きな流れに並行してふたつの物語軸がある。
ひとつは、「真と神崎の戦い」。かつて親友同士であったふたりだが、なぜ神崎は真を裏切ったのか。神崎の異様なまでの野心欲はどこからくるのか。
そしてふたつめは、まさにこのマンガを短絡的な男の生きざまマンガから、もっと多角的な切り口で読める作品にしていると思うのだが、それは「女の戦い」である。
あらすじでは触れていないが、実際ここまでのストーリーで、真の生存をとある偶然で知ることになった涼子が、お嬢様らしからぬ芯の強さをみせ、安田女史とともに縦横に動きまわっている。
物語後半になると、さらに女性が物語をうごかしていく。神崎の情婦となったジュリオラ、そしてサキの母にしてアスラン王宮に眠るセリア妃。彼女たちは、真やサキの戦いとはちがうかたちで、アスラン内戦やプロジェクト4との戦いを繰り広げるのだ。
さて、あらすじ後半に突入!いつものように、おもしろいところは(笑)伏せておきますので、実物をお楽しみに。
平和の意味
砂漠の基地であった旧88と異なり、新88基地は山腹のなかに掘り込まれた要塞的な山岳基地であった。
未完成のまま新たな基地をスタートさせたサキたちだが、補給に苦しみ、機体の整備もままならない。それでも卓越した技量のパイロットが揃う88は、かつて「銀狼」と称されたサキの副官ラウンデルの立案する困難なミッションを次々とクリアし、ギリギリのところで戦力を維持していた。
まともな支援もよこさず、動きもにぶいアスラン軍に業を煮やしたサキは、ついに88独自の活動をする、と宣言。「悪魔の生きる道なぞ、しょせん神様を信じている人間なんかにはわかりもしない」。
ちなみに怒った軍からの詰問にラウンデルが対応するのだが、たぶん「エリア88」屈指の名シーン(笑)だとぼくは思っている。しかも、サキの返事がまた極上だ。いいぞ……!あんたたち、最高だ!
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
そんな88基地を、さまざまな敵が襲撃する。なかでも元ブルーエンジェルス(米空軍の世界最高水準のアクロバットチーム)ゲイリー・マックバーンは、かつてミッキーとその腕を認め合う知己であったが、敵傭兵として立ちはだかる。
また、はじめは敵としてあらわれた妖艶な美女セイレーン・バルナック(セラ)は、真やミッキーと関わり合ううち、なりゆきから88メンバーとして戦いをともにすることになる。
こうして孤軍奮闘する88基地であったが、ついに首都が陥落。
それに先んじてセラ、真はそれぞれの指名を帯びて(と、いう名目で)基地を脱出していた。真は首都を脱出してきたザク国王をパリに亡命させるという任務を受け、その後除隊するようサキに命じられ、単機パリに飛んだ。
残された88メンバーたちは、決死の覚悟で基地を脱出。実質88は壊滅するが、ミッキーやグレッグ、キム、ケン、ウォーレンといった主要メンバーは、サキに付き従って海岸に仮設基地を建設し、ゲリラ的な戦いを継続することになる。
アスラン首都を制圧したプロジェクト4・神崎は、さらに隣国ブラシアを攻め、ついには「スエズ運河侵攻」という、全ヨーロッパの石油利権を一手に握ることのできる、戦略的にほぼ王手のような侵略作戦を実行に移そうとさらに暗躍していく。
いっぽう、パリで除隊した真だったが、ぬるま湯のような平和な日常に、もはやまったく馴染めないおのれに気も狂わん思いであった。結果、パリで知り合った傭兵のつてで「マークIII」という傭兵部隊に入り、南アフリカの小国バンバラのクーデターにかかわる作戦におもむく。
この南ア行きは作戦の目的である大統領警護を果たせず、成功とはいえない結果に終わった。だが大統領はその死の間際に娘の保護、そして“スイス銀行”のカードを真にたくす。スイス銀行で判明するその額、なんと800億ドル……!
真はこの莫大な資金を使っておのれのなすべきことを考え、実行していく。まず、苦境に陥っている88を救うべく、なんと「エンタープライズ級の原子力空母」を艦載機と乗務員込みで購入し、匿名でサキのもとに送る。
“ロハ”でエンプラ級空母を提供されたサキは、いぶかしく思いながらも海岸基地も失い、打つ手なしと追い詰められていたサキたちにとっては福音であった。(ちなみにお恥ずかしながら、ぼくが「エリア88」でいちばん好きなシーンはここ)
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
さらに真は一度は神崎に買収された大和航空を買い戻し、日本に帰国し、プロジェクト4と神崎の関わりについて独自に調査を進めていく。その過程で、日本政界の影のドンといわれる海音寺八兵衛という人物と知り合う。
海音寺は、真のまとうただならぬ空気に興味を持ち、しかも大和航空を一括で買い上げてしまう出所不明の謎の財力にも警戒していた。とはいえ、人間としての真は認めており、孫娘が真に淡い恋心をいだくのもやむなしと考えていた。
その海音寺が主催する園遊会で客として招かれていた真は、同じく客であった涼子と劇的な再会を果たす。
ふたりはついに結ばれ、真は幸せを手に入れたかに思われた。
だがそれは束の間のこと――一本の電話がその平穏を切り裂く。神崎であった。
神崎からの電話で真はホテルに呼び出される。そこで神崎は真とおのれの、生まれる前からの因縁について明かす。そしてさらに神崎は、ふたりがかつてともに過ごし最後に親友でいられた調布の飛行場へ車で送ってくれ、という。
……孤児として、親がいないものとして育ってきた真と神崎だったが、実は二人の生誕には海音寺八兵衛と、その政治的パートナーでもあった総理大臣・風間英人がふかく関わっていた。風間の子を身ごもっていた神崎の母は、ふたりの企てた政略のために離縁され追い詰められたあげく、ついには子供と無理心中をはかったのだった。
このとき、子供だけは命が助かったのだが、その子供こそが神崎であった。そして、離縁の理由とは真の母親、すなわち海音寺八兵衛の娘と風間英人との政略結婚であった。この八兵衛の娘も、政略結婚の前に別の男性との子を宿していたのだが、それが真である(つまり、真と神崎に血のつながりはない)。
神崎の異常な真への憎悪の源はこうした因縁によるものだった。神崎はこうしてわざわざ真に身を晒して、殺されることも覚悟してきたが、しかし真にはそれができないともわかっていた。「ここで俺を殺さなかったことを後悔するぞ」。
友情、それに倍する憎悪……神崎の、真にたいする感情は複雑なものであったが、最後には世界を滅ぼすほうを選ぶのだった。
真は涼子との甘く幸せな生活を、捨てるのでなく守るために戦いに戻って、神崎の野望を止めないとならないことと悟る。「なにもしないで手に入れる平和はなにも知らされないで奪われる平和だということ…」。そうして、せっかく望みに望んだすえに除隊できた外人部隊へ再契約して舞い戻るのだった――エリア88へ!
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
このあと、88メンバーと合流した真は、スエズ侵攻をくいとめるべく、サキ、ミッキー、グレッグ、セラ、キムらと、最後の戦いにおもむくことになる。
そう、物語は大詰め、といったところなのだが……あらすじはここまでにしたい。ぜひ、生のマンガをご覧ください。
ただ、ネタバレでない範囲で申し上げれば、最後の戦いというくらいだから全員が生きて帰れるわけではない。それは、薄々想像できるだろう。
そもそも「エリア88」はミリタリーマンガでもあるのだ。以前のコラム(第十回「ヨルムンガンド」)で触れたように、生の価値を量るための死、というミリタリージャンルに独特な視点はこの「エリア88」にもやはりみられるといえる。
戦場における死は軽く、それに向き合うひとりひとりにそれぞれの結末が用意されている。なかには納得できる最後もあるし、個人的には受け入れがたい最後もある。だがとにかく「(契約の)紙切れよりも薄い己の命」と自虐するくらいなのに生きる意思が大事だ、とかいってて矛盾を抱えながらもとにかく必死で生き残ろうとする姿を、「エリア88」は描く。
ところで、ガ○ダムの富野由悠季カントクは「皆殺しのトミノ」の異名を持つほどに、最終話あたりで(時にはまったく不条理としか思えない理由で)主要キャラクターたちの大半を死亡させることで知られるが、トミノ御大に限らず、物語の終わりにカタルシスとして、キャラクターたちを死亡させるのはわからない話ではない。
「エリア88」における新谷先生も、皆殺しのシンタニとまでは言わないが、やはりちょっと皆殺し感がある。ただ、トミノ御大の不条理さとは違っていて、それは「戦場の不条理」なのだろう(富野御大の場合は“人間の不条理”だと思う)。
「エリア88」のキャラクターたちの死にざまは、ぼくにはとてもスッキリした印象ばかり受ける。もちろん、ハラワタをはみ出させながら、モルヒネで痛みを抑えつつ死んでいくという、リアルに考えればグロいことこの上ない死に方も「エリア88」では描かれているが、それでも、なんというか、「ジタバタして死ぬ」やつがいない。
それは虚構なのだからできることだ、といえばそれまでだ。だが、ぼくは「エリア88」を評して“男の生きざま、誇りが描かれている”的なことを書いてあるのを見るにつけ、思う。そんな上等なもんじゃないでしょ、でも、腹のすわった男たちを描いてるのはたしかだ、と思う。
セリフなんて、かっこいいだけでいい
「エリア88」独特の、ケレン味あふれるセリフやテキストについては、どうしても触れておきたい。
「エリア88」といえばコレ、というくらい、マンガのさまざまな場面に挿入される詩のようなテキストは独特で、強烈な印象を残す。ぼく個人としてはストーリーや文脈を無視して、格好のいいコトバだけをくくりだして“名言”などと言うのはいかがなものかと思う。
だが、現実にはエリパチ名言集みたいな紹介のされ方がおおいので、まあ何がキッカケでエリパチに興味持ってもらってもいいんだから、あまり堅いこと言わないどこう。
とにかく、「エリア88」のセリフやテキストの「見栄」の切り方は、もはや様式美といっていい水準まで昇華しているといっていい。
いくらでもあげられるが、ぼくが特に好きなシーンを、ハイライトでご紹介。
たとえば、こんな見開きページ。「MISSION13闘将たちの空」で、物語後半の宿敵となるゲイリー・マックバーンらの編隊と、サキとミッキーらがドッグファイト対戦する場面だ。サキは、仲間の名を順に呼び、最後に「生きていたらまた会おう!」とカンペキな発破をかけてから、突撃の名乗りをあげる。
「88見参!」
かっこよすぎー
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
もちろん、音速で飛ぶ戦闘機どうしのドッグファイト前にこんな名乗りに意味などない。そもそも、敵味方のあいだで、こんなふうに叫んだところで敵にその名乗りが聞こえるわけがない(通信チャンネルが相互で開いていないかぎり)。だが、「エリア88」は、それをあえて言わせるのだ。理由は、かっこいいからだ。
マックバーンとミッキーが、ひさしぶりに出会い、そして別れるときのシーンも、じつに美しく大胆な構図・演出で描かれている。そこに添えられた、一片の詩。
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
また、その時代がかった古文調の仰々しいテキストに比して、絵柄がまったく重くない。それどころかむしろ重くなさすぎて、違和感がある。そんなギャップのあるシーンは「エリア88」に実に多いと言える。たとえば、こんなシーン。
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
なんか時代劇役者みたいな、美々しい、キメッキメの文句を朗々と吟じているわけだが、絵柄はむしろ7~80年代少女マンガ的とすらいえる。このギャップ、つまり、2022年の今なお通用するほどのハードで普遍性のあるテキストと、現代ではどちらかといえば古いなどといわれそうな絵柄とのズレは見事な化学反応となって、こうして古典として「エリア88」を味わうひとつの快楽になっているとぼくは思う。
補足すると、ぼくはこの絵柄を古いとは微塵も思わない。たとえば、「モナリザ」の絵柄は古い、ピカソは新しい、などと言いうるだろうか。昨日描かれた絵が30年前に描かれた絵より新しいのは、経年の浅さだけだ。その事実は価値とはなんの関係もない。だが、残念ながらそういう言われ方をされてしまうだろうことは想像できる。まあ、髪型とか、スソが広がったズボンにどうしても時代を感じてしまうのは否めない。
できれば、このコラムが、そうした時代性のギャップをすこしでも埋め、記号に埋もれた劣化コピーのオートメーション生産品みたいなマンガよりかはエリパチ読もう、って思ってもらえる一助になれれば、と思う。
つづいては、真が再開した涼子と甘い日々をすごしながらもどこか平和な日常に膿み、ワタで締められるような苦しみを感じていたとき、かれの中に去来した、あの、究極のコトバ……(MISSION13 未来への勇気)
信じあう…なんてなまやさしいものじゃない…
絶対的な機能としての信頼…
ギリギリの命を預けての言葉…
GOODLUCK!!
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
次ページで、真は涼子に、苦悩にみちた独白で、こうつづける。
百万の美女に囲まれて、とろけるような甘い声で愛をささやかれても…
あの…一言にはかなわない…
つづいては、山岳基地の88を脱出するとき、どかーんと見開きで描かれたシーンに、当然ながら添えられた、おなじみエリパチポエム。これですよ。
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
そして、エリパチ人気シーンのたぶん一位はこれだ、な場面。やはり、命がけのダンディズムほど、かっこいいものはない。上の脱出シーンの前、サキはだれにも付いてこいなどといわず、ひとり幕引きを図ろうとするが、曲者ぞろいの88メンバーにそんなことは通用しない。
出典:エリア88 ©新谷かおる・小学館
さいごに 実写版エリパチのおしらせ
「エリア88」は、「トップガン」が公開された1986年に、完結した。まあ、だからといって、「トップガン」が「エリア88」に影響を受けた、などというつもりはない(受けたのかもしれないが、どうでもいい)。ただ、この奇妙な符合には、どことなく意味がある気がする。
じっさい、巷では「トップガン マーヴェリック」は「実写版エリパチ」じゃないか、といわれているらしい。
なるほど、言われてみればたしかにそうだ。オペレーション・タイトロープそのまんまだなあ。つまり、「エリア88」の掲載話のなかに、この「トップガン マーヴェリック」の最後の作戦と瓜二つの作戦があるのだ。
その名が「オペレーション・タイトロープ」。狭い峡谷の間を、極低空ですり抜ける、ただし作戦立案者のラウンデルによれば、あまりの難易度で「かならず15%の損害」が出る。つまり、6人で突っ込めば、1人は死ぬ、ということだ。
恐れ知らずのパイロットにとっても、この数字は異常値である。だが、エリア88の猛者たちは、この作戦をみごとに成功させる。
ぼく個人は、似てるとか似てないとか、そういう見方に1mmも興味がもてないのだが、似ているという事実はたしかだ。
どうやら、映画の方は、脚本を書くさいに、米軍の軍事作戦立案者に「達成がほぼ無理ゲーだけど、すげえヤツならクリアできる、ってくらいの難易度のミッション考えてちょ」って頼んだら、出てきたのが映画のやつらしい。
結果としてそれが、エリパチのオペレーション・タイトロープと酷似した、という事実は新谷先生の驚異的な想像力が、世界最高峰の軍事大国アメリカのプロ中のプロが立案する作戦に匹敵した……ことを示している。まさにマンガみたいだ。新谷先生、半端ねえ。
映画「紳士同盟」と「オーシャンと12人の仲間」が、ほとんどありえないほどに似ていたのが偶然であったように、同時代にこういうことは起きない話ではない。
そして今、エリパチとトップガン、この同時代性、奇跡のようにつながり、響き合ったふたつの物語に、ぼくはちょっと興奮した。
だから、ぼくにとって「Danger Zone」がうたう“危険区域”とは、「エリア88(Area-88)」のことにしか聞こえないのだ。
追記:エリパチ、本当はこのコラムの「88回目」にやるつもりだったんです。そういえば、コミックマーケットの“88”回目、新谷先生のサークルの配置番号は“A-88”だったそうな。さすが。
新谷先生の88歳の誕生日とか、もはや国民の祝日にすべきじゃないか……!