本屋の本音のあのねのね 第二冊~すべてを解放せし塔の支配者「OL進化論」~

みなさん、トイレにマンガ積んでませんか?

ウチの場合、かれこれ十年くらい、トイレに“マンガタワー”ができている。高さは1メートルくらい。なんとなくタワーが高くなりすぎたと思ったら、なんとなくテキトーに間引いて、なんとなくまた上に積み足していく。これの繰り返しだ。

ひとつおもしろいことに、タワーの上から十冊くらいのラインナップは、なぜかあまり変わらない。もちろん新しいものが半分くらいを占めているが、残り半分は不思議とだいたいいつも同じマンガである。
その名は――「OL進化論」。

連載三〇年を超える、秋月りす先生のライフワーク4コマである。

OL進化論

さて、このコラムも無事二回目をむかえ、次のネタをなににしようか悩んでいて、うーんうーんとトイレで唸っていたとき、ふとトイレに常備してある「OL進化論」が目に入った。これだ、と思った。

いくらネタに詰まったからって、そんな選び方はあんまりだろうって?
実は、そんなことはなくて、むしろ運命すら感じた。「ついにお前と戦う日がきたか……」みたいな。この二十年、マンガについてほうぼうで書いたり喋ったりしてきたが、いつかはこのマンガを取り上げようと、ずっとずっと思ってきたからだ。

「OL進化論」は、ぼくにとって、ある種の「ラスボス」だ。この作品について“マジメに”考えることは、マンガについてずっと保留にしてきた、いくつかののっぴきならない問題に向き合うことに他ならない。ぼくにとって「OL進化論」というマンガに挑むことは、マンガの存在意義を問う闘いでもある。……

……と、書いたところで、
「お、OL進化論って、そんなにシリアスなマンガだったっけ……?たしか、ゆるーいファミリー4コマじゃないの???」
と、みなさんがドン引きしているのが目に浮かんでしまった。
ですよねー。

「OL進化論」のどこを読んでも、マンガの存在意義うんぬんなど、絶対書いてないです。だからご安心ください。怖がらないで大丈夫です。おっしゃられるとおり「OL進化論」は、ただひたすらに、だらーっと、ぐだーっと、のんびり読めるマンガです。

うーん、何を書いても怖がられてしまうような。これではいかんので、百聞は一見にしかず。ちょっとここで、オススメの話をいくつかご紹介したい。なお、三〇年超の連載すべてから選ぶのはむずかしいので、深い理由はないけれど、三〇巻以降から適当に選んでみた。

OL進化論_No.2
©講談社
OL進化論_No.3
©講談社

いやー、どうです、この安定感。
絵柄なんて、もう変わりようがない完成度だ。
と、同時に、「OL進化論」のおそるべき“切れ味”の一端も、おわかりいただけただろうか?4コマ目のオチで、居合抜きの一刀のように、ズバッと落とす、その名人芸。

こう書くと、毎回、考え抜かれた傑作4コマばかり、みたいに思われるかもしれないが、そんなに堅苦しいことはない。ネタかぶりだってけっこうある。
そう、「OL進化論」には、実はしれっと同じようなネタが繰り返し出てくるのだ。もちろん、秋月りす先生は承知のうえでやっているのだと思う。
思いつくかぎり、ちょっと上げてみよう。

たとえば、メインキャラの一人「ジュンちゃん」の「迷ったら全部たべる」ネタ。
ジュンちゃんは、いちおう彼氏持ちのOL。仕事や日常生活ではおっちょこちょいなのだが、とにかく食べることについては達人級。そんなジュンちゃんは、仕事や生活のさまざまなシーンで、「どちらを食べるか」という二択をせまられる。そこでふだんはまるで見せない決断力で「迷ったら両方食べるだけのこと」と言い放つ。同僚は「食べることにはほんと迷いがないよねー」と苦笑する……という話。

このパターンは、単行本ごとに1話くらいは出てくる。
迷ったら両方買う、という「アントワネット買い」と呼ばれる亜種もある。

ある共稼ぎの新婚夫婦が、お互いの家事分担について、まったく異なった見解をしているパターンもよくある。
奥さんは仕事もしながら家事もしているのだが、ダンナはゴミ捨てとか大したことはしてない。なのにダンナは大真面目に「家事は五分で分担している」などという。話にならないこの落差に、奥さんは当然……という話。

レギュラーキャラの男性会社員・田中さん(35歳・独身)が、同期の独身男性と、おたがい単身生活が永遠に続きそうなことをもはや達観するあまり、滑稽な保険をかけあう……というパターン。

あるとき、唐突に「お互いの実家の電話番号を交換しない?」と言い出す。その背景のTVでは「未婚者の増加により、孤独死は高齢者だけの問題ではなくなりました」と流れている……。これはかなりブラックなオチだが、まあこういう感じのネタである。
なお、この「35歳で独身で」は、「OL進化論」の鉄板ネタであり、マンガ内シリーズとしてファンにはすっかりお馴染みのものだ。
これは読んで字のごとく、35歳独身の男女によくある、思わず苦笑いしてしまうような事件・諦念をさまざまに描くシリーズである。このネタの4コマだけを集めたセレクション単行本まである。このシリーズは「OL進化論」のなかでも特に傑作揃いだ。

また「35歳」という年齢設定が秀逸だと思う。「まだ大丈夫」と「もうそろそろ急がないと」のちょうど境目にあたる年齢であり、男女それぞれの切羽詰まった生々しい感情がほとばしる、そういうエピソードが描きやすいからだ。

OL進化論_No.4
©講談社
OL進化論_No.5
©講談社

こんな感じで「OL進化論」にもある程度の「パターン」や「枠」みたいなものはある。つまり、一話一話を、これまで見たこともないようなオリジナリティあふれる話にしよう、とこだわりぬいている感じはしない、ということ。「OL進化論」は、そういうマンガじゃない。

おそらく、逆だろう。
「こんなの読んだことない」の真逆。だれに聞いても、みんなどこかで知っている、あるあるネタの連発。そこには派手な山も谷もない。秋月りす先生ご自身、単行本コメントで奇しくもこう述べておられる。

「これからも出不精に磨きをかけ、冒険には目もくれず、なじんだ場所から動かない年寄り猫のように仕事をしていきたいと思っています。というかそんな風にしかできないと思います」(三〇巻表紙裏より)

素敵すぎる。
そうだ、むやみに意気込んでいたら、こんなマンガが描けるわけがない。「正しく意気込まない」というのが大事なんだ、と思う。そして自分もそういう歳になった、とも思う。
ここで、箸休めに、またいくつかご紹介。女性視点で世の中を見ると、こんな切り口になるのかー、とおもしろく思ったやつです。

さて、「OL進化論」のオチは、おおきく分けて、ふたつにカテゴリ分けできるように思う。
ひとつは「あるある」。つまり、現実にそういうことが頻繁にあり、それは多くのひとびともまた同意してくれるであろう、そういった日々の一コマ

もうひとつは「居合」。つまり、ある現実の中にひそむ、考えてみればそのとおりだけど、ふつうはまずそういうふうには表現しないであろう、日常の他の面を、オチの一コマだけでズバッと居合斬りするように見せるやりかた。

OL進化論_No.7
©講談社

こういう表現方法をするうえで、「4コマ」という形式は、実に有効だ。
一般にいわれるような、4コマ形式の特徴は、次のようなものだろうか。
つまり「起承転結」という四つのリズムに、四つのコマ数がぴったりはまるので、まさしくそれを表現するのに最適だ、とか、そんな感じだ。

そもそも別に5コマでも3コマでもよかったのに、なぜ4つのコマなのか、という理由は、このへんにあるのだろう。ウィキペディアで見ても、やっぱしそう書いてあった。
おもしろいのは、欧米や東南アジアでは、3コマも多い、ということ。やはり起承転結という四字熟語がないからだろうか。

「あるある」もしくは「居合」が描かれるのは、あたりまえだが「結」つまりオチのコマ、つまり4コマ目に決まっている。だから、読者はオチに常に備えていることができる。4コマ目のカタルシスを、今か今かと期待しながら、1コマ、2コマ、3コマというリズムで読んでいく。この安心感、オチに対する期待感が、4コマの醍醐味だ。

ちなみに、「居合」のほうがマンガ読みには評価されるだろうが、本質的に他のファミリー4コマとくらべて「OL進化論」が別格だと思うのは、「あるある」ネタのほうだ、と個人的には思う。「あるある」に描かれるネタのリアリティときたら、ちょっとそら恐ろしくなるくらいだ。上にあげたサンプルマンガなど、丸々ぼくの経験談だ。
まあいずれにせよ、「OL進化論」を読むのに、いちいちこんな余計なことを考える必要はない。けれど、そのテクニカルなところにも注目してみると、意外とおもしろいと思う。

はい、箸休め、第二弾です。世間様っていろいろあるなあ、という感じの話。

さて、達人の技は、一見して、それがどれほどすごいことか、素人にはわからないものだ。
「OL進化論」は、まさに達人の手によるマンガである。
だから、すごいのはわかるんだけど、なにがすごいのか、と考えても、どうしてもうまく言語化できなくて、モヤモヤしてきた。
だが、今回、あるひらめきが浮かんだ。
……どうして常に、トイレタワーの上の方に「OL進化論」があるのか。ここにすごさの秘密が隠されているのでは、と。

(え、そのネタまだ掘り下げるの?)
と思った方、すいません、ごめんなさい、もう少しお付き合いください。
さて、めげずにつづけると、むろんそれはこのマンガが、トイレで読むのに適しているからだ。
では――そもそも、トイレで読むのに適する、とはどういう意味なのか?
まず、こういえるだろう。すなわち、トイレという個室こそ、究極のプライベート空間である、と。

つまり、だれであろうと、そこでは、あなたは貴方自身に戻る。ひとりになる。ひとりでいていい。一億人のフォロワーがいるインフルエンサーだろうが、筋金入りのぼっちだろうが、そこではひとりだ。だれもが、そこにいることを許される。飾らない自分に戻れる。
そういう場所で読まれるにふさわしいマンガとは、はたしてどういうものであるべきか?
これが案外難しいセレクトなのだ。

たとえば……変に長いストーリーものはダメ。便座から立ち上がるとき、どうにもスッキリしない。あるいは単話系のギャグ物はどうだろう。悪くはないが、そもそもトイレタイムで、毎度笑いのテンションって必要だろうか。ただ疲れてぐったりとトイレにしゃがみこむ日もあるじゃないか。ならば、いつでも元気にしてくれる冒険活劇なんかどうかしら。いや、ハラハラドキドキするトイレ時間というのも消耗しそう。不条理系なんてもってのほかだ。
ことほどさように、「トイレ専用マンガ」を選ぶのは難しいのである……!

まじめに言い換えると(いえ、最初からまじめなんですけれど)、マンガを読むときの精神状態というのは、マンガ自体がなんであるか、ということとはなんの関係もない。ノーベルすごいマンガで賞を受賞したマンガとて、カノジョに振られた直後とか、親が死んだ日に読んだら、すんなりそのマンガを読める人間など、いないだろう。
なにがいいたいかというと、マンガを読むとき、そのマンガが、求めるような気分に100%合う、とはかぎらない、ということだ。

そんなの、あたりまえじゃないか。

……と、そう自然に断言できるひとは、きっと現実“だけ”でも生きていけるひとだろう。
でもぼくは、そういう「健全」なことばに、ちょっと警戒してしまう。
“あたりまえ”って、簡単に言っていいのか?だって、虚構=マンガに逃げ込むしかない、そんな窮地ってきっとあるじゃないか。だからマンガが気分に合うか合わないかは、場合によっては、命だって左右する問題になりうるんじゃないか。現実からとにかく逃げたいひとにとっては、むしろ虚構こそがすべてになることもあるのだ。
死にそうになったらマッチを擦った、少女のように。

トイレマンガにこだわるのも、ここに理由がある。
なぜなら、もはや現実において、トイレ以上に、ある個人が安全に、安心して逃げ込め、ひとりになれる空間がないからだ。いわゆる「トイレ飯」だって、そういう現実があるからこそ生まれた現象のはずだ。現実にあって、現実から安心して逃げられる避難所。それがトイレだ。
ぼくは、だから、トイレで読むマンガに、きわめてうるさい。
トイレで読むマンガは、電車やリビングで読むマンガとは、ちょっとちがうんじゃないか。
それはもしかすると、あなたが、素のままのあなたが、「もっとも必要としているマンガ」なのかもしれないではないか。

「OL進化論」が、ぼくにとって、マンガを考えるうえで特別である理由は、この作品以上に“トイレマンガ”に適したマンガに、この四〇数年、結局出会っていないないからだ。
トイレで読むマンガなんてどーでもいいじゃないか、軽く読める4コマとかならなんでもいいんじゃね、という考え方もあるだろう。
それでもいいと思う。そういう軽さも大事だろう。ただ、軽いだけのマンガは、けっこう、すぐにどうでもよくなるものだ。もう一回読もうかな、という引力はない。だからトイレから消えてしまうか、タワーの底に沈むだろう。
だからって、軽くないやつならいいわけでもない。いちいち重いリアルを突きつけられて、読むたびにしんどくなるのはカンベンだ。厳しい現実のありかたに立ち向かうのは、トイレの外でやりたい。

さて、とにかく「OL進化論」は、今日もなぜかトイレタワーの上にある。ぼくはいちいち強い意志をもって、トイレタワーの上に戻しているわけではない。なのになぜか、常に上の方にある。
たぶん「OL進化論」は、もっともわれわれが素のままに戻る空間=トイレで、過不足なく精神のスキマを埋めてくれる、読むのになんの「身構え」もいらない、そういうマンガだ。少なくともぼくにとっては、そうだ。だから、なんとなく、いつでも読みたくなってしまう。くりかえし読んでしまう。
気がつくとまた読んで、そしてタワーの一番上に戻してしまうことだろう。
そしてきっと、ぼくはいずれ死の床ですら「OL進化論」を読んでしまう、そんな気がしているのだ。

きっと、みなさんそれぞれの“トイレマンガ”があるんじゃないでしょうか。あるいは派生形で“床屋マンガ”とかもありそうですね。
ぜひ、教えていただきたいです。info@comiczin.jpまでおたよりください。