第二十二冊『起動帝国オービタリア』~巨大ロボットがまた動き出す日まで~

物語というのはいつか終わっちゃうもの

ミヒャエル・エンデのファンタジー小説「はてしない物語」(1979年)は、「ネバーエンディング・ストーリー」という邦題で映画にもなった(1984年)し、ぼくらの世代はけっこうコドモのころに見ている作品だ。

ネバーエンディング、すなわち<終わりのない>物語。

なんと魅力的なタイトルだろう!まあ、実際のところ映画版のラストは原作者エンデの意図と異なりすぎて訴訟問題になったりしたそうだが、ぼくはけっこう素直に感動した記憶がある。

主題歌が良かったです。アアア~アアア~アアア~。

といっても、販促のパンチが弱いってんでこの歌は日本・北米版で追加されたものなんですって。アララ~

さて、語られつづける物語、終わりのない物語こそが物語の究極のあり方である。

かつて作家・栗本薫がそんなことをいっていた。その実践が彼女の代表作「グイン・サーガ」だろう。

彼女が亡くなり、この100巻を超える大長編ファンタジーは未完となったが、彼女の志を継いだ作家たちが、グイン・サーガを今でも書きつづけている。

まさに彼女が生前望んだ通り、この物語は「語られつづける」ことになったわけだ。

そうそう、長い物語といえば世界最長のSF「ペリー・ローダン」シリーズは外せない。

で、これはたぶん、もう終わらせようがない(笑)。

本国ドイツの刊行巻数は3,000巻(!!)を超えて今なお続いている。意味わかんない。

日本語訳されたのですら、ちょっと前に675巻が出たそうな(単一マンガ世界最長でギネス入りの「ゴルゴ13」ですら、200巻)。

翻訳者のあとがきがもう書くことがなくなっているので、訳者の近況日記化してるのがおかしい。

最近犬を飼いました、とか。どーでもいい。

さて、このように物語というのは、とにかくだれかが語りさえすれば、無限に続けていいと言える。

終わらなければならない、という決まりはない。

……という前提をふまえてあえてぶっちゃければ、それでも基本的に物語は終わる。

ネバーエンディングの夢は叶わない。

それはなぜかといえば、「商品」にしにくいからだ。

というと身も蓋もないので、もうちょっと深掘りすると、物語にはなんらか“語りの目的”があって、それが果たされたら、物語りつづける必然性がなくなってしまうからだろう。

滅びの山に一つの指輪を投じたら「指輪物語」は終わるし、放課後ティータイムが卒業したら「けいおん!」は終わるのだ。

もちろん、続編はいくらでもつくれる(事実「けいおん!」は続いている)が、それは“別の物語”が始まっただけのことだ。

物語の数だけ終わりはある。

それがバチっと決まることもあれば、うまくまとまらないことだってあるだろうが、とにかく物語にはなんらか区切りがつくわけだ。

でも、マンガの場合それとは別に――「打ち切り」という名の“突然死”がある。

それを決めるのはたぶん、「読者の反応」だろう。そして時に、読者の反応が「ない」場合は打ち切られてしまうのがプロの宿命だ。

非難轟々・大炎上のほうが、無視されたりスルーされるよりかは億倍マシなのだ。

良し悪しはともかく、プロのマンガの世界とは、商売とはそういうものだ。

だが、どう反応していいか読者もはかりかねて沈黙するしかない……そういう作品はあると思う。

だから、本当はもっと読者は読みつづけたかったのだけれど、控えめに沈黙してたら、エラい人に「これ反応ないね~オシマイ!」とか、うっかりトドメを刺されちゃった作品はあるんじゃなかろうか。

さて、ぼくは今回なんと実は「なぜこれを打ち切ったんだ」という、プロテストを書こうと思っている!

……と、まあそう意気込んだところで、たとえばもしかすると、打ち切りじゃなくて作者自らの判断で風呂敷を畳んだのかもしれないし、ホントのところはわからない。

ただ、とにかく、そのマンガの「終わり方」は、実質的には打ち切りに見えるから、一読者にすぎないぼくとしては、抗議の声をあげようと思ったわけです。

はじめてそのマンガを読んだとき、ぼくは思ったものだ。なんてわかりにくく、なんて不完全で、なんて描きたいことしか描いてないマンガなんだ、って。

新しいこと、すごいことを狙ってて、描きたいことがあふれすぎてて、もうホームランか空振りしかなさそうな感じ。

ぼくは心底わくわくした。

売れ線狙いなんてものから百億光年離れてるそのマンガの名は、「起動帝国オービタリア」(大井昌和 少年画報社。以下「オービタリア」)。

ぼくはこのマンガの目指す先が、なんというか……とてもよくわかる。ぼくが何十年もマンガを好きだと言ってきた、そしておそらく死ぬまでそう言い続けるであろうその根源的な理由を、このマンガは見せようとしてくれている。

……で、たぶん爆死してる(笑)。

ディスってるわけじゃない。

ただ、このマンガをどう褒めればいいか、実はいまだによくわからない。

といって黙っていては「オービタリア」が再開しない。

正しい、あるべき終わりに辿り着かず、中途半端なネバーエンディング・ストーリーのままになってしまう。

なんとか完走してほしいので、ここで小さな声をあげておきたい。

前置きが長くなったので、ひとまず書誌的なことなど。

オールレンジなマルチマンガ家

「起動帝国オービタリア」は、月刊ヤングキングアワーズ(少年画報社)2013年1月号から連載を開始し2014年に完結。

と言ってもすでに述べたように、打ち切りなんだろうと思う。

というのは、内容的に尻切れトンボのままで終わっているからだ。

飽きもせずガンダムでたとえれば、やっと地球に降りてガルマ散ってないくらい。

ええと、つまり、超序盤ってことです。

単行本は全四巻。ほんとは十五巻くらいのイメージだったんじゃないかなー。

続編というか、仕切り直しで始まった「ストーリーズ~巨人街の少年~」という作品もあるのだが、これも単行本一冊で終了。

今回のご紹介では一応この「ストーリーズ」は参考程度にしておきたい。

作者・大井昌和先生は、ものすごくレンジの広いマンガ家だと思う。

たぶん、マンガに特化しきるために、おそろしく努力なさっておられる方なんだろう。

連載中の作品含めて、約30作も手がけておられる大ベテランなので、そのキャリアをすべてご紹介はできないが、外せないものだけはご紹介しておく。

まず、デビュー連載作の「ひまわり幼稚園物語 あいこでしょ!」(月刊電撃コミックガオ!2000~05)。

幼稚園を舞台にした人情マンガで、ぼくはこれを読んだとき「新人らしからぬ、もう十年やってます、みたいなマンガを描くひとだなー」と思った。

あるインタビューで、担当氏と相当理詰めでつくりあげたと話しておられたので、腑に落ちたものだ。年の差ラブストーリーもののハシリだろう。

あと、おそらく代表作としてよくあげられる4コマシリーズ「ちぃちゃんのおしながき」(まんがライフオリジナル2013~)とその平行連載「ちぃちゃんのおしながぎ繁盛記」

小料理屋を舞台にした、小学生の「ちぃちゃん」とその母親の日常モノだ。

無印は15年以上の長寿連載となっており、現在ではライオリの表紙もこれである。

「繁盛記」のほうも発表誌を変えながら連載を続けており、無印の4コマ形式では描ききれないストーリー色の強いお話の場合はこちらで描かれるようだ。

他の作品は比較的短いものが多いが、どれも読みごたえのある、なによりマンガ家本人が、「これはおもしろいぜ」「おれ、これ好きだぜ」と思って描いていることが伝わってくるような、そういうマンガばかりだとぼくは思う。

個人的にピックアップしておきたいのは、「四季を食べる女」そして「流星たちに伝えてよ」の2作品。

前者はバイクとグルメと旅とカメラを融合させた超先駆的なマンガ。

昨今ではこの手の趣味系マンガ全盛だが、「四季を食べる女」はそんなハヤリのはるか以前から描かれており、紆余曲折を経て、2017年にやっと待望の単行本化。

後者も単巻もののSFマンガだ。

一筋の流星を見上げる人々のさまざまなドラマをオムニバス形式で描くのだが、この「流星」が実は事故で落下する宇宙船なのだ。

このマンガの仕掛けは見事というしかない。脚本勝ちな作品だと思う。

あとはフェチを追求した「おくさん」

世間にあふれているオタク向けのテンプレみたいな女性の絵には、もううんざりだ、というかたは、ぜひこのマンガの、こだわりの豊満な肉体美を堪能いただきたいです。

女性の理想とする体重より、男性の理想とする女性の体重はプラス5キロくらいはあるんですってよ、おくさん。

そして、大井先生を語る上で外せないのは、実作のみならず、その「批評」活動だ。

同人誌やウェブ配信など、さまざまなメディアでマンガの技術論や業界論まで、多岐にわたるマンガ関連の発言をしておられる。

WEBだと批評動画の配信を毎週おこなっている「コミックガタリー」がメイン。

どれも、安全地帯から発せられるコトバとは次元がちがう、実作者ならではの迫力と切迫さに満ちたとても刺激的な内容だ。

そして、これらを見るとわかるが、「オービタリア」も間違いなく、大井先生のその時点でのマンガ家としての技術の粋をつぎ込んでいるのだ。

だからこそ思う。このマンガはもっと「長生き」してよかったんじゃないか?

4+1冊だけで終わるようなマンガじゃなかった、ぼくにはそうとしか思えない。

とにかく、語られているところまでのお話をご紹介したい。

が、なにせ終わってないから、もう謎の設定だらけ(笑)で紹介しようもないので、一巻だけ詳細に、あとはダイジェストでお送りします。

オービタリア、大地に立つ

物語はごく普通の学生生活の描写から幕をあける。

主人公有馬(アルバ)・アジュール(アル)は、勉強そっちのけでロボット作りに没頭している少年で、周囲からは落ちこぼれ・変人扱いされている。

そんなアルに偏見のない態度で接し、それどころか素直に称賛するのが親友の織古土(おるふるど)・グプタ

学校一の秀才で、教師泣かせの100点マシンといわれている。

同じくアルを認めるスポーツ万能の剣馬(ツルギマ)・パガン

そして学園天使と称えられる美少女でアルが恋心をいだく千咲(センザキ)・チチャク

周囲がアルをバカにする中、この同期の三人だけはアルを認めている。

アルは奇妙な夢を見た。

美しい少女(なぜか名前がワラフランということを知っていた)とともに、巨大なロボットを操縦する夢だ。

そして夢と現実が入り混じるようにワラフランが学校に現れ、ロボットと戦う場に居合わせるのだが、その最中、ワラフランが持っていた「謎めいた滴状の石」を手にする。夢がさめても石はアルの手に残った。

そんな夢も、卒業が迫る日々の中でどこか遠いものになっていく。

落ちこぼれ扱いだったアルも、ついにロボットを完成させることで学園中からの称賛を受けることになった。

アルにグプタ、パガン、チチャクの四人は学園四天王などと呼ばれ、尊敬と羨望の的となる。アルは卒業生代表に選ばれ、まさに幸福の絶頂であった。

卒業式が終わり、学園と外界をつなぐ唯一の門がひらかれた。

8年間、この学園内で生活してきた彼らは、希望に満ちてこの門をくぐり、外の世界にいく――

のではなかった。

「ガスの注入停止」「卒業生は全員活動停止」「これより卒業生の「最適化」に入る」

――目覚めたときには、アルたち卒業生は皆、全裸で宙吊りにされていた。

そして、ロボットがその背中に注射で番号を掘っていく。

冷静なグプタの存在におちつくアル。

グプタはこのナンバリングが、ある種の奴隷化なのだと見抜いた。

ロボットの操縦者(学園の担任教師であった)が説明する。

宙吊りのかれらの下に広がる雲海は、「死海雲渚(しかいうんしょ)」という、全土をおおう死の雲。

この雲の毒への抵抗薬は14才以下には害であり、子供は成長を待つ必要があった。

学園はそのためのシェルターなのだ。

今打っている注射がその抵抗薬だと。

そのとき、アルが手にしていた滴状の石をみた教師が、驚きの声をあげる。「「操縦石」……ダト?」

どうやらその「操縦石」は機械を操る力を持つものであった。

アルは、石を奪おうとするロボットを石で牽制しながら、必死に逃げる。チチャクを探すためだ。

そしてグプタが身を挺してアルを逃がす。

落下したアルは、そこに待っていたワラフランと再会する。

ワラフランは、この今いる建造物が何であるかを告げる。

「起動都市国家オービタリア 蒼の終国(アオノシュウコク)」

それは、都市まるごとをその身のうちに収めるほどの巨大な「ロボット」なのだと。

アルは生まれてはじめて、自分たちがロボットの中の住人であったことを知る。

「操縦石」はオービタリアを動かす鍵であった。

ワラフランは告げる。「仲間を助けたいか?ならばこの国を動かせ……」「オービタリアを起動しろ!!」

石に導かれアルはオービタリアの操縦室を目指す。

操縦石を奪おうとする敵ロボット・フォルツァとワラフランは死闘を繰り広げ、アルを援護する。

その途中、グプタとチチャクを助け、ワラフランと合流して四人で操縦室にたどりつくことに成功する。

追いすがる敵フォルツァ。

かつての担任は叫ぶ。

学園はオービタリアの操縦者を育てるための機関であった。

だが、数十年、あらゆるエリートたちが試みても、オービタリアは動かせなかった。

「オービタリアはお前の学歴では…労働者には動かせんのだ」。

しかし、教師のいうことなどまるで意に介さず、アルは答える。


「ちゃんとそいつらメカが好きか?」「メカを!好きでもない奴が!皆が乗るロボを動かす道理はねえ!」

アルは、持ち前のメカセンス・洞察力(つまりはカン)でオービタリアを動かすことに成功する。

じりじりと立ち上がっていくオービタリア。

しかし、倒れそうになるオービタリアを立て直そうと焦るアルに、グプタが的確なアドバイスを送る。

操縦室が複座式になっていることから、このオービタリアは操縦者以外にサポートが複数人必要、つまりグプタ、チチャクも操作に参加しないといけないと。

アルはこのオービタリアの動力の秘密を見抜き、ただちにチチャクに指示を出す。


この起動による振動で、オービタリア内部にも混乱が生じていた。

そして、特権階級である管理者に虐げられてきた「労働者」たちが、管理者の“管理外”な操縦者の出現に、変革を感じて蜂起した。

労働者リーダーの参石(マイルストーン)・セナはかつて操縦者にも見込まれたほどの人物だったが、過去にも同様に蜂起して失敗していた。

アルがオービタリアを動かしたことで、さまざまな変化が起こっていたのである。

こうして、オービタリア「蒼の終国」は起動した。

その手にある巨大な剣から「ワンマイル=ソードキャリアー」と呼ばれ、世界中から恐れられた起動国家が。

そして謎めいた表示「星剣都市ラグランジュ」が自動で軌道入力されていた……

全部盛りな一巻目をふりかえって

……ここまでで一巻目。なんというか、盛りだくさんであることがおわかりいただけるのではないかと思う。

ちょっと落ち着いて見直してみたい。

まずオープニング。

もうどこの「君に届け」かというくらいの、ごく普通の学園モノなのが、たった1ページで一気にガラリとSF活劇に切り替わる、この鮮やかさ!読者をおどろかせ、かつワクワクさせようという気概を感じる演出だと思う。

そしておわかりのとおり、とにかく、このマンガの肝は、「オービタリア」という巨大ロボットのアイディアである。

すごいデカイってことはもちろんわかるのだが、それを数字で説明するのでなく(設定上は数字は決まっている)ド迫力の絵、その描き方で表現しているのがさすがマンガ家スピリッツである。

ぼくが超スゲーと思ったのは、ワラフランがワンマイルソードの上に立ち決意をするシーン。

どんだけ剣がデカイか、そして当然、それを持つロボ本体がどんだけデカイかを想像させる。

そして、この巨大ロボ国家という設定を活かす「死海雲渚」という設定もすばらしい。

これがあるから、雲より上で生きるために巨大なロボットを作ったという理屈も納得だし、雲の下にあたる「足」で働く者たちは、犯罪者や下層民であるというのも筋が通る。

ちなみに、このマンガにはけっこうあからさまにナウシカとラピュタの影響が現れているとぼくは感じていて(それをムリに隠そうとしてないのに好感を感じる。

大井先生は同人誌でラピュタのコミカライズにもチャレンジしているから、意識していないわけがない)死海雲渚はもちろん腐海だろう。

腐海の蟲とそっくりなヤツラも出てくる。

こういうのこそインスパイアというんだと思う。

国・イコール・巨大ロボットというアイディアは、さすがに他にないだろう。

ギリギリ似たアプローチとして「超時空要塞マクロス」が近いと思うが、あれは戦闘時にロボ化するだけだから根本的に違う。

このアイディアが秀逸だと思うのは、物語を作りやすいことだ。国と国、勢力と勢力のぶつかる大きなストーリーがいくらでも可能だ。

とりあえず「新オービタリア」を登場させれば、永遠に話がつくれる(笑)。

というのは冗談にしても、ひとつ極論をいってしまうが、読者が「好き」なのはお気に入りの勢力とそのメンバーを「推し」にすることに他ならない。

たとえばスポーツマンガで言えば学校=国だし、ヤンキーマンガで言えば所属チーム=国だろう。

だから、読者を物語に“ハメる”手っとり早い手は物語を「チーム戦」にしてしまうことだとぼくは思っている。

この意味でオービタリアというアイディアは、それがやりやすいと言える。

国にさまざまな個性を与えながら、その登場人物たちのドラマも描いて読者に「推し」のオービタリアを見つけてもらいたい……そんな狙いだ。

残念ながらそれが可能になるほどの数のオービタリアが登場する前に、物語は止まってしまった。

でも、ほんとうはもっと無数のオービタリアが群雄割拠し、そこには政治・外交・戦争といった国家間のドラマが描かれ、魅力的な登場者たちが何人も登場する……はずだったのだ、たぶん!

もちろん、国にも格式があるように描かれているので、強い国、弱い国もある。

そして、「蒼の終国」は、かつてオービタリア大戦という未曾有の戦の戦犯国家らしく、世界中から忌避されているのだが、その攻撃力は世界有数である。

アルがよみがえらせ、そして動かそうとしている「蒼の終国」はそういう国だ。

もちろん、アルはまったくそんな歴史は知らない。

断片的にさまざまなキャラクターが触れるだけだ。

あと、ワラフランがいろいろと承知しているようで、本来彼女はそうした物語設定のガイド役として存在するキャラクターであるはずだが、あんまり親切じゃないので説明はあんまりしてくれない(笑)。

彼女はどうやら過去の大戦時に、「蒼の終国」の操縦者であった人物の娘である、という設定も後にあきらかになるが、とにかく、アルはただロボットを操縦したいだけである。

少なくともこの一巻目時点ではそうだ。

途中、グプタを語り部(歴史家)として、アルの業績を記録させる演出がなされていて、それはアルをただのメカオタクで終わらせず、オービタリアの操縦者、国家の王として成長させていくことが意図されている。

本来このマンガはアルの成長物語でもあったはずだ(実際はその「師」にあたると思われる人物が登場したところで終わってしまった)。

そういう物語を描きやすい設定として、オービタリア、ロボ=国という設定はよくできていると思うのである。

では、あらすじの続きへ行ってみよう。

寸止めで終わってしまった物語

起動した「蒼の終国」は、その後さまざまな他のオービタリアと接触することになる。

そんな2~4巻を、駆け足でご紹介。

まず、最初に出会うのは、「白灰の夕国」

三都の一角と称される強力なオービタリアだ(おそらく、三都という三強オービタリアがあって、本来、今後の物語で「蒼の終国」の敵になる……予定だったと思われる)。

この国は14歳の少女にして正規の操縦者・プラウ=ズラウが、クーデターで操縦者の地位を追われ幽閉されている。

かわりにこの国を実効支配するのは、才覚と野心に満ちた執政エンキドゥ=トゥガ

彼の野望が、この「白灰の夕国」を「蒼の終国」との戦に追いやることになる(プラウ=ズラウへの想いもあって、ことはそんなに単純ではないのだが)。

このふたつのオービタリアの軌道はついに交わり、エンキドゥは「白灰の夕国」の兵器である、巨大な瀑斧を振り下ろすよう命じる。

一度はそれをワンマイルソードで受け止める「蒼の終国」だったが、可動部の不測のトラブルで腕が自由に動かせず、ついに斧の一撃をくらってしまう。

この戦闘の応酬では「白灰の夕国」側にも多少のダメージがあり、それが偶然、プラウ=ズラウの幽閉先を破壊したため、彼女はそこを脱し、結果なぜか「蒼の終国」アルのところに辿り着く。

アルはプラウ=ズラウを保護するが、そのことはセナたちを不快にさせる(かつて蜂起を邪魔されたのは、「白灰の夕国」の介入があったから)。

だが、アルはプラウ=ズラウに操縦者としての心得をさまざまに学ぶ。

オービタリア同士の初の戦闘にさまざまな決断を強いられるアル。

ひとつ彼がためらえば何百人が死ぬ、それが戦だ。多くの人々の思惑・願い・欲・保身……それらをかかえて、操縦者は住民を守るのだ。

そして、このふたつのオービタリアが正面衝突しようとするまさにそのとき、脇から第三のオービタリアがあらわれる。

その名も「黒鉄の暫国」

かつての大戦で起動を持てず流民となったオービタリアだ。

その頭首・継龍剣(ケイロンケン)・アキナケスIV世は、この戦と「蒼の終国」を預かる、と言い放つのであった……

語られていない物語を読みたくて

……というところで、あらすじおしまい。

まさに寸止め。

実際は、アキナケス登場のあとが4巻にあたるが、4巻はほぼワラフランの過去話や他のオービタリアの動向などで、本来はもっとマンガが続くという前提でちりばめられた「伏線」ばかりなので、割愛。

これらの伏線が回収されないというのは、あまりに惜しすぎる。

言うまでもなく「オービタリア」というマンガは、もう未回収の伏線だらけ、風呂敷広げっぱなし状態である。

だが、どれもこれも物語の広がりを感じさせてワクワクする。

たとえば……結局「白灰の夕国」でエンキドゥは失脚し、“脚部”への流刑「脚部流し」となるのだが、4巻でそんな彼に「白銀の序国」マリゾナ・ユークリッド大使が目をつける。

マリゾナ自身、政争にやぶれて辺境の大使に飛ばされた身の上であり、エンキドゥと組んで本国への返り咲きを狙おうとしている……とか。

もう、ただならぬ物語が始まるとしか思えない!

こういう感じでいろいろ期待させといて、やりっぱなしなのである。

今回、ぼくがこのマンガを強くオススメするのは、これらの「語られていない物語」をなんとしてもこの目で見たいからだ。

これは、ぼくの仮説というか推測(しかもケッコー自信ある)なのだが、たぶん大井先生あるいはご担当編集さんにとって、この「オービタリア」の設定は、かなり“うまくハマればイケそうな可能性”を感じさせるものだったのではないだろうか。

でなければ、一度打ち切った物語を「ストーリーズ」として語り直すことなどしないだろう。

同じ設定でマンガを描き直すなんて、もう相当にこだわってなければやらないはずだ。

ちなみに「ストーリーズ」は、なんと主人公がアキナケス。

なるほどなーそうきたかって感じです。

でもやっぱりハマらなくて頓挫してしまったのではないかと。

そんな「ストーリーズ」が止まってから、七年以上過ぎた。ぼくは思う。そろそろいいんじゃないかと。

機は熟しましたぜ、大井センセー!ちなみに個人的にはアルの物語の続きを読みたいです(図々しい)。

ラグランジュへの未知なる道

いろいろ途中の「オービタリア」ではあるが、ひとつだけ、その最終目的が示唆されている設定がある。

それは「蒼の終国」が起動したとき、自動的に軌道設定された場所へ向かうよう、だれかが以前設定していた行き先……「星剣都市ラグランジュ」の存在である。

断片的な記述からすると、どうもこの「星剣」というそれは実際に剣のかたちをしているようだが、それを用いる(=地表をはらうみたいな感じ?)と、「死海雲渚」を払い、人間の生活圏を回復できるという、なにか伝承もしくは歴史があったようなのだ。

「蒼の終国」がかつて、無謀と思われるオービタリア大戦を引き起こし、100万の死者と数十のオービタリアを滅亡させたのもこの目的を実現するため、だとすればその「戦犯国家」という悪名も実は誤解であったかもしれないわけだ。

……と、きれいに説明しておいてなんだが、そうハッキリ書いてあるところはどこにもない。あくまでぼくが推察したものである。

こういう物語の根幹にかかわる秘密というのは、あらかじめマンガがはじまった時点である程度決まっているのか、それともまったく決まってないのか、それは作品によるだろう。

この手の謎で最もそれが明かされたときが大事件となるのは、まちがいなく世界一売れてるマンガ「ワンピース」であろう。

「ひとつなぎの財宝」の、真の意味とは。

さいごの島ラフテルがどうやら“笑い話(laugh-tale)”らしいと示唆されてから、たぶんその正体は、世界中の読者が笑ってしまうようなオチになるのだろう、と期待されていると思う。

すごいプレッシャーだろーなー。

さて、とにかく、星剣の真の意味がどういうものかそれは当然わからない。

だが、「蒼の終国」が犠牲にした人の数を考えると、それだけの価値がなければ許されないことにはなるだろう。

4巻でアルが乗る前の、つまり大戦時の「蒼の終国」操縦者について、ワラフランからの身の上話として描かれるのだが、どうみてもそんな虐殺をしでかすような悪人ではない。

おそらく、そこまでしなければならない理由があったということだ。

いろいろ棚上げ状態の「オービタリア」ではあるが、この謎だけはどういうかたちでもいいので解き明かしたいものだと思う。

最終問題は三択です

さて、「オービタリア」が途中で終わってしまっていることはもう変えられないことなので、ぼくが思うこのマンガへのスタンスを整理しておきたい。

A:まず、熱心に布教活動を続け、いつの日か再開してもらうことを期待する。これがいちばん直球のアクションだろう。

B:次に、もういっそ「自分でつづきを描く」。おそらく、多くの物語が生まれるきっかけとは、こういうものだったんじゃないか。

グイン・サーガが語り継がれたように。

ぼくが絵を描けたらなあと思うが小説にしたってかまわないんだろうし。うーん。

C:そして、思い切って、もうこの中途半端な状態自体を愛してしまう。

これはかなり屈折した心理ではあるが、ぼくはちょっとこれもわかる。

もしかしたらつづきが描かれた結果、せっかく「未知の期待」「物語の予感」でドキドキ・ワクワクしていたのに、それが実現しちゃったら「なんか期待とちがうー」とか失望する可能性だってあるのだ。

そう、描かれないからこそ想像の余地がある。

そして語られていない物語は、超おもしろいに決まっているのだ(歪んでんなー)。

……という三択。みなさんなら、どれを選びますか?

おわりに

連載中というのとは違った意味で、物語として「終わっていない」マンガをとりあげることには、かなりのためらいがあった。

だが、極論、エンタメマンガに求められることは「おもしろい」かどうかだけであり、終わっているかどうかは、重要な問題ではないと判断した。

この点で、ぼくは「オービタリア」は打ち切られていたとしても、十分おもしろいマンガであり、あわよくばこうして再注目を呼びかければ、なにがキッカケで再開みたいな話になるともわからない、と思った。

このマンガがこのままネバーエンディング・ストーリーであるかどうかは、これから次第である。

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