本屋の本音のあのねのね 第三冊~「ウマ娘 シンデレラグレイ」俺たちの愛馬がIFを駆ける~

巷では、「ウマ娘」なるものがブームだという。ゲームがウン百万DLだの、一ヶ月に100億売り上げただの、いろいろと騒がしい。で、ぼくはといえば、バズったコンテンツにありがちな、狂ったように増殖していくネットの書き込みを横目にしつつ、あぶ刑事世代のアラフォーらしく「関係ないね!」とスルーしていた。

そもそも、このコラムのポリシーとして、流行りモノには乗らない、と決めていたのだ。いわゆる「時評」はしない、ということだ。むしろ狙いはその逆で、十年後でも読める内容にしたかった。だが、「ウマ娘」のマンガを読んで、考えを変えた。今回にかぎり、ポリシーを棚上げにしたいと思う。

と、いうわけで、今回取り上げるのは、この「ウマ娘」のコミカライズ作品「ウマ娘 シンデレラグレイ」(漫画:久住太陽 脚本:杉浦理史。以下「シンデレラグレイ」)だ。

ただし、このマンガ“単独”での紹介ではない。やはりコミカライズというのは、元になる素材(アニメ、ゲームetc.)の影響を完全には排除できないからだ。なので、「シンデレラグレイ」はもちろんだが、同時に「ウマ娘」というコンテンツ全体について、ついでに「競馬」についても、あれこれ語っていきたい。

ウマ娘 シンデレラグレイ
©集英社

まずは「ウマ娘」ってなに?という方へ。正式名称は「ウマ娘 プリティーダービー」。これは、実在の競走馬を“ウマ娘”という美少女キャラクターに擬人化し、その物語を描いた、アニメ、マンガ、ゲーム、音楽、ライブなど多角的に展開するクロスメディアコンテンツだ。

ウマ娘たちは、競馬を模したレースで戦う。いわば競馬場でやる陸上競技、といえばわかりやすいだろうか。ただしあくまで競馬のパロディなので、ただの陸上ではない。ウマ娘たちは時速七〇キロ~で走り、距離適性や差し馬・逃げ馬などの特徴が与えられ、当然ながら競馬と同様、熾烈な競争がある。レースも実在のものがそのまま登場する。「日本ダービー」「有馬記念」といったGIレースもそのままだ。

ただし、すべてがすべて実名で登場するわけではない。特に馬の名前は、馬主さんに許可がとれたものだけが実名である。まあ、おおむね有名どころは実名だから、さほど違和感はない。あの馬のウマ娘はいないのかな?くらいだ(オトナの事情が透けてみえて……ゲフンゲフン)。あと、基本的に登場する馬は九〇年代までのようで、〇〇年代に入ってからのオルフェとかディープとかはいない(今後出てくるかも)。

外見も凝っていて、実際の競走馬にちなんだ遊びもある。たとえば牡馬(オス)と牝馬(メス)のちがいは、耳飾りがどちらの耳についているかで表されている(牡馬は右耳、牝馬は左耳)。

ウマ娘_耳飾り
©集英社

また、馬によっては特徴的な外見があるので、それも表現されている。たとえば、トウカイテイオーの額には一刷毛の白い房があって代名詞となっているが、これがウマ娘だと、ちゃんと前髪が一房白くなっているのだ。

さて、「ウマ娘」とは以上のようなものなのだが、正直、最初はおおくの人々が「あー、いつもの美少女擬人化系ね」と思ったにちがいない。ぼくもそうだった。それどころか、嫌悪感すらあった。オタクの性的コンプレックスをもてあそぶような安直な美少女化には、もううんざりしているからだ。実際、ぼくのように思ったひとは少なからずいたらしい。特にモチーフとなるのが実在の競走馬とあって、そのファンや関係者の抵抗感はかなり大きかったそうだ。それが今回、ソシャゲのリリースが引き金になってはじめて「ウマ娘」はポジティブにバズったわけである。

ともかく「ウマ娘」自体は、もうすでに二年程度くすぶっていたコンテンツであった。これまでは一部の熱狂的ファンはいたものの、失礼ながらB級扱いだったといっていい。そんな「ウマ娘」が突如跳ねた理由について、ぼくはあまり興味はない。きっと、Cygamesのプロジェクトメンバーのみなさんはガッツポーズだろうし、経営陣も笑いが止まらないだろうが、ま、苦労が報われてよかったっすね、というくらいだ。ただし、興味はないが、どうしてだったかは、わかる気がする。

それは「競馬だったから」と「ちゃんと作ってたから」だ。

え、それだけ???と思われるかもだが、つきつめればこの二点でたぶん合ってる。興味ないんで、特にここは掘り下げないが、とにかくモノづくりはマジメにやるのが結局イチバン、ってことだと思う。

今回取り上げるマンガ「シンデレラグレイ」は、この「ウマ娘」コンテンツのひとつである。正直、ゲームやアニメ原作のコミカライズは、単独のマンガとして評価できるものはとても少ない、と感じていた(最近で個人的にすごいと思ったのは、ガルパン劇場版のコミカライズ、他数点くらい)。もちろん、元ネタありきなのであって、その知名度アップの役割さえ果たせれば十分、という見方もあるだろう。そういうものだと割り切ってしまうなら、それは別にまちがっていない。

そんなわけで、まったく期待しないで読みはじめた「ウマ娘 シンデレラグレイ」だったのだが、一読して正直おどろかされた。これは、単なる宣伝マンガじゃない。絵・コマ割り・リズム・セリフ・演出、全体的にクォリティが高く、とても好感の持てる職人的なマンガだった。そして、後で書くが、これは傑作になることが約束されたマンガであった。「シンデレラグレイ」は、ぼくに「ウマ娘」を再考させるきっかけとなった。偏見を捨て、曇りなきまなこで見定めないと、価値を見誤ってしまうんじゃないか……?

さて、実は「シンデレラグレイ」より前にも、いろいろな派生コンテンツはあった。その中にはコミカライズもあったし、CDも出ていたし、なによりアニメがあった。「ウマ娘」に興味を持ち始めていたぼくは、そんなわけでこのアニメも見てみることにした。ゲームのリリースが延期しまくったため、アニメはなんとゲームに二年も先行して公開されていたことになる。塩漬けすぎだろ……と苦笑しつつ、ぼくは一期~二期とアニメをコンプした。

結論をいえば、一期も二期も、ただただ、すばらしい作品だった。

おどろいた。ほんとうにおどろいた。まさにリアタイ世代殺しだ。「沈黙の日曜日」や「テイオー、奇跡の復活!」を知るアラフォー以上なら、涙が止まらないだろう。ああ、いかん、こう書いているだけで目頭が熱くなる。

この時点で、ぼくは「ウマ娘」のヒットがフロックじゃないことを確信した。

そして、第二期アニメの終了のタイミングで一巻が刊行された「シンデレラグレイ」も、未完(5/19に最新三巻が発売したばかり)でありながら、現時点ですでにすばらしいマンガになることが、確定している。

確定?どうして?

なぜならそれは、このマンガの主役が、オグリキャップだからだ。

オグリキャップ。
それはかつて国民的な人気を博し、社会現象にまでなった史上最高のアイドルホースにして、トウカイテイオーやグラスワンダーと同じく、有馬で奇跡の復活をとげた、世紀の名馬である。

この名を聞いたら、もう、めくるめくドラマを期待するしかない。

そう、ぼくたちは知っている。オグリが、地方ローカル出身でありながら中央に挑戦し、圧倒的な強さで勝ちつづけ、“芦毛の怪物”と称されるまでになることを。その後、さまざまな困難にぶつかり、ついには限界説まで出るにいたってしまうその挫折を。そして、ほとんど奇跡のような復活をとげ、ラストレースで信じられないような勝利をおさめることを。

「シンデレラグレイ」の漫画企画構成をする伊藤隼之介氏(アニメのプロデューサー)は、あるインタビューの中で次のように言っておられる。

「(前略)すべてのスポーツ史の中でいろんな感動的な名シーンがありますよね。でも、オグリキャップの1990年の有馬記念にかなうスポーツドラマって、世界中どこにもないと思いますよ。

異論はあるかもしれないが、ぼくはおおむね、この意見に同意する。もちろん“かなう”ドラマをいくつか上げることはできる。だが、ここで伊藤氏が言いたいのはそういうくだらないマウント取りじゃない。それくらい強いドラマだった、ということだ。

「ウマ娘」は、ゲームにせよ、アニメにせよ、マンガにせよ、そのすばらしさが「史実としての競馬」のドラマに支えられているのは明らかである。ゲームしかやらない(あるいはアニメ/マンガしか見ない)層が、「別に史実なんか知らなくても、ゲーム/アニメ/マンガ単体でおもしろい」というのは自由だ。ただ、競馬のリアタイ世代でないコンプレックスからそう言うのであれば、それは「ウマ娘」というコンテンツの本質に目をふさいでいることになろう。

「ウマ娘」は、実際にターフを駆けたサラブレッドたちの実話を、最大限リスペクトしたうえで、そのドラマをディフォルメして(つまり端的には美少女化したりして)、現代に“語り直した”、そういうコンテンツであるのは明白だ。

ウマ娘_コンテンツ
©集英社

サイレンススズカの悲劇を、トウカイテイオーの奇跡を、知っている者には希望のIFとして、知らない者には「どうです、競馬っておもしろいでしょ」と教えるためのゲートウェイとして、ていねいに語り直したのがアニメ/ゲーム/マンガ「ウマ娘」だ。まず、史実としての競馬ありき、ということだ。

これが商業コンテンツであり、利益を最大化することを求められている、ということを差し引いても、制作陣たちの、競馬と、それにかかわってきたひとびと、そしてなにより馬たちに対するリスペクトは本物であろう。気恥ずかしい言い方をすれば、その“心意気”に、ウソはない。

だから、競馬を知らない者が「ウマ娘」をおもしろいと言うのは歓迎されるべきことだが、「実際の馬や史実なんか知らなくていい」とは、あまり軽々しく言ってほしくない。それは、制作陣と馬への侮辱にひとしい。

「ウマ娘」をオタク狙いの美少女モノとあなどってはいけない。制作陣は「競馬」に並々ならぬこだわりを持ち、「ウマ娘」のおもしろさもそのこだわりに立脚している。このことに、敬意は払われるべきと思う。

ちなみに、史実をふまえている、という点で、ぼくはちょっと去年放映された某国営放送の大河ドラマを思い出した。史実があるから、大河では大きなストーリーは決まっている。たとえば織田信長は必ず本能寺で死ぬし、坂本龍馬が近江屋で暗殺されるのは変わらない。だが昨年の、キリンがなかなか来なかったやつの場合、本能寺まではおおむね史実に沿っていたが、結末は「光秀は実は生きていた?」的な、いわばアナザーエンドになっていた。

この光秀生存説は、かなり昔からある定番の歴史IFだ。それはなぜなのか、というと、大衆がそれを望んだからだ、とぼくは思う。稀代の英雄を暗殺したほどの男が、あっさり農民の竹槍で殺されてしまうのは、ストーリー的に「まちがっている」。そう誰もが望んだのだ。源義経しかり、坂本龍馬しかり、チェ・ゲバラしかり。英雄の死には、偽史がつきもの、ということか。すごいのになると、たとえば義経は実は大陸に逃れていてチンギス・ハーンになった説まである。

「ウマ娘」がキリンに似ているのは、このIFの扱いだ。史実ではなく、望むIFが見たい。じゃあお見せしますよ、というところが。

大前提として、そもそも馬を美少女キャラクターとして描く時点で、史実どおりはムリだから、いろいろつじつま合わせが必要だ。たとえば馬にはオス・メスの区別があるが、当然ながら美少女化してるウマ娘はみんな「牝馬(ひんば。メスの馬)」ということになる。じゃあ、牝馬戦(メスの馬しか出られないレース)ってどうすんだ、みんな出られるのか……?とか。矛盾が隠せないわけである。

しかし、厳格に史実どおりなんて、そもそも誰も望んでないのだ。これはノンフィクションではないのだから。では何が望まれているのか、というと、むしろ、史実をこわさない範囲で、どんなIFを見せてくれるのか、そしてそれはどんな望みがかなうIFなのか、それを見たいのではないだろうか。

さてそうなると、ウマ娘最大のIFについて触れないわけにはいかないだろう。オグリキャップの前に、まずこっちにケリをつけておきたい。それは、サイレンススズカの物語だ。史実に対して、もっとも強い強度のIFが仕掛けられたのは、まちがいなくここだからだ。

サイレンススズカは、九〇年代を代表する名馬だ。天才ジョッキー・武豊が鞍上になってから、その才能は一気に開花した。逃げ馬の常識がまったくあてはまらない、反則気味に強すぎる異端の馬で、“異次元の逃亡者”と称された。しかし、レース中に骨折し、安楽死処分とされた。サイレンススズカが倒れた秋の天皇賞は、哀しみをこめて「沈黙の日曜日」と呼ばれている。ぼくはその日、その瞬間を、大学のサークルの部室で先輩と見ていた。

あの時――東京の第四コーナー手前、まるで時がゆっくりになったように、サイレンススズカが失速し、コースを外れていく。ぼくは画面を呆然と見ている。実況がなにかわめいているが、頭に入ってこない。――

後日、スポーツ新聞で、スズカが安楽死となった記事を読んで、別にぼくは泣いたりはしなかった。ただ、納得できなかった。こんなふうに、ブツっと、物語というのは突然終わるものだっただろうか。栄光の頂点から一気に落ちて、なんの余韻もなく打ち切りになっていいのか。

そりゃ、いい・悪いじゃないってのは、頭ではわかる。そもそもサラブレッドはひどい骨折の場合、まず回復しない。ひどく苦しむだけになる。だから馬のことを愛すればこそ、安楽死は情け深い適切な処置だ。ただ、でも、しかし……

こんなふうに気持ちをくすぶらせていた人間は、当時、いくらでもいただろう。鞍上の武豊騎手は、事故の夜、人生で初めて泥酔するまで飲んだ、という。それくらい、サイレンススズカの悲劇はショッキングだった。

だから、あえて断言するが、アニメ「ウマ娘」一期は、サイレンススズカのアニメである。きっと、おおくの方が同意してくださると思う。

正確にいうと“サイレンススズカが復活することができた夢のIFを描くためのアニメ”である。もちろん正主人公はスペシャルウィークでまちがいないし、彼女の物語だってすばらしいものだ。ただ、スズカの場合は、史実の悲劇があるぶん、「復活の夢」を見てみたい、というひとびとの思いが、スペよりケタ違いに強いように思う。

夢――そう、キーワードは「夢」だ

1999年、宝塚記念。名実況者・杉本清は、レース前コメントをこう始めた。
「いつまでも そしてどこまでも先頭だった一年前のサイレンススズカのゴールが思い出されます。」
そして、恒例のきまり文句がつづく。
「そして今年もまたあなたの 私の夢が走ります。あなたの夢はスペシャルウィークかグラスワンダーか――」
杉本氏はこう締めた。
――私の夢はサイレンススズカです

参戦もしていない死んだ馬の名を、杉本氏は出した。まるでこらえきれないように出てしまったその不在の名は、リアルタイムで聞いていたひとびとの胸にどう響いただろう?この前説はもちろん伝説となり、サイレンススズカにまつわる代表的なエピソードのひとつとなった。

この史実を受けて、アニメ「ウマ娘」一期では、「どんなウマ娘になりたいか」と問われたサイレンススズカに、こう答えさせている。

見ている人に“夢”を与えられるような、そんなウマ娘(になりたい)

もちろんこれは、杉本氏のことばを、そして多くのファンの悔しさを念頭においたセリフだとすぐにわかる。制作陣は、「夢」とはスズカを示す一文字だ、とよく理解していて、だからスズカ本人に「夢」と言わせたのだ。このセリフは、そのまま聞くと、ありきたりで、紋切りの、優等生的回答でしかない。だが、スズカ=ついえた夢、と知る者にとって、このセリフはとても重い。それは、本来決してかなわない、夢。サイレンススズカはそういう失われた夢の象徴に他ならない。

だからこそ、それが実現したIFに、ぼくたちは快哉を上げるのだ。

これだ、これを見たかったんだ!

 

こうしてアニメは、スズカの夢をIFで描いてくれた。では、マンガは? どんなIFを見せてくれるんだろう?

オグリキャップ_灰被り

アニメの話が長くなったが、やっと「シンデレラグレイ」に戻ります。さて、そういうわけで、まず1~2巻では、地方(カサマツ)時代のオグリキャップが描かれる。

のちに「怪物」とよばれるオグリの強さの片鱗が、すでにこのとき現れている。しかし、強すぎるがゆえに、その才能は地方にとどまることを許されない。すぐに中央からのスカウトがきてしまう。このカサマツで、トレーナーやライバルたちとせっかく育まれた絆は、ここでひとまず断ち切られることとなる。

オグリが中央に行くことを公表する場で、トレーナーが万来の観衆を前に、オグリに新たな夢をたくし、カサマツのファンたちに応援をよびかけるシーンは、序章のハイライトだ。ここでも「夢」が語られていることに注目しておきたい。最新3巻の時点で、物語の舞台は中央へと移り、「日本ダービー」出走をめぐるゴタゴタをむかえている。これも史実通りだ。

中央に移籍したオグリキャップは、格のちがう強さで連戦連勝するが、史実とおなじく、規約上の問題で、オグリはクラシック参戦、とくにこのときは日本ダービーへの出走ができないことがあきらかとなる。ダービーは一生で一回しかチャレンジする機会がない(出走条件のひとつが、三歳であることだから)ので、一度チャンスを逃してしまった史実のオグリはダービー馬になれなかったわけだ。当時はオグリをダービーで走らせてくれという陳情が起きたくらいだった(ファンも熱かった!)。この陳情騒動では、当時は競馬解説者だったあの大橋巨泉も、オグリが参戦できないことへの異議を申し立てている。「シンデレラグレイ」で、オグリのために奔走している記者のモデルは、巨泉さんだという説もある。史実では、最終的にそれは叶わなかった。

だが、「シンデレラグレイ」では、ここでIFが動きだす。3巻ラスト、ダービー出走馬が順に紹介されていく。そして最後の一頭。

オグリキャップ_日本ダービー2
©集英社

呼ばれちゃうんですねー、これが。

ということは、当時、出ていればおそらく勝っただろう、といわれた日本ダービー。このレースでオグリは勝ってしまうのか?いや、話の展開的にここで勝ってしまっては、序盤なのに盛り上がりすぎじゃね?とにかく展開がまったく読めません。まさに、こういう感じに、あれこれと考えるのは、とても楽しい。

すでに読者たちは、マンガのあらゆるところにその伏線を探してしまっているだろう。このように細部に史実のエピソードを反映した演出が仕込まれていて、それをさがすのが「ウマ娘」というコンテンツの楽しみ方のひとつだ。制作陣のこだわりは、ちょっと偏執的(褒め言葉です)であり、あらためて競馬と馬へのリスペクトを感じさせる。

ぼくが個人的に大好きなのは、アニメ一期で、サイレンススズカが自室の中をぐるぐると左回りに回り続ける描写ですかね(おまえスズカ推し止めい)。これは、実際のサイレンススズカに厩舎の中を左回りに歩き回る「旋回癖」というクセがあったことが元ネタ。

こういう演出は、一歩まちがうと、ただの「知ってるぜ自慢」をするオタクを喜ばせるだけになってしまうのだが、「ウマ娘」では、アニメもマンガも、こうしたエピソードがちゃんと話をおもしろくする効果を上げているので、不愉快にさせられることはない。

「シンデレラグレイ」にも、当然、ニヤリとさせられる仕込みネタが満載だ。そのへんの元ネタ解説は、ぼくより詳しい方々がいくらでもいるので、そちらにおまかせしたいが、特にこれスゴすぎだろ、と思ったやつをご紹介。

オグリキャップ_小ネタ2
©集英社

ハツラツ、というのはオグリキャップの幼名だそうだ。……って、こんな小コマにいちいち仕込むネタじゃねえだろ!!!

いいぞもっとやれ!!!

最後にひとつ触れておきたいのは、「シンデレラグレイ」の、マンガとしてのクォリティの高さについてだ。特に「走りの描写」はすばらしいと思う。ずばり、競馬でいうところの「末脚」を表現するのが上手い。

ガツン、と一気に伸びる、というところでの砂煙の上がり方や、レイアウトやトリミングによる演出の妙は、オグリキャップのド迫力な走りを見事に描いている。

たとえば、上のサンプル画像で「何だ…今の…?」というセリフにかぶって、ページ左寄せで、遠ざかっていく背中を描く演出なんか、ちょっとゾクッときた。あと、ライバルウマ娘がぶっちぎられた下のシーン、置いていかれた側からの視点で描いていて、圧巻の速さを巧みに表現していると思う。そして最後に、カサマツ最後のレース。見開き大ゴマ一発、オグリのパワフルな走りを小細工なしに描くとすれば、これしかない。

オグリキャップ_走り2
©集英社

本作の作画担当・久住太陽さんを、寡聞にして存じ上げなかった。調べてみたところ、本作が連載デビューだとか。これだけの漫画力、もっと評価されるべきだ。「シンデレラグレイ」がたくさん売れたら、他のウマ娘ストーリーや、あるいは全く別の題材も描いてください!応援してます。

というわけで、長々と「ウマ娘」と、主に「シンデレラグレイ」について、ご紹介してきた。「ウマ娘」あるいは「シンデレラグレイ」は、競馬の史実を、マンガやアニメなどの創作手段で語り直すことで、まず、こう言っている。

これは、フィクションではありません。本当にあったことです。……と。
そして、夢のIFを描くことで、こうも言っている。
夢見ることは、ひとつの力だ。実現するかどうかじゃなく。……と。

「シンデレラグレイ」は、史実とIFを巧みに織り交ぜながら、しばらくぼくらを楽しませてくれるだろう。その終わりまで、付き合おうと思う。

追記
3巻の表紙はクラシック三冠馬“皇帝”シンボリルドルフ。ウマ娘世界だとトレセン学園の生徒会長である。3巻の表紙に、三冠の皇帝。……ってことらしいです。ダジャレかw。
ということは、七巻の表紙もルドルフ?(シンボリルドルフは史上初のGI七冠馬)