目標は5%
もし、このコラムを書いているのが、マンガ好きな、ちょっと理屈っぽい、アラフォーのメガネ女子(3X歳・独身)の書店員だったら、どうなっていただろうか?
もし、ぼくがじつはアラフォー女子だったら――
きっと今ごろ、どっかのオタク系ニュースサイトのライター氏が連絡してきて、ウチでピックアップしてもいい、だから湾岸のラグジュアリーなホテルで打ち合わせしよう、とか、下心丸出しでいわれてたに決まってるんだ、きっとそうだ(←すごい偏見)。
あるいは――どこかサブカルに強そうな出版社から、書籍化のおさそいがあったかもしれない。もちろん“顔出し”条件で。なぜかグラビア撮影があったり。あるわー、出版あるあるだわー(←すごい偏見)
だけど残念ながら、ぼくは世に隠れもなきアラフィフ独身野郎。これが現実なので、本コラムの男性読者の方々は、変な期待をしないでいただきたい(笑)。
とにかく、ようするにおっさんのマンガ読みに、「商品価値」は1円もないのだ! ざまあないぜ!
幸い、ぼくは自分自身を商品にはしていないので、そういう現状になんら凹むことはない。「いいね」の数で一喜一憂したり、SNSのリツイート(リポスト)数に左右されることもない。……えっ、ぼくのグラビアが見たいって? いやん、まいったなー、ジムショ(=ケムール編集部)を通してくださいー
なんか、過激ジェンダー論者にぶち殺されそうなことをいってますな。もちろん、これは今回ご紹介するマンガと関係のあるハナシですので、ご辛抱ください。
さて今回は、おのれの価値に悩む「アラフォー女子」のマンガをご紹介する。
ぼくは常々不思議に感じるのだが――独身のアラサー・アラフォー女子の方々が、負け組だの行き遅れだの、おのれの価値をなんというか低く見積もって嘆くじゃないですか。
でも、ぼくに言わせればジョーダンじゃない。みなさまは女性というだけで、勝者なんですよ、と言いたい。真の敗者はいつだってモテない男ですよ。
まー、このハナシもちょっと危険なので、このへんで止める。とにかく、今回のお題マンガは、ずばりアラフォー独身女性が主人公で、彼女はおのれの価値について、ハナシの頭から終わりまでとにかくひたすら思い悩むのだ。
アラフォー女子の絶大な支持を集めたそのマンガは、西炯子(にし・けいこ)先生による「姉の結婚」(小学館)。
西炯子先生はミドルエイジ女子を描かせたら、斯界で三指に入る当代きっての匠だ、とぼくは勝手に思っている(あとのふたりは、内田春菊先生、宇仁田ゆみ先生。異論反論上等)。
これはアラフォーの恋愛マンガなのだが、初見で「とんでもないものを読んでしまった」という気分になった。これ読んじゃうと、もう他の恋愛マンガがヌルすぎて、読むに堪えなくなるくらい。こーゆーのを読んでる女子に、読んでない野郎ごときが、恋愛で主導権を取れるわけがない(笑)。
七巻の帯に150万部突破とか余計な情報があるのだが、このうちのほとんどが、アラサー・アラフォー女子なんじゃないか。でも、むしろ男こそ、こういうマンガを読むべきですよ。日本の人口、40代は男が800万人くらい、このうちの5%でも40万人ですよ。
それくらい読みやがれってんだオトコども。……という思いをこめてご紹介します。
マンガ生まれ・マンガ育ち
まずは、作者・西炯子先生について。ぼくがガチファンすぎて、やたら細かくなってしまうのをお許しください。
西先生のキャリアは1986年、つまり37年前にスタート。
ファンには基礎知識だと思うが、西先生はやおいジャンルの総本山である雑誌「JUNE」(マガジン・マガジン社 1995年休刊)誌上の投稿コーナーで、かの竹宮恵子先生に認められて世に出た(まだ女子高生だった!)。
この竹宮先生による投稿・添削コーナー「ケーコタンのお絵描き教室」からは他にも「彼氏彼女の事情」の津田雅美先生や、「赤ちゃんと僕」の羅川真里茂先生などビッグネームが輩出されている。
ついでに言うと、これの小説版で「中島梓の小説道場」という添削コーナーもあった。こちらも多くのプロ作家を生んでいる(これは書籍化されており、じつはぼくのオールタイム・ベストのひとつだ。モノ書き志望者は死んでも全員読まなければならない)。
ともあれ、最近の西センセしか知らないひとは驚くかもしれないが、そのデビューは元祖BL雑誌なのだ。
ただし、西先生はBL専業作家としてデビューしたわけではない。西作品には、ふつうにBLマンガもあるが、それは西作品のバリエーションの一部といったほうがいいように思う。
むろん、一作でもBLマンガを描いたマンガ家は、そうでないマンガ家が持ち得ない、独特の感性の土台を有していると言えなくもないが、西先生はジャンルプロパーなマンガ家ではないだろう。
あと、挿絵の仕事も多い。とくに、秋月こお先生(上の小説道場出身だ!)の小説「富士見二丁目交響楽団シリーズ」、通称“フジミ”の挿絵担当として有名。
ざっくりいうと、この辺までが、西炯子先生の「初期」って感じ。
――2000年代に入るころの西先生は、模索と挑戦の時期に入ったようにぼくは思う。発表誌も、JUNEから「ウィングス」(新書館)を経て、「プチフラワー」「フラワーズ」(小学館)に移り、次々と精力的に作品を発表。
この時期の代表作は、高校生の恋愛オムニバス「STAY」シリーズだろうか(2002~2006)。第一作「STAY~ああ、今年の夏も何もなかったわ~」は映画化された。タイトルが森高千里の曲だとピンとこないひとは、ちょっと世代がちがうのかな。
この時期で注目すべきと思うのは「電波の男よ」(2007)。
掲題作以外も収録の短編集。40歳をこえた西先生が、その絵柄や表現を洗練させ、現在とかわらないスタイルにたどりついたランドマーク的作品は、たぶんこれだと思う。
ちなみに掲題作の主人公と、下の名前が同じ(寿三郎)キャラクターが、現在連載中の「初恋の世界」に、なぜか再登場してる。
もちろんまったくの別人。なんだろう、思い入れでもある名前なんだろうか。
そして転機となったのは、やはり、トヨエツ主演で映画化された「娚の一生」のヒットからだろう(2008~2010・月刊フラワーズ連載)。
この作品で「ミドルエイジ女子」を軸に据えた、独自のマンガ世界が完成したように思う。この作品については、いくらでもほかに紹介されてるだろうから、割愛。
これ以降は、もう最近の話だ。今回ご紹介する「姉の結婚」(2010~2014)、そして「恋と軍艦」(2011~2015)を終え、そして今連載中の作品は、疑似家族モノの「たーたん」(2015~)、そしてアラフォー恋愛モノの「初恋の季節」(2016~)などがある。
「マンガ生まれ・マンガ育ち」。西先生のキャリアをこうして追ってみると、そんなコトバがぴったりな気がする。とにかく、西先生は多作でいらっしゃる。上にあげたのもほんの一部にすぎず、単巻もののコミックスも数え切れないし、エッセイもある。
西先生は、そうしたエッセイやインタビューでその創作姿勢を開陳しておられるが、ぼくはできるだけ見ないようにしている。あまりにマンガが好きすぎて、なんというかむしろご本人の生の声は聞きたくないというか。
竹宮恵子先生というレジェンドに見出された才能が、37年を経ていまのようなポジションになるのにどれほどの努力を要したことか。どんな苦難と挫折を乗り越えてきたか。そこに興味がないわけではない。
ただ、ぼく個人としては、その軌跡を、作品を通してのみ感じていたい。身の上話みたいに聞くのはなんか違う気がする(めんどくさいファンだという自覚はある)。
もちろん、ご興味ある方はぜひエッセイなどもご覧ください。
もうひとつ触れておきたいのは先生が「鹿児島」ご出身で、マンガの舞台の多くが鹿児島、もしくはそれをモデルにした架空の九州の都市であることだ。
「姉の結婚」も、長崎をモデルにした「中崎」という架空都市が舞台となっている。
西先生は故郷をモデルにする葛藤を「STAYネクスト 夏休みカッパと」(2006)の巻末あとがきで「私はこの土地を、やむなく出ました。故郷に対してはうまく説明できない思いがあります。(中略)今は東京も描けると思います。(中略)東京で泥の底を這ったことも、何ひとつ無駄にはなりません」と吐露している。
ちょっとわかる気もする。ぼくも東京に疲れた。コンテンツツーリズム的な意味でなく、自分にとっての“ふるさと”の意味を問い直したい思いが、この年になって強くなっている。
単なるレア素材としてでなく、もっと生きる場としての地方を舞台にするマンガが増えてほしいと思う。
オトナの読む“少女”マンガ
そろそろ「姉の結婚」についてご紹介していこう。まずはパッケージ的側面から。
コミックスは全8巻完結。「月刊フラワーズ」(小学館)2010年11月号 ~2014年10月号に連載された。
アラフォー女子を「明示的」に描くマンガはアラフォー男性マンガより、あきらかに多彩なバリエーションがあると思うのだが、なぜかと考えてみるに、それはやはり専門のコミック雑誌がいろいろとあるからだろう。
祥伝社「FEEL YOUNG」、講談社「KISS」「BELOVE」、集英社「officeYOU」「CoCohana」、双葉社「JOUR」、秋田書店「Eleganceイブ」などなど。これらはアラフォーに限定してはいなくて、ひろく「オトナ女子」をターゲットにしているって感じだが、それでもアラフォーはメインのターゲット層だといえる。
雑誌ごとの細かいカラーのちがいは、調べていくと非常におもしろいのだが、ここでは割愛。とにかく、こうした媒体の充実こそが、アラフォー女子のマンガライフを支えているのはまちがいない。
さて、「姉の結婚」が連載されていた「月刊フラワーズ」もこうした雑誌のひとつだ。いわゆる「フラワーコミックス」レーベルの本丸である。
ウィキによるとフラワーズのターゲット層はずばり「30代以上の少女漫画愛好女性」。
そう、“少女”マンガとは、もはや「少女だけが読むもの」ではないのである。いつから・どうしてそうなったのかは、いずれ別の回で掘り下げてみたいテーマだ。
もうひとつ、触れておきたいこと――装丁デザインがすばらしく美しい。
調べたら、デザインはあのベイブリッジ・スタジオ所属の黒木香さん。おそらく2007年以降の西作品は、すべて黒木さんのデザインだ(少なくとも、ぼくの手元のコミックスはそうだった)。ロゴに特徴があって、フォント基地外のぼくにはたまらない。
表紙はほとんどモノクロで、わずかに指し色があるだけ。まさに洗練の極みにあるデザインだ。「娚の一生」「初恋の世界」とデザインの共通性が感じられて、アラフォー女子モノ三部作みたいになってる気がする。
オトナの読者を意識したであろうこのシンプルなデザインは、ぼくにとって、ここ20年のベスト装丁デザインのひとつである。
四部構成でみるあらすじ
「姉の結婚」は、ひとことでいえば、アラフォー男女の恋愛物語だ。
だが、年齢相応の(つまり学生の恋愛モノでは持とうとしても持てない)リアリティのある障害が、いくつもふたりの関係をはばむ。そのリアリティは、同年代の読者にとって、ある意味ではちょっと「痛すぎる」鋭さがあるかもしれない。
それを緩和するものとして西作品の特徴でもあるが、全編にわたってユーモラスな描写(などというカワイイもんじゃないくらいの崩壊絵)がほどよく挿入されている。それが、プロットの複雑さや展開の速さ、そしてリアルであるがゆえの「痛さ」をうまくやわらげている。このあたりはさすがベテランという感じだ。
個人的には、とつぜん絵がテキトーになるアラフォー描写に、何度も爆笑させられた。たとえばこんな感じ。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
さすがアラフォー、やる気ねえ(笑)。
アラサー・アラフォーになると、徐々に女子力が低下していくのを揶揄する描写が増えて、正直その生々しい“雑”さに笑いがこみあげてしまう。
まあ、男性からみればどーでもいいというか、あんまり気にならないとこかもしれない。
でも、女性であるということは、こういう「戦い」もしないといけないってことで……うーん、勉強させてもらってます。
さっそくだが、あらすじにいってみよう。コミックスをそのまま追っていくが、ぼくのほうで勝手に「第一部」とか章立てをわけてみた。
ぼくの読みだと、「姉の結婚」は四部構成。狙ってそうなのかはわからないが、コミックスだと二巻ごとになる。
第一部:再会~契約<コミックス1~2巻>
――主人公・岩谷ヨリは、故郷・中崎県(長崎県がモデル)の県立図書館で司書をしている。39歳独身(最近、老眼ぎみ)。二年前まで東京にいたが、恋に破れ、逃げるように帰郷。
人生に多くを望むのをあきらめ、おだやかに、ひとりでプチ老後を生きていこうと決意しているアラフォー女子である。「女としての人生は そろそろ終わろうとしている」。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
そんなヨリの前にある日、ひとりの男があらわれる。
名前は真木誠(まき・まこと)。著名な精神科医にして大学講師も勤め、モデルのような美男子である。
そんな真木は、ストーカーのようにヨリにつきまとうようになる。そして、ついにはちょっとした事故をよそおい、強引にヨリと性的関係をもつ。
その際の真木の最初の誘い文句は下記のとおり。正気ではない(笑)。いやたしかにそこ大事だけどさー
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
じつは真木はヨリの中学時代の同級生であった。しかし、当時は色白で太っており、ついたあだ名が「ホワイトポーク」。ひでえ。
周囲にバカにされ、いじめられていた真木だったが、ヨリの強いコトバに影響を受け、生き方を変えるようになった。
このころから真木はヨリに異常ともいえるほどに執着していく。
その後、見た目が別人のように変わり、周囲からの扱われ方が変わっても、30年ちかく、ヨリへの思いは変わることがなかった――
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
ヨリの帰郷を知った真木は、即刻ヨリと関係をもったわけだが、じつは彼は既婚者であった。すなわち、ヨリとの関係は不倫なのだ。
ただし、その結婚生活は破綻している。真木は、父の借金返済のために、資産家である大病院の娘・理恵と結婚し、仮面夫婦を演じているのだった。
しかも真木がこの結婚をうけたのは、なんと妻の理恵の外見が、ヨリにそっくりだったからでもあった。理恵もまた結婚前から、妻子ある男と不倫関係にあった。
もとよりふたりの夫婦のあいだに愛情はなかった。だが、結婚は社会的立場を守るための契約である、とお互いに割り切っていた。
真木は不倫であることに後ろめたさもなく、執拗にヨリを追いまわす。だが、ヨリには迷惑だった。「よしんば 愛されるのも もうごめんだわ」。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
ヨリは、それまでつらい恋愛しかしておらず、もう心乱されるのはごめんだと思っているので、真木のアプローチがうっとうしくてならない。
だが、真木はそんなヨリのあきらめてしまったような態度を、一蹴する。
「――こういう愛され方は はじめてですか」「あなたは ほどほどの愛しか 知らない」「あなたのために 死んでもいいという男はこれまでいなかった」
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
これまでヨリと交際してきた男たちと、真木はどうも根本的に違うようであった。なかばストーカーであったが、ヨリへの愛の示しかたの激しさは、裏切られ続けてもはや愛を信じられなくなっているヨリを、動揺させる。
そんな真木との関係に悩んだあげく、ヨリはなんと真木に「愛人」としての付き合いを提案する。「わたしたちがしてるのは不倫 恋愛じゃないわ」。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
毎週金曜日、会って、セックスして、別れる。そういう決め事でヨリと真木のねじれた関係がはじまった。しかし、不自然に割り切ろうとしているヨリに、真木はすこしもひるまず、むしろヨリの言質をとって、いいように手玉にとる。
ヨリは、真木の手のひらで踊らされている自分が、徐々にその情愛に溺れていきそうなことを恐れはじめていた。いずれにせよ、こんな不自然な関係が、長く続くはずはなかった……
第二部:選択~破綻<コミックス3~4巻>
真木とのリスキーな関係をやめて、まともな恋愛、まともな結婚を望むヨリは、周囲の仲介で新聞社につとめる誠実でさわやかな男性・川原洋一郎と知り合う。非の打ちどころがない川原に、妹のルイをはじめ、まわりも結婚をあおりたてる。
そんなとき、川原がヨリにプロポーズする。自分の中でおおきくなるばかりの真木への感情を持て余していたヨリは、このままではいけないと考え、真木との関係を精算し、一度はそのプロポーズを受けようとする。
毎週金曜日を心の支えにし、セックスのときだけ安心でき、もう自分の気持をコントロールできない、そんな自分は嫌だから、この不毛な関係を「終わりにする」と真木に告げたのだった。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
そう別れを告げてみてわかったことだが、真木はヨリを、愛人としてきちんと尊重し、大切にしてくれていたのはたしかだった。
だがしかし、もう、愛だけでは「持ちこたえられない」……
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
しかし、ヨリと川原を引き合わせた老作家・藤野は、そんなヨリの答えに、頭を抱えてしまう。ヨリに相手がいないと思って川原を紹介したが、じつは相手がいたとなると、話は別なのだ。「……男と女が 「やめました」の一言で切れるようなもんではないくらい 野暮天のわしでも知っとる」。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
藤野はいったん、すべて白紙にしようと提案する。実際、川原からのプロポーズについて、お互いに考えてみると「結婚」それ自体が目的化してしまっていたことに気づき、ふたり納得の上で破談にするのであった。
第三部:孤独~呪縛<コミックス5~6巻>
真木とも川原とも別れ、こうして再びひとりになったヨリ。だが、独り身になったからなのか、仕事のほうに好影響が出るようになる。
ヨリが図書館で担当したカフェとのコラボ企画が評判となったことがきっかけで、中崎県の推進事業「土佐島プロジェクト」に協力することになったヨリは、(あきらかに長崎の世界遺産「軍艦島」をモデルにしている)「土佐島」をメインに据えた、中崎の魅力をアピールする総合プロジェクトの事務局長となる。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
そして偶然にも、真木の叔父・幸造が会議のメンバーのひとり(元土佐島住民)であった。しかも後日、幸造が足を骨折してしまい、代理として真木が、会議に出席することとなる。
愛人関係を解消したばかりのヨリと真木であったが、はじめからなにもなかったかのように、親しい友人として接し、比較的しばらくのあいだはうまくやっていく。
これでよかったのだと、おのれに言い聞かせるヨリ。
また、図書館司書の副業として書いていた書評が、著名な文学賞の銀賞を受賞し、ヨリは書評家としての評価も得るようになっていた。
それにともない、東京への出張も増え、あこがれの作家であった「夢幻堂遥(むげんどう・はるか)」とも交流し、充実した日々を送っていく。
夢幻堂は、ヨリの才能を惜しみ(ついでに女としてのヨリにも興味をもち)、東京に来るよう促す。
ヨリがいそがしい日々を送っているころ、真木はついに、妻・理恵との離婚を決意し、大学講師を辞めるなど、さまざまな準備を始めていた。
しかしそんな折、理恵の妊娠が発覚する……!
第四部:彷徨~成就<コミックス7~8巻>
「土佐島プロジェクト」は、人気ロックバンド「SAD」の招致にヨリが成功したことで、一気にビックイベントになろうとしていた。
土佐島を紹介することが、過去と未来につながる意義をもつ、とヨリはいう。自分を否定し、自己評価が極端に低かったヨリが、そう言い切れる強さをもつようになった姿を、真木は暖かく見守るのであった。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
そんなヨリに、真木は自分の夢も語る。離島の五ツ島で、診療所を開業する、と。そして、ついに告げる。「ぼくはひとりになります そしてヨリさんを迎えにいきます」。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
しかしその直後、ふたたび離婚をしてほしいと伝えた理恵から、妊娠したことを告げられる真木。「離婚はできないわよ 親になるんだから」。
いっぽう、今度こそ真木を信じていいのか、揺れるヨリ。
仕事で上京した際に、夢幻堂に飲みに誘われた際にその話を思わず相談すると、夢幻堂はあきれはてて「そんなんだから 妻帯者につけこまれるんだよ?」「籍が抜けてないんなら すべての約束は空手形! 何やってんの君は!」と叱る。不安定なヨリは、いっとき夢幻堂に身を任せてしまおうとするが、すんでのところで思いとどまる。
……理恵のコドモは、じつは不倫相手とのものであった。理恵は不倫相手にそのことを話すが、相手はすげなく拒絶し別れようと手切れ金を出す。
そして理恵も決意する。だれかの娘、だれかの妻でなく、自分の人生を自分で生きなければならないのだ、と。
そして真木との離婚に、応じるのであった。
――ヨリが、明日で40になるという誕生日の夜、終業時間。職場に真木があらわれる。
「おまたせしました」。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
これでもう障害はない、と思われたそのとき、なんと真木に、かねてから希望していたが諦めていたドイツ留学の話が舞い込んでくる。
精神医学の世界的権威に学べる、最後のチャンスでもあり、真木はヨリと相談し、一年離れることを決める。
真木が留学のポストを得ることができたのは、講師をしていた大学の准教授・花井の人脈や政治力によるものであった。
真木に固執する彼女は、ドイツでの真木の生活に過剰にかかわって、ヨリでなく自分を選ばせようと画策する。
約束だった真木からの手紙がいつまでもこない(花井がわざと送らなかった)ことに不審をいだいたヨリは、真木の携帯に電話するが、かってに花井が応答してしまう。
いっしょに暮らしている女性がいる……? また、裏切られたのか。ヨリの心にどす黒い闇がひろがっていく。
それでも、かねてからの約束で、一度ドイツに渡ったヨリは、まっすぐ真木に会いにいく。その前に立ちふさがる、花井。
自失したヨリは帰国し、すべてをすてて離島にひきこもる。
のちにすべての事情を把握した真木はすぐに弁明しようとするが、ヨリは連絡を絶ってしまう。
ヨリが身を隠すように暮らしていたのは、「西」五ツ島、すなわち彼が開業しようとしている五ツ島「本島」の、ひとつ手前の島であった。本島まで行かなかったのは、そこがかれとの「約束の地」だったから――
そして、すべてが終わったのだ、とヨリは思う。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
「すべての選択は 終わった」。本当に、終わったのか――?
……以上あらすじ終わり。
お分かりかもしれないが、ご紹介したのは主人公・ヨリと真木のあらすじに絞っている。実際にはこの何倍もプロットは複雑で、いくつものサブエピソードがある。
主だったものだけあげてみると……
主人公の妹ルイとその彼氏、中学の同級生・新川さんとその彼氏、主人公の両親と娘姉妹、真木の妻と不倫相手、真木の大学時代の同期である天野との話、などなど、あらゆる世代の恋愛と生活が並行して描かれている。
<結婚>というものが、どれほど多様なありかたをするものか。人生に正解などないと言うが、それでも個人個人がどれほど正解を求めて苦悩し、それでもなお決断するものなのか。「姉の結婚」というマンガは、そうした重層的な物語なのだ。
誰が言ったか、このタイトル
「姉の結婚」というタイトルは、ちょっと“うますぎる”と思う。ここまでうますぎると、鼻につく人もいるかもしれない。それくらい、洒落たタイトルだ。
そしておそらく読者のほとんどが、タイトルの意味がよくわからないだろう。
このタイトルは、誰目線なんだろう?
たとえば主人公ヨリがおのれの物語を、みずから「姉の結婚」と名付けるのはヘンだろう。
ふつうに読めば、まるで第三者が名付けたみたいである。でもいったいだれが? ちょっと掘り下げて考えてみよう。
まず、「姉」という名詞が指し示しているのは、主人公であるアラフォー女性・岩谷ヨリ(いわたに・-)。登場時、39歳のことでまちがいない。
「姉が結婚する」という文章を名詞化すると「姉の結婚」となるわけで、これを発している主語は「いもうと」ということになる。
ふつうなら、だ。
確かにヨリには妹である留意子(るいこ。作中ではあだ名の「ルイ」で呼ばれる)がいる。ルイはそれなりに出番はあるし、重要なキャラクターだ。だが、あきらかにタイトルコールをするほどの立場とはいえない。
まあ、わざわざ書くのは野暮ってものだろうが、「姉の結婚」というタイトルは、まちがってもルイが主語ではない。
もちろん、意味や内容的にはルイのセリフとみなすのが順当だが、真に意味するところはそうではない。
また当然ながら、この「姉」は特定の人物を指さないし、「姉一般」を広く指すようなものでもない。
ここでいう「姉」は、岩谷ヨリというこのマンガの主人公以外ではありえない。
ちょっと言語化しにくいのだが、ここで用いられているテクニックは、ぼくが個人的につくった用語でいえば「ハズシ」のテクだ。
「ハズシ」とは、描写・セリフなどが意図する意味内容を、そのままストレートに表現してしまうことによるダサさ、凡庸さ、そういった「つまらなさ」を避けるために、あえて不自然だったり、文法上間違っていたり、意味が通じないような表現をつかうことで、意味内容を強制的に印象づけたり、奇妙でふしぎな理解感覚をあたえるテクニックだ。
つまりは、日常的・自動的なわかりやすさから「ハズシ」てしまうワザというわけだ。
うーん。うまく説明できてるだろうか。
たとえば、これが「ヨリの結婚」だったら、わかりやすいわけだ。実際、ここで意味したい内容は、まさにこれだ。
これなら、不足も余分もなく、マンガの内容を完全に説明しきっている。
だが、つまらないし、ダサい。そこで、なんらかのひらめきがあって、西炯子先生は、ヨリじゃなくて「姉」にしてみたわけだ。
さて、そうすると、はじめてタイトルをみた読者は、こう思うだろうことが予想される。
「――おそらく、主人公には姉がいて、その姉は結婚済、もしくはこれから結婚する。妹はこの姉の結婚に、第三者でなく、なんらかの理由で当事者としてかかわることになる。そのかかわりによって生まれる事件が、このマンガの描くものである……」
これが「姉の結婚」というタイトルを、自然に解釈した場合の読み方だろう。
しかし、みなさんお分かりの通り、もちろんこれはまったくのまちがいだ。
これでは主語が妹となり、まるで妹目線の物語のようだが、実際には「姉」が主人公だし、物語の視点も姉から目線だ。
妹はこのマンガを代表して、このタイトルを“宣言”できるほどの重要な役割を担っていない。
つまり、このタイトルは<人称の混乱>をあえて引き起こしているといえる。
言い換えれば「誰目線」から発せられたタイトルなのかを「ハズシ」ている。このタイトルを宣言できる物語上の立場は、じつはないのだ。
小説の作法でいう「一人称」、つまり全編が主人公視点の「わたしはそのとき、奇妙な驚きをおぼえた」というふうな描き方は、マンガの場合できない。
ただ、常にある人物にフォーカスして描くことで、擬似的に一人称とすることはできる。つまり「姉の結婚」というマンガは、ヨリの擬似一人称である。
だが、「姉という立場であるわたしの結婚についての物語」=「姉の結婚」というわけでもない。
このマンガを読めばわかるが、ヨリは別にさほど「姉」という立場を、人生の判断における重要なファクターとみなしてはいない。
もっとハッキリ言ってしまえば、このマンガにおいて、「姉」というヨリの立場は、ほとんど重んじられていない。むしろ、希薄といっていい。
ヨリが恋愛や仕事や結婚において、つねに思い悩んでいる主要なポイントは、たとえば「年齢」だったり「世間が強制してくる幸福観との齟齬」についてであって、妹や家族の問題は補助線にすぎない。
このタイトルの解釈において、「あー、スッキリした。なにもかも理解できた」というような安心は、決して得られることはない。これはそういう意図を狙ったタイトルなのだと、ぼくは思う。
――ぞっとするようなセンスだ。だから西先生はこわいマンガ家なんだ。
なぜなら、このタイトルが真に意味するのは<結婚>というものの不確かさ、制度としての堅牢さに比した内実のもろさ、そうしたものだからだ。
本人にとっては一大事件だけれども、周りからすればありふれた事件にすぎない。結婚は幸福の同義語でなんかない。
でもそれは、結婚が瑣末なことだということを意味していない。
そうではなく、自分にとって重要なことは、いわば「自分しかわからないし、引き受けられない」のだということ。
言い換えれば――「幸福」とはまさにそういうものであるのだ、ということ。
そんなメッセージが、このタイトルには込められているように思う。
まるで、どこかのだれかが通りすがりにそう名付けただけ、といったような……そんな「どうでもよさ」と、どこか一歩離れて暖かく見守るようなニュアンス。
タイトルがその物語の、すべてを言い表す決定的なテキストなのだとすれば、これが正解だというような描写などひとつもないこのマンガに、この、まるで「他人事」みたいな響きのするこの「姉の結婚」というタイトルを選んだ西炯子というマンガ家は、その冷徹な感性と強さは、やっぱりおそろしいと思う。
「失恋して帰郷したらイケメン幼馴染に求婚され愛人から妻にクラスチェンジ!」じゃ、やっぱアカンと思うのです。
さいごに
「姉の結婚」についてなにか解説しようとするとき、たぶん読者が期待するのは西炯子的な恋愛観・幸福観がどう描かれているか、というところだろう。
もちろん、ぼくもそれは最後に書かないとなーと思ったので触れておきます。
現実のぼくたちにとって、恋愛や<結婚>がいわば「妥協」の結果であるようなことは、めずらしくない。究極の愛、みたいなものにだれもが出会えるわけじゃないから、人生でなんとなくいい感じに出会った相手を運命だと思いこむことで、セックスしたり、コドモができたり、プロポーズしたりするわけだ(どういう順番だ)。
なんか身も蓋もないが、別にぼくたちは全人類の「お相手総リスト」が与えられて、そこから順に候補者を検討していき、リストの最上位を選べるわけじゃない。
ただ、出会いの偶然性はある種の「奇跡」といえなくもないから、良い感じの相手がいたら、まあまあそれを選んでみてもそう間違いじゃない……
「姉の結婚」では、真木というハイスペック男性が30年近く、ヨリを「運命の相手」だと確信し、それを成就させるといういわば愛の「真実性」が強調されている。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
ただ、愛だけではダメだ、と何度もヨリが苦悩するように「愛さえあれば、他にはなんにもいらないのよ!」的な安直な結論は、もちろん出されていない。
愛と、現実を、天秤にかける。このマンガでもそれは繰り返し描かれている。
ぼくが少なくともこのマンガで感じたのは、この問いに対して「どちらか片方だけ」という答えはどこにも出されていない、ということだった。
これは本来、二択の問いではないのだろう。問い自体が間違いなら、答えはすべて間違いだ。論理学の基本というやつだ。
西炯子作品では、ことミドルエイジ女子系の作品はそうだと思うが、けっこう「不倫」モノが多い。
これは端的に言うなら「好きになっちゃったら、もうどうしようもない」ということだ。
社会倫理が、世間の口が、なにをどう言おうと、だ。たぶん、アラフォーあたりまで生きてみると、この「どうしようもなさ」がひとを突き動かしてしまうとわかってしまうんだろう。
「“どうしようもなく その人でなければ”ということがある」と真木が言うように。
ちなみに真木は、こんなことも言っている。
出典:姉の結婚 ©西炯子・小学館
「好きな人がいる――13歳のころから 俺はその人以外の女を愛したことがない」。
13歳――か。困ったな。ちょっと、わかっちゃうぞ。13歳のとき好きだったひとと、不倫しそうかどうか悩んでいるアラフィフは、このマンガ読んじゃダメだ(笑)。
西センセならなんて言うかな。マンガのネタになりそうな展開になったら教えて、とか言われそうだ。
とりあえず、死ぬ前に告白だけはしておこうと思います。どうにかなっても、ぜんぶこのマンガのせいです。