一見は市井の人に見えながらも、よくよく話を聞いてみるととんでもないマニアだったり、途方も無い熱量の持ち主だったりする。そんな「奇才紳士&淑女」をご紹介していく連載です。
きっかけはこのツイート
2023年の1月10日。「電車に乗っていたら急病人に遭遇した、SOSボタンを初めて押した」といった内容の呟きがTwitter上に投下されます。倒れた方は無事搬送されたとのことですが、このツイートについたとある引用RTにTLがざわつきます。
「SOSボタンを押すとこんな音が出るよ」と“実際に”押している映像!「え、なんで押してるの……!?」当然のごとくツッコんだユーザーに返ってきたのは、まさかの一言。
「私の車両」!なんというパワーワード!!
というわけで今回の奇才紳士、「鉄道好きが高じて鉄道車両を買ってしまった人」が登場です。
これまでもいろいろな「奇才」を持った方が登場したこの連載、主にその“才”は「一つのことに打ち込む情熱の強さ」という形で表れましたが、今回の奇才紳士も例に漏れずに情熱を注いでいます!なぜ「鉄道」にハマったのか、その背景を伺います。
3歳ごろから鉄道と機械の魅力に目覚め、成長とともにプラレールからNゲージ、鉄道部品収集へと趣味の幅を広げていく。学生時代には独学で201系電車の乗務員室を作り上げたことも。現在は長野県千曲市にある「万葉超音波温泉」を経営する株式会社翠明荘の専務取締役 鉄道車両事業部代表をつとめる。
Twitter:@OER3264F
戸倉上山田温泉 万葉超音波温泉:https://www.manyoonsen.com/
鉄道愛は「物心ついたときから」
ーーはっきりと「自分は鉄道が好き」だと自覚したのはいつごろだったのでしょうか?
物心ついた頃にはもう好きでした。
よくオール2回建て新幹線E1系MAXなどで新潟の祖母の家や長野へ遊びに行っていたのもあり、自然と好きになったのかもしれません。
恐らく年齢としては3歳頃からだと思いますが、当時から電車のみならず「乗り物」は全般的に好きだったと思います。
幼少期は東急池上線の近所に住んでいましたので、東急1000系や通学で使用していた小田急線などはとても印象深いです。
ーーツイッターのプロフィールにも「鉄道部品専門家」という言葉がありますが、鉄道というジャンルの中でも「部品」に惹かれていったのはどういうとこからだったのでしょう?
小さいころから「機械いじり」が好きでした。
自分自身ではあまり覚えていないのですが3歳の頃、病院の大きな古時計の扉を開けて付いていた振り子を外して親に見せたり、幼稚園入学前に通っていたスクールでラジカセをいじって壊したという逸話もあります。
昔から勝手に色々な機械を触っていたらしいです。
そこから幼少期はプラレール、小学生の頃にNゲージと順を追って鉄道趣味にのめりこみ、中学2年生の頃初めて113系のドア開閉を行う「車掌スイッチ」を購入したのが全ての始まりとなります。
機械いじりが好きで鉄道が好きな自分にとってはまさに「鉄道部品」は最高のジャンルでした。
ここからは鉄道模型を手放しながら、徐々に趣味が鉄道部品へとシフトしていきました。
ーー「学生時代には独学で乗務員室を作り上げた」というエピソードをお伺いしましたが、周囲の反応は?
当時は実家住まいでしたが、両親はもう呆れて何も言ってきませんでした(笑)。
鉄道好きの友人からは度が過ぎていると言われ、みんな来るたびに楽しんでいましたね。
鉄道好きではない、学校の友人などからは「良い意味で頭おかしい」と言われていました(笑)。
「収集鉄」の究極の夢、鉄道車両購入へ!
ーー鉄道車両を購入することになった経緯というのは?
プラレール、Nゲージ、そして鉄道部品収集と徐々にスケールアップし、最終的に201系の乗務員室までをも製作してしまったので。
次は何をしようかと。考えた末にたどり着いたのは「車両そのもの」の購入・活用でした。
これは高校生の頃から夢でもあったんです。
本当は201系が欲しかったのですが、車両の引退当時は中学生~高校生でしたので一学生としては当時とても難しいことで。
ただ、実際にJR東日本へ譲渡可否の打診をしたこともありました。
ーー打診したんですか!?そんなに前から本気で手に入れることを考えていたんですね。
設置場所については父親が単身赴任で仕事をしている日帰り温泉『万葉超音波温泉』の、現在115系車両が置いてある場所がまさしく候補でした。
ここでしたら土地代もかかりませんし、温泉と一緒に何かしらの事業が行う事ができるのではという構想も前からありました。
東京で学生時代を過ごし、その後サラリーマンとなってからも、長野にいる父親にたびたびこのことを話してはいたのですが、当然聞いてもらえませんでした。
それでも、2018年頃からは本格的に譲渡に向けて、鉄道会社に車両の譲渡は現実的に可能なのかを聞いたりもしていました。
ーー購入したクハ115-1106の存在を知ったときと、購入を考え始めたときのお気持ちは?
2021年に東京で勤めていた鉄道車両用品の会社を退職、脱サラし長野へと移住することとなります。
ここで本格的に鉄道車両の譲渡と取得に向けて交渉をスタートしました。
最初は父親を説得するところからでした。
「趣味で終わらせるのではなく、しっかり会社として利益を出すことを前提とした活用方法ということ」が設置の条件でした。
度重なる説得の後、再度鉄道会社への交渉をスタートしました。
ーーここでまず、お父様の説得はできた!
しかし鉄道車両の譲渡は、ここ数年でとても厳しい状況となっていました。
様々な事情はあるようですが、現在は法的に鉄道会社から民間企業への展示用途での譲渡はほぼ不可能とのことでした。
そんな中、父のつながりで長野県小県郡長和町にコネクションがあることがわかります。
ここはJR東日本から2015年に譲渡された「クハ115-1106」がスキー場で眠っている場所で、これは数ある115系の中でも唯一の民間保存車両なんですね。
そういうこともあり、譲渡当時から存在は知っていました。
そこでダメもとで長和町の町長へ直談判を行ったんです。
ーーなるほど、直接の譲渡ではなく、過去に譲渡されたものを貰い受けたいと。
もちろんただ単に置くだけではなく、車両の機能を復活させて地域活性化のための活用を検討していたので、その旨で交渉を行いました。
2021年の8月頃から交渉をスタートし、お互いの利害が様々な面で一致したため、紆余曲折を経て2022年4月頃に譲渡が確定し、7月に晴れて輸送・設置となります。
移送は友人の伝手で鉄道車両輸送大手であるアチハ様に繋げて頂きました。
ーーご家族、特に代表取締役であるお父様の反応はどうだったのでしょうか?
最初は鉄道には全く興味のない父親を説得するところからでした。「趣味で終わらせるのではなく、しっかり会社として利益を出すことを前提とした活用方法ということ」が設置の条件でした。
しかしまさか本当に置くことになるとは思っていなかったようです。
ーー「保存車両の個人所有」というと「鉄道オタクの夢」的な形で語られることも多いですが、実際に購入される方というのはどのくらいいらっしゃるのでしょうか?今お話をお伺いすると、もう近年は譲渡してもらうのはかなり難しそうですね。
実際に鉄道車両を保有するというのはかなり大変なことです。
条件面を大きく3つにわけると
・設置場所の確保
・購入方法/費用
・維持管理
です。
まず設置場所ですが、全長20mもの車両を置くためにそれなりに広大な土地が必要です。
購入方法についても、現在では法令上の問題で鉄道会社から車両を購入すること自体が難しい。
また輸送には数百万円、距離によっては1,000万単位で費用がかかります。
その費用も考慮しないといけません。
ーー既にハードルが高い……さらに維持管理費もかかると。
鉄道車両は現役で走行している間は、一般的に数年に1度は綺麗に修理されます。
自動車の車検のようなものですね。しかし引退した車両を保存する場合は、そのような修理をする機会が無くなります。
また、鉄道車両は走行することを前提に設計されていますので、長い間同じ場所で保管されるということが考慮されていません。
従って保存車両のように動かず同じ場所に留まると、雨水が同じ場所に溜まったりして車体の錆や劣化が著しく進行してしまいます。
ーー「動かさない」からこそのメンテナンスも必要になるんですね。
そのため、私の115系には大型の屋根を設置しました。
これで腐食を遅らせることができます。
今回は修繕もしますので、長い期間をみて腐食を遅らせることができるかなと。
鉄道車両を保存するということは購入することが終わりではありません。
自らの手で管理する以上、半永久的に劣化・腐食との闘いが始まります。
このような条件を考えると、購入できる人はさほど多くはないというのが現実です。
ーー購入の経緯の点で、一番苦労したのはどのあたりでしょうか?
やはり譲渡交渉ですね。
今回の譲渡元である長和町やブランシュたかやまスキー場様と、約半年にわたり度重なる交渉の末、2022年4月に契約となりました。
数々の困難を乗り越えてかなった車両購入、今後は?
ーー実際に購入してみてよかったことは?
何より「収集鉄」として最後の理想、「現車」を保存できたことが非常に大きいです。
どこに電気を通電させればどの機能が働くのか、どこに圧縮空気を繋げればブレーキやドア開閉など空気系の機能が生きるのか……。
今までの知識をフル活用し、無事に動かすことができました。
実際車両に乗っているだけではわからない箇所、たとえばSOSボタンや非常用ドアコックの操作などを、誰にも迷惑をかけることなく操作する事が可能なのも良い点だと思います。
ーー冒頭のツイートは、まさに「収集鉄」の理想の使い方……!
また、せっかくの鉄道車両ですので、車内の様々な活用方法を検討中です。
地域の子供たちの活動の場として、ワーケーションスペースとして、イベントスペースでの貸切活用……ご希望があれば「ブライダルトレイン」としての貸切活用も可能です。
ーー聞きにくいのですが、今後、正直なところ「会社や地域のためという思い」と「利根川様個人の“欲しかった”と言う思い」、どちらが何%…という感じだったのでしょうか!?
実際には半分半分です。
私個人の欲しい思いもありましたが、設置場所が地域の皆様にご利用いただいている温泉地区ですので、今後の地域のためという思いも大きいのは事実です。
そのために市や地域の様々な方へ協力を打診しています。
このクハ115-1106が第三の人生として担う役割は単なる車両保存ではありません。
「万葉超音波温泉」という皆様が日常的にご入浴されるスペースとなりますので、地域のコミュニティスペースとしての活用を検討しています。
客室を休憩室としてご入浴後に活用頂く、また鉄道ファン向けに実際の機器類が動作する運転シミュレーターの製作、ドア開閉体験、運転台機器操作体験などのメニューも用意します。
ーー購入してみて「想定外に大変」という点はありますか?
これは今現在も大変なことなのですが、想像以上に費用がかかるということですね。
単に置いておくだけであればさほど費用はかかりません。
ですが、今回は前述のように事業としてこの車両を活用することを考えていますので、できる限り現役時代の機構を生かし、走行する事以外の全ての車両機能を復活・活用させることが前提です。
そのため、専用の電気機器・電源や圧縮空気を作る為のコンプレッサーも用意しないといけません。
それら費用を考えると実は裏では相当な費用が掛かっています。
その費用の一部を補う為にクラウドファンディングを実施し、皆様のお力を頂きまして無事に1,000万円を達成することができました!
また、国による「事業再構築補助金」も今回温浴事業から鉄道車両を活用した新規事業への進出ということで採択されました。
こちらは現在交付申請に向けて準備を進めています。
参考:希少な115系保存車両「クハ115-1106」を末永く後世へ
ーー利根川さんの考えている「車両を保存する意義」をお聞かせください。
鉄道車両は移動する人々を乗せる工業製品です。
役目を終えればスクラップされてしまいます。
特に115系のような「普通列車」は日常の足として使われてきたこともあり、このような車両は中々保存されることがありません。
しかし115系は長年長野県を含め、様々な路線を走行していました。
特にクハ115-1106の最寄り駅である戸倉駅を持つしなの鉄道では、今でも115系が現役で走行しています。
「学校に行くときに使った」「仕事へ行くときに使った」「受験を受けに行く時にのった」など、老若男女問わず日常に溶け込む存在です。
鉄道ファンにとって歴史的価値がある車両を残すとともに、鉄道に興味がない一般の方も「過去の懐かしい記憶」をこの電車に乗れば思い出すことができる……そういった場所を提供できればと考えています。
ーーさて。このクハ115-1106、今後のご予定は?
当初は修繕を行い2023年5月オープンを予定しておりましたが、諸般の事情によりスケジュールが全体的に後ろ倒しとなっており、オープン予定は2023年7月以降を予定しております。
また、近日中に115系車両保存会にあたる「115系サポーターズクラブ」を設立予定です!
ーーなるほど!SNSなどで経緯を知った方にも、ぜひ参加いただきたいたいですね。では最後にこれを読んで「車両を購入してみたいな」と思った方にアドバイスをお願いいたします!
鉄道車両購入、土地・費用等の条件が揃った方には是非ともチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
購入までは険しい道のりかもしれませんが、車両を通じて様々な新しい出会いや経験ができるかもしれません。
保存車両業界も横のつながりも含めて最近活発になりつつありますので、ぜひ一緒に盛り上げていきましょう!
いやしかし(さまざまな条件やタイミングが重なったとはいえ)困難を乗り越えて夢への実現にこぎつけた利根川さんの胆力と情熱、まさに「奇才」!クハ115-1106のお披露目を心待ちにしています。