奇才紳士名鑑〜⑲自宅に硯500個!“硯”の奥深き世界に魅せられた紳士

世の中には、一つのものごとに「過剰な情熱」を注ぐ人が存在します。
一見は市井の人に見えながらも、よくよく話を聞いてみるととんでもないマニアだったり、途方も無い熱量の持ち主だったりする。そんな「奇才紳士&淑女」をご紹介していく連載です。

「硯」の奥深き世界

みなさん、「硯」について考えたことはありますか?

はい、書道のときに使うアレ。墨を摺るアレです。「お稽古ごとで使っていた」もしくは「学校の書道の時間に使ったなあ」という人が多いのではないでしょうか?

読者の中には、大人になっても書道を嗜んでいるという人もいらっしゃるかもしれません。

今回の「奇才紳士」は、そんな「硯」のマニアが登場です。

ご自身も若き書家、指導者として活躍しながら、硯のコレクターでもある齊藤正起さん。

知っているようで知らない「硯」の世界。その深淵を、どうぞご堪能あれ……!

◾️プロフィール
齊藤正起さん

1996年生まれ、埼玉県出身。書家、硬筆・書道・篆刻(てんこく)講師。大東文化大学文学部書道学科卒業。日展第五科篆刻入選3回、謙慎書道展・読売書道展・毎日書道展等の展覧会入賞多数。現在は埼玉県内で篆刻・書道の教室を開催。篆刻アーティストとして自作篆刻の販売も。
Instagram:https://www.instagram.com/pekepeke77777/

自宅に硯500個!若き硯コレクターはどうやって生まれたか?

自宅兼教室に伺うと、机の上にずらりと並んだ硯、硯、硯。

――……人生でこんな数の硯を見たのは初めてなのですが、何個くらいあるんでしょうか?

今ここにあるのは約500個くらいですね。

――500個!!硯はいつごろから集め始めたんですか?

中学生〜高校生くらいですかね。最初は硯や、硯の材料となる「石」に惹かれたんだと思います。それでなんとなく自分で集めていったんですが、どんな石でどんな種類で……とかいうのは当時はまだわからず。

大きなきっかけとなったのは高校生の時、浅草にある「宝研堂」という書道用具店に遊びに行ったことですね。たまたま店番をしていた方が当時宝研堂に勤められていて、今は立石で「百八研齋」というギャラリーを開いている書道用品の目利き・渡辺久邸さんだったんです。

「硯に興味があるんです」という話をしたら、「じゃあ自宅にいらっしゃい」と呼んでいただいて。そこでいろいろな硯を見せてもらっただけでなく、譲ってもいただいたんですよ。そこから本格的に「硯」収集が始まりました。

――導いてくれる「先人」との出会いが大きかったわけですね。

といっても高校生ですから、溜めたお年玉で買うとかその程度ですけどね。旅行で行った韓国で買ったり、骨董市や書道用品のお店でも買ってたかな。今振り返るとあまり賢くない集め方だったかな……とも思いますけど。

こちら、篆刻アーティストでもある齊藤さんの作品。篆刻についてもお伺いしようと思ったのですが、硯の話をしていたらたどり着きませんでした。

――ご家族はどんな反応だったんですか?

「どうしてこうなった!?」的な感じに呆れてましたね。「硯なんて1つあればいいんじゃないの?」と。

――なんとなく気持ちはお察しします……。そもそも、齋藤さんが書道を習い始めたきっかけは何だったんですか?

小学校1年生のときに、普通の「習い事」として始めました。

たまたま家から近いところにいい先生がいるらしい……というくらいのノリで通い始めた教室が、鬼頭墨峻という第一線の書家の先生の教室でした。

その頃、先生が横25m、縦6mという当時日本最大級の大作を手掛けられていて、それを見て子供心に大きな衝撃を受けまして。

小1にして「自分も書道の道で生きていきたい」と決意しました。

――早い!でも、それだけ衝撃だったんでしょうね。その後も書道を習い続け、大学は大東文化大学文学部の書道学科に進学されたと。日本国内初の書道専門学科として、書道を極める人たちには知られている学科だそうですね。どんなことを習うんですか?

基本的には実技で「ひたすら書く」ということがメインですが、座学や論文も必要となります。美大のカリキュラムと似てるかもしれませんね。

語学や漢文、美術学や中国史……いろいろ学びましたが、中には「中国で作られた拓本の真贋を見極める」といったようなマニアックな授業もありましたね。

そうやって学ぶうちに、授業の一環として宝研堂の四代目・青栁貴史さんの講義があったんです。

「使いやすい、いい硯とは?」という質問に答えてくれている齊藤さん。例えば裏側が掘られて軽量化されていたり、硯全体の重さのバランスが取れていたりと、一見シンプルなものでも細かな工夫がされているものがあるそう。

――硯の製造から修理まで請け負う「製硯師(せいけんし)」として、メディアにもよく登場されている方ですよね。

僕としては「わ、青栁さんだ!」とウキウキだったんですけど。その時、青栁さんが5つの硯を並べて、「この中の2面は自分が作ったもので、他の3面は古いものです。わかりますか?」と生徒たちに聞かれたんです。

その時は既に硯にかなりハマっていたので、なんとなく「こうじゃないかな」と選んだら見事に当たりまして。それを見た青栁さんから「君、ちょっと店に来ないか」と。それがご縁で、大学3年生から3年間ほど宝研堂でアルバイトをさせていただきました。

――なんだか少年マンガのスカウトシーンを見るようですね……。しかし、硯好きとしてはたまらない環境だったのではないですか?

いろんなことを学ばせてもらいましたね。お店が暇なときは商品を好きに見ててもいいよと言っていただきましたし、製硯を習いに来ている方とかみんなでヤフオク等に出ている硯の写真を見ながら「あれじゃないか?」「いや違うだろう」と話して、落札して届いたら「合ってた!」「違ったかー」って一喜一憂したり。

青栁さんからは硯の画像が突然メールで送られてきて「この硯について延べなさい」的なやりとりがあったり。

――完全にバトル漫画の弟子育成じゃないですか。

いやでも、それだけ硯の見極めって難しいんですよ。例えば石自体は中国のものなんだけど、それを江戸時代に日本に輸入して、中国のものに似せて作る……というようなこともありますから。とにかく覚えることは膨大ですね。

そもそも硯ってどんなもの?

――しかし、そこから数年で現在の約500個に至った経緯は?

実は、大東文化大学に中林史朗先生という方がいらっしゃいまして。日本における三国志研究の第一人者なんですが、この方が中国の陶磁器や骨董等にもすごく精通されているんですね。

僕が硯が好きだという話をすると、じゃあちょっと調べてアーカイブを作ろうという話になり、そのアーカイブ作成のためにひたすら集めていったらこうなった……という状況です。最初は「まあ100個くらいかな」と思って手伝い始めたら、気がついたら500個になってしまったという。

そして「あまりにも大量だからそっちに置いておけ」という理由で今は僕が保管しています。だからこの部屋にあるのは僕個人のコレクションもありますが、ほとんどはその目的で集めたものなんですよ。

――なるほど、アーカイブ作成のため!

なので、ここにあるのは「骨董的価値」として高いものはそんなにないです。高いものでせいぜい20万〜30万円くらいですね。硯は高いものになると何百万円では効かないので……。

部屋の隅にうず高く積まれた硯たち。なんとなく分類して格納しているものの、難点は「とにかく重い」点だとか。

――そもそも「どんな硯に価値があるのか」がわからないので、私たちのような素人にもわかるよう、硯の基本について教えていただけますか?

書道自体が中国発祥のものなので、硯のルーツも中国です。約1500年くらい前に現在の硯の原型に近いものが登場したと言われていますね。

今流通している硯は日本産の石を使った「和硯(わけん)」と、中国産の石を使った「唐硯(とうけん)」に大きく分けられます。

中国には有名な硯の産地というのがあり、広東州の端渓硯(たんけいけん)、江西省の歙州硯(きゅうじゅうけん)、江蘇省の澄泥硯(ちょうでいけん)が「三大名硯」と言われています。

これらはどの山から採った石かはもちろん、どの坑道から採掘されたか等でも価値が変わってきますね。中国人は特にこの三大名硯のマニアが多いです。

こちら、左が歙州硯、右の3つが端渓硯。端渓硯の中でも上から時計回りに老坑(ろうこう)、坑仔巌(こうしがん)、宋坑(そうこう)。比べるとそれぞれ風合いの違いがわかり面白いです!

――マニアの母数自体が違いそうですよね、中国。

ただ、硯に適した石というのはいろいろな場所で採れるので、ほかにもいろいろな場所で硯は作られているんですよ。

これらを「地方硯」というのですが、あまりにも広大だし種類も多いので、これに関してはまだまだ情報を追いきれていないですね……。

石自体の価値はもちろん、腕のいい職人が作っているなど「造作の価値」もそこに加わります。かつ、古いものになると骨董的な価値も加わります。

著名な書家や皇帝が使ったものとなると、何千万円、なかには「億」の値段がつくものも普通にありますよ。

――億!確かに「骨董」ジャンルになると、沼の深さが桁違いになりそう……。齊藤さんご自身はどうやって買い集めていったんですか?

大抵メルカリとヤフオクですね。骨董市や骨董店なども行くことはなくはないですが、結局効率が悪いことが多くて、今はネットで探すのが一番です。

ただ、写真と説明書きが食い違っていたり、偽物やよくないものを掴まされたりすることも当然あります。

写真だけでは判断つかないこともあるので、博打性は高いですね。

――先程「和硯」と言われましたが、日本でも採れるんですね。

いくつか有名な産地はあります。

ただ、日本での硯のシェアの8割を占めていたのが宮城県の「雄勝硯(おがつすずり)」なんですが、この場所が東日本大震災で大きな被害を受けてしまったんですね。

以前は小学生の書道セットなんかにもここのものが使われていたんですが、そういった事情から今、書道セットの硯はプラスチック製がメインになっています。

――えーっ!知りませんでした……。石の硯の世代です……。

もともと、学童用のものは採算度外視で作ってくださっていたんですよね……。

一応今でも学童用の石の硯は売っていますけど、値段は格段に上がってますから、全員の書道バッグに入れられるようなものではなくなっているという。

実は「墨」も原材料業者の廃業等が相次いでいて、日本産のものはいろいろと大変な状況になっています。

墨を摺る事自体、現代人だと面倒に思うかもしれませんが、昔の人は文字を書く前に何を書くか心を馳せるひとときだったと思うんです。

ぜひ、改めて体験していただきたいなと思いますね。

部屋のなかには硯だけでなく、原材料となる石の状態のものも。ここから自分で磨いて硯を作り上げることもできるそう。

――齊藤さんは今後、硯のコレクションは続けていかれるのですか?

前述のアーカイブのために集めるのは一段落はしたので、自分の趣味のために集めるのは細々と続けていこうかなと思っています。

ただ、ここ数年は硯コレクターにとっては「良くない時期」なんですよ。硯って「景気に左右される」ものなんです。

景気が良くなるといいものが市場に出回るし、悪くなると途端に出回らなくなる。新型コロナウイルスの流行以降は全然ダメですね……。

――硯で景気がわかるとは!

日本の骨董市場では硯自体もそんなに人気がないので、骨董屋さんも買い取りたがらないことが多いですしね。

気長にヤフオクとメルカリをチェックしつつ、集め続けようかなとは思っています。

齊藤さんの口から出てくる「硯」にまつわる膨大なエピソード、実は今回記事化できたのはほんの一部。硯の物量だけでなく、その知識量にも圧倒された取材でした。
「自由に海外に行ける時期が来たら、中国に行って硯の産地を巡りたい」と語る齊藤さん。そのコレクター道がどうなっていくのか、末永く拝見したいなと思うのでした。

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