奇才紳士名鑑〜㉒映画やドラマ撮影で使用する!?手書き地図から見る、お仕事地図の本質

世の中には、一つのものごとに「過剰な情熱」を注ぐ人が存在します。
一見は市井の人に見えながらも、よくよく話を聞いてみるととんでもないマニアだったり、途方も無い熱量の持ち主だったりする。そんな「奇才紳士&淑女」をご紹介していく連載です。

手書き地図、その奥深き世界

皆さんは最近、地図を描きましたか?

仕事のための待ち合わせ場所や、お店や家の場所を表すための手書き地図。

「昔はよく描いてたなー」という人もいるでしょう。今これを読んでいる人は「Google Map使うからいらなくない?」と思う人が大半かもしれません。

しかし! インターネットとスマホが普及したこの時代にも、「手書きの地図」を描き続けているお仕事の人が存在します。

こちらの地図は、今回登場いただく伊波あゆみさんがとある仕事で描いた地図。

盛岡ロケMAP-1「地図」とは何なのかという本質的な話にも繋がるような今回の「奇才紳士名鑑」。映像撮影現場の裏側の様子を垣間見ることもできますよ。

■プロフィール
伊波(いは)あゆみ
プロフィール写真
沖縄県出身。映画、ドラマなど映像作品の「制作部」として、これまでさまざまな作品に関わる。主な作品に映画『小さな恋のうた』『暗殺教室』『億男』『MOZU』、ドラマ『窓際太郎の事件簿』シリーズ、『今際の国のアリス』など。防災士の資格も持つ。趣味は大相撲鑑賞。

「その場所にたどり着く」だけが「地図」の役割じゃない!?

ーー伊波さんの職業は映画やドラマの「制作部」とのことですが、具体的にはどんなお仕事内容なのでしょうか?

撮影の予算管理をしたり、ロケ場所を探してきて決めたり、ロケのときの駐車場や車の手配、スタッフや演者さんの食事の手配など、「撮影のための準備と段取り」を行うのが仕事です。

この仕事の中に、「ロケ地にきちんと演者さんやスタッフを到着させる」というのがあるんですね。

そのために描くのがこういった地図になります。

ロケで使われた地図
とある2時間ドラマのロケで実際に使われた地図。現地に着くまでのルートが細かく書き込まれていることがわかります。

ーーなるほど! でも今はGoogle Mapsやカーナビがありますよね? 到着場所の住所を伝えれば済むのでは? と思うのですが……。

ふふふ、そう思いますよねー。多分、私たちの業界に入りたての若手の人はそう思っている人が多いと思います。

でも、そこが落とし穴なんですよ。住所を送ると、その住所を目指してみんなが集まりますよね。

でも大事なのは、その住所に辿り着いてから!

映像ロケは多くのスタッフが関わりますが、ほとんどは車で現地に入りますね。

そこで、住所しか情報が与えられていないとどうなるか。

ーー……どこに駐車していいかわからないですね。

そうです。しかもロケ地の周辺が一方通行だったり、交通規制があるとそもそも車が入れない可能性がありますよね。

ここに駐車してここから搬入してね、この場所はここから手で搬入していくよ……そういった段取りまで描くのが、私たちの「地図」なんですよ。

「この住所に辿り着いてね」だけではダメなんです。

たまに新人さんだと「現地で車を誘導すればいいや」って思う人もいるんですけど、来る車の台数が大規模な撮影だと20〜30台以上になりますからね。

数人で誘導するのはまずムリです。

詳細地図
伊波さんの描いた地図には、車で現地に来るためのスムーズな手順がこれでもかと書き込まれています。こういった地図は一現場で大体20〜30枚、規模が大きな映画では50枚ほど描くこともあるとか。

ーー確かに、現場がパニックになりそうですね。

また、カーナビって狭い道でもガンガンにナビしちゃったりするんですよ。車同士がお見合いして動けなくなって、ということも全然ありうるわけで。

車が停められないと撮影が始められないし、街なかのロケの場合はとにかく「ロケ地と周辺に迷惑をかけないこと」が最優先!

トラブルを起こすと「二度とそこで撮影できなくなる」なんてことも普通にありますし、そういう状態にならないためにも事前の準備が必要なんですよね。

あと、ここまでしっかり書き込んでドライバーさんたちに渡しておけば、いざ現地に着いたときに駐車できない、搬入できない的なトラブルになっても「こちらはしっかり情報は渡しましたよ」と言える。なかには、地図を渡しても見てくれない人もいるので……。

ーー他に必ず書いておく情報はありますか?

遠方のロケ地だと、どの高速道路を通ってどのJCTを使って…と細かい乗り換えも書いておきます。

なぜなら、車で4〜5時間かかるような場所にヨーイドンで一斉にスタートすると、どのルートを使うかで1時間以上の差が出たりするんですね。

そうすると現場にバラバラに到着することになり、トラブルの原因にもなる。

何なら、別のルートを辿った人だけ渋滞にハマってしまったりしたら、撮影自体できなくなる可能性もあるんです。

私たち制作部はその日の渋滞情報も細かくチェックしていますし、地図をあまり見ないタイプのドライバーさんには個別に連絡して念押ししたりしますね。

長距離移動だと「ガソリンスタンドこの先ないよー」とか、「このSAでトイレ休憩しておいてね」とかも書いておきます。

ーーこの地図を描くためには、ご自身で下見もするんですか?

します! 大体、一番最初にロケ地候補を決めるのも自分だったりするので。

その時にある程度は把握しておいて、監督やカメラマンにプレゼンしてOKとなったら今度は実際に撮影するときの段取りを決めるために現地をチェックします。

地方だと、「目印になる場所がない」場合も多いんです。

「道路沿いに立っているこの謎の看板を右折」とか、よくあるパターンですね(笑)。

カーナビは正直当てにならないですし、ランドマークになっていた場所がなくなっていることもある。

そして何より、ロケ地だと「携帯電話の電波が入らない場所も普通にある」! だからこそ、事前に地図を準備することが大切なんですよ。

個性が出る!? それぞれの流儀がある「地図の描き方」

ーーこれまでに失敗したことは?

若手の頃はそりゃあもう!

特に自分が運転に関して若葉マークだった頃は「運転する人たちにとってわかりやすい地図」がわからなかったんですよね。

河川敷でのロケで、なぜか全員対岸の土手に到着してしまい頭を抱えたことがあります。

ーーそれはなかなかですね……。

そういう失敗の経験を経て、今では必ず自分で下見をして、自分で地図を描くようにはしています。

ーーこういう「地図を描く」のは、制作部というお仕事だとみんなやることなんですか?

そうですね、必ず発生する仕事の1つです。

ただ、「若手がやらされる仕事」というわけでもないんですよ。ベテランでも、「自分の現場に自信がある」人ほど自分で描いたりしますね。

私も必ず自分で描きます、自分の現場でトラブルが起こるのが何よりも嫌なので! 何なら他の人の地図も描きます(笑)。

ーーこの技術は、先輩から教わったんですか?

いやこれが、私の先輩はこういうのを教えてくれない人で……なので独学ですね。

制作の人それぞれに地図のカラーが出るので面白いですよ、すごく上手い人もいれば読めないくらい字が汚い人もいるし(笑)。

これは個人的な意見ですが、絵を描くのが上手な人、あと人の話をきちんと聞ける人は地図も上手い気がします。

「どんな地図を描くべきか」がわかっていないと、例えば駅からのルートを描くべきか、高速からのルートを描くべきかで全然地図が変わりますし。

ただ若手の子たちを見ていると、Google Mapをスクリーンショットして書き込むとか、そういうやり方の人が多いかなあ。私もたまにパワーポイントとかで描いたりしますけどね。

宮古島

宮古島手書き地図
「絵を描くのは嫌いではないけど、そこまで得意というわけではなかった」という伊波さん。しかしこの宮古島の地図もフリーハンドでするする描きあげたとのこと。元の地図と並べてみると正確さがわかります。

ーー伊波さんはなぜ、メインは手書きなんですか?

私の場合、その方が早いんですよ。試しに、今日のこの場所を描いてみましょうか。

車で来る地図と徒歩で来る地図、どちらがいいですか?

ーーじゃあ徒歩で!

カフェまでの地図
この日取材を行っていた中野のカフェまでの地図を描いてもらいました。軽くシャープペンシルで下書きをしたかと思うと、みるみるうちにこの地図が完成。所要時間、約20分! 徒歩でと指定したので、2ヶ所の駅から来られる地図になっているのがポイントです。

ーー凄い、あっという間に出来上がってしまいました……すいません、納得しました。

でしょう? 早いんですよ、私の場合(笑)。

手書きの方が自由に情報を書き込めるし、「いらない情報」を消すこともできますし。

市販の地図には全部の道が載ってますけど、その場所にたどり着くためには不要な道だったりするじゃないですか。

あと、地図帳でちょうどページの境界だったりするとコピーもし辛いし、Google Mapにしてもちょうどいい縮尺を探すのも大変だし……

手書きが一番、早くて便利なんです。直す時もプリントアウトして赤字を入れて、それをまた画像にすればいいですから。

中途半端にパワーポイントとかにしちゃうと、渡した人に「俺パワポ使えないんだよねー」と言われる可能性もあるんですよ。

パワーポイント使用
場合によってはパワーポイント等で主線を引いて手書きで書き込む手法で地図を作ることも。こう見ると、いかに「必要な情報しか残さないか」が重要かがわかります

以前、CM撮影をメインにしているドライバーさんたちと仕事をしたときに、最初に地図を渡したら馬鹿にされたんですよ。

「えー、今どきGoogle Mapもありますから、住所送ってくれたら僕たちそこに行きますよ」って。

でも私は全部の場所で地図を出し続けたんですけど、そうしたら仕事が終わったときに「すいませんでした」と言われました。「今までで一番ちゃんとした現場でした」と。

だから結局、手書きかどうかは関係ないんです。大事なのは、その地図に「必要な情報」が揃っているか。

そういう丁寧な仕事をしておくと「また仕事をしたい」と思ってもらえる、そこが重要なのかな、と思いますね。

まとめ

手書きの地図から、「仕事論」にも繋がる言葉も飛び出した今回の「奇才紳士名鑑」。普段目にしているテレビ番組や映画の裏側には、こんな「奇才」の持ち主が活躍しているのです。身近な仕事や職業の裏側には、よく聞いてみると面白いエピソードや技術がまだまだあるのかもしれませんね。

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