【新訳】として再スタート、5話目です。
【第5話】 小説家のほうへ(五)
入学式と入寮式の夜、あの子が──未来の〈失われた子〉が──先にわたしを見つけ、駆け寄ってきてくれた。そして新入寮生歓迎コンパから二人で抜け出した。その瞬間、すべてが決まってしまった。
その事実だけがわたしとあの子を繋ぐすべてであり、あの子を失ってしまった後のわたしを支えるすべてになった。わたしたちが恋をしたかどうかは定かではないし、確定する気もない。
『失われた何かを求めて』
あの子が残したメモにはそれだけが書かれていた。そういえばプルーストの『失われた時を求めて』も一緒に読み進めているところだったのに。
タクシーが六本木交差点を過ぎる。
もうすぐ後輩の事務所だ。
「あの子が大学をやめた理由もわかってる?」
「いえ、そこまでは。でも大学に来なくなるって普通じゃないですか。自分のクラスでも一番優秀だったやつが財務省の内定とってから卒業直前に行方不明になりました」
「それは──」
それは財務省の仕事がつまんなさそうだから、なんて言いつのるところだった。
「──普通なんて言葉では汲み尽くせない。わたしたちは、AIを何体使っても、わかりあえることは滅多にない」
「たまにはわかりあえるって余地を残すところが先輩のかわいさですね」
わたしは後輩の言葉を無視して、開いたドアからタクシーを降りる。料金は七千円を超えていた。そういえばさっきのカフェもおごられたけれど、わたしは一切気にしない。向こうが本当に何とも思っていないのに、こちらだけ気兼ねするなんて悔しいではないか。
それが悪徳の都、六本木のルールである──なんて、暗黒小説的フレーズを入れたくなる。
「ようこそおいでくださいました」
と事務所秘書の出迎えを受け、勧められるがままに革張りの応接ソファに座る。
あの子が大学をやめなければ、腐れ縁の四人組はもしかすると五人組になって、今わたしの隣にあの子がいる──みたいな未来もあったのだろうか。
あるいは、わたしはあの子とだけ過ごして、あの人とも後輩たちとも、ただの寮の顔見知りで終わったのかもしれない。だとしたら少しだけ寂しい気はする。
とはいえわたしが小説家になったのは、もちろんあの子が好きだからだったし、新人賞に応募して受賞した後も、あの子が読んでくれているかもと思って書いてきた。小説家としてそれなりに売れて、いつか〈失われた子〉がいる村に行く、なんて想像しながら。
「それで? わたしはどっちの〈失われた子〉に会えるの?」
「どちらに会いたいですか?」
「いやいやいや、もうそういうのいいから。警察から出してくれたのは感謝するけど、こんなところまで引っ張り回して、どういうつもり?」
「見せたいものがあるんです。今すぐ持ってきます」
…………………………
あの頃に書いていた小説のタイトルは「わたしと──何だったかな。全然思い出せない。
でも小説家になると──心の底から──決めた日のことははっきりと覚えている。
一年生の夏の終り、映画を見て夜遅く帰ったわたしは、自分の部屋のドアに貼られた封筒を開いた。中には『失われた何かを求めて』と書かれたメモと、それから退寮届が入っていた。わたしはあの子の部屋に駆け出した。入寮して三ヶ月、わたしたちはそれぞれ個室に移っていたのだ。
いつから準備していたのだろう、数日ぶりにおとずれたあの子の部屋はからっぽだった。
以来、わたしは寮のロビーでずっと小説を書いた。あの子がふらっと帰ってくると期待しながら。
翌年には後輩二人が入寮して、その次の年にはあの人が卒業して、その後もあの子は見つからなかった。
卒業と卒寮の日、寮のロビーでなんとなくたたずんでいると、この半年前に司法試験に受かったばかりの後輩に呼び止められた。
「いつでもなんでも依頼してください」
忘れていた。そうだ、わたしはあのときに言ったのだ。
「あの子を探して」
…………………………
この後輩は寮生時代から六本木によく遊びに行っていた。わたしはと言えば、昔も今も年に数回、何かの展覧会に行くだけだ。
「『庵野秀明展』行った?」
「自分がフィクション摂取しないこと、知ってますよね?」
庵野監督は確かにフィクショナルな存在かもしれない。
この後輩はと言えば、小説にもアニメにも、フィクション全般にまったく触れることがないくせに、どうしてわたしにじゃれついてくるのか。
「ここで高校生のほうのあの子を連れてきてくれても、怒ったりしないから、そろそろ教えて」
「すみません、謎かけみたいなことして。手がかりを見つけたのは、先輩の同期のほうです。高校生のほうも、警察とは別ルートで探してはいます」
後輩とあの人で協力して探し出したという。
「あの人の事務所にいるってこと?」
「それはあの先輩一流の冗談ですよ。あんまり面白くないですけど。手がかりが向こうの事務所にあるって話で、今こっちに運んでもらっています」
「いちおうわかった。言っとくけど、全然面白くないから!」
と大声を出したものの、わたしはひとまず一息ついた。
もしこのあと事務所の奥からわたしの塾の生徒が出てきたら、それこそ誘拐沙汰で違法行為だ。怒ったりしないどころではない。後輩もこの事務所もめちゃくちゃにして、あの子をこの魔窟から助け出してやる。
「先輩?」
暴力的な空想をしてひとりで盛り上がってしまった。ごまかすために咳払いをする。「何?」
「届きました。見てください」
先ほどの秘書が小さめの、高そうなジェラルミンケースをソファテーブルに置いた。
わたしの向かいに座った後輩が指紋認証で解錠して、わたしに向けてケースを開く。
「これ……!」
わたしはおそるおそる手を伸ばす。それはわたしを寮生時代に一気に引き戻すものだった。あの失われた幸福な時間に。
〔第5話:全2,303字=高島執筆1,185字+AI執筆1,106字/第6話に続く〕
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
小説家+SF考証。1977年山口県宇部市生まれ。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、ハードSF「ランドスケープと夏の定理」で創元SF短編賞受賞。同年、数学短編「わたしをかぞえる」で星新一賞入選。著書は『21.5世紀僕たちはどう生きるか』『青い砂漠のエチカ』他多数。2016年からSF考証として『ゼーガペインADP』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』やVRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品を担当。
Twitter:@7u7a_TAKASHIMA
使用ツール:
AIのべりすと
Twitter:@_bit192
次回をお楽しみに。毎週木曜日更新です。