野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第31回 ご冗談でしょう、オッペンハイマーさん

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第31回 ご冗談でしょう、オッペンハイマーさん

1章 ホワイトサンズ・ミサイルレンジ

 映画『オッペンハイマー』がようやく日本で公開された。それはめったに味わえない、映画の魔法だった。ばらばらに持っていたあの時代の知識が結びつき、ひとつの絵物語になった気がする。
 本連載はバーチャルとリアル、知識と実験・実体験を対置することで進めてきたから、今回はこの映画と現実をつきあわせてみよう。
 私は映画のクライマックスで描写される、トリニティ核実験が行われた場所を訪ねたことがある。爆心地そのものではないが、そこを含むミサイル試験場の中に入った。
 それは2007年10月のことで、Makerムーブメントと宇宙開発を取材するために渡米したときだった。レンタカーでテキサスを旅して、ヒューストンでサターンVロケットを見たりしたあと、ニューメキシコに向かった。
 オースチンで知り合った人と別れるとき「ニューメキシコは何もないところだから気をつけろよ」と言われた。なるほど、テキサスから州境をまたぐと道路が急に貧相になった。まわりは西部劇にでてきそうな荒野ばかりだ。多くの日本人がテキサスだと思っている乾いた荒野は、実際にはニューメキシコやユタ、ネバダ、アリゾナあたりにある。それらに較べるとテキサスは湿っていて緑が多いところだ。

ニューメキシコ州、ロズウェルからトゥラロサ盆地に向かう道。白い地平線が後述するホワイトサンズ

 ロズウェルで一泊してUFO博物館など見物したあと、さらに西進してアラモゴードに向かった。目的地はホロマン空軍基地だ。ここでX Prize Cup 2007 / ノースロップ・グラマン月着陸船チャレンジが開催される。展示エリアに日本から出展するグループがあったので、現地で合流する予定だった。このイベントでは空軍のエアショーも併催されるので、そちらも楽しみだった。

 私はショーの前日にアラモゴードに到着して、ビジターセンターに寄った。そこで日本勢を率いてきた旅行社の人に会った。その人から「ゲートでパスポートを預けたら今日でも基地に入れますよ」と教わったので、そうしてみた。
 言われたとおり簡単に入れたので、私は一般客のいない駐機場で、展示機を思うぞんぶん観察し、写真を撮りまくった。

 ところが基地のゲートを出るとき「お前は関連業者じゃないな。そこで待て」と言われて、外の芝生に立たされた。小銃を構えた兵士が離れて立ち、係員のボディチェックを受けた。
 それから金髪のきれいな女性士官がやってきて、基地に入った目的を聞かれた。私はライターでX Prizeの取材に来たと言ったのだが、理由としては不十分だった。車の中を調べられ、秋月電子のガイガーカウンターがでてきて「これは何?」と聞かれ、説明に四苦八苦した。
 それからデジカメの写真を全部調べられた。B-1爆撃機の爆弾槽やF-22のコクピット、通信施設のアンテナが写った写真を消された。
「待って。B-1は古い飛行機です。問題ないのでは?」と言ってみたが「そんなことないわ。消して」と、にべもない。近代化改修しているせいだろうか。弾倉を詳しく調べれば、開発中の爆弾のサイズぐらいは推定できるかもしれない。
 悪意はないのだが、私は必然的にデリケートなところばかりクローズアップで撮っていた。たとえばアンテナは外観から波長や出力、偏波面が推測できるから、興味深い撮影対象になる。敵から見れば、通信傍受や妨害の手がかりになるだろう。
 小一時間の取り調べで「こいつはたいしたやつじゃないらしい」とわかったらしく、パスポートを返却されて放免された。凜々しい女性士官の写真を撮りたかったが、さすがに切り出せなかった。アメリカ人は陽気でジョーク好きだが、シリアスにふるまわなければならない場所や状況は日本以上に多い。

 翌日、エアショーが始まったので、一般客に混じって入場した。消された写真も、撮れるものは撮り直した。

B-1爆撃機の爆弾倉
F-22のコクピット

 当時はX Prize財団やGoogleなど大企業の働きかけで、民間による宇宙開発が盛んになってきたところだった。このときは月着陸を想定した垂直離着陸ロケットや小型のロケットが展示されていた。しかしアメリカといえども、ベンチャーにとって宇宙機は手強い。このとき実際にフライトしたのはアルマジロ・エアロスペースの1機だけで、2回目の飛行で姿勢を乱して転倒したので失格になった。
 黎明期なので内容もそれなりだったが、当時撒かれた種は現在の民間主導による宇宙開発に結びついていると思う。

日本勢のブース

 空軍のエアショーのほうは文句なしの迫力だった。F-22が離陸して一気に1万メートルまで駆け上がるのを初めて見た。オスプレイが黄色い砂埃を立てながらホバリングして、それが飛行機モードに転換して高速で航過するのにも興奮した。複葉機のウイングウォーカーやスカイダイバー、古典機の展示飛行もあって、当地に根付いた航空文化の厚みを思い知ったものだ。

 

 核実験の話をするのだった。ホロマン空軍基地の西に隣接して、ホワイトサンズ・ミサイルレンジ(WSMR)という、ミサイル試験場がある。東西60km、南北170kmぐらいある広大な領域だ。
 トリニティ核実験はこの領域内で行われた。Google Map上の赤いマーク”Trinity Site”がその場所だ。もっともWSMRが制定されたのは核実験の後で、それまでは軍の爆撃機の訓練場だった。
 ホワイトサンズというのはその名の通り、真っ白な石膏の砂でできた砂丘のことで、衛星写真でも白い領域がくっきり写っている。国立公園になっていて、軍が使っていないときは自由に入れる。

ホワイトサンズ国立公園内の道路

 空軍基地からトリニティ核実験場までは100kmほど。爆心地は閉鎖されていて、一般公開は年2回しかない。行けるところまで行くつもりで、ガイガーカウンターもそのために持ってきのだが、訪問は見送った。爆心地のまわりはひたすら荒野で、それもまた魅惑的な光景ではあるのだが、もう充分見ていたからだ。
 爆心地が閉鎖されているのは危険だからではなく、科学的・歴史的な観点から保存しているためだろう。爆心地の現在の放射線量はバックグラウンドの10倍程度と、そこに住んでも問題ないレベルになっている。核爆発で生成される核種の多くは半減期が短いためだ。もちろん、被爆者の苦しみは生涯続くこともあるから、核攻撃の影響を矮小化することはできない。

 アラモゴードの郊外にThe Museum of Space History という博物館があって、ここにトリニタイトの展示があった。これはトリニティ核実験の後に発見されたガラス質の石で、核爆発が生んだ新鉱物だ。土壌をつくる石英や長石が液化して雨のように降り、固結したと考えられている。色が赤いものは微量の銅によるもので、原爆に使われた銅線によるものとみられている。また、原爆を設置した鉄塔の材料も含まれている。

トリニティ核実験場、爆心地のジオラマ。周囲の石がトリニタイト

 

 アラモゴードから南下してWSMRの南端まで行くと、White Sands Missile Range Museumという博物館がある。外に往年のミサイルが林立していて壮観だ。建屋にはドイツから分捕ってきたV2ロケットも横たわっている。

屋内展示されているV2ロケット

 第二次世界大戦でドイツが降伏した頃、米軍はペーパークリップ作戦を実施してドイツの科学者・技術者をアメリカに大勢連行した。分野は主にロケット工学と原子核物理だった。それはミサイルと原爆の知識をソ連に奪われないためでもあった。
 V2ロケット(A4ロケット)の部品も貨車300台ぶん運び込まれ、改良されながらWSMRで試射された。開発者のフォン・ブラウンもこの研究に携わり、その後アポロ計画の中心人物になった。
 ホワイトサンズはアメリカ宇宙開発の原点であり、冷戦時代の技術開発競争を担ってきた場所だ。米ソのロケット開発は、有人飛行や月飛行に先立って、まず核弾頭を運ぶことを課題とした。それは映画『オッペンハイマー』が導いた戦後の世界観にそのまま重なる。欧州で戦った飛行士が、機上からV2ロケットの飛翔を目撃した。それを聞いたオッペンハイマーは「ロケットが核爆弾を運んだら」と考えるようになる。映画ではその光景が何度もフラッシュバックする。

 余談だが、アラモゴードの郊外にアタリビデオゲームの埋葬地がある。『E.T.』をはじめとする、乱造され市場崩壊したクソゲーのカセットがトラック何台ぶんも埋められたところだ。これは噂として言い伝えられてきたのだが、2014年に発掘調査が行われて、実在が確認された。核実験をするくらいだから、この横着はさもありなんというところだ。

2章 ファインマンが見たロスアラモス

 映画の主要な舞台になったロスアラモス研究所は、ホワイトサンズから300kmほど北にある。別の旅でサンタフェに向かう途中、近くを通ったのだが、直接訪ねたことはない。
 そこがどんな研究現場だったかは、参加した物理学者のリチャード・P・ファインマン の有名な講演『下から見たロスアラモス』で知った。
 この講演はカリフォルニア工科大学のサイトで全文が読める 。日本語で読みたければ、機械翻訳でもいいが、『ご冗談でしょう、ファインマンさん ノーベル物理学者の自伝 I』(岩波書店、大貫昌子訳)に採録されているので、そちらを強くおすすめする。訳文がこなれていて、日本語としても一流だ。このシリーズは私の愛読書で「なにかいい本ありませんか?」と聞かれたとき、最初か二番目くらいに挙げる本だ。

 ファインマンは後年、量子物理学の研究でノーベル物理学賞を受賞したが、ロスアラモス時代は学位を取ったばかりの下っ端だった。「下から見た」というのはそのことだ。しかし才気煥発な人で、ウラン濃縮工場の安全管理を改善したり、歯に衣を着せぬ物言いが評価されてハンス・ベーテの話し相手になったりした。
 講演の中で、ファインマンはロスアラモスに集結した超一流の科学者たちがする会議の様子を語っている。これはキャンセルカルチャーのはびこる現代にこそ共有したいので、ちょっと長いが引用しよう。

 この会議では、誰か一人が意見を述べると、今度はちがう者(例えばコンプトン)がそれに対する異なる意向を説明する、という形で進行する。コンプトンが「これはこうあるべきだ。自分の言っていることは正しい」と言うとすると、また別な男が「うん、まあそうかもしれん。しかしそれに対するこのような可能性もあるぞ」などと言う。
 こういう風にして卓を囲む連中が、てんでに一致しないような意見を述べたてる。聞いていた僕は、コンプトンがさっき言った自分の意見をもう一回繰り返して強調しないのが気になっている。ところが終わりに議長のトルマンが「まあこうしてみんなの意見を聞いてみると、コンプトン君の意見が一番よさそうだから、この線でいこう」と言う。
 この会議のメンバーは、皆それぞれ新しい事実を考えに入れて実にさまざまな意見を発表していながら、一方ではちゃんと他の連中の言ったことも覚えているのだ。しかも最後には一人一人の意見をもう一度繰り返してきかなくても、それをちゃんとまとめて誰の意見が一番良い、と決めることができるのである。これを目の当たりにして僕は舌を巻いた。本当に偉い人とは、こういう連中のことを言うのにちがいない。

(『ご冗談でしょう、ファインマンさん ノーベル物理学者の自伝 I』大貫昌子訳より引用)

 この知的生産性こそ、原爆の開発が間に合った理由の最たるものだろう。私はこの講演から入ったので、当時のロスアラモスはめったにない魅力的な研究現場だったと認識している。

 映画『オッペンハイマー』にもファインマンは登場する。モブシーンでボンゴを叩いている若者が彼だ。ファインマンは打楽器の愛好家だった。
 トリニティ核実験では閃光を直視しないように全員に溶接用の遮光ガラスが配られたのだが、ファインマンは裸眼で見たいのでそれを拒み、「トラックの運転台にいればフロントガラスで紫外線が遮断されるから大丈夫だ」と言う。この場面は映画にもでてくる。

 ファインマンの業績のひとつにファインマン・ダイアグラム がある。
 2016年に筑波の高エネルギー加速器研究機構を取材したとき、野尻美保子先生がレクチャーしてくれて、自室のホワイトボードにさらさらとファインマン・ダイアグラムを描いたのが印象に残っている。写真の図は電子(e-)と陽電子(e+)が光子を交換して散乱するところを示している。外の廊下にも黒板があって、チョークで数式が書かれているところは映画さながらだった。

野尻美保子先生が描いたファインマン・ダイアグラム
高エネ研つくばキャンパスの廊下

 

3章 核廃絶と核抑止

 ロスアラモス研究所で起きたことは、「物理学の世紀」といわれるあの時代の集大成といえる。ここから学べることは多岐にわたるので、ひとくくりに「悪魔の科学者」などとレッテルを貼るのはつまらない。
 ファインマンが計画への参加を持ちかけられたときは、まず「原爆の開発に関わるなんてまっぴらごめんだ」とつっぱねる。しかしそのあと「だけどナチスドイツが先に原爆を作ったら世界はどうなる?」と考え直す。この思考は自然だ。
 その後ドイツは降伏したが、原爆開発は続いた。このあたりから物理学者たちの葛藤が始まる。日本は配色濃厚だったが抵抗をやめなかった。アメリカは手を焼き、万人単位の犠牲を出していた。本土決戦になったらどうなるだろう。
 そして原爆は使われた。このことで、たらればの議論をしても決着しない。過去の犯人探しなどやめて、史実から学び、これからに活かすことを考えたい。

 私のような人でなしでも核兵器の開発と使用にはいろいろ思うことがある。高校の修学旅行で長崎の原爆資料館を見たときは強い衝撃を受けた。日本人としてこの惨禍を忘れず、意識のすぐ取り出せる場所にとどめておきたいと思う。
 しかし、今日までに見聞したことから思うのだが、核兵器を恐れているのは日本人より、むしろアメリカ人ではないだろうか。莫大なコストをかけて核武装を維持しながら、スミソニアン航空宇宙博物館でレストアしたエノラ・ゲイ(広島に原爆を投下したB-29爆撃機)の展示でもめるなど、アメリカ人の核兵器に対する反応はいつも、自分が予想するより少し強い。アメリカ人は核を使うことも、使われることも、現実にありうると考えてきたせいかもしれない。

 アメリカのSF雑誌『アスタウンディング』の編集長にしてSF作家のジョン・W・キャンベルは最初の原爆が使われた後、1945年11月号の後記でこう述べている。

 SFファンは、彼らが思ったほど狂った夢想家でないことを隣人からにわかに認識されており、多くの満足すべき事例において、その近辺での専門家と見なされるようになった。
 人々は、われわれが生まれ、生活し、同化してきた文明が1945年7月16日に死んで、1945年8月6日に死亡告知が全世界に公表されたことを理解していない。
 最初の原爆は……一つの時代の死であり、軍事力の均衡を基礎にした文化のパターンの死だった。……核戦争は、火炎放射器で武装した二人の人間が狭い通路で決闘するのに劣らぬ自殺行為である。どちらの側も、生き残る望みはわずかばかりもない。……原爆は、われわれに国際間の協調と寛容を――さもなければ広範囲におよぶ突然の死を――強いるにちがいない。

 この後記を引用したあと、SF作家のアーサー・C・クラークは自伝でこう述べた。

 たった1年のうちに、SFの主要テーマのうちふたつ(宇宙旅行と究極の兵器)が頭の中の遊び道具ではなくなった。空想は現実に――おそらくは白昼の悪夢に――なった。作家のあいだには、新しい責任感が――罪悪感さえ――拡がって、これからは意図すると否とにかかわらず、彼らの作品の全部に反映するだろう。
 オッペンハイマーの有名な言葉にあるように、物理学者は罪を知った。そして、SF作家は、少なくとも無邪気さを失ったのだ。
(『楽園の日々』早川書房、アーサー・C・クラーク、山高昭訳より)

 核兵器にまつわる論点の最たるものは「廃絶か抑止か」だろう。
 核兵器を人に向けて使ってはならない。人類の大目標のひとつは大量破壊兵器の廃絶だ。
 しかしながら当面の対処としては、核抑止にも一定の理がある。80年前にアメリカで作れたものが、いまの世界でなくせるだろうか? 以下に考察してみよう。

 原爆製造で一番の困難は高純度の核分裂物質をキログラム単位で用意することにある。
 広島に投下されたガンバレル型のウラン原爆を作るには、ウラン鉱からウラン235という同位体を選別する必要がある。これがよく言われる「濃縮」だが、鍋に入れて煮詰めればいいというものでは断じてない。
 同位体とは、ある元素のうち中性子の数だけが異なる核種で、ウランにはウランの同位体がある割合で混ざっている。ウラン鉱の大部分はウラン238で、0.72%がウラン235だ。
 元素の化学的性質は原子核のまわりにある電子の数で決まる。ウラン238も235も電子の数は同じだから、化学的性質も同じだ。したがって化学的な手法――熱したり、蒸留したり、他の物質と化合させるような手法――では、特定の同位体を選別できない。
 じゃあどうやって分けるかというと、質量がほんの少し違うので、遠心分離機のものすごいやつを、ものすごくたくさん並べて使う。
 ウラン235は必要な量を揃えるのがとても大変で、映画ではビー玉をガラス容器に入れて表現していた。そのかわり起爆は比較的容易なので、広島ではぶっつけ本番で使った。戦後の推定では、広島に運ばれたウラン235の全部が核分裂したわけではなかった。原爆は中途半端に臨界すると核分裂する前に飛び散ってしまう。それでも大変な破壊を引き起こしたことはいうまでもない。

 トリニティ核実験でテストしたのは長崎に投下されたプルトニウム原爆だ。ファットマンと呼ばれる丸っこい形をしていて、火薬を使った爆縮レンズで起爆するのが大きな開発要素だった。映画では爆縮レンズだけのテストシーンが繰り返しでてくる。本番で核物質のまわりに慎重にはめ込んでいる黒いブロックが爆縮レンズだ。原爆の表面にはりめぐらされた電線は、全部の爆薬を同時に点火するためにある。その爆発で周囲から超高圧をかけてプルトニウムを一気に臨界させる。

 プルトニウムは原子炉のウラン燃料が中性子を浴びて崩壊したあと、ウランの同位体に混じって生成される。ウランとプルトニウムは別の元素なので選別しやすい。とはいえ、核燃料の壊変なのでざくざく出てくるものではない。映画では小さいほうのガラス容器にビー玉を入れて描写していた。
 核兵器に使うウラン235は90%以上の濃度が必要だが、プルトニウム生産用の原子炉で使う核燃料は濃縮しない天然ウラン鉱でできる。映画に登場したフェルミの黒鉛炉CP-1もそうで、出力はわずか0.5Wだった。これを大型化したものがハンフォードB炉で、ここで作られたプルトニウムがトリニティ核実験とファットマンに使われた。

 プルトニウムは原子炉を運転していれば作れる。北朝鮮などのローグステイツが原子炉を持つと警戒されるのはこのためだ。
 原料になるウランはそんなに珍しい鉱物ではなく、日本でも産出する。私も国内産のウラン鉱石をいくつか持っている。怖がる人がいるが、ウラン鉱石と核燃料の間には大きな隔たりがあるので安心されたい。とはいえウラン鉱石をたくさん集めて精製すれば核燃料は作れるし、ひいてはプルトニウムも作れてしまう。

 そうなると核兵器の廃絶は難しい、というのが結論だ。相互確証破壊などの手法で抑止することを考えなければならない。
 ロシアが核兵器を持たなければ、ウクライナを侵略しなかったかもしれない。ウクライナが核兵器を手放さなければ、ロシアは侵略を思いとどまったかもしれない。
 この問題はすぐに決着しないから、核廃絶主義や核抑止主義などと決め込まないようにしたい。主義にしてしまうとマンハッタン計画の史実や映画から学べることを見逃すから、ここは意思を持って積極的に棚上げしよう。この映画で監督が描いたのは、核兵器開発を通して浮かび上がった人間と社会の多面性であって、善悪の判定ではない。矛盾するさまざまな事柄を引き出しにしまって、長く抱えていってこそ人生の糧になるだろう。

 私の持つ唯一の主義は、主義を持たないことだ。
 主義、思想、イデオロギーとは、結局のところ、好みの問題でしかない。客観的で合理的な判断材料があれば、イデオロギーぬきで意思決定が進むものだ。
 賢明な人なら、卵を鍋で茹でるか電子レンジで直接加熱するかを選ぶとき「私は全電化主義だから電子レンジを使う」なんて判断はしない。だが、電子レンジで卵が爆発することを知らない人は、イデオロギーで決めるかもしれない。
 イデオロギーを持ち出す人は、判断材料を持っていないことを示している。本当に人知が及ばない問題ならともかく、対象を理解することが可能なのにイデオロギーを振り回す人を、賢明な人は相手にしない。2章に戻ってロスアラモスでの議論の様子と比較されたい。

 遠くて高い目標である核廃絶と、近くて現実的な対処としての核抑止は、どちらもないがしろにできない。私は当面、核抑止は必要だと考えるが、核廃絶を絵空事とは考えていない。エネルギーが潤沢に使えるようになって資源や領土を争うことから解放されれば、維持に大変なコストがかかる核兵器を手放す時が来るかもしれない。このことは本連載の第6回3章で述べた。
 シンギュラリティの技術が出揃って、精神活動のデジタル化が実現すれば、人は生存をおびやかされることがなくなる。サーバーを壊すテロが起きるとしても、デジタル情報だからいくらでもバックアップできる。文明がこのレベルになれば、たいていのことはどうでもよくなる。核廃絶など唱えなくても、自然に廃れていくだろう。

 本連載が始まった2021年10月には、ChatGPTはなかった。クラークの言い回しを借りるなら、それからたった1年後に、残されたSFの主要テーマのひとつ、人工知能が実用レベルになった。まだAGI(汎用人工知能)ではないが、その実現を疑う人はほぼいなくなった。
 大規模なAGIはシンギュラリティに必要な三つのテクノロジーのひとつだ。実現したら、それを足がかりに他の二つも早期に実現するかもしれない。
 フューチャリストは「いまの子供たちが老衰で死ぬことはなくなるだろう」と言う。それを一笑に付すことはできないところに、我々は来ている。映画『オッペンハイマー』は80年前を振り返るが、それに匹敵する物語が2年前から始まっている。

 混沌をともなうが、小さいゆらぎを除けば、物事は必ず良くなっていく。世界中の人が気をつけているのだから、悪いことにはならないものだ。悲観論は大衆の関心をひきつけるので、ディストピアものはSFでもよく書かれる。しかしいまだブレードランナーのようなディストピアは実現していない。(エアカーや星間飛行が実現しているのに、なぜ酸性雨がなくせないのだろう?)
 そんなわけだから、死にたくなっても、あと5年くらい生きてみよう。かなり事情が変わってくるはずだ。


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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