野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第24回 ヒューストン、そこにいるか?

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第24回 ヒューストン、そこにいるか?

1章 宇宙博物館

 2023年9月1日、VRChatにVR宇宙博物館コスモリアがオープンした。これを作ったのは第14回で紹介した天文仮想研究所のメンバーだ。
 制作中に何度かお邪魔したが、そのときは格納庫みたいな殺風景な空間に展示物がごろごろ置いてあるだけだった。それが正式オープン後に入ってみると、素晴らしい科学博物館になっていた。スタッフはリアル(実世界)の科学博物館をよくわかっているが、おそらく「リアルに匹敵するものを作ろう」とは考えなかったのだろう。できあがったのは「リアルを超えた理想の科学博物館」だった。
 コスモリアは中央ホールをとりまく7つの展示フロア、および別棟のプラネタリウム兼天文台からなっている。
 中央ホールには科学未来館にあるような地球儀が鎮座しているが、異なるのはそれを周回する人工天体の現在位置が描かれていることだ。先日打ち上げられた月着陸機SLIMは地球から遠ざかっている最中だったが、それもよく探すと表示されていた。
 最初の展示フロアは地球がマグマオーシャンだったところから始まる。溶岩のトンネルを抜けると順路は海に入る。その海中に、生命の起源が図示されている。 生命の発生には三つの要件がある。タンパク質、DNA、細胞膜だ。この三つが揃うにはとてつもない試行回数が必要で、ある研究では宇宙全体で宇宙年齢を費やしても足りず、インフレーション宇宙における別の宇宙まで合計してようやく現実的になるという。この説は荒唐無稽ではなく、まじめに評価されうるものだ。
 しかし私には、地球生命がそこまで非凡な存在とは思えない。たぶん生命の発生確率を高める未知の仕組みがあるのだろう。そして生命の発生確率を論じるには、まだ未知の変数が多すぎる。地球外に高度な文明があるなら通信によるコミュニケーションもできよう。しかし知能を持たない生命の存在を慥かめるには、こちらから探しに行くしかない。
 惑星上に生命が発生して知能がめばえ、外の世界を知ろうとして自分たちの住む世界から飛び立つ営みが、この宇宙に少なくとも1例は存在している。この展示は、その端緒を示すためにどうしても必要だと判断されたのだろう。
 霊長類の進化を示す図でホモ・サピエンスの隣に立って記念撮影するのが、コスモリア来場者のお約束になっているようだ。進化の頂点に立つのは「VR民」「Vチャ民」というアピールだが、もちろんジョークである。むしろ退化しているという見方もあるだろう。(なお、「退化という現象はない」「進化を進歩の意味で使うべきではない」という意見には賛同するが、ここではラフに使っている)
 第1フロアではこのあと天動説と地動説、ライト兄弟の飛行機まで展示して出口になる。生命発生をじっくり見せたあとは駆け足だ。
 そして第2フロアではいよいよ「宇宙開発レース」がテーマになる。ライト兄弟からたったの半世紀で人類は二度の世界大戦と核戦争を経験し、良くも悪くも宇宙開発レースの準備ができあがった。
 米ソの宇宙開発レースは幼少期の私に強く刷り込まれた。シンギュラリティに立ち会えそうな現在の若い人ほど幸運ではないが、当時の熱気を体感したのは得難い経験だったと思う。
 宇宙開発レース(Space Race)とは普通名詞ではなく、「関ヶ原の合戦」みたいに歴史上に一度だけあったイベントだ。競技者はアメリカ合衆国とソビエト連邦。冷戦の一環として、国家の威信をかけて行われた。レースは1957年のソ連による人工衛星スプートニク1号の打ち上げに始まる。中心になる期間は1960年代の10年で、1969年のアポロ11号の月往還成功でほぼ決着した。
 上の展示は有人宇宙飛行の歴史を語っている。タイムラインをおさらいしよう。
 1961年4月12日 ソ連のユーリ・ガガーリンが人類初の軌道飛行をする。(画面左から3番め、Vostokロケット)
 1961年5月5日 アメリカのアラン・シェパードが弾道飛行をする(Vostokロケットの右隣、Mercury-Redstone ロケット)
 ごらんの通り、相次いで行われた有人打ち上げはソ連の圧勝だった。時期も早いし、ソ連は軌道飛行、アメリカはたった15分の弾道飛行だった。
 にもかかわらず――あるいはそれゆえか――わずか20日後の1961年5月25日、ケネディ大統領は上下両院合同議会でアポロ計画を推進する有名な演説をする。
「 まず私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要となるものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう」

 そこからわずか8年後、画面右端にある白い巨大なロケット、サターンVによって人類は月に到達し、帰還する。
 同じフロアに実物大のサターンVがあるので、私のアバター(身長130cm)と比較していただきたい。「アポロは月に行ってない」と主張する人はいまだにいるが、一笑に付すまでのことだ。これは間違いなく実際にあった偉業である。ただ、そのための乗り物を見ると、信じられなくなる気持ちもわからなくはない。
 サターンVロケットは非常識な乗り物だ。直径10mの胴体に直径3.6mのF-1エンジンが5基ついている。コスモリアではノズルの中に入れるので、ぜひVR環境で実感してもらいたい。ここに毎秒10トンのケロシンと液体酸素が流れ込み、「制御された爆発」と呼ばれる燃焼が起きて、3000トンの機体を持ち上げる。

 鉛筆のように貧相なMercury-Redstoneロケットをやっと飛ばしていた時点で、こんなものを本気で作ろうと思っただけでもすごいことだ。月ロケットがどれほどの規模になるかは、ツィオルコフスキーの方程式を使って計算できる。化学燃料ロケットの性能は理論的に決まっていて、地球低軌道に運べる物資は、打ち上げ時の重量の1/30程度だ。たとえばH-2Aロケットは290トンで出発して地球低軌道に10トン投入できる。サターンVは3000トンで出発して地球低軌道に120トン運べる。ここで3段目のJ-2エンジンに点火して月遷移軌道に乗る。3段目は用済みになり、アポロ機械船の噴射で月周回軌道に乗る。そのときの重量が47トン。
 そこから月に着陸するのが15トン。月面活動が終わって月の石を何キロか携え、月着陸船の上半分が月周回軌道に戻る。そこでアポロ司令船+機械船に乗り換え、地球に帰還する。大気圏突入の直前に機械船を分離して、5.8トンの司令船(コマンドモジュール)だけになる。パラシュートで降りてきて海に着水するのがこれだ。
 3000トンで出発したものが5.8トンになって帰ってくるので、「処女航海の目的地で沈没する豪華客船」と言われた。アポロ計画は月面に人を降ろして連れ戻すことを一日でも早く実現するために全振りしたデザインだ。当時でも「これはあまりに不経済だし持続性がない。まず地球低軌道に宇宙ステーションを作り、何往復かして準備し、月との往還は再使用できる乗り物を使うべきだ」という意見が出た。
 だがそれではレースに勝てないのだ
 当時は資源の浪費とか環境問題は現在ほど重視されなかった。ベトナム戦争の真っ最中で、反戦運動も激しく、ウッドストックのロックコンサートに50万人が集まって雨の中で抱き合った時代だ。核戦争で人類は滅ぶかもしれないと本気で心配されていた。宇宙レースに敗れたら、ソ連は技術的にも思想的にも優位に立ち、一気に攻めてくるかもしれない。そうなったらおしまいだ――
 アメリカ国民をまとめるためにも、宇宙開発レースの勝利が必要だった。アポロ計画は掛け値なしの偉業だが、この時代にしかない、狂気の産物でもあった。その熱は極東の、当時は貧しかった国に住む子供の私にも伝わってきた。アポロ計画を繰り返すことはできないし、するべきでもない。

2章 ヒューストンへの旅

 2007年の秋、私はテキサス州を旅した。オースチンのMaker Faireを観覧するのが主目的だが、念願だったヒューストンのジョンソン宇宙センターにも行ってみた。そこにサターンVロケットがあるからだ。
 オースチン空港からレンタカーに乗り、右側走行に戸惑いながら、ひなびたレストランに入った。バーベキューが売りのビュッフェだが、保温ケースにある肉を適当に選び、パンやスープと合わせて食べる簡素なものだった。
 2007年のことで、私はスマホもタブレットも持ってなかった。携えていったデジタル通信機器はモバイルギアという非力なWindowsCEマシンだけだった。地図は紙だし、わからないことは人に聞いた。
 近くのテーブルにいた赤いチェックのシャツを着たおじさんに「あー、ちょっと道を教えてほしいあるが……」と言うと、おじさんは東洋からの旅行者とみるや「おっ、どうした。ユーはどこへ行きたいんだ?」と情熱的に応じてくれた。
ヒューストンか。それならここを南に行って、インターステートハイウェイに乗って東に向かうんだ。すぐわかるよ!」
と身振り手振りをまじえて教えてくれた。オースチンに限らず、アメリカに限ったことでもないが、海外を旅すると親切にされるものだ。
 州間ハイウェイを通ってヒューストンに入り、NASAロード1という州道に入った。当時の私はヘビースモーカーで、レンタカーは禁煙なので、車を路肩にとめて一服していた。
 すると、ちょっとかわいい女の子がすたすた路肩を歩いてきて、こう言った。
「ハロー、裁判所まで乗せてくれない? 留置場から2時間歩いてきたの」
と言った。実際には英語で、いろいろ苦労して意思疎通したのだが、いま思い出すと東北きりたんの声で日本語になって再生される。
海外で若い女の子が近づいてきたら、目的はほぼ決まっている。君子危うきに近寄らずだ。だが私は、海外旅行とは率先してカモになりにいく行為だと思っているので、会話を続けた。私にたかるつもりなら、留置場だの裁判所だの言うのも不自然だった。
「留置所? あなた、なにやらかしたあるか?」
「公園で酔っ払ったの」
「未成年あるか?」
「私は22歳。この国はパブリックスペースで泥酔するとしょっぴかれるの」
 留置所を出て、これから裁判所で手続きをすると言って書類を見せた。名前はジェニファーなんとかさん。メキシコ系なのか、褐色の肌で髪は黒のストレート。
「裁判所のあとはどうするあるか?」
「家に帰るわ。そこからは近いから。5人家族なの」
 私は助手席にジェニファーを乗せて、ジョンソン宇宙センターの前を素通りし、言われるままにしばらく走った。
「裁判所はそこよ。ここでいいわ。ありがと」
 白い歯を見せてさらりと笑い、助手席のドアを閉めると、ジェニファーはもう振り返らず、車の切れ目を縫って小走りに道を渡っていった。
 ハンバーガーでもおごってやればよかったかな、と思ったが、このエピソードはこれで終わりだ。
 私は車をUターンさせ、ジョンソン宇宙センターに向かった。
 そこは広大な敷地と多数の建物、電波試験用のフィールドなどがあり、入り口もいくつかあった。私は第2ゲートに入り、係員に「サターンロケットを見たいある」と告げた。
 係員は「セキュリティを呼ぶからそこで待て」と言った。ゲートの横に車を移動させると、すぐにピックアップトラックがやってきて、テンガロンハットをかぶったジョン・ウェインみたいな男が車内から「ついてこい、ゴーアヘッド」と言って先導した。うわあテキサスだなあ、と思いながらついていった。

 大きな白い建屋のそばの駐車場に案内され、ピックアップトラックは立ち去った。
 ロケットパーク(Rocket Park)という掲示があって、遠くに小型のロケットが展示されていた。ずんぐりしたのはリトルジョーという、アポロ司令船の脱出システムのテスト用に作られたロケットだ。レッドストーン・ロケットもあった。1章にあるコスモリアの展示に同じものがあるので比較されたい。レッドストーンの手前に、後述するJ-2エンジンも展示されている。

 有名な場所だから見学者用の便宜がありそうなんだがな、と思いつつ、私は一人で歩き回った。そして、大きな白い建屋に入り、横倒しに設置されたサターンVロケットと対面したのだった。

 最初に見えたのは先端のエスケープロケットとアポロ宇宙船(司令船(コマンドモジュール)+機械船(サービスモジュール))だった。その後ろには4つに裂ける月着陸船アダプター(Spacecraft Lunar Module Adapter: SLA)と自動制御装置(Instrument Unit: IU)があった。
 SLAには月着陸船が格納されていて、月に向かう途中でアポロ宇宙船とドッキングして一体化する。
 IUはSLAと三段目の間にあるリング状のパーツで、実機でもプラモデルでもまったく目立たない。だがここはサターンロケットの頭脳だ。IBMが作った最先端のデジタルおよびアナログ電子機器がぎっしり並んでいる。その機器ラックや配線、コネクター類の重厚なこと。IU以外の場所にあった機器もあわせて貼っておく。60年代の技術だから集積回路は目の玉が飛び出るような価格だったにちがいない。

 ここで団体の見学客とすれ違った。団体は1段目側から見てきたようだった。私だけが1段目のほうに歩いていくので、アポロキャップをかぶった年配のガイドが「ヘイ・ユー! 移動するぞー!」と呼んだ。
「私ソロある! セルフガイデッドある!」と言ったらオーライと手を振って去った。
 やはり団体で見学する枠があるんだ、どうして自分はそこに加われなかったのだろう、などと思いながら全長110mのロケットを低いステージに向かって歩いた。
3段目、J-2エンジン
2段目、5基のJ-2エンジン
 サターンVの3段目と2段目を推進するのはJ-2エンジンだ。燃料は液体酸素と液体水素。アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』で「この計画で水素エンジンの開発をしないでくれ。すべて既存のエンジンでいく」と意見する場面があるが、その水素エンジンだ。車でいうとトップギヤの特性で、推力は弱いが速度が出る傾向になる。
 サターンVは2段目の働きで地球低軌道に乗る。そこから3段目で月遷移軌道に乗る。3段目はアポロ宇宙船とほぼ同じ軌道をとって月のそばを通り、その後も地球軌道周辺を漂流する。
 いよいよ1段目、サターンVのいちばん大変な部分と対峙する。本稿ではすでにコスモリアの展示モデルを紹介しているが、私はこのときが初対面だったので、呼吸を忘れて見入った。

1段目、5基のF-1エンジン
「ゴォォォン!」という効果音でもあれば雰囲気が出そうだが、そんなものはなく、遠くから団体客の声が響くぐらいだった。見上げたときの量感は奈良の大仏ぐらいあるが、それが3500トンの推力を発して空に登ることを思うと圧倒される。
 F-1エンジンは液体水素ではなくケロシン(≒灯油)と液体酸素を燃料にする。J-2をトップギヤにたとえるなら、これはローギヤだ。速度よりも推力が重視されたデザインで、空気の薄いところまで機体を持ち上げるのが役割だ。
 サターンVはどこを取ってもアメリカ的だな、と思う。ロケット好きはロシア機、特にソユーズを愛する人が多いように思う。コア機体を4基のブースター(1段目)が取り巻く形状が面白く、「ぼん、きゅっ、ぼん」とセクシーなフォルムになっている。『王立宇宙軍』に登場するのもソユーズタイプだ。
 いっぽうアメリカのロケットは円筒を積んだ単純な形をしている。合理的なのだが、寸胴で面白味がない。だが、このとき私が悟ったのは「アメリカのロケットは2mまで近づかないと面白味がわからない」ということだ。以下に例を示そう。
 サターンVの段間部(およびタンク間部)は、遠目には波板か、皮を剥いだダンボールのように見える。しかし現物を見るとプレス成形した板金をリベットで丁寧にとめていて、精緻な仕上がりだ。段間部がこんなリブ構造になるのは、座屈に耐えるためだろう。段間部以外のつるんとした部分は燃料タンクで、これは圧力容器なので十分な強度がある。
 ロシアのロケットは段間部がむき出しのトラス構造になっていることが多い。これもファンに愛されるチャームポイントなのだが、雰囲気は建築物だ。アメリカ機の段間部には航空機としての繊細さがある。
 内之浦でM-Vロケットを見学したとき、「ここから上はA社、下はB社が作ってるの。飛行機屋さんが作ったところは飛行機の造りでしょ?」と説明されたことがある。アポロ計画の宇宙船やロケットはノースロップ、グラマン、ボーイング、ダグラス、IBMなど、アメリカ航空宇宙産業の総力戦になっているから、メーカーごとの違いを嗅ぎ分けるのも面白いだろう。
 今回はバーチャルとリアルの対比がテーマだから、さらにマニアな話を続ける。
 1段目、F-1エンジンのすぐそばに4枚のフィンがついている。これはサターンVのように推力偏向のできるロケットには不要なものだ。フィンがある点ではナチスドイツのV-2号ロケットに似ているが、目的はまったく異り、緊急時に宇宙飛行士を助けるためにある。
 もしF-1エンジンのひとつが故障してあらぬ向きに噴射を始めると、ロケットの姿勢は急激に変化する。ロケットはぎりぎりの強度しかないので、濃い大気中で想定外の姿勢になると空中分解してしまう。
 そんなとき、宇宙飛行士は先端にある脱出ロケットに点火して、コマンドモジュールごと逃げることになっているが、姿勢が急変すると100m離れた飛行士たちに強い遠心力がかかり、脱出操作を妨げることが予想された。
 そこで「もしF-1エンジンが異常をきたしても、フィンがあれば姿勢の急変を緩和できるだろう」とフォン・ブラウンがアイデアを出した。彼はV-2号の開発者でもあるから、フィンに因縁を感じる。
 フィンはプラモデルだと小さな矢羽根のように見えるが、桁部分で2.5mあり、間近に見ると凄みがある。断面は薄い菱形に近い5角形で、超音速を想定したものだ。ジュラルミンかステンレスの薄い板をリベットで止めていて、その鋭利さはX-15の垂直尾翼を連想させる。
 1段目の底はベース・ヒートシールドといい、平らな白い板が敷き詰めてある。そこから生えたF-1エンジンとの対比が実に良い。スター・デストロイヤーやディスカバリー号にみられるメカデザインの基本、のっぺりした部分とメカメカした部分のコントラストが際立っている。
 この平板は耐火ボードの一種だろう。これを敷き詰めてボルトで止めてあるのだが、熱膨張を考慮してか、少し隙間がある。その隙間がちょっとまちまちなのが気になった。
 たぶんこの耐火ボードの向こうに、正確に取り付けられた金属の底板があるのだろう。発射台で火をかぶるから耐火ボードを貼っとこう、でも取り付け精度はこれくらいでいいや、という判断だろうか。大事な場所では手間と金とテストを惜しまず、いっぽうで省ける手間は省く、アメリカ人の物作りを見た気がした。
 サターンVロケットは全部で15機建造され、13機が飛行した。計画中止で余った機体やテスト用の機体があちこちで展示されている。しかし実際に飛行する予定だったものはジョンソン宇宙センターにあるものだけだ。それはスミソニアン航空宇宙博物館が所有していて、ジョンソン宇宙センターに貸し出している。
 そんな貴重な展示品が、ヒューストンに運ばれてから30年近く野ざらしになっていた。ロケットは初飛行から10分で使い捨てるものだから、長期間野外放置できるようには作られていない。痛みが激しいので、スミソニアンは各方面によびかけて資金を集め、ロケットのまわりに建屋をつくった。そして痛んでいた部分をレストアした。その経緯を示すパネルもある。レストアが終了して公開された のは私が訪ねる3か月前のことだった。
 機体のレストアと保存の情熱、たいていは計算尺で設計されたロケット各部の造り、アポロキャップのツアーガイド、テンガロンハットのセキュリティ・スタッフ、留置場から歩いてきた女の子――すべてがアメリカだった。
 VRでロケットの中に入ったり、月面の重力を疑似体験することはできないが、リアルでしか得られない体験、気づきもたくさんある。
 レンタカーを運転してヒューストンのダウンタウンを南下し、NASA Road 1という道路標識を見て乗り換え、ヒッチハイカーの女の子を拾うところから私のジョンソン宇宙センター訪問は始まっていた。
 そして放心状態で駐車場に戻り、しばらく冷ましてからゲートを出て、クリアレイク沿いのメキシカンレストランでステーキとサラダを頼んだらシーフードが山盛りになったサラダだけでメインディッシュ3皿ぶんくらいあった――までが私のヒューストン体験だ。
 VRとリアルのどっちがいいか、なんて議論はやめよう。現代のいいとこ取りをした先に、未来はあるのだから。
(第24回 おわり)

▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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