野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第14回 遊びをせんとやVR

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

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第14回 遊びをせんとやVR

1章 鬼行列と猫耳少女

 2022年10月、伊賀市で三年ぶりに上野天神祭が開催された。車で1時間ほどの近場なのだが、子供の頃にいちど見たきりなので、一泊してじっくり見て回った。
 天神祭の呼び物はだんじり鬼行列だ。伊賀市は焼夷弾の空襲をまぬがれたので、古い町並みが残っている。行列は上野天神宮を起点に、本町筋、二之町筋、三之町筋を練り歩く。

 穏やかな日和だった。人出もちょうどよく、賑やかだが混雑はない。よけいなBGMも流れず、靴音と話し声が聞こえるだけの、適度な静けさがあった。
 道端に立って待っていると、太鼓の音が近づいてきた。それが鬼行列で、役行者を先頭にさまざまな鬼の面をつけた者が練り歩く。独特なのがひょろつき鬼で、釣り鐘や斧を持った四体の鬼がランダムウォークする。子供がいると秋田のなまはげのように急接近して威嚇する。子供は素直に泣きわめく。周囲の大人たちは笑う。
「あれは鬼が恐いというより、不審者が急に近づくから恐いんだよ」と話す人がいた。
 トラウマにならないかと思いもするが、この伝統行事のせいで伊賀市民は心の傷を抱えて生きているという報告は聞かない。
 ひょろつき鬼は見物人を道の両側に押しやり、だんじりを通す準備をしている、という説もある。ほどなく遠くからカンカン、ぴーひゃらら、と鳴り物が近づいてくる。町ごとに維持されてきただんじりの隊列だ。笛、鐘、太鼓の演奏者はだんじりの二階にある囃子座に座っている。アンプやスピーカーは使わず、生音だ。

 だんじりは大きな四つの車輪を持つが、ステアリングはできない。そのかわり車体後部に方向万力という旋回用の車輪が格納されている。これは左右方向に向いたキャスターのようなものだ。曲がり角に来ると方向万力をジャッキのようなもので下ろし、後輪を浮かせる。前輪と方向万力だけで支えられると、だんじりは軽い力で超信地旋回できる。

 今回上野天神祭を見て思ったのは、昔の人は非日常を味わうために、こんな大がかりなことをしたんだなあ、ということだ。
 天神祭には400年の歴史がある。だんじりの構造や装飾、鬼の衣装や面は選りすぐりの材料と技術によるものだ。多くの人が協同して、相当な労力と財力を注いで虚構を構築し、共有している。それが飢餓や戦乱を乗り越えて維持されてきた。生存に必須ではないこうした営みが、人間には必要なのだとわかる。

 いっぽう現代に生きる私は「シンギュラリティも近いことだし、そろそろ不老不死の体を用意するか」と思ってVR用のアバターを整えたところだ。それは小夜ちゃんという猫耳と尻尾のはえた少女で、4500円で購入した。男性が少女の姿に化ける、いわゆるバ美肉(ばびにく、バーチャル美少女受肉)というやつだ。

 バ美肉を嫌ったり笑う人はよくいる。海外のフォーラムでも、異性のアバターを使うことに葛藤する人を見かける。
 だが私は2018年にVRを始めてまもなく、「バ美肉には長所しかない」と悟った。
 そこに倒錯的なセクシャリティが含まれることは否定しないが、そんなものは誰でも持っている。男性が女装を楽しむのも、女性がボーイズラブや宝塚歌劇団に熱中するのも普通のことで、その精神構造は倒れてもいないし錯誤もしていない。
 男女は非対称であって、性別を自由に変えられるとき、腕力なら男、容姿なら女を選びたいものだ。むさくるしい男の姿など、まず自分が見たくない。自分がされたくないことは他人にもしないのが倫理というものであろう?
 そこからは好みの問題だが、女性の姿になるとしても写実的なアバターを使うのは生臭い。私のようなオタクは2~2.5次元のアニメキャラのほうが魅力を感じるし、一目で作り物とわかるので安心できる。以前議論したところでは、このようなアバターの多くが獣の耳をつけているのは、「本人に似せたものではなく、架空の存在ですよ」というサインだそうだ。

 架空といってもオリジナリティのあるアバターは自己表現になり、コミュニケーションのハードルを下げる。本人の性格や趣味嗜好が伝わるので、好感の持てるアバターの人には話しかけやすい。好みの合う人どうしの出会いをサポートするところはリアルの服飾と変わらない。
 アバターは自分の分身ではあるが、自分とは別のもの、たとえば初音ミクを歌わせたり踊らせたりするような楽しみもある。ラジコン飛行機を操縦して、客観視するようなものだ。主観と客観があいまいになるところが面白いので、私はVRで経験したことを自撮りしてはツイートしている。自撮りはうざいものだが、このアバターなら少なくとも自分には許せるので、本稿にも多数掲載した。

2章 PCVRのセットアップ

 私が通っているソーシャルVRサービスはVRChat、バーチャルキャスト、NeosVRだ。いずれも無料で使える。今回はVRChatを紹介しよう。
 VRChatは三通りの利用形態がある。

 (1) デスクトップ・モード : VR機器を使わず、パソコンとキーボード、マウスを使う。
 (2) PCVRモード : VR機器とパソコンを使う。
 (3) QUESTモード : VR機器のひとつ、META QUESTを単体で使う。

 (1)はPCだけで手軽に始められる。発表会を聴講したり、他のユーザーと立ち話するような使い方ならこれで事足りる。しかし没入感やVR空間内でのインタラクションが乏しいので、あくまでお試し用と思ったほうがいいだろう。
 (2)はVRをどっぷりやりこむモードだ。PCにHMD(ヘッドマウントディスプレイ)やハンドコントローラーを接続して使うもので、VRChatをフル活用できる。計算機パワーを要するのでPCはゲーミング仕様のものを使うことが多い。
 (3)はMETA QUESTというVR機器単体で使うモードだ。スマホと連繋するだけで簡単に始められて強い没入感が得られる。ただしゲーミングPCほど計算機パワーがないので、重いアバターやワールドには向かない。

 私は2018年から(1)のデスクトップモードで使っていたのだが、今回セットアップしたのはどっぷりやりこむ(2)だ。HMDはMETA QUEST2を使うが、QUESTモードは使わない。
 QUEST2を装着すると、視界はこんな感じだ。視界の上下方向にぴったりはまる円ぐらい。

「なんだこの程度か。穴から覗くようなもんだな」と思うかもしれないが、この機器が素晴らしいのはヘッドトラッキングが完璧なことだ。頭の向きを変えると視野はまったく遅延なく追従する。その結果、脳内には全周映像が構築される。これは10年前に発売されたOculus DK1の時からそうだった。DK1は解像度が低くて没入感の妨げになったが、QUEST2は及第点だ。
 付属のハンドコントローラーもよくできていて、見た目よりずっと多くの情報を送り出している。ボタン類はオンオフだけではなく、タッチセンサがついていて、ボタンに指を置いているかどうかを検出できる。トリガーボタンは操作量をアナログ的に入力できる。もちろん加速度センサも内蔵しているので、空間上の位置・角度変化を伝えられる。
 装置単体での計算力がゲーミングPCに劣ることを除けば、QUEST2はVR機器として成熟の域にあると言えるだろう。

 これでソフトウェアのセットアップもさくさくいけるかと思ったのだが、結構手こずった。
 QUESTシリーズはOculusブランドで販売されていたが、2022年からMeta QUESTと改称された。アプリなどにOculusの名前が残っていて混乱する。
 QUEST2は本来、(3)のスタンドアローン・モードで使うようにデザインされている。PCVRで使うのはややイレギュラーで、異なるメーカーのソフトをいろいろ組み合わせる必要がある。
 まずQUEST2とWindowsPCを接続するため、双方にデバイスドライバー的なソフトを走らせる。ハード層はUSB3.0かWi-Fiを使う。接続ソフトは最初、正規のOculusアプリを使ったが、現在は有料アプリのVirtual Desktopを使っている。これをQUEST2側とPC側の両方で走らせる。
 次にPCでSteamVRというVR環境のベース的なものを起動する。その環境内でVRChatやバーチャルキャスト、NeosVRなど、サービスごとのクライアントを走らせる。
 つまりソフトウェアだけで三階建てになる。その各階層で「今週の新着ゲーム」「友達とつながろう」などの広告が表示されることも混乱に拍車をかけた。この状況は映画『ブレードランナー』で描写された、雑踏にはびこるデジタルサイネージを連想させる。
 ハードウェア側にもいろいろトラブルがあって、HMDを頭から離すとすぐスリープすること、有線接続にはUSB3.0を使うこと、そのUSB3.0もGen1はだめでGen2が必要なこと、専用ケーブルを使わないと性能が出ないこと、Wi-Fi接続はWi-Fi6対応の5GHz帯ルーターでないと性能不足なことなどに直面した。
 いまならエラーが出てもどの階層が悪いか見当がつくのだが、初めてのときは五里霧中のなかでトラブルが一度に押し寄せてくるので混乱した。年月が経っているのでもう少しこなれているかと思ったのだが、PCVRはまだアーリーアダプターの域を脱していない。

 VRChatにサインインすると用意されたアバターを選んで使うのだが、海外のサービスなのでどれも垢抜けず、魅力に乏しい。そこで先述の小夜ちゃんを持ち込んだわけだった。
 ユーザーがオリジナルのアバターやワールドを持ち込めることはVRChatの大きな魅力なのだが、これも結構なスキルを要する。まずUnityという大きな開発環境をインストールする。次にVRChat用の開発キットを組み込む。アバターによっては追加のライブラリも組み込む。
 アバターは結局、データとプログラムの塊なので、VRChat環境で実行可能な形式に仕立てなければならない。これをビルドという。アバターがビルドできたら、開発キットの機能を使ってVRChatにアップロードする。
 これも一筋縄ではいかず、ビルドやアップロードでいろいろエラーが出てきて解決に手こずり、先達に教わりながら半日ほどかかった。
 小夜ちゃんは小柄な外見にもかかわらず58000ポリゴンとパーティクル演出を備えたアバターなので、VRChat側からは「poor」(描画負荷が大きい。修正が必要)と評価されるが、禁止はされず、そのまま使える。ただし計算機パワーの小さいQUESTモードの人には軽い代替アバターが表示される。手を振ると妖精ティンカーベルのように光の粉が舞って美しいのだが、これも他の人の負荷になるので設定で切っている。

 アバターのビルド、アップロードとPCVR環境の構築の経緯はこちらにまとめた。私が選んだのはあくまで「どっぷりやりこむモード」なので、他のアプローチならもっと簡単に始められることを強調しておきたい。

3章 VRChatのおすすめコミュニティ

 VRは大きなHMDをかぶって没入するのでいかにも不健康に見える。本人が何を見ているのか、外からわからないのも陰気な感じだ。
 それゆえか「バーチャルは悪だ」「いや善だ」「これが未来だ」「やっぱりリアルがいい」という議論がたびたび蒸し返されるが、こんな主語の大きい議論は無視するに限る。未来は現在のいいとこ取りで作られるのだから、リアルもバーチャルも長所短所を見定めて取捨選択し、育てていくまでのことだ。

 ここで上野天神祭とVRを比較してみよう。天神祭は古い伝統行事ながら、虚構性と集団性を備える点でVRと共通している。
 鬼の面はアバター、だんじりはワールドやガジェットにあたり、虚構性を構築している。
 集団性に注目すると、天神祭は同時に万単位の人間を扱える点で現在のVRを凌駕している。VRは計算量の限界から、同じ場所に集まれるのは数十人程度だ。
 だが、VRイベントをVR空間の外に配信すれば万単位の見物人をカバーできる。鬼行列の出演者を数十人程度とすると、天神祭とVRは互角とみなせるかもしれない。
 ネット配信の見物人と出演者のインタラクションは制約されるが、チャットや投げ銭はできる。リアルの見物人も出演者とそれほどやりとりするわけではない。ただし鬼が子供を泣かせるような絡み方はこの方法だと難しい。

 現代最高のテクノロジーを使って、やっと昔の祭りと互角適度か、と言われそうだが、リアルをなめてはいけない。微生物1体、コップ1杯の水の動きを再現するのに、スパコンでも追いつかないのがリアルというものだ。
 全体に自然界の動きは原子・分子のレベルで作用するので、計算で再現するのは難しい。完全に再現しようとするとその世界より大きなコンピューターが必要になる。
 だが人間界の相互作用なら、VRにも勝ち目がある。以下、集団性を評価軸としてVRChatのコミュニティ&ワールドを紹介しよう。一人で入ってもいいが、イベントのときなどに集まるとぐんと面白くなる空間だ。

VSP/天文仮想研究所 はプラネタリウムや天体モデル、宇宙機やロケット射場など、宇宙関連のワールドを多数構築している。デスクトップモードの頃から通っているが、いまやVR版スミソニアン航空宇宙博物館というべき状態になっている。
 決して触れることのできない探査機や宇宙望遠鏡の焦点に立ったり、ロケットの固体燃料に頭を突っ込んだりできる。内之浦や種子島の射場も再現されていて、組立棟を探訪したり、ロケットの発射を楽しんだりできる。二次元画像で見ても伝わりにくいが、実際に動き回ってみると鳥肌ものばかりだ。宇宙好きの人ならここに通うだけで元が取れるだろう。

 天文仮想研究所はこのワールド群を使ってオンライン・イベントを頻繁に開催している。その筋の知識を豊富に持った愛好家や専門家がたくさん集まり、NASAのエンジニアが来訪することもある。
 講演会では「素人質問で申し訳ないのですが……」的な質疑応答があってスリリングだ。しかし普通の人やビギナーもいるし、それを想定してプログラムが組まれているので敷居は低い。

上の集合写真には寸詰まりのアバターが多数いるが、負荷対策で軽量アバターに着替えているためだ。

 三周年記念イベントのとき講師をつとめた阿部新助さんは初代はやぶさのアウトリーチ活動で知り合った人だ。20年後にこんな姿で再会すると、当時の自分に伝えても信じないだろう。

 これは火星ワールドで、NASAの火星ローバー、パーサヴィアランスのモデルに潜り込んで観察しているところ。搭乗して乗り回すこともできる。

 天文仮想研究所とは別団体になるが、ロケットの打ち上げや探査機の目標接近などのイベントがあるときは #ロケ見る集会 も開催されている。オフィシャルの中継映像を眺めたり、詳しい人が解説したりする。オリオンの月軌道投入のときは月とゲートウェイステーションの軌道運動が表示されていて面白かった。

 ここに限らないが、初めての人は雑談に参加して、近くの人に「ビギナーなんですけどフレンド登録よろしいですか?」と言ってみよう。まず断られることはない。「イベントの情報はどこで得たらいいですか?」と尋ねてもいい。
 こういうところに集まるのは基本的に誰かと話したり、布教したくてしょうがない人たちだ。自分の好きなものや知りたいことを伝えれば、いろいろ教えてもらえるだろう。VR界はマンツーマンで教える文化があるので、人を頼ってかまわない。
 イベント参加方法は、ポスターなどに「代表者のID join」と書いてあるので、そのIDをVRChat内で検索してフレンド申請する。VRChatのフレンド登録は他のSNSのようにめんどくさくないので、段取りだと思ってすればよい。相手が承諾すると、その人がいるワールドが表示されるので「join」すると入室できる。会場が常設のパブリック・ワールドなら直接訪れてもかまわない。

V.R.A.F
 フライトシミュレーション系コミュニティのひとつ。
 VRChatの航空機モデルはSacc’s flight というシステムが多く使われている。@Sacchan_VRC という英国のユーザーが作って無料公開しているものだ。機種ごとに特性を設定できるが、操作は基本的に同じなので、初見の機体でもたいてい飛ばせる。
 過日のこと、フライトシム系のワールドを検索して、CF-01 HMS Queen Ruler Rosette Manasvin という空母のワールドに入った。イギリス海軍のクイーンエリザベス級に似ているが、平面形はかなりちがう。
 フライトデッキに出ていたFA-18に乗り込んで飛ばしてみたが、着艦に失敗して大爆発させてしまった。
 デッキで佇んでいると、別の人が現れてスホーイ戦闘機で飛び立った。スモークをたいて空にハートを描くのを見て舌を巻いた。そのスホーイが着艦したので近くに行くと、降りてきたパイロットはワールド作者のきりしまはるなさんだった。後席に乗せてもらって操縦を教わった。そしてVRChat内の空軍、V.R.A.Fを知ったわけだった。

 それから毎週木曜日に開催されるVRAF飛行機教習所 イベントに参加してみた。まず教習室で数分の動画を視聴して、それから教官と飛行機に乗ってマンツーマンで操縦を教わる。
 教習が終わるとしばらくフリーフライトして遊び、しめくくりにみんなで編隊飛行をする。これが滅法楽しかった。その様子を私の主観動画で確認していただきたい。

 HMDを使うとスモークが視野全周を猛スピードで流れていって、素晴らしい臨場感だ。ループやバレルロールの技がきまると、みんなで協力してなしとげた達成感が味わえる。
 VRChatの音声は距離が離れると聞こえなくなるので、編隊飛行中の通話はDiscordを使う。編隊飛行では速度を合わせるのが難しいのだが、Sacc’s Flightの飛行機はクルーズモードという機能があって、設定した速度をベストエフォートで維持してくれる。あとは周囲に気をつけながら、編隊長についていけばなんとかなった。
 動画の中で、私はニアミスをやらかしている。墜落するとリスポーンして離陸からやり直すことになり、再び編隊に追いつくまで何分かロスする。そのため衝突しないように努力するし、そうしてこそ達成感が本物になる。編隊長からは飛行の始めに「衝突はよくあることですので、寛大に受け流してください」とアナウンスされる。編隊長の指示はいつも的確だ。

 VRAF飛行機教習所はQUESTモードOKなので、ビギナーでも入りやすい。重いアバターを使っている人は軽量アバターに着替えていく。編隊飛行で使うので、Discordをセットアップしておくと良い。

 私はマイクロソフトのFLIGHT SIMULATOR 2020もプレイしていて、これも大変面白いのだが、もっぱら飛行機をリアルに飛ばすことに注力されていて、アバターを通して世界と相互作用するようなことはできない。困難な着陸をやりとげたら駐機場で愛機とともに自撮りしたくなるのだが、そういうことはできない。
 いっぽうVRでは、人と飛行機の関わりがシームレスに実現できる。
 ギャビン・ライアルの航空冒険小説『ちがった空』の冒頭で、アテネ空港に着陸進入してくるビジネス機を見て「あいつ只者じゃないな。もしや…」と思う場面がある。
 VRでも操縦の上手下手は地上から見ていてわかる。見事な飛行を見せた機が着陸して駐機場に止まり、パイロットが降りてきたら、その姿が猫耳少女であっても、敬意を持って接するだろう。そのあと「これ、飛ばしてみる?」「え、いいんですか?」「俺、後ろに乗るから」というやりとりをして搭乗し、滑走路に向かう。そんなことが普通にある。

 すべては仮想空間で行われるが、人の交流は本物だ。自分もあんなふうに上手くなりたい、尊敬されるようになりたい、と思うところはリアルと変わらない。年に一度の祭りで鬼を演じたり、だんじりに乗って龍笛を吹きたいと願うのと同じだ。
 VR空間で編隊飛行をしても経済効果は生じないが、それは些末なことだ。世界はいずれ自動運転になり、人間は遊んで暮らせるようになるので、経済などどうでもよくなる。労働が消滅したらその対価も消滅する。
 労働や金銭が不要になると、生きる目標を見失う人も大勢いるだろう。文明における人間の働きなどはその程度であって、停滞や衰退に向かうのが自然かもしれない。
 だが、ここに示したような交流や編隊飛行の達成は、経済原理に関わらない価値だから、社会の激変にあっても打たれ強い。天神祭が戦乱や飢餓を乗り越えてきたのと同じ強さだ。
 両者に本質的な違いはないのだから、リアルとVRのどちらがいいか、なんてふやけた議論をする必要はない。論じるべきは我々がこれからの世界をいかに遊ぶかだ。いかにして虚構を共有し、無為に遊び続けられるか。遊ぶことは人間の怠惰ではなく強さであって、それが文明の停滞を乗り切る鍵になる。シンギュラリティ期における人類の役割とは「遊びをせんとや生まれけむ」である。

(第14回おわり)


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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