野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第28回 デスクトップは囲炉裏端

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第28回 デスクトップは囲炉裏端

1章 自動炊飯シリンダー

 日本列島は新年から諸行無常で、シンギュラリティの足音も聞こえてくるから、今回は原点に立ち返ってを探求しよう。(火にまつわる過去記事 第1回第2回第3回)
 私はアウトドア炊飯の練習を兼ねて、ときどき部屋でデスクトップ飯盒炊爨をする。PCで作業しながらやるので、時間も無駄にならない。
 そんなの炊飯器を使えば簡単じゃないかと言われそうだが、火をもって硬い米をやわらかい御飯に変化させる作業はなかなかに奥深く、興味深いものだ。


 今回試してみた新機軸はIMCOの自動炊飯シリンダーだ。(写真手前。後ろはトランギアのアルコールストーブ)。IMCOは古くからある板金加工のオイルライターが有名だが、現在は撤退して日本の柘製作所がブランドと製造を引き継いでいる。そのIMCOがアルコールストーブの燃焼を制御するガジェットを発売した。
 アルコールストーブは小型軽量で充分な火力があり、自作も容易なことから広く使われている。一見すると小皿にアルコールを注いだだけのように見えるが、それだと熱でどんどん気化して火勢が上がり、すぐ燃え尽きてしまう。
 アルコールストーブは気化したアルコールを液面から離れた穴に導いて燃やすので、燃焼が安定する。しかし完全とはいえず、使用中に温度が上がると、火勢が上がりすぎる傾向がある。



 自動炊飯シリンダーはそれを解決するものだ。使い方は簡単で、これをアルコールストーブの中央に置き、メッシュ部分からアルコールを注ぐ。アルコールはシリンダー内部にある耐熱性の綿に蓄えられる。一定量のアルコールが綿にたまると、余ったアルコールは溢れて、通常どおりストーブ内にたまる。
 ロング型のライター(本サイトのスポンサー、安心と信頼のブランド、ライテック製品である)でシリンダーの頭部に点火すると、まず綿にたまったアルコールがちょろちょろ燃える。
 数分すると温度が上がってきて、アルコールストーブ本体の燃焼が始まる。

 アルコールが減って本体の燃焼が終わってからも、しばらくシリンダー上でちょろちょろした燃焼が続く。
 これは結果的に「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火をひいて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな」という炊飯プロセスのうち、「ちょろちょろ」と、「赤子泣いても~」の蒸らし工程の保温をシリンダーのとろ火が受け持つ形になる。
 通常、蒸らしは火を使わず、タオルなどで保温して15分ほど放置する。今回は10分くらいとろ火だけで温度が保てた。そこで火が消えたので、紅茶用のティーコジーを被せて保温した。



 今回は自衛隊の2型飯盒を使い、米は2合入れた。15分ほど水に浸し、水面は米から1cmぐらいのところにする。アルコールは40cc使った。
 炊き上がりは中央が盛り上がった不思議な形になった。「カニの穴」はできてないが、炊き加減は申し分ない。おこげは底がわずかにきつね色になる程度。おこげが好きな人はもう少しアルコールを増やせばいいだろう。
 自動炊飯シリンダーは期待通りの働きをした。ただしとろ火を使うので、外で使うときは防風対策が必要だ。炊飯器のように温度のフィードバック制御はしてくれないので、風や気温に応じてアルコールの量を加減できるように慣熟しておきたい。
 なお、誤解されがちだが、「赤子泣いても蓋を取るな」は蒸らし工程に入ってからのことで、それまでは短時間なら蓋を取って炊き加減を確認してもかまわない。

 炊きたての御飯はどう食べてもうまいが、今回は3分でできる生ハム寿司を作ってみよう。
 2合の御飯に70ccの寿司酢をかけてかき混ぜると寿司飯ができる。
 ねたはカルディの切り落とし生ハム――よく店先で300円ぐらいで値引き販売しているやつを使う。これをダイソーの寿司型に入れる。切り落としだからつぎはぎでかまわない。その上に飯を敷き、寿司型の蓋でぎゅっと押す。ひっくり返して皿に出せば完成だ。




 私はミルで挽いた岩塩をふりかけるのが好みだが、そのままでも、醤油をたらしてもいい。
 寿司には汁物を添えたい。「インスタントでも、あるとないでは大違い」なので今回はマルコメのしじみ汁とマルちゃんの麺類トッピング用の天ぷらを浮かべてみた。キャンプでは道中で採取した山菜を入れたりする。何かひと品加えることで、インスタント食はみちがえるようになるものだ。

2章 火鉢のある生活

 私が暮らす三重県津市には高田本山専修寺という大きなお寺があって、正月には報恩講、通称お七夜という行事がある。周囲の門前町には露店が並んでにぎわい、昭和あたりで時間が止まったような風情があって、散策すると面白い。


 そして骨董店の店先で小さな箱火鉢と目が合った。外寸は左右32cm、前後21cm、高さ22cmで、PCでいうとmicro-ATXぐらいのボリューム感だ。火鉢部分は七輪ぐらい。これなら仕事机に置いて、酒のつまみを炙ったりしながら作業できそうだ。
 値段を聞くと1万円だという。ちょっと迷ったが、買ってしまった。同じようなものをヤフオクやメルカリで検索してみると、妥当な値付けだった。

 調べてみると、これは箱火鉢というより煙草盆に近いらしい。一般的な煙草盆は岡持ちに小さな火鉢と灰落としなどの喫煙具をセットしたものだが、箱火鉢型のものもある。竹のコップ状のものは灰落としで、煙管で縁を叩いて灰を落とすのに使う。
 しかし灰落としとしては簡易な造りだ。五徳がついているのも煙草盆にはミスマッチで、「小型の箱火鉢を煙草盆として使った」ような気がする。なお、店頭にあったとき、五徳は上下逆にセットされていた。馬蹄形の部分を下にして灰の中で保持するのが正しい。

 箱火鉢を机に置き、七輪で使っていたマングローブ木炭を乗せてみると、なかなかいい感じだ。原稿を書いたり、ネットをブラウズしたり、VR環境に入ったりするのと同じ机に、囲炉裏端が現れた。暖房器具としては弱いが、赤外線で上半身が暖まるので馬鹿にならない感じだ。
 部屋で炭火を使っていると、きまって一酸化炭素中毒を心配されるが、私の部屋は不用意にドアを閉めきっても換気が続くようにしてあるので問題ない。マンション住まいの人は注意されたい。



 チェコ軍のメスキットにおでんを入れて置くと、ちょうどいい温度で維持してくれた。コンビニのレジ横にあるおでんのように、ほどよい温度を保ってくれる。半熟のゆで卵はいつまでも半熟のまま、味がしみてゆく。


 するめもうまく焼ける。ぬる燗で一杯やると『舟歌』の世界だ。


 餅もうまく焼けた。グリルで焼くより時間がかかるが、これはスローライフだ。PCでことこと作業していると「ぱりっ」と小さな音がして餅が焼けたのに気づく。これはいいものだ。

 しばらく箱火鉢を使ううち、ヒヤリ・ハット事例が発生した。私は火鉢を焚き火台のように考えていて、景気よく炭をくべた結果、木でできた縁のところを焦がしてしまった。この火鉢は小さいので過熱に注意する必要がある。
 購入時の火鉢は軽石のまじった砂が入っていて、そのままにしていたのだが、中身をすべてバケツに出して中を確認してみた。箱には金属の内張があった。底は鉄板で厚さは0.5mmくらい。側面は銅だが、かなり薄く、箔に近いものだ。いずれも腐食があって、このまま使うのは危険だとわかった。



 そこで内張はステンレス板に置き換えた。砂は半分ぐらいに減らして火鉢用の灰を入れた。
 これで燃えている炭と木箱の間には灰と砂、ステンレス板が挟まることになる。ステンレスの上縁は木部より高くして、赤外線も遮った。
 しかし断熱材は安全を保証するわけではない。熱が届くのを遅らせるだけだ。天ぷら料理の店で、堆積した天かすの発火事故が起きるのも、放熱が追いつかなくなったときだ。天かすは揚げ油の熱を運び込み、断熱材としても働く。箱火鉢が焼損しないのは、別経路で放熱されて時間稼ぎが間に合うからだ。
 対策はしたが、この箱火鉢が安全に使えるかどうかは、注意して見極めていくことにする。

 


 使用を再開して、湯豆腐を作ってみた。私はこれをぱっとしない薄味料理と思い込んでいて、火鉢向きのようだから作ってみたのだった。しかし作ってみると昆布、椎茸、鰹節の出汁が鮮烈で驚いた。豆腐もさることながら、出汁が主役の料理だと思い知った。

 洋食も試すことにしてチーズフォンデュをやってみた。これも簡単にできて、ワインを飲みながらまったりすごせた。

 ダイソーに小さなジンギスカン鍋があったので、肉を焼いてみた。これもうまくいった。

 ただし、炭火の長所が活きるのは直火で使うときで、鉄板などをはさむとその長所を殺してしまう――というのがセオリーではある。
 炭火の直火がなぜいいかというと、まず赤外線輻射が他の熱源に比べて強いこと。そして水が出ないことだ。ガスや灯油は炭化水素だから酸素と結びつくと水蒸気ができる。冷水を入れたやかんをガスの火にかけたとき結露するのは、燃焼でつくられた水蒸気だ。いっぽう炭は高純度の炭素だから、水蒸気が発生しない。こうしたことが焼き物に好適とされている。
 しかし鉄板を挟む点ではおでんなどの鍋料理もそうだから、気にしすぎてもはじまらない。長時間安定した熱が得られることも炭火の大きな長所だ。
 七輪とちがって火鉢は灰で炭や五徳を保持するので、肉汁が垂れる使い方はうまくない。それゆえジンギスカン鍋を使ったわけだが、囲炉裏端のように魚に串を打って周縁部に立て、じっくり炙る使い方ならできるかもしれない。これは今後の課題としよう。


 木炭には屋外用と屋内用がある。商品には必ずしも明記されていない。上の写真、左はマングローブ炭、右はナラ炭だ。
 マングローブ炭は安価で着火しやすく、火持ちも良いが、少し煙と臭気が出る。私は部屋でも使うが、屋外用だろうか。
 ナラ炭は今回初めて使ったのだが、屋内向きで、不純物が少なく、煙も臭いもほとんどない。茶道などにも使う。ただし今回使ったものは着火しにくく、着火後もメンテを怠るとすぐ消えてしまった。マングローブ炭とセットで使っている。


 着火には火おこし器を使うのが簡単だ。そのほか道具や炭を置くバット、トング、灰を掃除するためのハンディクリーナーや雑巾類を用意する。

3章 木炭生活の未来

 山村に引っ越して念願の薪ストーブ生活を始めた知人と久しぶりに会って、暮らしぶりを聞いたところ、こんな答えが返ってきた。
「薪奴隷になった」
 間伐材など、丸太は入手できるが、それをチェンソーで切って斧で割るのが大変だという。
 私は狩猟してみてスーパーのお肉の偉大さを痛感したし、ヨットに乗って動力のありがたみを思い知った。技術文明は不便を克服することで発展してきたのだから、「古き良き」ものにはたいてい不便が潜んでいるものだ。
 木炭生活はどうだろう?
 10年ほど前、『森林飽和  国土の変貌を考える』(NHKブックス、太田猛彦)という本を読んで、目からいくつか鱗を落とした。この本によれば、日本の里山は20世紀なかばまでの1000年間にわたって禿山だらけだった。大雨のたびに表土が流失し、それが川から海へと運ばれて砂浜を作った。
 戦後、日本の山は植林が進み、表土は保全されて川から海への砂の移動が減った。砂浜が縮小するいっぽう、山は木々が生い茂り、森林飽和状態になった。現代日本は江戸時代より緑が豊かなのである――と、著者は述べている。

 なぜ昔は禿山が多かったかというと、薪炭にするため木を伐りまくっていたからだ。現在の人口で木炭燃料を使い始めたら、また禿山だらけになるだろう。大気汚染や温室効果ガスも発生する。
 だが、「全員がそうしたら」という仮定は現実的ではないし、合理的でもない。火鉢や七輪とともに暮らしたい人や、薪奴隷になっても薪ストーブ生活がしたい人をこのロジックで縛ると、社会から多様性が失われる。
 災害や国際情勢で電気・ガス・燃料の供給が止まったとき、多様性がないと行き詰まる。古い技術を持った人がいれば、社会はロバストになるだろう。
 まあそんなのはお題目で、未来を考えるとき、実用的なことはわりとどうでもいい。
 文明が成熟すれば――つまり人が遊んで暮らせるようになれば、価値あることは文化活動しかなくなる。木炭は茶道や料理で使うなど、文化を担っている。アテンション・エコノミーは観光で回る。文化は文明が活性を保つ原動力だから、無駄なものや役に立たないものを排除する思想は洗い落とさなければならない。
 文化というものがどうやって育まれるかといえば、ポイントは社会性だ。結局のところ、人がしたいことをして、SNSなどでアピールしていけばよい。それが社会の中で揉まれることで、文化は確立していく。


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

あわせて読みたい