野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第3回”狩猟採集民、シンギュラリティに向かう”

SF小説家・野尻抱介が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
前回は弓錐の火起こしと、火縄による火の維持を実践し、文明と「火」について考察しました。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ人類のたしなみを実践します。
▶今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第3回 狩猟採集民、シンギュラリティに向かう
1章 あなたが無免許で狩猟するには

 よく晴れた12月上旬の午後。川べりを歩いていると、近くの木の枝にキジバトがとまった。美味な鳥だ。私はポケットからスリングショットを取り出し、パチンコ玉をつがえて引き絞った。
 距離13m。矢先よし。人目よし。照準よし。
 発射。バイタルに命中。
 キジバトは音もなく川面に落ちた。枝のまわりで、まだ羽根が舞っている。
 バックパックから三つ叉フックのついた釣り道具を取り出して組み立てる。水面のキジバトを引っかけ、岸に引き上げる。
 バードナイフからフックを出して、肛門から差し込み、腸を引っ張り出してペーパータオルに包む。胸部の羽根をむしってレジ袋に入れ、水を注ぐ。筋肉の温度をできるだけ早く下げるためだ。
 帰り道、スーパーに寄って、日本酒とネギを買う。今夜はキジバトの焼き鳥で一杯やるとしよう。

 ――毎年11月15日から2月15日まで、私の生活はこんなふうだ。SF作家たるもの、狩猟をたしなまねばならない。理由は後述する。
 スリングショット猟は鷹狩りなどと同じ、自由猟法のひとつで、合法的に行える。免許も保険も不要だ。鳥獣法の条文に自由猟法という言葉は現れず、「法定猟法によらない狩猟鳥獣の捕獲」という。
 法定猟法とは、わな、網、装薬銃、空気銃の4種類をさす。法律上の狩猟とは「法定猟法による狩猟鳥獣の捕獲」であって、自由猟法による猟は狩猟ではない。
 これは法律の話で、日常的な語感と乖離しているので、本稿では自由猟法も狩猟に含めて扱う。
 このあたりのことは2013年に書いたblog記事「スリングショット猟の意義と法律解釈」にまとめてある。
 私もスリングショット猟を始める前、それが合法だとは知らなかった。周囲の人に聞いて回ると、狩猟者も含めて「違法でしょ」という人が多かった。
 県庁に電話して聞いてみると担当者の返事は「スリングショット猟を禁止する条例などはありません。大丈夫なはずです」とやや自信なげだった。
 警察官は例外なく「問題ありません」と即答した。私はついでのとき、警察署の生活安全課でスリングショットを見せたこともある。写真をたくさん撮られたが、やはり問題ないとのことだった。
 スリングショットを所持していると軽犯罪になるという人もいたが、それも正しくない。別件で会った警部に聞いたところでは「たとえば町中でスリングショットを所持していても、軽犯罪で逮捕というのはできないです。あやしいとなったら任意同行で粘るとかね……」とのことだった。つまり不審者扱いされることはあるので、TPOをわきまえよう。
 自由猟法といっても鳥獣法は守らなければならない。また、都道府県ごとに狩猟していい場所や猟法が定められているので、これも把握しなければならない。そのためには都道府県庁で『狩猟読本』とハンターマップをもらう必要がある。
 これを熟読するわけだが、ここまでやるなら狩猟免許は簡単に取れるので、取ってしまえばいいだろう。私はスリングショット猟で味をしめたので、わな猟と第一種銃猟の免許を取得し、装薬銃の所持許可も得ている。

 法的にはOKなスリングショット猟だが、道義的にはどうだろう? 私のマイルールは「問題ない。だが人目は避けろ」だ。処世術みたいなものである。
 狩猟鳥獣は、個体数をリサーチしながら弾力的に定められている。狩猟対象に含める/含めないのほか、捕獲頭数の上限が都道府県ごとに定められている。それを守った狩猟なら問題ないと考えられているわけだ。
 だが現代日本の社会通念としては、野鳥は大切に保護し、そっと愛でるものである。そんな人たちの目の前でスリングショットを使ったら、物議を醸すこともあるだろう。市街地で銃猟はできないが、スリングショット猟ならできてしまう。やるなら人目を避けてやろう。
 もうひとつ「逃げない鳥は撃つな」というマイルールもある。
 川や池でカモ類に餌をやる人がいる。そういう場所のカモは逃げないが、これを捕獲するのはトラブルのもとだ。狩猟の醍醐味もない。人から離れて自然に暮らしている鳥はいくらでもいるので、そちらを狙おう。むしろ餌付けのほうが道義的・生態学的に問題だと思うのだが、そこはそれだ。
 この道義なるものは当てにならないところがあって、文化によって変化する。ある人が英国でスリングショット猟の可否を確認したところ、当局の回答は「OKである。ただし獲物を確実に殺せるように金属弾を使え。そして充分に殺傷能力のあるスリングショットを使え」であった。殺していいかどうかの議論は終わっていて、どう殺すかを問題にしている。
 傷を負わせて逃げられる、いわゆる半矢にすると、その動物を苦しめてしまう。動物を苦しませずに殺すことをクリーンキルといい、狩猟者はそれを心がけなければならない。欧米ではこれが普通で、スイスで釣りをしていて「その魚を早く殺せ」と言われたこともある。私見では、殺されることの重大性に較べれば苦痛の有無は問題として小さく、人間側の自己満足にすぎないのでは、とも思うのだが、そこはそれだ。

2章 スリングショット猟の準備

 スリングショットは市販されているものでも使えるが、私は自作している。Y字型の素朴なもので、市販品によくあるアームレストはつけてない。手の形に合わせて合板を切り抜き、持ちやすいように整形する。


 弾を包む袋のようなものはポーチといい、なめし革で作る。
 ゴムはちょっと特殊なもので、海外から買っている。秘密というほどではないが、この部分のノウハウはいまのところ公開していない。安易に真似されて事件・事故になるのを避けるためだ。自分で取り組んで試行錯誤を重ねれば、ヒヤリ・ハットの蓄積ができる。それは危険回避に結びつくし、悪用したらどうなるか、想像がはたらくようになるだろう。
 それでも悪用する者は、どうしたってするだろう。悪用したい人に助言しておくと、私のスリングショットで殺せたのは鳥類だけだ。リスやウサギぐらいならやれるかもしれないが、タヌキやアライグマ以上の哺乳類になると骨も皮も厚く、弾が通りそうにない。つまり、並のスリングショットでは人間に致命傷を与えられない。連射が遅く、射程も短いので、相手の反撃を受ける覚悟が必要だ。
 スリングショットについて、ネットで情報収集するなら「Slingshot forum」を起点にするといいだろう。自作用の図面もある。市販品には大げさなデザインのものがよくあるが、素朴なY字フォークがベストだと思う。命中精度はライフル型がよさそうだが、実猟に使うと誤解を招きそうだ。
 弾はパチンコ玉を使う。ネットオークションで中古のパチンコ玉が1個0.5円ぐらいで買える。スリングショット用の鉛弾のほうが密度が大きくて有利だが、水鳥の鉛中毒が問題になっているので使うべきではない。パチンコ玉でも初速は80m/secぐらいあるので、鳥猟に使う限り、威力の不足は感じない。鉛玉は空気抵抗が減るぶん射程が延びるが、命中精度がともなわないと意味がない。

 Y字フォークのスリングショットはバタフライ撃ちといって、両手を大の字に開いて引くのがベストだ。市販品を使うならゴムの長さや材質を調節して、バタフライ撃ちができるようにしよう。

▶「バタフライ撃ち」参考動画はこちら

 バタフライ撃ちは加速距離が長いので、弾速が上がる。加速距離が2倍になれば弾速はルート2で1.4倍になる勘定だ。加速距離を短くして、そのぶん張力を上げる解もある。ボウガンならそれでいいが、人体でゴムを支えるスリングショットでは張力に限界があるので、加速距離を稼いだほうが有利だ。
 フォークはギャングスタ・グリップといって横向きに構える。引いたゴムのつくるV字は鉛直面になる。上側のゴムが軽く頬に触れ、照準につかう目がゴムの真上に来るように構える。ちょっと恐いが、発射の瞬間に手がぶれない限り、ゴムが頬を叩くことはない。ゴムは頬から離れる方向に動くからだ。
 言い換えれば、手がぶれるとゴムや弾が頬やフォークを叩くことがある。そうならないように、しっかり練習しよう。フォークを持つ手は発射の瞬間にテンションが変化するので、それを予期して構える。ポーチをつまんだ指は「弾を空中に置き去りにする」気持ちで放す。弾にゴム以外の力が加わると、それが保存されたままゴムが縮んでいくので、弾道が暴れる。
 正しく発射されたら、弾はV字を含む鉛直面の中を移動する。この鉛直面を目標に重ねれば、左右の照準は完了する。あとは上下方向の加減だけ考えればよい。距離に応じて弾はドロップする。目標の10cm下に着弾したら、次は目標の10cm上を狙う。仰角や伏角がある場合にも慣れておく必要がある。
 射程10mで直径5cmの的に普通に命中するようになれば、狩猟ができるレベルだ。私はそうなるまでに2~3週間かかった。ゴムは消耗品で、30~50発も撃てば切れるので、どんどん交換していく。

3章 デスクトップ囲炉裏端

 狩猟の三大楽しみは索敵、捕獲、喫食だ。
 喫食には観察の意味合いもある。肉に異臭があれば発情期でフェロモンを分泌しているのかもしれない。食味から健康状態を知ることもできる。
 まあ難しいことはおいて、天から授かったジビエ、キジバトを賞味するとしよう。可食部は胸肉がほぼすべてだ。胸肉は胸骨に貼り付いていて、内側にササミがある。モモ肉は貧弱だが、美味なのでこれもいただく。


 串を打って焼き鳥にする。キジバト一羽から取れるのは二串ぐらい。少量なので野燗炉(のかんろ)を使ってじっくり炙ることにする。

 野燗炉は炭火を使って野外で酒を燗する、まことに風流な道具だ。平安時代からあるらしい。野風炉(のふうろ)、燗銅壺(かんどうこ)ともいう。これは骨董店で四千円ぐらいで買った。店主の話では江戸後期から明治時代に作られたという。全体は四角い水槽になっていて、そこに円筒形の炉が浸かっている。炉の底から側面に達するトンネルがあり、空気を取り入れるようになっている。写真で赤い炭火が見えているのが空気取り入れ口だ。前回ふれた七輪と同じく、チムニー効果を応用している。
 炉の中で炭火が燃えると、周囲の水を効率よく温める。そのお湯に徳利を浸けて燗する。炉の上に網を置けば炭火で焼きものができる。炉は小さいのでそれにあわせた串を用意する。
 煙が出たり脂が飛び散るような食材ではないので、今回は仕事机に置いてVTuberの配信を眺めながらちびちびやった。デスクトップ囲炉裏端、まことに極楽至極である。
 野燗炉は現行製品もあるし、骨董品もネットオークションによく出品されているので入手は容易だ。

 私はスリングショット猟で狩猟の醍醐味を味わったので、翌年わな猟と銃猟の狩猟免許を取得した。狩猟免許は簡単に取れるが、猟銃所持許可の取得はなかなか面倒だった。学科試験、技能講習、技能試験、身辺調査、精神鑑定などを経て、半年がかりで取得した。


 狩猟免許を出すのは都道府県で、獣害対策のため狩猟者を増やしたい立場にある。いっぽう猟銃所持許可を出すのは警察で、できるだけ許可を出したくない。鵜の目鷹の目でふるい落とそうとする。とはいえあまりに非協力的だと苦情が出るので、やることをやって試験に受かれば許可は下りる。民主国家に生まれてよかったと思うひとときだ。
 資格が取れたので猟友会に入った。猟友会は狩猟者登録やハンター保険の手続きを代行してくれる。県猟の窓口で聞いたところでは、経験者から指導も受けられるという。しかし、私の入った支部はグループ猟に参加する導線がなく、会員間の交流の場もなかった。連絡用のSNSもない。「なんだか話がちがうなあ」と思いながら単独猟をしていた。シカをくくり罠にかけ、散弾銃で止め刺し、友達に来てもらって二人がかりで山から引きずりおろして解体したりした。
 やがて有害鳥獣駆除班に入って、グループ猟に参加するようになった。「巻き狩り」というものだ。数百メートルくらいのフィールドの外周に「待ち」と呼ばれる銃猟師が配置される。猟犬を連れた勢子がフィールドに入って獲物を追い立てる。獲物はやがて「待ち」の誰かの前に出てくるので、それを射殺する。
 私は待ち専門で、猟銃を持って立っているだけのことが多かったが、分け前は公平にもらえた。


 猟の後は獲物を解体する。メンバーがわなで捕獲した獲物が持ち込まれ、まとめて解体することもある。分け前はキロ単位でもらえるので、冷蔵庫はシカ肉、イノシシ肉でいっぱいになった。まじめにグループ猟に参加していると、年間を通して肉を買わなくてもすむようになる。
 ただしその肉は、いつも美味というわけではない。シカ肉は旨味に乏しく、脂身もほとんどないので調理に工夫がいる。カレーや時雨煮が向いている。標準的なイノシシ肉は豚肉に近いが、豚肉より硬いので、ミートソフターで叩きまくる。
 シカ肉もイノシシ肉も、うまいやつはとてもうまいのだが、品質が安定していない。狩猟を始めてから、私は食肉産業の偉大さを思い知るとともに、天然物に抱いていた幻想を洗い落とした。スーパーで一定品質の肉がいつも100円/100g程度で買えるのは素晴らしいことだ。

4章 ヒトに眠る狩猟の才能

 我々の祖先がチンパンジーから分化したのはおよそ600万年前。そして農耕が始まったのは1万年ほど前のこと。人類史の大部分が狩猟採集生活だったことはまちがいない。農耕は急にひろまった新技術だから、我々の脳はまだ狩猟採集民のままだ。
 我々は狩猟採集脳のままシンギュラリティに突入するだろう。それゆえシンギュラリティを占うには狩猟採集のたしなみが欠かせない。「そんなのは不要だ、すでに現代人は狩猟採集なんかしてない」と思うかもしれない。だがシンギュラリティは人間の自由度を極大化するので、その知能も身体も、本来のデザインにそって再構成される可能性がある。
 ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』によれば、現代人が甘いものをむさぼり食う性質、必要もないのにバケツ入りのアイスクリームをたいらげてしまう行動は、狩猟採集生活を通して獲得したという。その生活では、甘い果実を見つけたらその場で食べられるだけ食べるのが正解だからだ。
 農耕が始まって食糧供給が安定し、やがて金で食糧を買える時代になった。だがいずれも生物進化の尺度でみれば短期間で、あなたの脳と身体は狩猟採集用にチューニングされたままだ。それが証拠にあなたはダイエットに失敗してきただろう?
 人類がシンギュラリティを迎え、肉体を改造するのもメタバースで生きるのも自由となったら、甘いものに無関心になるように自分を作りかえるだろうか。あるいはいくらでも甘いものが食べられるような体にするだろうか。
 食の喜びもセックスの喜びも、人体が分泌するご褒美だ。この報償システムに誘導されることで我々は絶滅をまぬがれてきた。不老不死のデジタル情報知性体になればこうした報償は不要になるが、そこで味わう快楽なしに知性体として活性を保てるかどうかはわからない。おそらくシンギュラリティを占う中心テーマになるだろう。

 狩猟をすれば、眠っていた狩猟採集の才能に気づけるだろうか? 私の経験では、それは確かにあった。
 スリングショット猟を始めると、まず地理的な認識が変化した。脳裏に描く地図に、新しいレイヤーが加わったような感覚だ。
 それまでなぜ気づかなかったのかというと、「野生はどこにでもある。だが姿を隠し、接近を許さない」からだ。
 鳥類は視覚と聴覚、哺乳類は嗅覚と聴覚をメインにして周囲を警戒している。脅威の接近を知ると、彼らはそっと移動する。私が到着したとき、そこはもぬけの殻だ。彼らは動的に存在を消しているので、人間は野生生物など存在しないか、いつも遠くのほうに散らばっていると思い込む。注意して見れば野生生物はそこらじゅうにいる。


 この図は、水鳥が群れることによって安全を確保することを示している。川で群れているカモに、ハンターは死角から接近する。だが、接近を続けると、離れた側にいる鳥と視線が通ってしまう。そこは射程外だ。
 こちらを視認したカモは大声で鳴いて危険を知らせる。
 他の鳥は危険を察していっせいに飛び立つ。脅威がどこにあるか、この段階では知らないが、とりあえず舞い上がって10mほど先に移動する。内水域にいるカモ類は助走せずに離水できる。この「とりあえず短距離移動」は情報が不十分な緊急事態に際して、まことに適切な初動だ。
 この段階ではまだヒットチャンスが残っているが、再度警告が鳴ると群れは空高く上昇し、遠くに移動してしまう。鳥たちにもDEFCON(Defense Readiness Condition 防衛準備態勢)があって、エネルギーを無駄にしないよう、段階的に対処している。
 逃げられたら、めげずに他のポイントに回るしかない。スリングショット猟の極意は、とにかく鳥のいそうなところをほっつき歩くことだ。やがて鳥側の監視体制が不十分で、射程内に近づけるチャンスに出会う。首を体にうずめて昼寝していることもある。キジバトやヒヨドリは比較的警戒が甘く、すぐそばに降りてくることもある。フィールドに何度も通ううち、どこに死角があり、どこに鳥が隠れているか、姿が見えなくても想像できるようになる。

 地図の話に戻ろう。多くの人は地図を描くとき、道路、線路、建物しか記入しない。その人の世界には人間しかいないことを示している。
 農業や林業に携わる人は「ここに杉の植林があって」などと植生を書き込む。昆虫採集する人も植生に詳しく、樹液の出る木や幼虫の食草を細かくマッピングしている。地図は当人の知識と関心によって異なるストーリーを描く。
狩猟者は鳥獣の生態を描いたレイヤーを地図に重ねている。水鳥は岸から視線が通り、その距離が警戒半径以下になる場所に長居しない。こちらも水鳥の立場になって「ここは嫌だろうな」「でも人通りが途絶える時間帯なら恐くないかも」などと考える。
 人が他者の気持ちを想像する能力を「心の理論」というが、もしかするとそれは人間どうしとは限らず、むしろ狩猟対象への感情移入が先ではなかったか、と思うことがある。

 鳥は空を飛んで移動するので、狩猟者は分断した「点」でしか接触できない。対して陸上動物の猟ではその移動経路を「線」として追跡できるので、鳥獣レイヤーへの記入はさらに濃密になる。
 私はシカやイノシシなどの大物猟に参加して、先輩猟師の「見切り」に立ち会えた。見切りとは足跡や糞、食痕などのフィールドサインからその行動を読み取ることだ。
 フィールドを観察すると、餌場、寝屋、ヌタ場(泥浴び場)などの拠点を獣道が結んでいることがわかる。私の住む三重県の猟師は通行量の多い獣道を「使う」と言う。食糧を掘った跡があれば「稼ぐ」と言う。「この道は今朝も使っとるな」「ここでえらく稼いだなあ」等々。

 

 湿った地面にはくっきりした足跡が残るが、落ち葉があるとわかりにくい。この写真を見てそこを通った獣の行動がわかるだろうか? 先輩猟師は「オス鹿が子供を2頭連れて谷に向かった。またここを通る」と言う。「え、どうしてわかるんですか?」と聞くと、落ち葉がわずかに曲がったところを示された。そこから歩幅だけ離れたところに、また落ち葉の踏み跡があった。歩幅を推定してあてはめないと、とても気づけない。
 獣は足跡をわかりにくくする適応をしていて、前足の跡に後ろ足の跡を重ねていく。さらに歩幅の異なる子鹿の足跡が重なっている。これを解釈するのは、さまざまな波長の重なった音をフーリエ変換するようなものだ。
そんな見切りなんてあてずっぽうじゃないのか? と思うかもしれない。ところがそのルートにくくり罠を仕掛けたところ、翌日にはこんなシカが掛かった。

 私は先輩猟師の見切りのプロセスを詳しく聞き出そうとしたが、はっきりした説明が引き出せなかった。面倒な様子なので、あまりしつこく食い下がるわけにもいかない。
そうこうするうち、本人はかなりの部分で直観的に答えを出していて、証拠や論理、因果関係などを意識していないことがわかってきた。
 見切りはきわめて複雑な推論で、さまざまな要因が関与している。獣の個体数、繁殖状況、春から夏の天候、昨夜の天候、降水量の変化、どんぐりの量、わな猟師の置いた米ぬかの臭い、水場の状態、林業の作業や道路工事の騒音等々。
 こうした情報を猟師は日々の観察から蓄積している。定量化しにくいさまざまな情報が脳内でもやもやと評価されて、あるストーリーがうかびあがり、それが「見切り」になる。根拠を聞かれても答えられないところは、ディープラーニングが判断根拠を示せないことに似ている。

 シーズンの始め、先輩猟師は山の入り口でカップ酒の封を切って地面に注ぐ。そして山の神に安全と猟果をお願いする。山中に地蔵や祠があると手を合わせる。「迷信深いな」と思ったが、これにも効能があると考えるようになった。
 山の神信仰という枠組みがあると、判断が速くなる。「根拠は説明できないが、この先はなんとなく危ない」と思うとき、「山の神さんが怒るからやめておこうや」と言えばすむし、周囲も受け入れやすい。疲労して身体がふらついたり、猟欲にかられて焦るとき「山の神さんが見てるから」と思うことで休憩して気持ちを落ち着かせることができる。心身が充実して環境や生態に調和して動けているとき、それを山の神の加護のように感じることもある。そう信じておけば迷いがなくなり、集中力が保てる。
 祠や地蔵があるところは過去に事件や事故があって「気をつけろ」というメッセージかもしれない。そうしたことが、他の要因と絡み合って「見切り」を組み立てる。写真の祠は山の斜面が渓流で浸食されて小さな滝になった場所の上部に設置されていた。転落の危険を知らせているようでもあり、獣の水場を示しているようでもある。

 この「山の神モデル」とでも呼ぶべき方法論は有効だろうか? 答えはイエスだ。
 一見非科学的・非論理的であるにもかかわらず、その判断に従っていると高率で猟果を得て、分け前にあやかれる。シカやイノシシの肉を毎週キロ単位でもらえるので、大型の3ドア冷蔵庫に買い換えたほどだ。
実績があり、かつ山の神など実際にはいないのだから、山の神モデルには非科学的でも非論理的でもない、うまいアルゴリズムが宿っていることになる。
 ディープラーニングやベイズ統計の本をひもとくと、コンピューターはそんな「こちら側」に歩み寄っているように見える。いつか山の神モデルを実装したAIができるだろうか。
 この600万年にわたって、狩猟の上手な個体やグループは繁殖成功率を上げ、より高いレートで遺伝子を子孫に継承してきた。そんな積み重ねの先にあるのが私たち現生人類だ。
 いっぽう、ネットを見回せばEM菌だの反ワクチンだのの非科学的な言論がうずまいている。科学的・客観的・論理的であらねばならないときに誤った判断をしてしまうのは、狩猟採集脳のマイナス面だろうか?
 人間の持つ知能の短所・長所を見極めるのは難しい。両者は表裏をなしている。
 シンギュラリティになれば人間は自身の知性を組み替えるにちがいない。いまのところ、この世界の知性体はホモ・サピエンス一種だが、いずれ複数が混在するようになるだろう。CPUチップのように、さまざまなデザインが試される。
 実績のある狩猟採集脳をチューニングして性能向上をはかるか、あるいは別のアーキテクチャーを開発するか。アイデアはすべて試されるだろう。シンギュラリティになれば、どれかひとつを選ぶなんて貧乏くさいことはしなくていいからだ。


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第一回野尻抱介

SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

あわせて読みたい