野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第1回”石と火とシンギュラリティ”

  銀河を股にかける運送業者の冒険。文化祭の準備中に新物質を発明してしまう女子高生。自分のもとを去った恋人とよりを戻すための「宇宙旅行」プロジェクト――。
  奇想天外な設定に宇宙物理学などの緻密な裏付けを与え、独特のSF世界を生み出す小説家・野尻抱介氏。日本のSF小説の権威「星雲賞」を計7回も獲得している実力派の作家がいま、ニコニコ動画やTwitterなどで発信するのは、火起こし、猟、旧式タイプライターの研究など、まるで人類のテクノロジー史をイチからやり直すかのような奇妙な遊びばかり。本連載はその裏側にある思想と実践の面白さを辿っていきます。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていくための現代人類の遊び方を紹介します。

第1回 石と火とシンギュラリティ
1章 シンギュラリティのむかえかた

  人類のシンギュラリティ到達が近づいている。シンギュラリティとは「特異点」という意味で、技術文明が進歩して世界が予測不可能な状態になることだ。人類はまだそこに到達していない。しかしあと20年ぐらいだという人もいる。
  いま生きている人の多くはシンギュラリティを体験する可能性がある。そこで何が起きるかを知らないと人生設計が立てられない。ところが困ったことに、シンギュラリティの定義は「予測不可能」なのだ。予測できたらシンギュラリティではない。
  わかっていることから手をつけよう。

  およそシンギュラリティには三種の神器みたいなテクノロジーがある。

【1】大規模汎用人工知能
【2】人間のデジタル情報化
【3】自己増殖機械

  ざっくりした話だが、この三つがそろえばシンギュラリティ到達ということになる。ひとつかふたつでもいいかもしれないし、ひとつが実現したらほかのふたつも実現するかもしれない。
  ではシンギュラリティに到達したら人類はハッピーになるのだろうか? 順に検討してみよう。

  【1】は自分で問題解決してくれる、ものすごく便利で頭のいいAIが実現するということだ。自然言語で指示すれば理解してくれて、自分で段取りをつけて問題解決に取り組んでくれる。
  「AIさん、サハラ砂漠を緑化して」と言えば機材を設計し資材を調達して建設ロボットに指令して実現してくれる。「AIさん、軌道エレベーターを作って」「AIさん、コロナウイルスを制圧して」とお願いしてもいい。未解決の課題を与えられたら、AIはまず研究開発から始める。「軌道エレベーターを作る素材がまだありません。これを開発するための実験施設を建設します」と言って工事にとりかかる。ロボットが実験をして目処が立てば設計に進み、資材を集める。大規模汎用人工知能はまことに強力な人類の助っ人だ。
  そのいっぽう、不安もある。我々はいつも頭のいいやつに手を焼いてきた。君がいまの地位にとどまっているのは、君より頭のいいやつのせいではなかったか? どんな人間よりも頭のいいAIが、いつまでも人類の忠実なしもべでいてくれるだろうか?

  【2】が実現すれば人間の生き方は劇的に変わる。自分の思考や記憶がデジタルデータとして扱えるのだから、肉体が滅びてもロボットや電脳世界の中で活動できる。つまり不老不死になる。
  移動は光速度だ。目的地に受信設備さえあれば、データ通信で自分を運べる。恒星間空間をわたるときも主観的には一瞬だ。未来への移動も簡単で、100年後に行きたいならタイマーを100年後にセットしてサスペンドすればいい。当人の主観では一瞬で100年後の世界に移れる。
  デジタルデータの移動とは、実際には複写だから、あなたは事実上無限に複製できる。サーバー事故で消滅する心配はほとんどないだろう。ただし分裂した自分が体験したことを元の自分に直接統合することはできない。ニューラルネットワークは脳全体に染みこむように学習していくので、複写した時点から別物になっていく。データ構造が変わると互換性も失われる。複製が得た体験は言語を通して共有するほかない。
  複製が遠い宇宙や未来に行くならともかく、同じ場所に現れたらどうなるだろう。複製はあなたのプライバシーをすべて共有している。墓場にもっていくつもりだった恥ずかしい秘密も、クレジットカードのパスワードも、家族や恋人との思い出もだ。複製ができたら裸一貫でほうりだすしかないのだろうか。しかし彼はさっきまでこの家で暮らし、この家にあるものをすべて所有していた自分自身なのだ。出ていけと言っても納得しないだろう。殺し合いをしないようにするにはどうしたらいい? それは自殺なのか他殺なのか?

  【3】が実現するとどうなるか。たとえば火星開拓に自己増殖可能なロボットブルドーザーを送り込んだとしよう。ブルドーザーは火星の資源を採掘しながら1週間で自分の複製をつくり出す。ブルドーザーは一週間ごとに2→4→8→16→32と倍々で増えていく。一年とたたずにブルドーザーは1000兆台に増えて火星全土を覆うだろう。
  火星に限らず、月でも地球でもだ。ブルドーザーはありがたい機械だが、破壊の名手でもある。こんなものが押し寄せてきたらあまりいい気持ちがしないだろう。かように自己増殖機械は超強力なので、宇宙開拓はもちろん、戦争やテロにも使えてしまう。
  核兵器のように政府が厳格な管理をするのだろうか。しかしこの技術はドローンや3Dプリンタのように、オープンソース文化の中で育つタイプのものだ。最高のテクノロジーを一握りの軍事産業が握る時代は終わった。テクノロジーの最前線に立つのはアマチュアと、昨日までアマチュアだった民間企業だ。そしてその成果を最初に享受するのは、兵士ではなくスポーツ選手である。【1】~【3】のいずれについても言えることだが、これらの危険なテクノロジーは、実現した時点で全人類にシェアされているだろう。

  幸か不幸か、以上三種の神器はいずれも実現の目処が立っていない。しかしまったくの絵空事でもない。シンギュラリティという言葉が普及したのはここ20年くらいのことだ。それまでは「オメガポイント文明」と呼んだりもした。最初期の考察は戦前からあった。しかし本気で考える人は少なかった。
  2012年、ジェフリー・ヒントン率いるトロント大学チームがディープラーニングで成果を上げると、シンギュラリティを笑う人は急に減り始めた。いまでは多くの有識者が汎用人工知能の実現は――いくつかブレークスルーを要するものの――時間の問題と考えている。それができたらGAFAあたりが大規模化するだろう。そして大規模汎用人工知能が完成したら、課題【2】と【3】はそいつが解決してくれるんじゃないか?
  文明は複雑な相互作用でできているので、シンギュラリティでなくても予測は困難だ。たとえば二進法は17世紀に確立したが、コンピューターへの応用はリレーや真空管の登場を待たねばならなかった。ところがリレーや真空管の発明者は、それでコンピューターを作ることなど考えてなかったのである。このように、なにが文明を飛躍させるのかを予測するのはむずかしい。たいていひょんなことからブレークスルーするのだが、そうなるまでは誰も本気で考えない。人類がそうと気づかないままシンギュラリティに突入してしまう可能性は充分にある。

  我々はシンギュラリティがいつ、どんな形で始まるかもわからないまま生きていくしかないのだろうか?
  そんなことはない。シンギュラリティの「向こう側」は予測不可能だが、そこに至るまでの「こっち側」は我々人類のテリトリーだ。
  我々にひとつ武器があるとすれば、それは物理法則である。シンギュラリティといえども物理法則には逆らえない。その予測不可能性は、物理法則の範疇で予測不可能であるにすぎない。
  そしてシンギュラリティにおける三種の神器は、すべて「細胞」をベースにしていることに注目しよう。神経細胞によるネットワーク。細胞単位のデジタル化。分散処理と自己増殖、自己組織化。
  地球における細胞の出現は、すなわち生物の出現である。それは進化というアルゴリズムの始動であった。細胞の集合体が技術文明を築き、次なる飛躍の時を迎えようとしている。シンギュラリティとは細胞の再発明と言ってもいいだろう。
  レゴブロックのようなシンプルなユニットをたくさん用意して組み合わせていけば、際限なく複雑な組織をつくれる。三種の神器はどれも大変複雑なシステムだが、それらを構成するのは無数のシンプルなユニットであるにちがいない。個々のユニットは我々にも理解できるはずだ。
  そんなわけだから、シンギュラリティを占うには物理、化学、生物を基礎から理解しておく必要がある。それがないと、「魔法と見分けのつかないテクノロジー」などとぼんやり思い悩むだけの人になってしまうだろう。
  シンギュラリティに至る道を理解し、その実現や舵取りに参加するには何をすべきだろう? PythonでNumpyライブラリを駆使して行列計算の勉強をする、というのも王道だ。就職にも役立つだろう。
  そのいっぽう、便利なデジタル技術から離れて、自然に学ぶことも欠かせない。自然は我々に、何ができて何ができないかを手厳しく教えてくれる。それは「シンギュラリティに何ができて何ができないか」を理解する道でもある。
  本連載は後者でいくことにしよう。まずは、石器時代を振り返って、火と石から始めることとする。

2章 火打ち石で火起こし

  これは伊勢市の神具店で販売している火打ち石セットだ。ライターが普及するまで、人々はこんなものを持ち歩いていた。
  火打ち石は硬い石ならなんでもいい――というわけではないが、硬くて脆くない石なら使える。黒曜石、めのう、石英、サヌカイトでもいいが、このセットに入っているのはチャート(chert)という堆積岩だ。チャートは放散虫などの生物の死骸が海底に堆積して石化したもので、その名残でしましまの層をなしたものが多い。チャートは別に珍しい石ではなく、そのへんの海岸や河原に転がっている。石油や石炭とあわせて、生物の死骸が人類に火をもたらしたと考えるのは面白いことだ。
  火打ち石どうしをぶつけても火花は出ない。鉄などの硬い金属をぶつけるとそれが削られ、摩擦熱で火花になる。石は融点が高いので、簡単には火花にならない。
  その金属を保持するのが、セットに入っている火打ち鎌だ。ナイフやハンマーなど、硬度の高い鉄片でも代用できる。サバイバルナイフの背を火打ち鎌にしたこともあるが、痛むので普段はやらない。
  この火起こしで難しいのは、火花を炎にするプロセスだ。このセットでは「ほくち」と「付け木」を使う。
  ほくちは綿のようなもので、綿などを蒸し焼きにして硝酸カリをしみこませているらしい。付け木は薄い木の板の先に硫黄を塗ったもの。ほくちに火花が当たると熾火のように赤く燃え始める。息を吹きかけて火勢を保ちながら付け木の先を当てると、硫黄が溶けて発火し、木に燃え移って炎になる。

  火起こしはデリケートな作業なので、それなりの練習が必要だ。酸素、温度、乾燥の条件を保ちつつ進めるのがポイントだ。吹きかける息は強すぎると温度を下げてしまうが、弱すぎると酸素が不足する。
  ほくちはティッシュペーパーを蓋付きの缶に入れてガスコンロであぶって蒸し焼きにすると自作できる。
  付け木の代わりに麻紐をほぐした繊維を使ってもいい。火起こしを愛するブッシュクラフターの間では定番だ。麻紐を5~10cmくらいに切ってほどき、撚りを解いて綿状の繊維にする。これを小鳥の巣のような形にして、中に火のついた火口を入れる。息を吹きかけると白煙が出て、やがて炎になる。

3章 石焼き汁の熱力学

  今回初めて、石焼き汁に挑戦してみた。山や海で働く人が、焚き火で焼いた石を漆塗りの弁当箱に放り込み、お茶をいれたり味噌汁や鍋料理を作るというものだ。「焼け石に水」というが、水を熱湯にするのにどれだけの焼け石が必要なのだろう?
  石焼き汁で躊躇するのは、食べ物にそのへんの石ころが接することだ。焚き火で炙るから殺菌はされるだろうが、砂や煤が付着してくるのではないか? レストランででてくる石焼き料理は清潔が保たれているが、焚き火ではそうもいかない。
  かといって石を網に乗せて焼いたりするのは野趣に欠ける。網が用意できるなら鍋も用意できるだろう。木の弁当箱一丁でやってこそ石焼き汁の美学である。
  とにかくやってみることにしよう。今回は火起こしをした河原でやった。河原の石は増水時の泥をかぶっているので、川の中の石を拾ってたわしでこすってきれいにした。これを焼き芋のように焚き火に混ぜた。薪はそのへんで拾ってきた、砂や土のついた流木なので、石はどうしても汚れる。高熱で焼かれるのでバイオハザードはないと思うが、やるときは自己責任でどうぞ。

  石焼き汁の具は道中のスーパーで買ったもので、豚バラ肉、葱、マイタケを具としてチューブ入りの味噌で味をつけた。まあ豚汁である。これを秋田・大館の曲げわっぱに入れた。水は540g使った。

  水の比熱は4.2で非常に大きい。岩石の比熱は0.5~1なので、小さな石ころを入れたぐらいでロング缶一本ぶんの水温を充分に上げられるかどうか、かなり心配だった。肉を変性させ、火の通った状態にするには70℃くらいほしい。
  石を加熱する時間はどれくらいだろう? 海や山で働く人が昼食で作るのだから、1時間以上ということはなさそうだ。今回は55分とした。
  キャンプでの焚き火は細く長く維持するものだが、今回は加熱目的なので炎を上げてガンガン燃やした。炎がおさまっても赤外線放射が強く、しばらく近づけないほどだった。

  板きれを箸のように使って焼け石をピックアップし、弁当箱に放り込んだ。じゅわーっという音がして石のまわりが沸騰した。まさに「焼け石に水」状態だ。

  石が曲げわっぱの表面にふれないよう、具の上に石を置いたのだが、案ずるには及ばなかった。沸騰で生じた水蒸気が石を包む、ライデンフロスト現象が起きたからだ。この現象が起きると、石と水の間に水蒸気がはさまって、断熱効果が生じる。
  焼け石の周囲の沸騰状態は数分続いた。しかしまだ全体が煮えるほどではない。3個めの石を入れたところで肉の色が変わり、いい匂いがして豚汁が完成した。温度計を忘れたのだが、充分アツアツで、水温は70℃以上あったと思う。
加熱に使った石は清潔とは言えず、焼いた後はほこりっぽい感じだった。具を食べるときはしゃぶしゃぶのように汁の中を泳がせた。上澄みを吸うようにして汁を飲み干すと、弁当箱の隅に砂が残っていた。

  こうして見るとけっこうな量だが、食事の妨げにはならず、肉を噛んだとき一度だけシャリッという歯触りがあったぐらいだ。
  キャンプ料理で鍋の底に砂がたまるようなことはよくある。私は一人でバックパッキングするとき、荷物はぎりぎりまで減らすので、コーヒーを淹れる器具も持たない。飯盒の蓋などに水を入れ、焚き火で涌かしたところへ中挽きの粉を直接放り込んで抽出する。粉は沈むので、そっと上澄みを飲めば問題なく、むしろ混じりけのないコーヒーを楽しめる。

  石焼きに使った石を持ち帰り、帰宅してから比熱を測ってみた。比熱というのは単位質量あたりどれだけの熱を蓄えられるか、という値だ。電気のかわりに熱を蓄えるバッテリーのスペックだと思えばいいだろう。比熱の大きい物質は熱をたくさん蓄えられるので温度が上がりにくい。比熱を「温度の上がりにくさ」と説明する文章も多い。大容量バッテリーの充電時間が長くなるのと同じことだ。
  今回の焼き石調理に使った石は3個で、合計515gになった。比熱を測るには、その温度変化を観察する。まず沸騰した湯で石を加熱する。芯まで熱が通るように、95℃で20分ほど加熱した。

  次に保温容器に水を406g入れた。水温は21.0℃。ここへ加熱した石を入れて蓋を閉め、5分ほど待つ。

  石の持っていた熱が水に移動し、水と石が一様な温度になると熱の移動が止まる。これを熱平衡という。熱平衡は身近な現象だが、宇宙を統べる重要な概念なので後で触れよう。保温容器の水温は36.4℃がピークで、以後じわじわと下がり始めた。容器から熱が漏れて、こんどは部屋の空気と熱平衡しはじめている頃合いだ。部屋の気温が上がると、その熱は建物→外気→北半球→地球全体→宇宙空間へと拡散していき、宇宙全体が熱平衡に向かう。
  こうして保温容器から熱が漏れるので、この比熱測定はかなり誤差がある。棒温度計を差し込んだときは蓋を開くので特に熱が逃げやすい。温度を測る間は丸めたタオルで蓋をしたが、理想にはほど遠い。
  誤差を覚悟のうえで、石の比熱を計算してみよう。式はこうだ。

熱量 = 質量×比熱×温度差

  熱量はグラムあたりではなく、その物質全部が持つ熱量のこと。式を変換すると、

比熱 = 熱量 ÷ 質量 ÷ 温度差

  となる。この石3個で515g。温度差は95.0°→36.4℃で58.6℃。
  熱量は水のほうから導ける。保温容器に入れた水は406g、温度差は21.0℃→36.4℃で15.4℃。
  水の比熱は4.2なので、熱量は

26260 = 406 × 4.2 × 15.4

  石の比熱は

0.87 = 26260 ÷ 515 ÷ 58.6

  比熱の単位はJ g-1 K-1。J(ジュール)のかわりにcal(カロリー)を使うこともある。
  先述のとおり、岩石の比熱は0.5~1くらいとされているので、この測定はそれっぽい感じだ。
  水の比熱は4.2で、やけに大きいことに気づいただろうか? 石のほうが重くて硬くてなにかと”強い”感じなのに、熱を蓄える量は水が5倍も大きい。水の比熱は常温常圧では全物質中最大だ。
  これに限らず、水は例外だらけの並外れた物質だ。それでいて普遍的で、この宇宙の大黒柱みたいな物質である。生命現象は水を媒質にしないかぎりあり得ないと考える研究者も多い。シンギュラリティを考えるとき、水の特異な性質には何度も出会うだろう。
  トンデモ本『水からの伝言』を真に受けるなど、水にスピリチュアルなものを感じる人もいるが、水の物性が特異な理由ははっきりわかっていて、なんの神秘もない。水がそうあったからこそ生命が発生し、その一部が頭でっかちでスピリチュアルになった、というのが順序だ。しかし人類が水の分子構造を知るまでの科学史はまことに感動的なので、調べてみたらいいだろう。

  さて、石焼き汁を作ったときは、焼き石が540gの水を28℃から70℃に上げた、と仮定しよう。熱量は95256。先の式を変形すると、焚き火であぶった石の温度が推定できる。

温度差 = 熱量 ÷ (質量×比熱)
213 = 95256 ÷ (515 × 0.87)

  元の温度28℃を加えると、石の温度は241℃。思ったより低い数字だ。
  焚き火の温度は送風なしだと300℃~600℃程度といわれる。
  石を汁に投げ込んだときは蓋もせず、熱がどんどん逃げていく状態だった。動画を見ても、熱が水蒸気になってどんどん逃げているのがわかる。もし熱が逃げなかったら100℃くらいになっただろうか? そう仮定すると、熱量は163296。温度は392℃。このほうがもっともらしい感じだ。とりあえず、240~400℃くらい、と考えておこう。石焼き汁をつくるときの目安は、水と同じ重量の石を焼けばよさそうだ。

  先に熱平衡について説明したが、「宇宙の熱的死」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
  宇宙全体が熱平衡になって、熱の移動が止まり、いっさいの仕事をしなくなる状態だ。物理学でいう仕事とは、エネルギーの高低差(ポテンシャル)によってもたらされるからだ。
  宇宙の熱的死は思考実験みたいなもので、その説が正しかったとしても、そうなるのはとてつもなく遠い未来のことだ。我々が心配する必要はない。ただしシンギュラリティ到達後は、そのとてつもなく遠い未来の近くまで行ける可能性がでてくる。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみとして覚えておくといいだろう。

野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第一回野尻抱介
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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