【第6話】 小説家のほうへ(六)
ジェラルミンケースの向こうから後輩が話しかけてきた。
「その中身の持ち主の入寮願書は、今でも寮に残っていたので閲覧しに行ってきました」
「あの寮がまだ残っているほうが驚きだ」
「はは、さすがに自分が卒業してすぐに改築されてますけどね。窓口で話しただけなので、今度いっしょに中を見学させてもらいましょう」
「行かん。──で、願書に何か書いてあった?」
「寮生だったときに見れば良かったのに。先輩はそういうことしないか」
「するわけないでしょ」
当時のわたしはあの子を探すなんて元気も勇気もなくて、ただひたすら寮のロビーで小説を書いていたのだ。そしてその日々はとても──我ながら認めたくはないのだけれど──幸福な時間だった。
「願書の保護者の欄にあったのは、孤児院の院長の名前でした」
「それって……」
後輩は当然のようにその孤児院にも行って、あの子がいわゆる捨て子だったこと、大学に進んでからは院に連絡がないこと、当時の院長はすでに亡くなっていることを聞き出していた。
わたしはケースの中から、あの子が執筆に使っていた真っ白なタブレット型PCを取り出した。『L−09C』というシールが貼ってある。
寮祭にあの子とふたりで参加することになり、企画登録にはチーム名が必要で、単純にアルファベット一文字でLにした。当時はまだLGBTQという言葉はなかったし、ましてやLadyなはずもなく、あの子が登録窓口のその場で思いついたLengthを思いついたのだった。09Cは部屋番号だ。
「Length──〝距離〟ですか。クールな十九歳ですね」
「あのときわたしたちはどちらも十八歳だった」
わたしはタブレットの電源ボタンを押した。
パスワード入力画面が出る。充電は100パーセント。
「充電したの、きみ?」
「すみません。中身を確認しようと思って」
「別に謝らなくていい。中身、わたしも見たいし。ていうか見てもいいの、弁護士さん?」
「所有者に返却するために中身を確認することは法的に問題ありません」
後輩のこういうところについては、わたしはもう全幅の信頼をおいている。
メガネのAIによれば、この機種のタブレットのパスワード最低文字数は4。画面にはキーボードが表示されている。
あの子の誕生日を入れてみるが、違う。
あの子の名字、違う。
大学の略称、違う。
寮の愛称、違う。
「まさか……」
パスワードはわたしの名前になっていた。ローマ字でわたしの名前だ。
「うっわ……」
「パスワードわかったんですね。何でした?」
「言わない。──ん? このタブレットどこで見つけた?」
「よくぞ訊いてくれました」
「いいから手短に」
後輩は喜々として話し始めた。
あの子の部屋がからっぽだったことは、当時からの十数年のあいだに、後輩には何度も伝えていた。わたしも他の寮生も気づかなかったということは──小さい部屋だから元々そんなに置けないのだけれど──あの子が近所のリサイクルショップなどに荷物を売っていた可能性はある。
とはいえ十年以上も前の売買記録など残っているはずもない。寮生は代々めんどくさがって入寮願書をそのまま放置してきただけだ。
「ところが、寮の近所に一軒だけ、記録を残している店があったんです」
「ふうん。──あ、あの質屋さん? おばあちゃんが店主さんの」
「そうなんです! お孫さんが質流れ品をネットで販売してまして」
あの子のタブレットの型番なんてわたしも忘れていたものの、わたしたちが大学一年だった頃という条件検索でAIが探し出して、あの質屋にたどりついたのだという。
「退寮の前日に持ち込まれていました。悲壮な顔つきだったから色を付けて十万円で質預かりしたそうです」
「連絡先は?」
「残念ながら寮の住所しか書いてなかったです」
このタブレットを誰かが買うか、おばあちゃんが処分してしまえば、あの子が質入れした記録はなくなっていただろう。
もう会えないと思っていたあの子が隣にいるような気がした。タブレットの画面には初めから入っているテキストエディタしかなくて、わたしのARメガネみたいにたくさんのゲームが並んでいることもなく、ストイックなあの子を思わせる。
わたしは慎重にエディタのアイコンを押した。
そのとき後輩のスマートフォンが鳴って、
「もしもし……はい、わかりました」
奥に引っ込んだ後輩を確認してから、わたしは出されたジンジャエールを飲んで──その濃厚な味に驚きながら──あの当時のあの子が書き残した文章を読み始めた。
それは日記だった。
中学二年生の夏休みから書き始められている。あの子はもうこの頃から小説家になりたいと思っていたのだ。
受験に持っていくものリストもあって、入学式の次の日に書かれた日記にわたしが初めて登場する。式当日はそのまま新歓コンパになったから書けなかったに違いない。
わたしは思う──なぜ、あの子はいなくなってしまったのか。そして、なぜ残されたわたしは小説家をしているのか。もしかしてあの子はとっくに小説家になっていて、わたしもその名前を知っているのだろうか。わたしがデビューしたことを、あの子は知っているのだろうか。
「私も小説家を目指してるんだ。いっしょに頑張らない?」
とあの子は無邪気に笑っていた。
わたしたちはいつも──と言っても春と夏の半年間だけれど──ふたりでいろいろな話を書いた。わたしが書くときはたいていあの子もそばで書いていて、しかもわたしよりずっと速く、そして──こちらのほうがわたしたちの関係性にとって致命的だったとわたしは思っているのだけれど──わたしの小説よりずっと面白かった。
「お待たせしております」
秘書が音もなくわたしの前に立った。
「別に待ってはいないので大丈夫です」
「先生は別件で緊急会議が入りまして、伝言をお渡しするようにと言われています」
紙が差し出される。いちいち高そうだ。
『先輩すみません。どうしても断れない案件で外出します。ハイヤーを呼んでおきますので、おすきなタイミングで秘書に言ってください。あと、タブレットはいつでもお見せしますが、持ち出し厳禁ということで、お帰りの際に秘書に渡してくださいね。関係ないことを最後に書き添えておきますと、秘書は合気道四段です。──先輩の後輩』
最後の文、必要?
「先生から言伝も承っております」
今度は何だ。
「『今回の件はちょっと大変です。小説を書く時間があると良いのですが』とのことでした」
そうか、なるほど。
どうやら後輩もこの秘書もわたしにケンカを売っているらしい。
メガネのAIがわたしの怒りを察知したらしく、ケンカの仕方を検索し始めた。AIってAdrenalin(アドレナリン) Increase(増)をうながす装置なのか? 合気道四段とケンカなんてしたくもない。
「ジンジャエールもう一杯もらっても?」
「……かしこまりました」
妙な間があの秘書の敵意なのはわたしにもわかる。
足音が遠ざかるのを確認して、わたしはタブレットとバッグをひっつかんで事務所の出口に駆け出した。
「ちょっと!」
秘書の声を無視してエレベーターに飛び乗り、ロビーの扉を押し開けると、空を舞うヘリコプターや救急車それから警察車両がわたしを出迎えるかのように、ビルの前に詰めかけていた。
サイレンの音がうるさい。見上げれば、向かいのビルの巨大なスクリーンがわたしを見下ろしている。
『震災関連情報:速報ニュース』
また世界が揺れる。
〔第6話:全2,963字=高島執筆1,662字+AI執筆1,301字/第7話に続く〕
▶これまでの『失われた青を求めて』
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
小説家+SF考証。1977年山口県宇部市生まれ。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、ハードSF「ランドスケープと夏の定理」で創元SF短編賞受賞。同年、数学短編「わたしをかぞえる」で星新一賞入選。著書は『21.5世紀僕たちはどう生きるか』『青い砂漠のエチカ』他多数。2016年からSF考証として『ゼーガペインADP』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』やVRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品を担当。
Twitter:@7u7a_TAKASHIMA
使用ツール:
AIのべりすと
Twitter:@_bit192
次回をお楽しみに。毎週木曜日更新です。