【第14話】 花咲く乙女たちの中心に(六)
車は病院を出て、もう三十分は走っている。車内にはわたしと後輩だけ。運転しているのは後輩だ。
腐れ縁の四人組で、わたしだけが自宅以外のオフィスを持っていない。わたしだけ、車も免許もないし、英語もフランス語も話せない。
「あれ、きみって中国語もいけるんだっけ?」
「まだまだっすよ。技術系の話はできますけど、法律系の言葉は暗記中です」
「はいはい。それはわたしみたいな人から見れば全然いけてるの。きみたちにはできない、わたしだけの特技って何かあったっけ。わたしけん玉もできないしな。A-PRISMに探してほしいくらいだわ。どうやって頼めばいい?」
「あたしのプリちゃんが探すのは〈本当に忘れていること〉です。特技ってわかってたら、普通のAIでも見つけられますし、あたしが教えてあげます」
「わたしとしては、きみでもきみのAIでも良いからね。……まさかわたしだけの特技ってブラインドタッチ?」
「先輩、ブラインドタッチならあたしは二歳からできたし、あの弁護士二人だってできますよ。四人で同じ授業とったとき、いっしょにレポート書いたじゃないですか──先輩が、先輩だけができるのは〈小説を書くこと〉です!」
わたしはぎりぎり小説家と名乗ってもいいかもしれない境界線上にいる小説家だけれど、確かに小説を書いているのは四人のなかではわたしだけで、不覚にもちょっと泣きそうになってしまった。
「……きみの会社ってどこの? たくさんあるよね。連れてってくれるならどこにでも行くけども」
「小さいチームのための作業スペースも入れると世界中に千箇所以上ありますね」
「結集したほうが効率は良さそうだけど、なんてこのあたりできみにアドバイスするほどバカじゃない」
「いやいやバカってことは。完全にリモートに振って全員自宅からオンラインでVR出社ってのも試しましたし、結構大きいリアルの研究所はもうあって、R(現実)とVR(仮想現実)、どっちに振るべきか、正直なところ迷ってます。先輩の意見も超参考になるっす」
後輩はそう言ってくれるが、十年前に今の自宅を契約したきり、不動産関係にはまったく意識の行っていないわたしとはまったく違う、深い水準で後輩が考えているのは間違いない。場所や建築は小説においても重要で、本当はわたしも少しは考えるべきなのだ。
そのときふわりと潮のにおいがした。
山口県の瀬戸内海に面した地方都市で生まれたわたしにとってこのにおいはなんともいえないくすぐったさがある。めんどくさくて、大学進学で上京して以来、地元には一度も帰っていないけれど。
「──ね、きみのAIだけど、たとえば子供のころに通ってた近所の駄菓子屋さんの名前をいきなり教えてくるわけ? 確かに本当に忘れていることだけど、今その情報は要らないというか、懐かしい気持ちくらいにはなるか?」
そういう情報はそれこそ半世紀ぶりの同窓会で旧友たちと話すから面白いのではないか。わたしはまだ半世紀も生きてないし、どれくらい懐かしく思ったりするのか、想像し始めると全然わからなくなってくる。
「先輩、あたしもこの商売それなりに長いので──」
と後輩が前置きして話し出した。
商売というのは全然冗談めかした言い方ではなく、実際この後輩は小学二年生時点で、極めて高速なスケジュール管理AIを作り、それ単体でわたしの塾講師の月収を超える額をこの二十年間、毎月ずっと叩き出しているのだった。
「──なによ。ちゃんと笑える記憶を見つけるAIに仕上げてるって?」
「なるほど。笑いは全然気にしてなかったんで、さっそく取り入れるっす。さすが先輩。早くうちの顧問になってくださいよ」
「きみ、それ時々思い出したように言うけど、全然面白くないからね?」
「了解っす、顧問の件はまた今度。商売の話をすると、もちろん意味がある記憶を探します。あたしが見つけてほしいってA-PRISMに頼んでるのは、先輩の例でいうと、その駄菓子屋さんで聞いたり思いついたりした言葉です」
小学生のころのわたしなんて、そもそも何か考えていたのかもあやしいくらい、小学生であることを満喫していた。中学生になって、幼馴染がわたしのことをガキ大将だと思っていたのを知って、驚愕したものだ。きっと傍若無人で、もしかして今もそうなのか?
「きみは小学生時代も何かすごいことを思いついてたのかもね。ていうかきみだったら全部覚えているのでは?」
「あたしはそういう方向の記憶は苦手なんです。なのですぐメモしてくれるAIも作ってきましたけど、もっと、こう、言葉になる前の思いも記録したいと思ったんす」
「つまりきみは失われた過去を求めているわけだ。いや、失われたアイデア、失われた可能性を求めて、かな」
「さすが先輩小説家。そういうことです」
後輩社長は──後輩弁護士とは全然違って──本気でそう思っていて、本物の天使のように微笑む。
それでわたしの心はすっかり満たされてしまって、殺人鬼に殺されそうなことも若干忘れ気味に、ゆったりと窓の外をながめた。
後輩が運転する電気自動車はいつのまにか大きな公園に入っていた。公園の向こうには海も見える。二月の海は冴え冴えと青い。
「ここどこ? 見覚えあるかも」
「四人で来ましたよね。あの人──先輩弁護士の卒業式の少し前、四人で集まった最後の花見でした」
まだ二月で、桜は咲いていないけれど、わたしはまざまざと思い出す。
四人共お酒を飲まなくて、わたしはいつものようにダイエットコーラを、他の三人もてんでバラバラのものを飲んでいた。
「ここ葛西臨海公園だね。きみの研究所ってこの近く?」
「ていうか公園内ですね。新しい埋立地ができて、一区画ゲットできたんです。住所は千葉県の舞浜一丁目です」
「誰かの小説で読んだな。舞浜には一丁目がないんだっけ?」
「ですです。歴史的にたまたまらしいですけど。で、今回ちょうどいいから一丁目にすればって話になって。──先輩が読んだ小説って高島雄哉の『エンタングル:ガール』ですか?」
「あ、それそれ。──今はきみが検索した? それともなんとかプリズム?」
「いえ、今のはうちの会話補助AIです。話してる内容に関連する事項を自動で探します。先輩にもあげたのに消しちゃったでしょ」
そういえばそうだった。
「だって思い出せないのも含めて、わたしときみの会話じゃん。リアルタイムの、その場限りの」
そしてなんとなく後輩社長が言いたいことが、ようやくわかってくる。
もしこれまでの担当編集との会話でも、関連事項をすべて思い出しながら話せれば、実際に成立したものとはまったく違う小説企画ができたかもしれない。今だって言われるまで会話補助AIのことなんてすっかり忘れていて、AI連載だって企画会議中には後輩社長の仕事のひとつでも思い出せばいいのに、プルーストのことだけを思いついて、結局決まっているのは未だにタイトル『失われた青を求めて』だけ。
話しかけようとした瞬間に後輩は急ブレーキを踏んだ。なかなか体験しない強めの急ブレーキだった。
文句を言う前に今度は急加速。座席に押しつけられながら座り直して、ようやくわたしは口を開く。
「ちょっと!」
「ごめんなさい! だってあれ!」
わたしのメガネの視界に、ARで大きな矢印が示される。後輩の意図をAIが理解して指し示しているのだ。
右手を指す矢印を目で追いかけると、橋のむこうの建物が大きな泡に飲み込まれようとしていた。
〔第14話:全2,993字=高島執筆538字+AI執筆2,455字/第15話に続く〕
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
小説家+SF考証。1977年山口県宇部市生まれ。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、ハードSF「ランドスケープと夏の定理」で創元SF短編賞受賞。同年、数学短編「わたしをかぞえる」で星新一賞入選。著書は『21.5世紀僕たちはどう生きるか』『青い砂漠のエチカ』他多数。2016年からSF考証として『ゼーガペインADP』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』やVRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品を担当。
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