【第18話】 結婚式フォトグラファーのほう(二)
スライムの海で溺死しそうになったわたしは、まだ残っていたきれいな白衣を借りて、後輩社長の部下が運転する車で帰ることになった。
後部座席に乗り込むと、チーフが駆け寄ってきた。
「小説家さんは荻窪ですよね? ワタシは西荻窪なのでいっしょにお願いします!」
車内でわたしたちは誰もしゃべらず、ずっとラジオが流れていた。
みんなスライムの相手で疲れ果てていて、わたしは気まずかったし、きっとチーフも気まずかったはずだ。少なくともわたしはそう思っていた。
一時間後、荻窪の病院のまえで降りたわたしは、挨拶もそこそこに車のドアを閉め、とぼとぼと病室に向かっていると、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
「もしかしてチーフが抱きついてきたんですか?」
編集者はニマニマと笑っている。
「んなわけないでしょ。でもそれは確かにチーフで、お手伝いできることがあると思って──なんて言ってきたんです。荷物をまとめてそのままチーフの家に連れて行かれて、昨日と今日は泊めてもらいました」
「チーフさんのおうちに、ですか?」
「なんだか恥ずかしいので確認しないでください」
「恥ずかしくないでしょう。おめでたいことということで良いと思いますが」
「そういうことになった時点ではうれしかったんですけどね」
「先生は確か学生時代に〈結婚式フォトグラファー〉をしてたんでしたよね」
「なんですかいきなり。チーフとの結婚なんて考えてないですよ?」
というのはもちろん嘘で、もう脳内で様々な結婚生活を考えてしまっているわたしなのだった。
「確認しておきますけど、わたしは結婚を全肯定してないですからね? フォトグラファーのバイトをしたのもなりゆきで」
「なりゆき、いいですね。うかがってもいいですか?」
「あの子が寮からいなくなって、ずっとバカみたいに寮のロビーでこれみよがしに小説を書いていたわけです。悲劇の主人公みたいに」
「これみよがしという自覚があったんですね」と担当編集。
「それがですね、自覚なかったんですよ! その小っ恥ずかしい事実を指摘してくれたのは、同じ寮にいた留学生なんです」
「先生の大学、留学生多そうですからね。ちなみにどちらからの」
「あーっと……忘れちゃいました。コミュニケーションは初めは英語でしたけど、あっという間に向こうの日本語がうまくなって」
その留学生は黒髪ロングで、アジア系にもヨーロッパ系にも見えた。
ただ初めの初めにフォトグラファーが言った第一声、「くそださいことしてないで結婚式しましょう」にわたしは笑ってしまって、そのまま表参道にある結婚式プロデュース会社についていったのだった。
留学生はその会社でフォトグラファーをしていた。スーツを着てカメラを抱えて結婚式場に入って撮影する姿はなかなかカッコよかった。
「そのカメラすごいね。一眼レフって言うんだっけ?」
「うん。これは会社の備品だけどね。あなたも今度から大学で借りてきて」
「カメラなんてあるのかな。っていうかわたしも写真撮るの?」
わたしの撮影は──データが壊れたりしたときの──万が一のための保険であり、いずれ一人で結婚式場で撮影するためのトレーニングなのだった。
カメラは美術学部附属の写真センターで貸し出していた。留学生は美術学部で写真論を専攻しているのだという。
「ちょっと! カメラ借りるの超大変だった! デジカメ貸してくれるのにどうしてアナログの実習するの?」
「基本がわかって良いでしょ?」
結婚式は基本的に土曜日曜祝日におこなわれる。大抵は会社の近く、青山や代官山だったけれど、舞浜や横浜にもよく行ったものだ。湾岸からクルーザーに乗って、船上結婚式を撮影することもあった。挙式は、式場がおこなうこともあれば、プロデュース会社が入ることもある。
結婚式なんてわたしは全然知らない世界で──あの子がいなくなって、わたしは小説家になると決めてはいたのだけれど──我ながら結構まじめに働いた気がする。
二十ほどの式をこなして、慣れてきたかなと思い始めたとき、留学生が言った。確か恵比寿の式場で、式が終わってデータ転送をしているところだった。
「この仕事が終わったら辞めてください」
「は?」
「あ、言い間違えた。アタシが辞めます。留学期間がそろそろ終わるので」
留学生フォトグラファーは生まれる前から決まっている婚約者と結婚するのだという。留学のために結婚式を延期してもらったと留学生は笑った。
「生まれながらの婚約者ですか。そういう文化圏は世界中にありますからね」
「そういえば、その留学生、〝ai〟と〝ao〟の発音が区別できないって言ってましたよ。〝はいる〟と〝はおる〟みたいな」
留学生フォトグラファーはあいとあおの話を気に入っていて、退寮前日のお別れパーティでわたしに言った。
「日本では、愛情は青い?」
「愛の色なんて考えたこともなかったな。そっちの国では?」
「どうかな。アタシはそもそも愛なんて考えたことがない」
そのときの留学生フォトグラファーの表情の意味が、今になってわかった気がした。正しい理解かどうかはわからない。というかきっと間違っているのだろうけれど、当時のわたしは愚かで、何も気づけず、笑顔の留学生にわたしも笑い返したのだった。
たぶん留学生が帰っていった国は、そう窮屈なところではなかったのだろう。
でも、わたしたちを個々に縛るものはもっとたくさんあって、わたしはそのほとんどを見過ごしてしまうし、今みたいに忘れ去ってしまう。
「……また青だ」
「え? 先生? 打ち合わせは──」
「わたし! 行かないと! 原稿の続きはまた送ります!」
〔第18話:全2,294字=高島執筆375字+AI執筆1,919字/第19話に続く〕
▶これまでの『失われた青を求めて』
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
小説家+SF考証。1977年山口県宇部市生まれ。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、ハードSF「ランドスケープと夏の定理」で創元SF短編賞受賞。同年、数学短編「わたしをかぞえる」で星新一賞入選。著書は『21.5世紀僕たちはどう生きるか』『青い砂漠のエチカ』他多数。2016年からSF考証として『ゼーガペインADP』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』やVRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品を担当。
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