【第30話】 XRとR(七)
「つまり先生は以前ここに来たことがあって、お客様の声みたいなコーナーに投書して、もしかするとそのせいで店員さんがクビになったかも、ってことですか?」
チーフが悲壮な、心配そうな声をあげる。
しかしわたしのほうは記憶がないからなのか、チーフの感情になかなかうまく寄り添えない。
「全然覚えてないけど、記憶の断片をむりくりつなげたらそうなるかな」
──先輩、ちょっと調べたら出てきました。十年前の事件ですね。先輩の名前は一切出てないです。
「だろうね。お客様の声にいちいち名前は書かない」
しかしその代わりに十年前のわたしは日付や時刻そしてコーナーを詳しく書いていて、わたしが文句を言っている店員はすぐにIKEAも特定したようだった。さいあこだ。
しかもSNSでバズってしまい、「客が騒いでる。店員が無理やり青を勧めてキレたらしい。こだわり小さw」とか適当なことをつぶやかれたようで、それが火に油を注いだ。
IKEAには思想を押し付けるスパイが紛れ込んでいるとかなんとか、ばかばかしいくらい狂った展開になって、事態を収束させるために店員は自主的に退職。その結果、――SNSにありがちなヒマな特定班が追跡した結果――その店員は周囲から冷たい目でみられることになり、SNSは毎日鬱鬱とした独り言だらけになって、ある日それがぱったり途絶えた。
まるで死んだかのように……。
「さいあこ」
「社長、本当にそれ、先生なんでしょうか」
「……え、チーフ、どういうこと?」
「先生はそういう事件をたまたまここで目撃しただけかもしれません。今の先生は青色がキライですか?」
「今は……よくわかんない」
「すみません、記憶障害は趣味や感性にも少なからず影響を与えますから。徐々に取り戻していきましょう」
チーフはどこまでもやさしい。
わたしは確実なところからおさえていくことにした。
十年前であれば──もうとっくに大学は卒業しているから──後輩社長とは知り合っている。
「後輩社長、ちょっと訊きたいんだけど、わたしって十年前にスウェーデンに行った?」
──ええ、それは間違いないです。写メ、めっちゃ送ってくれてます。どうぞ。
ARメガネに十年前の愚かなわたしの自撮り写真が表示されていく。
「十年前の先生、かわいいです」とチーフ。
「いやいや。──げ、これ、このIKEAの前だね」
──しかもこれは……ツイートされた当日です。
なるほど、確かにわたしは十年前にもここにいたのだ。写メにはもちろん日時情報が残っていて、チーフの言うとおり、少なくともその炎上事件の近くにいたことまでは間違いない。
──これ以上は見つからないですね。お客様の声に書き込んだのが日本人とかあれば、その……先輩かもっていう蓋然性が高まりますが、そういう情報はありません。
もう十年だ。
不愉快なネット記事のせいで再就職が邪魔されてはたまらない。IKEAか辞めた店員に依頼された警察がネット上から情報を消したのだろう。
わずかに残ったツイートにしても、固有名詞はまったく残っておらず、書き込んだ張本人にも店員にもたどりつけなかった。
わたしがきっかけになったのかもしれないが、普通そんな些細な事で人が行方不明になったり、死んだりするものだろうか?この事件を利用して、誰かがわたしを貶めてる?だって、スウェーデンで起きた小さな事件が発展して、十年ごしに、遠く離れた日本で、しかも荻窪に事件が集中するなんて違和感しかない。
マリッジブルーはスウェーデンのIKEAの元店員ってこと?
じわじわと不安が押し寄せる。
気になるのは、もしIKEAでの一件が事件に関係があるとしたら、どうやってわたしが関係がある事を突き止めたのだろう?確か、ネット上では「客」としか言及されていなかったはずだ。可哀想な事に、スタッフのほうは名前はなくとも特定されてしまったが……。誰かがわたしの写真をアップしたのだろうか?いや、直接揉めたわけじゃない。わたしはただタブレットに文字を書き込んだだけ。
「……あの、先生、社長」
「ん?」
──チーフ、何か思いついた?
「いえ、あの……先生が去年から連載してる小説のタイトル……」
──あ!
チーフと後輩社長がなにやら不穏な雰囲気になっているが、わたしには記憶がまったくないから気楽なものだ。
「なになに、教えて」
「……『失われた青を求めて』、です」
「はあ、ふうん……。え?」
ようやくチーフの言いたいことがわかってくる。
わたしは十年前のこの事件を覚えていて、それをタイトルにしたのかもしれない。
「わたしはこの事件のせいで青がキライになった?」
──先輩の写メ、超たくさんありますから、ちょっと調べます。ぱっと見……、げ、確かにこの十年間、先輩、青い服は着てないかも。
「先生、社長!結論を出すのはまだ早いです!先生がこの事件を見ていて、はたから見ていてとても不愉快に思って、青がキライになってしまったのかもしれません」
「まあね。でも……」
でも自分が当事者でもないのに青がキライになったりするだろうか。
小説のタイトルにするかどうかは、小説家としての記憶がないから全然わからないけれど。
「……辞めるって大変なことだよね。しかもIKEA」
──パートかもですが、そうですね、超めんどくさいと思います。
「超、要る?」
──すみません、あたしがめんどくさがりなだけです。
「……わたし、記憶喪失前のわたし、やらかしたのかもしれない」
こんな時、いつもそばにいてくれたのがチーフなのだろう。ごく自然に、私はふいに、チーフの手をつなごうとした。
が、手は空をかする。
不安は不安を呼ぶ。振り返ると、チーフがいたはずの場所は空白になっていた。まるで、自分の記憶がリアルに欠けてしまったように。もう、世界は、私は、元通りにはならないのだろうか?
「チーフ?」
しかしわたしがふりかえると、チーフはいなかった。
──「第四編 XRとR」完──
次回より「第五編 囚われた小説家」
〔第30話:全2,377字=高島執筆149字+AI執筆2,228字/第31話「囚われた小説家(一)」に続く〕
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
小説家+SF考証。1977年山口県宇部市生まれ。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、ハードSF「ランドスケープと夏の定理」で創元SF短編賞受賞。同年、数学短編「わたしをかぞえる」で星新一賞入選。著書は『21.5世紀僕たちはどう生きるか』『青い砂漠のエチカ』他多数。2016年からSF考証として『ゼーガペインADP』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』やVRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品を担当。
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次回をお楽しみに。毎週木曜日更新です。