【第40話】 消え去ったチーフ(一)
記憶は失われたままのほうが良かったと、記憶を取り戻したわたしは断言できる。
記憶がなければ──それはつまりわたしもほとんどいないということで──チーフの死がこんなに悲しいなんてことはなかった。
わたしは記憶と共に悲しみを引き受けていた。
「言葉はわかりますか?」
相手がスウェーデン語を使っていることも、言葉の意味も、すべてわかる。
「大丈夫です。このメガネでリアルタイム翻訳されているので」
「そのようですね。私、ARやVRに関心があって、そういうガジェットはそれなりに追いかけているんですが、あなたのメガネは見たことがありません」
「わたしには非常に優秀な後輩がいるんです」
わたしはただ話しているのだけれど、向かいの席の誰かは両耳にワイヤレスイヤホンを入れていて、たぶん──わたしの日本語ではなく──翻訳されたスウェーデン語を聞き取っている。声はたぶんわたしの声に似ているのだろう。優秀きわまる後輩社長はそういうことまで実装する。
──先輩!
とここでようやく後輩社長との連絡が回復した。
グレタ氏のまわりに何か妨害電波でも広がっていたのか、メガネの通信機能が全然使えなかったのだ。
「……チーフが」
──知ってます……。ニュースになってますし、さっきうちの会社に、スウェーデンの日本大使館から連絡がありました……。
「……ごめん。わたしのせいで……」
──先輩は悪くないです。犯人はわかってないですが、きっと〈マリッジブルー〉ですよね?
「わかんない。わたしはずっとグレタ氏といて」
ここで向かいの席の人物がわたしをじっと見つめていることに気がついた。
「あ、ごめんなさい。メガネに着信があって」
「構いません。あなたには電話をかける権利がある」
──先輩、今どこですか?警察?
後輩社長に言われてようやく気がついた。
そうか、わたしはチーフの遺体といっしょにスウェーデンの警察署に連れてこられたのだった。
記憶を取り戻してみると、記憶を失っていたときのわたしも認識できて、まるで複数のわたしがいるみたいに感じられる。あるいは世界がふたつに分かれているような、世界がわたしから離れているような、ふわふわとした気分だ。
「あの……グレタ氏は?」
「グレタ・トゥンベリ氏ですか?確か数日前からドイツで開催されている環境国際会議に出席しているはずです」
──先輩、すみません。こっちでも確認取れました。普通にネットニュースにもなってたのに、うちのネットワークが乗っ取られてたっぽいです。
後輩によれば、どうやら後輩社長の会社のラボが青いスライムに覆われている時、そしてわたしとチーフが退治した時、同時にネットワークに攻撃されていたという。
「もしかしてわたしが見てたARも乗っ取られてた?」
──だと思います。だってグレタ氏いっぱいいたんですよね?
「そっくりさんでもそんなにいるはずないか……」
わたしの向かいに座っているのはスウェーデン警察の刑事だ。金髪碧眼。
しかしその顔がゆっくりと変形していく。
「後輩社長、見えてる?」
──見えてます!ARハッキングされるなんて最悪!先輩、すぐにメガネを外してください!
「いや、このままでいいよ。刑事さん、ごめんなさい、ちょっとそのままでいてください」
「よくわかりませんが……」
「今、真犯人があなたの顔の上にARで出てこようとしているんです」
「なるほど。いいでしょう。わたしは黙っています」
そう言う顔はどんどん変わっていって、グレタ氏やわたしや後輩社長になってから、最後にチーフの顔で止まった。
チーフもどきが口を開く。そのようにAR表示される。
「趣味悪いかな?」
その声もチーフのものだ。メガネのスピーカーに直接聞こえてくる。
わたしはくやしくて、目をそらさずに言葉を返す。
「さいあこ」
「その口癖も思い出した?」
「ん?わたしの記憶喪失もそっちのしわざ?」
「記憶喪失状態を意図的に作れるようになれば、ノーベル生理学医学賞は確実だね」
「ノーベル賞?」
「あなたはそれどころじゃなかっただろうけど、さっき今年度のノーベル生理学医学賞の受賞者が発表されたんだよ」
「はあ」
「あれ?あなたの話し方を真似してみたんだけど」
「わたしってそんな支離滅裂な話し方?──後輩社長?」
──若干そうかもです。
「あなたの話し方には法則性がある。関係はあるけれど、飛躍が大きすぎて、多くの人には通じない。後輩社長や先輩弁護士のような、推測力に長けた人物がおまえのまわりにいただけのことだ」
「あんたはわたしがまわりに甘えてるのをどっかから見ててムカついたからチーフを……殺した?」
わたしは心拍数が跳ね上がって、声がふるえていた。
刑事がそろそろしびれを切らしそうになる直前、〈マリッジブルー〉が答えた。
「ようやく真実に近づいてきた」
「はあ?」
わたしは思わず刑事につかみかかるところだった。
そんなことをしても〈マリッジブルー〉を面白がらせるだけなのは明らかなのに、今のわたしは最低限の自制心も失っていた。
「刑事さんの前だから婉曲法を使うけど、この借りは絶対に返すから」
「私に恐怖はない。人質四人の命はあと一週間だ」
「意味わからん!殺すんならわたしが最初だろ!」
「いいや。おまえがIKEAに行ったのも、偽グレタ氏に会ったのも、そしてチーフが死んだのも、私にとっては意味があることだ。おまえが記憶喪失になったのは意図的ではなかったけれど、想定外ではなかった」
「おまえおまえって……!わたしの記憶喪失はおまえがやったんだな」
「違う。しかしそうなってもおかしくはない。おまえはAIとの親和性が強すぎる。すべてはそこから始まったことだ。あとは後輩社長と話して、一週間を有意義に使うことだ」
──待て!
後輩社長が叫んだ途端、刑事の顔は元に戻った。
〔第40話:全2,335字=高島執筆84字+AI執筆2251字/第41話に続く〕
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
小説家+SF考証。1977年山口県宇部市生まれ。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、ハードSF「ランドスケープと夏の定理」で創元SF短編賞受賞。同年、数学短編「わたしをかぞえる」で星新一賞入選。著書は『21.5世紀僕たちはどう生きるか』『青い砂漠のエチカ』他多数。2016年からSF考証として『ゼーガペインADP』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』やVRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品を担当。
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