煙のあった風景 01 銃の密造工房の空に漂っていた煙【フィリピン】

煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会に取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもあるゴンザレスさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その危険な旅の足跡をたどります。
第1回は、ゴンザレスさんを一躍有名にした”あの番組”から始まります。

丸山ゴンザレス

ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)など多数あり。

01 銃の密造工房の空に漂っていた煙(フィリピン)

長く煙たい待ち時間

コロナ禍で海外への渡航がままならず、過去の旅を思い浮かべることが増えた。いろんなことを思い出す。なかでもタバコに関することは色濃く思い出に刻まれていた。
空港に到着して一発目のタバコ、喫煙所を探して右往左往したこと、喫煙所でライターの貸し借りで始まった会話、スラム街でご当地タバコを買ったこと、携帯灰皿をN Yで意識高いなといじられたこと、追い詰められた夜にタバコの火を見つめたこと、異国の地で体にまとわりつくように漂うタバコの香り……。
二度と会うことない人たちや今では存在しない場所も含めてタバコの煙のあった風景がいくつも浮かび上がってきた。俺の旅とタバコの煙は思いのほか強いつながりがあるのかもしれない。そんな煙の記憶の引き出しのなかで、今回はフィリピンのセブ島で取材していた時のエピソードを紹介してみたい。

2014年の終わり頃にTBS系『クレイジージャーニー』の取材でフィリピンに行った。当時、番組はまだスタートしておらず、テレビ局側から「海外ドキュメンタリーの企画をやりませんか」とメールで打診があったのが夏ぐらい。そこから打ち合わせを重ねて「実際の取材に同行されてくれませんか」となっただけで完成形などイメージできておらず、直前になっても番組の方向性もまったくの手探り状態。それでも同行を受けたのは自由度だけは異常に高かったからだ。
普通だったら許可されないことを地上波のテレビで放送できるかもしれない。どうせ続くような番組じゃないんだから(スタッフの皆さんごめんなさい。当時はそう思っていました)インパクトとか伝説だけでも残してやろう。無茶でもダメでも別に構わないぐらいにしか考えていなかった。
俺が狙ったのはフィリピンの「銃密造村」への潜入だった。密造銃の繋がりは古く、第二次世界大戦で日本軍がフィリピンから撤退する際に残した銃器をベースにして作られるようになったそうだ。最初は稚拙な密造銃だったそうだが、世代を重ねるうちに密造者たちは職人となり、現在に至るまで伝統の技術として受け継がれる。
海外でもその精度の高さから存在を知られるようになり、日本にも密輸され裏社会で流通するほどだったという。そのため日本で裏社会を取材していると「現地に行けば誰でも知ってるよ」と噂話程度に耳にしていた。
アホみたいな話だが、俺はその噂だけを頼りに密造銃を産業にしているという村を取材してみることにしたのだ。
自分で言うのもなんだが、楽観的な性格なので「どうにかなるだろう」と、軽い気持ちでいた。別に舐めていた訳ではない。その証拠に直前までカメラを持った同行ディレクターが一人だけいたのだが、彼とはマニラのスラム街を撮影できたので、そこから先の取材については安全面を考慮して帰国してもらった。

今ではYouTubeを通じて俺のことを知っている人も多いので、意外に思われるかもしれないが、本格的に動画を自分で撮影したのはこの取材が初めてだった。本来の取材スタイルとしたら、リスクと知り得るネタとのバランスを天秤にかけて釣り合わないようだったら、安全を優先して大人しく帰ることをモットーにしていた。ところが初めての映像化のプレッシャーからだろうと思うが、徐々に「どうにかなるだろう」>>>「どうにかしなければ」という心情に変化していった。失敗してはいけないという不思議な感覚が心を縛っていたのだ。
ここに追い討ちをかけるように、むしろ映像化のプレッシャー以上にきつかったのは、想像以上に取材がまったく動かなかったこと。どうやっても取材先となる銃密造工房にコンタクトできなかった。セブ島に入ってから工房のある地区出身の人間に連絡を入れていたが色良い返事をもらえなかった(流石に野面で現地入りはせず、聞き込みしたり現地の知人を頼ったりしてそれなりの準備はした)。連絡が入ってくるまで待ち続けたが1日、2日と経つうちに、「なんともならん!」となり、流石にこのままじゃまずいと思った。滞在日数にも限界があるのだ。見切り発車で現地入りすることにした。

セブ島の中心地セブシティからバスで1時間ほどの漁村。のどかなフィリピンの田舎な風景しかないような場所。銃の密造とは結びつきにくく余計に不安が募っていった。しかもこの時点で仲介者の紹介で次の仲介者が出てきての繰り返し。交渉が難航しているのはわかるのだが、目の前でタガログ語混じりの英語であれやこれや、俺をそっちのけで繰り広げられていく。
タガログなんてまったくわからなかったので、聞き取れた英語部分の内容から推測した。どうやら俺の情報が一人歩きしているようだった。日本から来た大学生で銃マニア。せっかく来たのだから工房を見せてあげてほしいという感じだ。
既に情に訴えるという作戦になっていた。もし自分が繋いだときに同じ状況だったら、マジで他に「打つ手なし!」状態である。ついでに言わせてもらえば既に30代も半ばを過ぎた見た目に大学生は確実におかしい。まあ、自分で仲介者に言ったことなので仕方ないのだ。それに今さらこの設定をいじるのも不自然である。
時折、仲介者からの追加質問も浴びせられた。いつから日本のどこから来たのか、いつフィリピンに来たのか、どこのホテルに泊まっているのか、そもそも誰の紹介なのか(俺が知りたいぐらいだった)、金は持っているのか、信用できるようなやつなのか……。
答えないわけにもいかないし、嘘ついてもバレそうだしと言うことで、個人情報がダダ漏れである。受け渡されていく情報が増えるたびに、自分が丸裸になっていくような感覚に襲われた。こうなると紛らわしに軽口でも叩きたいところだが、弱音が漏れそうだったので、口に蓋をするためにタバコを咥えた。

このときに吸っていたのはアメリカンスピリット(通称アメスピ)のメンソール。日本を出るときに免税店で買った品で数に限りがある。ここまであまり吸わないようにしていた。
生来の貧乏性以外に海外で自前のタバコを減らしたくない理由は、スラム街では日本製のタバコを通貨の代わりにして渡すことがあるからだ。ポケットから現金を取り出すことで周囲に金を持っているように見られるリスクを減らせるし、何より安上がりである(結局、貧乏性なのだ)。

その一方で土地に馴染むためにローカルタバコを買って吸うことも多い。これは趣味の領域で特に意味はない。フィリピンで売っているタバコは、マイティー(MIGHTY)やフォーチューン(FORTUNE)が有名で、どちらも20ペソ(45円)ぐらいで激安(取材当時)である。味については、箱で買うことがほとんどなかったので正確なところは記憶にない。フィリピンのサリサリ(売店)ではタバコを一本単位でバラ売りしているからだ。
ついでなので、この取材当時はともかく現在のフィリピンの喫煙ルールを紹介しておくと、公共の場所では禁煙である。どこでも吸えたし、歩きタバコもお店でも吸えた喫煙天国だったが、2017年からドゥテルテ大統領が公共の場での喫煙を禁止する大統領令に署名したことで締め付けが厳しくなった。どうにも喫煙者には厳しいというのが、世界的な潮流である。

話を戻そう。取材当時は2014年。フィリピンは喫煙天国であった。どこで喫煙していようとも誰に咎められることもなかった。縁石に腰掛けて連絡を待つだけの時間、緊張と間の持たなさもあって、とにかくチェーンスモーキングだった。本数を減らさずにいたのが嘘のように吸い続けた。喉が次第に焼けてくる。水分はあまりとっていなかった。喉が乾くが、それ以上に「取材がどうなるのか」をいよいよ本気で心配していた。

画像出典:tobaccoasia.com

 


永遠に感じた一瞬

「工房を見せてくれる奴がいる」と、ようやく連絡が来たのは昼をだいぶすぎた頃だった。セブシティを出たのが午前10時ごろだったので、漁村に入ってから4〜5時間が経過したことになる。
取材の条件は明確には示されなかったが「銃マニアの大学生」という設定のままで乗り込むことにした。若者設定の割には、くわえタバコが似合う見事な中年男子(当時は30代)の雰囲気が強いような気もするが、今さらだった。それよりもようやく取材できる安堵感と高揚感がゴチャ混ぜになった不思議な感情が生まれていた。

仲介者に連れられて行ったのは山の中腹にある民家。古ぼけているが割と立派な作りで家屋と部分的に塀があるため奥の方までは見渡せない。向かう途中「カーン、カーン」と金属を叩く音が響いていた。特に促された訳ではないが、目的の場所が音の発信源であることはわかった。音の鳴る方へ向かうたびに好奇心に支配されていく。リスクなんてどこに行ったのか。待たされた分だけ、期待値が異常に高まっている。そして家屋の裏手に回った。
「うお!すげえ!」
敷地の奥にある小さな小屋に並ぶ機材やそこにある部材が視界に入っただけで叫んでしまった。元々D I Yな設備やアイテムが好きなことも手伝って、テンションが一気に上がってしまい、自分が潜入取材をしているのだという自覚すらも吹っ飛ばしていた。
俺に視線を向けてから握手をしてきたのは工房の主。50代で小柄。職人らしく仕事で鍛えられたであろう筋肉がしっかりついている。目つきは鋭い。他に敷地内には何人かゴロツキな雰囲気を出す取り巻きの男たちがいたが、特別に口を出してくることもなかった。当事者以外がたむろしているのはアジア・アフリカあるあるネタなので気にもしなかった。職人の男と軽く話をして作業場を見せてもらうことにした。もちろんカメラを取り出して撮影許可も得た。

持参したコンパクトデジカメでの動画撮影は慣れないながらも情景描写などのレポートをした。できるだけ内容を悟られないように日本語を使った。値段や販売先、そして、どうしてここまで工房が見つかりにくいのか。そのあたりは職人に聞くしかないので、英語で話しかける。すると理由はすぐに判明した。
「クライアントってどんなところ?」
「昔は日本のヤクザも買いに来たけどね。今はアブサヤフ、ジェマ・イスラミーアとかの連中かな」
東南アジアで活動しているテロ組織の名前が出てきた。こんなのを相手にいったいどこの誰が簡単にアクセスできると言ったのだろうか。日本でフィリピンの闇に詳しいと言って俺を煽ってきた連中に文句のひとつも言いたくなった(実際に言うことはなかった)。客がテロ組織の密造銃の工房にたどり着くなんて簡単であるはずがない。流石に売り先がテロ組織だったのは流石に度肝を抜かれたが、銃自体は全て職人の手作りで生産量はハンドガンなら二週間で1丁、5〜10万円。至極、真っ当な手作業のようだった。まあ、実際この辺りの詳細については過去にもしっかりレポートしているので、知りたい人は拙著『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』を参照してください。作家は本を買ってもらえると喜ぶ生き物なので。

さて現場に戻ろう。ここまでで知りたいことが知れて、気が抜けてしまった俺は、この後の落とし所、取材の締め方や現場からの切り上げ方について少し考えをまとめるゆとりが欲しかった。そこでタバコを吸うことにした。
アメスピの入ったケースをポケットから抜き取った。海外取材の際にはケースにボックスを入れているのだ。プラスチック製で日本だと作業着の胸ポケットにピッタリと収まるようになっている。突然の雨や汗などでタバコの箱がくちゃくちゃに濡れないようにできるため重宝している。かつて遺跡の発掘現場や測量の仕事をしている時から愛用している便利グッズである。ちなみに正式な商品名がわからなかったので楽天で探したら「プラスチックケース」として130円で販売していた。5〜6年前にガテン系の作業着屋で買ったときは500円ぐらいしたはず。タバコに対する風当たりは日に日に強いものになっているようだ。
このタバコケースを海外取材で使っている理由として、「なんだそれ?」と聞かれることで、話のきっかけ作りになることが多かったからだ。今回もそうなるとばかり思っていたが、職人の方は、むしろ中身に興味があったようで、こちらのタバコモードにつられて欲しそうな表情を浮かべていた。

「どうぞ」と差し出し、職人の男も一緒になってタバコに火をつけた。ゆっくりと思案を巡らせた結果、浮かんできたのは「悪ふざけ」だった。
俺という男は昔からの悪癖なのだが、ここぞという時に調子に乗りがちなのだ。子供の頃にお盆の墓参りで親戚一同が集まったことにテンションが上がって、先祖の墓によじ登って転落からの大流血。これを二年連続でやってしまったほどだ。他にもやらかしたことなど数知れず。とにかくやらなきゃいいことをしてしまうタチなのである。この時も魔がさしたとしたしか言えないのだが、必要のないことを口に出してしまった。
「俺がもしドキュメンタリーを撮りにきたジャーナリストだったらどうする?」
自ら銃マニアの学生の設定を覆したのだ。すると、現場に漂う静寂はこれまでに経験したことのない張り詰め方をした。目の前に「しーん」と表示されたかのような空気だった。「やばい、気のせいであってくれ」と思ったが、決定的な言葉が職人から出た。
「殺すよ」
目の前にいる50代の小柄な男が急に恐ろしく見えた。怖すぎて気にしてもいなかった取り巻きについては目も向けられなかった。何より自分がやらかしてしまったのははっきりとわかった。ここで次の一手をどうすればいいのか。それを考えるよりも手に持ったタバコを吸った。煙が喉に張り付くという感覚をこれ以上ないほどに実感できた。静寂の中、山中の木々の擦れや鳥の鳴き声がものすごく耳に入ってくる。
自分からか、職人からかわからないがタバコの煙が目の前を漂っている。この瞬間が脳裏に焼きついた。
煙と一緒に消えたい気持ちがぐるぐると回る。永遠にも思えるような長い一瞬を挟んだ末にようやく捻り出したのは、
「冗談だよ」
である。薄っぺらい言い訳だった。だが他に出なかったのだ。いくら極めて明るく発したところで、何の捻りもない言い訳が果たして通用するのか。この場で硝煙が立ち上がることのないように祈るだけである。
「冗談か」
職人は納得してくれた。なぜだろうか。あとから思えば、この時のリズムが大事だったのだと思う。タバコを一口吸って、それを吐き出してから短く喋る。相手もそのリズムで繰り返す無言のキャッチボール。考える時間が不自然に感じられなかったのだと思う。以前、タバコを吸わない友人から「タバコを吸う人同士の独特のリズムがあるよね」と言われたことがあるのだが、この時のテンポがまさにそれだったのだろうと思う。

ともかく、どうにかなった。それでも吸った煙の味が全くしないし、喉に絡み付かずに肺に入っていく感覚だったのをよく覚えている。きっとこれが命ととくダネを拾った時の味なのだろう。
ここから先の記憶は少々ぼんやりとしている。なるべく早くに現場を立ち去りたくてたまらなかったからだ。握手しながら謝礼を渡した。手にあらかじめ千ペソ札を何枚か握っていたのだ。迷惑料を兼ねて多めに渡したと思う。
工房を後にしたら、ゆっくりと坂道をくだりながら近くのバス停に向かった。バス停には食堂が併設されていた。不思議な造形のようだが、単に食堂の前にバスが来るだけなのだとわかってからは安心して腰を下ろした。店の人によればセブシティへのバスが来るまで1時間近くかかるという。そんなことはどうでもよかった。むしろ何かしら液体を流し込みたかった。
「ビールくれる?」
「レッドホースしかないけど」
「それでいいよ」

投げやりに注文したレッドホースは現地の労働者階級に人気のビール。観光客が好むすっきり目の味のサンミゲルライトやスタンダードなサンミゲル・ピルセンとは違ってアルコール度数の強いドロッとした濃い味だ。さっきまで乾いていた喉にビールが染み込んで、喉のあたりに溜まっていた煙を流し込んだ。
この後、バスに乗ってセブシティへと向かう道中、夕暮れから夜に差し掛かる海岸沿いの美しい景色はほとんど目に入ってこなかったが、異常な興奮状態に包まれていたことだけはよく覚えている。

この日に味わった静寂のなかで流れていく煙が視覚に焼きついている。そこに至るまでの色々を混ぜ込んだ記憶と一緒くたになって今も俺の中にあるのだ。

文・丸山ゴンザレス
Twitter:@marugon

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