煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会に取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。
第5回は、ニューヨーク。旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは――。
丸山ゴンザレス
ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)など多数あり。
前回、ケニアのミギンゴ島で世界の果てのような場所から煙のあった風景を眺めた。その後の吸い殻の行方という、どうにも締まらないけど、決して忘れられないエピソードお届けしたわけだが、話はアメリカの途中だったので本線に戻そうと思う。
アメリカの中でも、これまで取り上げてきたことでもおわかりだと思うが、とりわけニューヨークとタバコの組み合わせで浮かぶエピソードが多い。これは特別に意識したわけではないが、俺にとってタバコと関わりの深いエピソードがなぜだか偏ってしまうのだ。
といっても犯罪や危険なことに付随するような特別感のあるものばかりではない。今回紹介したいのは、タバコをたかられた時のかわし方についてである。
ラストワンの言い訳
マンハッタン北部のハーレムに暮らす友人と飲んでいる時に、「あちこち旅している時に困ったことはあるか」という話題になった。
ちょっとしたトラブルなどは職業柄ネタとしか思えないので、この手の話題の時にはいささか困る。ひとつだけ思い当たることがあるとしたら、ニューヨークに限らずだが、路地裏やスラム街にいると「タバコを恵んでくれ」と話しかけられることだ。
本来なら「あげない」と切って捨てればいい話だ。もっといいのは「タバコなんて持ってない」だろう。これなら取り付く島もない。
ところが、自分がくわえタバコの状態で声をかけられたらどうだろうか。タバコをたかろうと声をかけた奴らからすれば「絶対にタバコを持っているやつ」なので、「ミスター、1本、1本!」と、しつこく食い下がられる。こうなると拒絶するこちらの方が悪い人のように思えてくる。これが嫌なのだ。
こんな内容を友人に話したところ、アメリカ暮らし10年の男は、余裕たっぷりに言った。
「そんな時は『ソーリー、ラストワン(ごめん。最後の一本)』と言えばいいんだよ。俺のまわりではこうやって上手にかわしているかな」
この時、彼のニューヨーカーっぽいスマートな言い回しがなんかかっこいいなと思った。同時に喫煙者ならではの最後の一本に対する尊重、どんな外道でも最後の一本だけはもらえないといった万国共通のマナーのようなものとあいまって、自分でも使ってみようと思った。
最後の一本に対する尊重は、アメリカに限ったことではないのは、その後、世界各地で通用した。南米、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア……。唯一、通用しなかったのは日本ぐらいかもしれない。というのも日本では「一本ください」とたかられるようなことはほぼ皆無だからだ。もちろんエリアによるのだろうが、俺の拠点にしているような新宿あたりでは、カツアゲでもされない限りタバコを強奪されるようなこともない(と思いたい)。
クラブでのタバコ
ニューヨークで夜遊びするとしたらクラブに行くのが定番である。酒を飲むだけではなく、なかにはドラッグ(主にコカイン)をコソコソやってる連中だっている。ある意味、解放区のような場所である。
そんなクラブであっても屋内でタバコが吸えるような店は稀である。コソコソだとはいえドラッグが黙認されて、タバコがダメというのは、いかにもアメリカらしいような気もしないでもない。
もちろんタバコがダメといえども、全面的に禁煙というわけではない。敷地内に喫煙所が設けられていることは珍しくない。敷地外に出て路上で吸うこともできる。ただ、セキュリティチェックがあるので路上まで行って喫煙することが面倒臭いと思うこともある。
10年ほど前のことだ。
俺が友達と一緒にマンハッタンの端っこ。”ミートパッキング”と呼ばれるエリアの近くにあるクラブに行った。割と客の年齢層の高い大人向けのクラブだった。その分、少々値段設定もお高めの印象だった。
俺は酒を飲みながら、音楽に合わせて体を揺すっていた。最初こそビールだったが、徐々に強い酒を飲み、最後はテキーラのショットを煽っていた。そんなペースだから気合を入れて踊るような真似をしたら体力が続かない。
チェイサーの代わりに煙でも入れたくなったので、店員に喫煙エリアの場所を聞くと店内の奥の部屋だという。
扉を開けて入っていくと、その部屋は不思議な作りで屋内なのに天井がなく吹き抜けになっていた。かなり広いスペースで中庭のような感じになっていたので、そこでくつろいで話している連中も多くいた。
壁沿いに配置された椅子に腰掛けていると、一緒に来ていた友達が声をかけてきた。
「マルゴン(丸山ゴンザレスの略称で親しい人はマルゴンと呼ぶことが多い)、何してんのさ? 今、有名なDJが回してるんだぜ」
店内をチラッと見るとDJブースのまわりには人だかり。奥の方にキャップを被った大柄な男がいた。多分、あの人だろう。この状況では近くに行ったところで、何がどうするわけでもあるまい。そう思うと面倒になってきた。
「いやいや、もうだいぶ飲んじゃったし、音楽に乗る余裕なんてないよ」
酒に酔ったことで眠気も増してきたが、せっかくの夜ということで今は眠ることはない。なにせ友達とも久しぶりの再会である。お互いの近況を含めてしばらくどうでもいいことを話していた。それから何度かフロアと喫煙所を行ったり来たりを繰り返していた。
何度目かの壁際での喫煙タイミングで、妙なオーラを放った大きな男が近寄ってきた。知り合いではないが、見覚えはある。
すぐに「あ!」となって正体に気がついた。さっきまで回してた有名DJ、その人である。若干、驚きはしたがよく考えれば当たり前である。
クラブはセキュリティが重視されているので、タバコを吸うために外部に出ないこともある。そうなると、たとえ大物ゲストであっても同じ場所で喫煙することになるわけだ。
そんな場所にゲストが来ているのに喫煙所では客も一定の距離をとっている。このあたりは個人の権利を尊重する国らしいというか。あと、あくまで俺の見立てではあるが、タバコを吸う時間は邪魔しない感もあるようだった。
いずれにせよ俺も本来なら距離をとるのだが、この時ばかりはDJの方がなんとなく壁際に来て、たまたま俺の近くに座ったのだ。偶然の産物である。そうなると話しかけないのも無粋な気がしてきた。
「日本から来た旅行者です。あなたのプレイはナイスでしたね」
まさか見てもいないのに(正確にはチラ見だが)、口から出まかせで語りかけるとは思わなかったが、コミュニケーションなんてとっておかないに越したことはない。
「そうかい。日本から。トーキョーに行ったことあるぜ」
「DJをしに行ったのですか?」
「旅行だよ。日本のアニメが好きなんだ」
思いの外に会話が弾んだ。拙い俺の英語に付き合ってくれるぐらいの優しさはあるようだ。俺の英語力といえば複数回のフィリピン留学で友人の経営する語学学校で鍛えた経験があるだけで、正規の大学や専門学校に留学したわけじゃない。どうにも自信が持てないのだ。こういうコミュニケーションの積み重ねが自信に繋がっていくのかもしれない。
そんなことを思い浮かべながら不意に上を見ると、俺とDJの吐き出したタバコの煙が絡み合うようにして上空を漂っていた。
とまあ、ここで終われば美しい記憶に残る煙のあった風景であったことだろう。上等なコミュニケーションをとることができたことに気をよくした俺は、そのまま酒を飲み続けた。気がついたら明け方目前の時間になっていた。
お前のタバコを一本くれよ!
酒を飲みすぎた俺は、足元もおぼつかなくなり頭もふらふらしていた。きっとはたから見たら見事な千鳥足の酔っ払いだったことだろう。酒は飲んでも飲まれるなとは、先人は見事なことを言ったものである。すっかり飲まれてしまった俺は「さすがに眠いから帰るわ」となった。
心配になったのだろう。友達も一緒に帰ってくれることになった。彼の家と宿のエリアが近いのは知っていた。というか、そのためにとった宿である。民泊だったので、フロントがあるわけではなく自力で鍵を開けて入らなければならない。最後の意識を手放さないようにしないといけないのだが、友達と一緒にUberに同乗したあたりで、その意識もだいぶ薄くなってしまっていった。
車を降りた場所は友人宅のあるハーレム。友人も疲れていたのだろう。そのまま帰宅した。俺は10分程度の場所にある宿を目指して歩いた。旅行者の噂や一般的なガイドブックなどでは、お世辞にも治安がいい場所ではないとされているが、普段から拠点にしているエリアであるし、ましてや酒に酔った俺には脅威がどこかにあるとも思えなかった。
油断というほどでもなかったが、別段何かに警戒することもなく宿までの道を歩いた。歩いたと言っても、あっちへふらふら、こっちへふらふらの泥酔状態であった。
それでもすぐに帰ればいいのに、この辺りにある薄暗いトンネルと廃墟やゴミが置いてある場所のことを思い浮かべた。その手の場所が好きな俺的にはいつか行こうと思ってはいたが、普段はなんとなくあまり近寄らなかった。それなのに「今行こう」と思ってしまったのだ。酒とクラブでの遊びが俺のマインドを変な方向に持っていったのかもしれない。
寄り道すると決めて、しばらく歩いていると、胃から込み上げてくるものがあった。ここは公共の道である。流石にそれはまずいと思ったかどうか、当時の記憶は定かではない。何度か耐えようとしたものの、込み上げる衝動を止めることもできずに俺は逆流物を大量に吐き出した。道端の植え込みの中に頭を突っ込んで何度も吐いた。俺の口から出るのは胃液まじった数時間前までは酒だったはずの妙な土色をした液体。
しばらく路上にへたり込んで、自分でも何を言ってるのかわからない言葉を大きな声で叫んでしまったがまったくもって酔いは覚めない。
それでもトンネルに行くのだという使命感だけは残っていたようで、ふらふらしながら歩き、やがてトンネルの下にたどり着いた。
暗がりには、何人かのホームレスと思しき連中がたむろしていた。連中の座ってる場所の横に廃てられたカートが並んでいた。その配置がなんとも言えず格好良く思えた。
「これだ」
そう思った俺は、連中から向けられる視線も関係なく、記念写真を撮影した。それからさらに気が大きくなっていたのもあってタバコを吸いたくなった。
ところがクラブで散々吸っていたせいで、手持ちのタバコが切れていた。だが、どうしても吸いたい。タバコを吸いたい。ゲロ吐いたし、すっきりしたし、とにかく吸いたい。
そう思っていると、自然と口から言葉が出た。
「タバコ、一本くれないか?」
自分が言われることがあっても、言うことは決してないと思っていた。そして、心のどこかで今日ならば上手くいくと思い込んでいた。ジッと連中の顔を見た。
「は? やだよ」
「え?」
「自分で買えよ」
完全に拒絶されてしまった。過去に似たような断り方をしたことがある。その時の相手はきっとこんな気持ちになったのだろう。思いのほか堪える。
こちらが絶句しているうちにホームレスたちもどこかに散っていき、俺は路上にポツンと一人状態になった。
タバコを吸いたくなったが、そもそも持っていないのでこうなったことを思い出す。思考のループが始まると止まっていても虚しいだけなので、この場所を後にして歩きながら、
「え〜〜〜そこは一本くれるか、せめて『最後の一本』って言えや!ちくしょ〜!!」
と行き場のない怒りを無駄に叫んだりしながら、すっかりと酒が抜けた状態で宿まで戻ったのであった。
「ってなことが昨日あったんだよね」
翌日になって友達に自分の失態を面白おかしく話したのだが、友達は苦々しい顔をしていた。
「あのさ、タバコとかどうこうの前にさ」
「何だよ」
「この辺りが治安悪いって言われるのは、お前みたいなのがいるからじゃないか。泥酔してゲロ吐いて、テンションが妙なことになって叫ぶし、ホームレスにタバコたかるし。ただの輩よりたち悪いわ」
そう言いながら爆笑する友人に流石に返す言葉がなかった。友達に会う前に買ったタバコに火をつけて深く吸い込んだ。ふーっと吐き出した煙には昨晩のやらかしに対して反省する気持ちを込めているのだが、そんなことが誰かに伝わるはずもない。昔の失敗ではあるが、思い出すと今でも恥ずかしくなる。
Twitter:@marugon