煙のあった風景 06 裏道に消えた煙【アメリカ】

煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会を取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。
刺激的な旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは―

丸山ゴンザレス


ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)、『危険地帯潜入調査報告書 裏社会に存在する鉄の掟編』(村田らむ氏と共著・竹書房)など多数あり。など多数あり。

06 裏道に消えた煙【アメリカ】

◉不意の出会い

ニューヨークを取材し始めた時、街の中でどこを歩けばいいのかわからなかった。表通りの派手な看板を眺めていればニューヨークに来ている実感はあっても、街取材として深く潜れている手応えを感じなかったからだ。

ブロードウェイの裏手に回ってタバコをふかしていると別の香りの煙が漂ってきた。休憩中のレストランスタッフたちがマリファナをふかしていた。今さらながらマリファナ程度と言っては申し訳ないのだが、驚くようなことではなかった。裏社会の取材を生業としていることに加えて、当時はまだ違法だったとはいえアメリカでマリファナを見かけること自体なんら不思議とも思えなかった。むしろ、気になったのは彼らの挨拶。
「ヤーマン」と言いあっていたのだ。
俺は引き寄せられるように近づいていった。不意に現れた東洋人に対して連中が訝しがっているのが伝わってくる。こういう時には一発勝負。嫌な空気が充満しないように、「ジャマイカでしょ?」と元気に大きな声をかけた。
狙い通り面食らった連中は「は?」と疑問符が浮かんだ顔をこちらに向けてくる。
「いま、『ヤーマン』って言ったでしょ。俺、ジャマイカにいったことあるんだ」
俺の言葉にやや空気が弛緩していく。ここから一気に畳み掛ける。
スマホに入れていたジャマイカで撮影した写真を見せようと思い、なかでもインパクトが強いであろうマリファナ畑での記念撮影を選んで差し出した。
「わーお」口々に感嘆の声が漏れてくる。
それから少し立ち話をすることになった。ジャマイカの連中は総じて明るく話好きだ。ちょっとしたきっかけがあればトークが展開する。あれこれ話しているうちにわかったのは、ニューヨークで働く人は裏通りを歩くし、休むし、おしゃべりをする。率先して裏通りを進むのだということだった。
それは社会的な裏ではなく、街としての裏を歩くことで出会いが生まれる。そんな予感を抱かせてくれた。

◉プッシャーの家に行く

何度かのニューヨーク滞在で街歩きにもすっかり慣れたし在住日本人の友達もできた。飲みに行くとか、ランチを食べるとか、そんな普通のことをする友達もいるし、なかには悪友のような奴もいる。そいつらが教えてくれる街の顔というのが俺にとってはむしろ歓迎すべき分野である。
「今夜、プッシャーの家に遊びに行くけど、一緒に行かない?」
悪友の一人からの提案だった。プッシャーとは、麻薬の売人のことである。どうやらいつも仕入れている相手で今回は使用するための一ヶ月分が切れたので買いに行くという。
プッシャーについてはアンダーグラウンドの取材をしていれば接点を持つことはあるが、家に行くような機会は滅多にない。発展途上国で自宅的な場所で販売所を兼ねているようなところに行ったことはあるが、ニューヨークのような大都会のプッシャーとなると自宅に行く機会などさらに珍しい。
友人と待ち合わせた場所はチャイナタウンからほど近いデリだった。コンビニがわりの個人商店のような何でも屋である。そこで何本かビールを買って手土産にするという。どの銘柄が美味しいかわからなかったので、適当に選んでレジに持っていった。ここは謝礼の一環で俺が支払いを済ませた。
在住10年で何度もそのプッシャーから購入している友人からしてみれば、それほど珍しいことでもないようで「大丈夫。今まで問題が起きたことなんてないから」と気楽なものだ。俺の方もこの街なら滅多なことは起きないだろうと特別な警戒心を抱くこともなかったので誘われるままについていく。
太めの膝には辛い程度の距離を歩いてチャイナタウンからだいぶ外れた場所にあったのはよくあるタウンハウス。極端に古くも新しくもない。部屋は建物の3階で、インターホン越しに友人が何やら伝えると遠隔操作で鍵が開く。設備と建物のバランスが歪だと思った。この手の建物にしてはセキュリティがしっかりしているあたりがプッシャーの棲家らしいとも思った。

玄関の扉が開いて出迎えてくれたのは長髪を縛ったアジア系の男だった。年齢は30代だろうか。当時の俺と同年代かやや下のように思えた。友人となれた口調で話すとすぐに俺のことを紹介してくれた。どうやら日本から来た面白いことをしている友達という紹介をしてくれたようだ。
俺は下手に警戒されても仕方ないので、日本でライターをしていてニューヨークの麻薬文化に興味があると言葉を選びながら伝えてみた。
するとプッシャーは警戒するというよりも好奇心を剥き出して話してくる。
「日本でこれのことをなんていうんだ?」
そう言って、作業机に置いてあったPCのモニターを指差す。そこにはGoogleイメージ検索で表示された大麻樹脂の画像が表示されていた。
「日本ではチョコかな」
「そうか、日本でもチョコって言うんだな。俺たちもそう呼ぶことあるぜ」
何やら試されている感じがしていい気はしないが、それでも客人として扱われるためにできることはしておきたい。その一方で、テーブルの上に散乱しているジョイントやドル札に目がいってしまう。他にも古めかしい家電、薄暗い照明、中華系のお守り、極め付けはリビングルームに置いてあるバスタブ。どれをとっても映画の中にしかないような怪しいアングラ商売の連中しか住まない家である。この「いかにも感」のある部屋に来れた嬉しさからテンションが上がっていた。

周囲を見渡しながらもしばらくイメージ検索による問答は続いていた。そのたびに日本での呼び名を伝えていると、男は突然「お前、本当にドラッグのことを調べているんだな!最初はアンダーカバー(潜入捜査員)かなんかかと思ったが、ただの薬中だろ!」と笑いながら言ってきた。友達の方をチラッと見ると同じように笑っていたので、どうやら男のジョークなのだと判断した。

◉ジョークとジンクス

そこからは持ってきたビールを差し出して、乾杯からの雑談になった。
「さっきから気になってるんだけど、このバスタブはなぜここに?」
「昔からあるんだよ。ここは祖母の家だったんだ。俺がもらって住んでるのさ」
こんな感じで和やかにトークは展開していったのだが、どうしても気になることがあった。ビールは俺が持ってきたが、つまみとして男が出してきてくれたのはピーナッツだったのだ。金属製のボールに雑に入れた感じ。嫌いじゃないが気になってしまう。
部屋に染み付いたタバコの匂いと、使い古された灰皿があったので遠慮なくタバコを吸いながらビールを飲みピーナッツをかじった。

たまに言われるのだが、俺は自分の体にまとわりつかせるようにタバコの煙を燻らせると言われることがある。確かに特殊な呼吸法を使っているわけでもないのに不思議とまとわりついてくるような気がする。そのことを最初に指摘したのは、何年も前に新宿で知り合ったAV女優だった。彼女はマリファナが好きで周りに売ったりもしていたが、今はどうでもいい。
ただ、彼女と話していた時も、そのほかに日本でプッシャーと飲んだ時も、ブラジル、南アフリカ、ヨーロッパのどっかの国とか、いろんなところのプッシャーと飲んだ時にどうしてだか、ピーナッツを出されてビールを飲んだような気がした。はっきり思い出せないが記憶違いではない。口の中で砕いたピーナッツをビールで流し込み、続けてタバコを吸う感覚を何度も味わってきているからだ。体に染み付いた記憶に間違いはない。
どうしてプッシャーはピーナッツとビールを好むのだろうか。せっかくなので聞いてみると、「知らないな。俺はゆっくり長く話すのが好きだからかな。あとは、長もちするだろ」とのことでなんの参考にもならなかった。

疑問を解消できなかったが尿意を催したので「トイレ」と言ってリビングを出た。奥の部屋に近い場所にトイレがあった。ションベンは早々に済んだのだが、俺はチラッと見えた奥の部屋が気になった。幸いにも男と友人が話し込んでるので、奥の部屋に入っても気が付かれることはなさそうだ。
半開きのドアからそっと入る。そこにはベッドが置いてある。寝室なのだろう。注目は壁面だった。棚になっていて箱が置いてある。中を覗くと大袋に入ったマリファナが詰まっていた。先ほども触れたが当時のニューヨーク州はマリファナ完全合法化になっていない。当然ながら違法である。しかもこの量だ。思わず箱の中に手を突っ込んだ。指先にマリファナとは違う感触があった。さすがに「え?」っとなったが、これは男に聞かない方がいいだろう。
そこからは、後ろめたさから俺はあまり長居するべきではないような気になっていた。リビングに戻ってからも何処かソワソワしていたかもしれない。そんな様子を察してだろうか、友達は自分の使用分を買ったら帰ろうと耳打ちしてきた。
友達と男が通常のやり取りで金とブツの受け渡しをすると、今度は俺の方に話しかけてきた。一瞬、さっきのことがバレたのかとも思ったが、そんなわけもなく意外な提案をされただけだった。
「タバコの箱を交換しよう」
「なんだって?」
「ジンクスがあってね。俺は外国の客が来ると箱を交換することにしているんだ。中身じゃないぞ。箱だけだ」
正直、何を言ってるのか意味がわからなかったが、損もないので受け入れることにした。
「俺のはアメスピだけどいいかい?」
「いいぜ。箱の裏に日本語とか書いてるだろ。それがいいんだ」
おそらく成分表示などの部分を指しているのだろう。俺は自分のタバコを抜き取って空箱を手渡した。男は同じくよくわからない外国タバコの箱を差し出してくるので受け取る。もしかしたら、この男のものじゃなく、誰かのものかもしれない。どうでもいいし、わかるはずもないのだが。

◉表通りと裏通り

空箱にタバコを詰めて部屋を出ることにした。
来た時と同じくゆっくりと駅に向かって歩き出した。俺にとってはこれで取材は終了。ミッションコンプリートである。
一方の友人は、一ヶ月分のマリファナを買ったことで、多少の警戒心があったのだろう。
「表から行こう」と裏通りを避けて帰ろうとした。後ろめたさを隠すために堂々とした場所を歩きたいという気持ちはわかる。
既に夜中になっていたので人通りや交通量はさほどでもない。アメリカに来て当たり前になった習慣で信号を守らなくなったことだ。車が多い時はもちろん遵守するが、交通量が少ないときは当然のように無視して渡る。これは俺に限ったことではなく、アメリカ人であれば当然の動きである。
この時も、交通量が少なかったので気にすることもなく車通りのない大通りで赤信号を渡り出した。その瞬間だった。
「ストップ!」
不意打ちを食らったことで、びっくりして振り返ると先ほどまで視界にも入っていなかった制服警察官が立っていた。
どこかに隠れていたのだろうか。
まずい!逮捕?拘束?強制送還?入国不可?とかいろんな言葉が頭を巡る。
(いや、所持しているのは友達だし、俺は関係ない。だが、見捨てていけるか? どうする、俺?)
妙に動揺している我々に対して警察官が言った。
「赤信号だ。信号を守れ」
「あ、おお、わかりました」
思わず素直に返事をした。
友達と歩道まで戻って大人しく戻った。そこで「そういうことね」と事情を飲み込み納得していたのだった。
それからは警察に追求されることもなかったが、できるだけ自然に歩いて横断歩道を渡ったところですぐに裏道へと入って物陰で歩みを止める。
「ビビったね」
そう言い残した友人とはそこで別れることにした。
「またな」と言ってから、その場でタバコを出した。先ほどの謎の外国タバコの箱から1本取り出して、ゆっくりと吸った。燻らせるように煙を纏いながら、やっぱりニューヨークは裏道を歩いた方がいい。俺は不思議と心地良い風に吹かれて体から離れた煙が流れて消えていくのを眺めていた。

 

▶いままでの「煙のあった風景」

文・丸山ゴンザレス
Twitter:@marugon

あわせて読みたい